episode.13.5「金魚の光と、不器用な回り道」
あの日から私たちは、毎日のように連絡を取り合うようになった。
朝の挨拶から始まり、夜遅くまで、他愛のないやり取りが途切れることはなかった。
竹内のおっちゃんの畑で採れた野菜の驚くような美味しさについて。遠藤のおばあちゃんの若かりし頃のモテ武勇伝を聞いて、あいさんと二人で声を上げて笑ったこと。
彼は私の話をうんうんと包み込むように聞いてくれる。
彼の方は相変わらず私には信じられないことが多かった。
学校の生徒たちと台風の日にグラウンドでバレーボールを始め、それがとんでもない変化球になって「魔球だ!」とはしゃいでいた話。
バスケットボールの経験など微塵もないのに、バスケ部と体育館の端からロングシュート対決をして見事に玉砕した話。
まるで目の前でその光景が浮かんでくるかのように、彼は楽しそうに語ってくれた。
その度に、私が彼の生徒だったら、こんな面白くて優しい先生がいる学校生活はさぞ楽しかっただろうに、と少しだけ羨ましく思ったものだ。
そんなやり取りが続いていたある日、突然そのメッセージは届いた。
『今度の週末に2人で出かけない? 金魚ミュージアムってのがあってさ』
画面を見た瞬間、心臓が跳ね上がった。
『初めて聞いた、水族館みたいなもの?』
『知らないならちょうどいい! 今度の日曜にでも行こうよ』
これは――デートのお誘い、で良いんだよね?
私は水曜日の夜だというのに部屋の中を行ったり来たりと歩き回り、週末までもう時間がないと一人で勝手に焦りながらも、早く彼に会いたいと胸を焦がす自分に戸惑い、そしてその矛盾した甘い焦燥感をどこか楽しんでいた。
「かえでちゃん。で、その、例の彼とはどうなったの?」
マグカップを片手に、あいさんがニヤニヤとした笑みを向けてくる。
「え? 毎日のようにおしゃべりはしてますよ」
「何!? あれだけお膳立てしてあげたのに、まだ付き合ってないの?」
「えっと……今度、デートに誘われました」
「なに中学生みたいなこと言ってるのよ。運命の人なんでしょ? 待ってるだけじゃダメよ、もっと積極的にいかなきゃ!」
「そう言うあいさんはどうなんですか? 石川さんとのその後は」
「彼ね。悪くはなかったんだけど、ちょっと私には幼いかなあ。良い飲み友達にはなれそうだけど、恋愛対象としては違うかなって感じ」
「なんだか私のこと散々言ってますけど、あいさんだって結局変わらないじゃないですか! むしろ私の方が、一歩も二歩もリードしてる気がしますけど」
「このやろー。生意気な口を叩きよって!」
バシッと軽く肩を叩かれながら、あいさんと二人で声を上げて笑う。
こうして他愛のない冗談を言い合える人が職場にいてくれて本当によかった。恋に浮き立つ私の背中を、いつもこの人は絶妙なタイミングで押してくれる。
そして迎えた週末の当日。
待ち合わせ場所に現れた彼は、愛車のバイクにまたがって私を待っていた。秋の少しひんやりとした空気に、ライダースジャケットがよく似合っている。
「お待たせ。これ、ヘルメット」
差し出されたそれを受け取りながら、私は内心で少しだけ複雑な気持ちになっていた。
せっかく朝から気合を入れて、いつもより少し時間をかけて髪型をしっかり決めてきたのにな。ヘルメットをかぶったら、絶対にペチャンコになってしまう。そんな女の子特有の切ない葛藤を抱えつつ、モジモジとヘルメットを見つめる。
今までも、このバイクのシートに誰かを乗せたことがあったのだろうか。ふと胸をかすめた小さな嫉妬心を見透かされたのか、彼はどこか照れくさそうに頭をかいた。
「このヘルメットさ、俺のとお揃いにしたくて慌てて買ったんだ。かえでちゃんに似合うと思って」
そんな風に少しはにかみながら言われてしまうと、髪型の心配なんて一瞬で吹き飛んでしまった。さっきまでの残念な気持ちはどこへやら、気恥ずかしさと嬉しさが入り混じって、顔が一気に熱くなるのを感じる。
「さっ、乗って。女性を後ろに乗せるなんてほぼ初めてだから、ちょっと緊張するけど」
「ほぼ?」
「昔、母さんを乗せたら怖がって『こんなもん乗れるか!』って怒られて以来、乗せたことないんだ」
その不器用な告白になんだかおかしくなって、私は彼の背中にそっと両手を回した。生地越しに伝わる体温が心地いい。
「よし、許す」
小さくそう呟くと、彼は振り返りもせずに「何か言った?」と聞き返してきた。
「ううん、なんでもない!」
秋晴れの澄んだ空の下、心地よい風を感じながら、バイクは軽快にアスファルトを走り出した。
ショッピングモールの一角にある『金魚ミュージアム』。
縁日のような入り口から一歩足を踏み入れると、そこは日常の喧騒が嘘のような、幻想的な別世界が広がっていた。館内には大小さまざまな水槽が並び、色鮮やかな金魚たちが優雅に水中を舞っている。
「わぁ……何これ、すごい……!」
プロジェクションマッピングの光が壁や床を彩り、天井から吊るされたミラーボールがキラキラと乱反射して、水面と光のシャワーが空間全体を包み込んでいる。まるで光の海の中を歩いているような錯覚に陥り、私はすっかりその美しさに見惚れてしまっていた。
ふと、隣を歩いていた彼の足が止まる。
振り返ると、彼はいつになく真剣な、それでいてどこか覚悟を決めたようなまっすぐな瞳でこちらを見つめていた。
「ずっと、言おうと思ってたんだ」
心臓がドクリと大きく跳ねる。さっきまでの賑やかな空気感が嘘のように静まり返った気がした。
「なに? また……可愛いって言ってくれるの?」
照れ隠し半分、冗談半分でそう返すと、彼は少しだけ柔らかく微笑んだ。
「……可愛いのは、間違いないけど」
自分から振っておいて、いざそう真っ直ぐ肯定されてしまうと、気恥ずかしくなって思わず視線を泳がせてしまう。そんな私を逃がさないように、彼は一歩近づき、息を整えるようにしっかりと前を見据えた。
「本当は、もっと早く言うべきだった。……ずっと、ちゃんと言いたかったんだ」
彼は一度言葉を切ると、私の一番大切な名前を呼んだ。
「俺と、付き合ってください」
周囲を泳ぐ金魚たちの影が、ゆらゆらと二人の足元を通り過ぎていく。
もちろん、私の答えは最初から決まっていた。胸の奥からあふれ出す温かい想いを込めて、私は彼にしっかりと頷いた。
「……はい、よろしくお願いします」
きっと今の私はどの金魚より真っ赤になっているだろう。
言葉にした瞬間、世界がより一層、鮮やかに輝き出した気がした。




