episode.13「あの時の本音と、重なった夏」
私の目の前には、あの夏の日、どうしても連絡先を聞き出せなかった彼が、中学校の先生として立っていた。
「どうしたの、かえでちゃん? そんなに顔真っ青にして。具合悪いなら、代わろうか?」
隣で私の様子に気づいたあいさんが、心配そうに声をかけてくれる。
「……い、いえ、大丈夫です。ちょっと驚いただけなので」
私はそう答えるのがやっとだった。心臓がうるさく跳ねて、喉の奥がカラカラに乾く。
そこからの仕事の記憶は、正直ほとんどあいまいだった。気が付いた時には、無事に体験学習を終えた子どもたちを乗せた帰りのバスが、手を振る生徒たちを乗せて美術館の前から遠ざかっていくのを見送っているところだった。
「本当にお疲れ様。疲れたでしょ? 事務所に戻ったら、温かいコーヒーでも飲む?」
「あぁ……ありがとうございます。大丈夫なんですけど、コーヒーはありがたくいただきます」
事務所のバックヤードで、あいさんが入れてくれた温かいコーヒーをマグカップで飲みながら、私はまるで心の中に溜まっていた苦い思い出や未練をすべて吐き出すように、あの夏の研修の日のこと、そして彼とベンチで話した日のことを、途切れ途切れに話し始めた。
「なにそれ――!? まさしく少女漫画や小説に出てきそうな、めちゃくちゃロマンチックな話じゃない。しかも、何年も経ってから職場で再会するなんて、それって完全に運命の出会いじゃないの!」
「運命だなんてそんな大げさな……。でも、今回もあの時と同じで、仕事中だったし私からは何もできませんでした。そもそも彼は、私のことなんてすっかり忘れているかもしれないし……」
「うーん。確かに、いくらうちの職場に来たからって、地元のどこの中学校に勤めているかはわかるけれど、わざわざ学校に乗り込んで行くわけにもいかないもんねえ」
結局、私はあの頃の臆病な自分から、少しも成長していないな……。里帰りで思い出してすぐのタイミングでの再会だったし、自分勝手に運命を感じなかったわけではないけれど、やっぱり私は肝心なところでいつも腰が引けてしまう。
「まぁ、そんなに落ち込みなさいよ。ダメだったときは、男なんてこの世にいくらでもいるんだから! ……そういえばさ、前にちょっと話してたでしょ、遠藤のおばあちゃんのお孫さんの話!」
今度こそ、過去の思い出に引きずられずに前向きにいこう。そう思って、私は無理に笑顔を作って「はい!」と元気に答えると、あいさんはさらに続けた。
「最近ね、そのお孫さんに彼女ができたんだってさ」
私は思わず持っていたマグカップを落としそうになりながら、「なんなんですかー、期待させておいてそれはないですよ!」と盛大に声を裏返した。
「まぁ、話は最後まで聞きなさいってば。そしたら、遠藤のおばあちゃんが『もう話をしちゃったんだから、責任持って友達でもなんでも紹介しなさい』って言ってくれてさ、なんと彼女がいない素敵なお友達を紹介してくれることになったの!」
「さすがあいさん! 遠藤のおばあちゃん、本当にありがとうございます!」
私は思わず両手を天に向かって合わせ、神様に祈るようなポーズをとる。
「ちょっと、遠藤のおばあちゃんはまだ元気に生きてるわよ!」
あいさんにツッコミのチョップを入れられた。
で、来週末にお孫さんの友達がさらに別の友達を連れてきてくれることになり、私を含めて計四人で飲み会を兼ねて顔合わせをすることになって――。
「あ、あの……ちなみに、その飲み会にはあいさんも行くんですか?」
「当たり前でしょ! 私だって今年は本気で彼氏欲しいわよ! ていうか、遠藤のおばあちゃんも、私への紹介を真っ先に優先してほしいぐらいなんだからね」
そして迎えた週末の夜。
私はまだこの地域のお店や裏路地にそこまで詳しくないので、間違いがないように駅前の大通りに面した改札の近くで、一旦待ち合わせをすることにした。
「おっ! かえでちゃん、今日はおしゃれして、ちゃんとおめかししてきたねぇ」
「あいさんこそ、そのトップスめちゃくちゃセクシーじゃないですか」
「使える武器は、若いうちから全部使わないとねー」
ふふんっと自信満々に、あいさんはちょっと大げさなセクシーポーズをとってみせる。
「そろそろ予約の時間も近いし、そろそろお店に行こっか」
私たちは駅前のビルにある、少し落ち着いた雰囲気の隠れ家風の居酒屋に入る。
「すみません、19時から石川の名前で予約が入っていると聞いて来たんですが……」
「あ、石川様ですね。先にお1名様が奥の席に入っておられますよ」と若い店員さんに丁寧に出迎えられ、私たちは案内されるままに奥の個室風の席へと着いた。
「はじめまして。遠藤の紹介で、石川祐亮と言います。よろしくお願いします――」
「こちらこそ、はじめまして。高橋あいです。よろしくね。もう一方の男の子は?」
「あいつ、いっつもこういう時ギリギリなんですよ。さっき駅に着いたってメッセージは来ていたんで、もうすぐ来ると思いますけど」
その時、入口の暖簾がすっとくぐられ、足音が近づいてきた。
「遅くなりましたー」
――その声を聞いた瞬間、私の目は彼にくぎ付けになり、そこから一歩も動かせなくなった。
ちらっとこちらに視線を向けた彼は、私の顔を見るなりぴたりと全身の動きを凍り付かせたように固まった。私の心臓も、胸の中で激しい早鐘を打ち始める。
なんで!? 嘘でしょう……。本当にこんなことってあるんだ、やっぱりあれは運命だったんだと思わずにはいられない。
「何、二人は知り合い同士なの?」
石川さんが私たちのただならぬ様子に気づいて、不思議そうに首をかしげる。
「あ、この間、うちの歴史民族博物館に中学生の体験学習があってね、そのときに生徒さんを連れて引率の先生として来てくれたんですよ!」
あいさんがすかさず、絶妙なタイミングでフォローを入れてくれた。
彼は、私のことをあの時の記憶として、ちゃんと覚えていてくれているだろうか。直接聞きたいけれど、怖くて怖くて仕方がなくて、とても自分からは聞けない。
そのあとの飲み会は、美味しい料理とお酒が並んだはずなのに、私の頭の中は終始彼のことで一杯だった。それでも楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、
「じゃあ、そろそろお開きにする? 2軒目、どうする?」
私は緊張しすぎてお酒のペースを間違えたのか、もうこれ以上は無理っぽい。
「あ、かえでちゃん、ちょっと顔色悪いしお酒飲みすぎちゃったみたいだからさ、悪いんだけど渡辺君、送ってあげてくれない? 石川君は、私ともう1軒だけ飲みに行きましょ!」
あいさんは私にチラッとウィンクしながら、こっそり目配せをした。――あいさん、この恩は一生忘れません。
「じゃあねー、二人とも気をつけて帰るんだよー!」
私たちは、少し冷たさを帯びた夜の冷たい風の中を、並んで駅へと歩き始めた。
……………………………………。
しばらく沈黙が続いたあと、私は思い切って、震える声を絞り出して聞いてみることにした。
「あのさ……私のこと、ちゃんと覚えていますか?」
しばらくの夜風の音のあとの沈黙のあと、彼はぽつりと言った。
「……あの美術館の学芸員研修のときの子、だよね?」
彼も、ちゃんと私のことを覚えていてくれたんだ。私はそれだけで、胸がいっぱいになって泣きそうだった。
また、私たちの間に、気まずいような静かな沈黙が流れる……。
ここで勇気を出さないで、いつ本当の気持ちを伝えるんだ――!
「あのっ……! ずっと、あの時から言いたいことがあるんです!」
「……俺も、実は言うことがあるんだ」
「じゃあ、せーので同時に言いましょう!」
せーのっ。
「連絡先教えてください!」
「あの時から、ずっとかわいいと思っていました!」
――声が、夜の静かな道で完全に重なったけれど、彼から発せられた言葉は、私のまったく予想していなかったものだった。
お互い、顔が真っ赤に熱く染まる。私は予想外すぎる彼の直球すぎる言葉に、恥ずかしすぎて彼の顔がもう直視できなくなった。
ちらりと横目で見ると、彼の方も「しまった、こっちじゃなかった……!」というような、完全にやっちゃった顔をしている。
しばらくの信じられないような沈黙の後、彼は小さく息をついて言った。
「……はい」
彼がポケットから取り出して差し出したスマートフォンの画面には、しっかりとかれの連絡先のQRコードの画面がすでに開いていた。
私たちは、緊張で少しだけ震える指先で、お互いの連絡先を無事に交換した。
まるで私たちの数年越しの再会を祝福するかのように、夏の夜の虫の音が、さっきよりもずっと賑やかに、うるさく私たちの耳に響いていた。




