episode.11「見上げた夜空と、言えなかった言葉」
急ぎ足で待ち合わせの場所へと向かうと、待ち構えていた中学からの友人たちが、俺の姿を見つけるなり早くもニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべ、からかうような声を飛ばしてきた。
「おいおい、さっきあんな可愛い女の子と二人でめちゃくちゃいい雰囲気だったじゃんかよー。いったいどんな甘い話をしていたんだよ。ひょっとして、もうその場でしっかりくどき落としちゃったわけ?」
「バカか、お前は。そんなんじゃないよ。ただの世間話を少ししていただけだっての」
「もったいないなー。そのまま俺たちのところへ彼女を連れて来れば、みんなで飲みに行ったのにさ」
「野郎三人で暑苦しくつるんでるところに、あんな可愛い子がわざわざ混ざりたがるわけないだろ。第一、あっちだって絶対に困るだろうが」
「にしてもさ、連絡先くらいはちゃんとちゃっかり聞いたんだろ? せっかくの人生最大のチャンスなんだから、今からでもすぐに連絡して飲みに行かないって誘えよ……!」
「聞いてないよ、そんなの。連絡先なんて聞いてるわけないだろ」
俺は呆れたように冷たくそう返したけれど、その口から出た言葉とは裏腹に、心の奥底ではほんの少しだけ、いや、自分でも認めたくないほどに大きな後悔の波がじわじわと広がっていくのを、どうしても抑えることができなかった。
――連絡先、あのとき勇気を出して聞いておけばよかったな。
いや、そもそも聞けなかったのは、あのタイミングでおまえがスマホにメッセージを送ってきたせいだろ。俺は心の中で自分の中の圧倒的な不甲斐なさを棚に上げ、勝手に友人のせいにしてみたりする。
夏の終わりの乾いた熱を含んだ風が、夕暮れ前の気だるい空気を大きく揺らし、俺の胸の奥で渦巻く切ないざわめきをまるですべてさらっていくかのように、冷たく吹き抜けていった。
今夜の酒は、なんだかまったく酔えそうにないな……。
結局、友人たちの「この後、勢いで二軒目に繰り出そうぜ!」という威勢の良い誘いを、俺は「今日はちょっと疲れたからまっすぐ帰るわ」とすんなりと断り、もう完全に陽が落ち切り、静まり返った美術館へと、まるで吸い込まれるように再び足を伸ばしていた。
夏の夜の風は、今の俺には少しだけ冷たすぎる。この夏、俺はきっと、あの木陰のベンチでの小さな出来事を、これから先の一生忘れることはないだろう。
どれだけ心の中で後悔の言葉を飲み込んでも、もう二度とあの夏の日は戻ってこない。
俺は静まり返った美術館の横の公園をひとり孤独に歩きながら、遠くでかすかに聞こえる水路のせせらぎの音を聞き、草むらのあたりでぼんやりと妖しく瞬く蛍の光を眺めていた。
あのとき、もし友人のメッセージにすぐ反応をしなかったら。もし、臆病風に吹かれずに、勇気を振り絞って彼女を呼び止め、連絡先だけでも尋ねていたら。
――頭の中に次々と浮かび上がる「たられば」の数だけ、夏の夜の虫の音が、やけにうるさく耳の奥に響き渡った。
そして、翌日。すっかり気落ちして自室のベッドで白い天井を見つめていると、昨夜一緒に飲んでいたあつやから、からかうような調子で電話がかかってきた。
「よお、昨日のあの後、お前どうしたわけ?」
「……いや、別に。そのまままっすぐ普通に帰ったよ」
俺は未練がましく一人で美術館の周りをずっとうろついていたことなんて、恥ずかしくて口が裂けても言えずに必死に隠し通した。
「お前のことだからさ、もしかして夜になってからも美術館のベンチで彼女が来るのを待ち続けてたんじゃないかと思ってさ、心配したよ」
受話器の向こうであつやはケラケラと愉快そうに笑いながら、相変わらず鋭い軽口をたたく。
「――お見通しかよ、うるさいな」
俺は自分の情けなさを奥歯で噛み締めながら、心の中で小さくつぶやいて、苦笑するしかなかった。
「まあいいじゃん。そういえばさ、今週末の花火大会、彼女もきっと行くんだろ? 俺たちも男二人で行って、ワンチャン奇跡的に彼女を探し出そうぜ」
「そんなの、都合よく見つかるわけないだろ……」
そう口では冷たく言いながらも、心のどこかでは「もしも」の奇跡にかけてみたいと強く願う、どうしようもない自分が確実にそこにいた。
もし、あの日を最後に二度と会えないと思っていた彼女に、もう一度奇跡的に会うことができたなら。今度こそ、ちゃんと自分の言葉で「また会いたい」と伝えよう。そう、心の中で強く誓う。
「どうせ今週末も暇なんだろ? 行こうぜ。なんなら俺が可愛い女の子をナンパして紹介してやってもいいぜ、彼女のいないかわいそうなお前のためにさ」
「いや、そもそも俺たちが女連れだったらさ、万が一彼女に会ったときにめちゃくちゃ気まずいだろ!」
「――って、お前それ、もう見つける気満々じゃん!」
「いや、まあ……そういうわけじゃ……なくてだな」
「よし、話は決まった。とりあえず来週末、いつものところで迎えに行くから予定は空けとけよ」
「……はいはい、わかりましたよ、よろしく」
そして、ついに待ちに待った祭り当日がやってきた。
「いやー、何年ぶりかに来たけどさ、すっごい人だなこれ!」
「これで彼女に会えたらもう完璧に運命のドラマだよな! がんばれよ、今日の主役の色男!」
「もうその話は蒸し返すなって!」
俺は友人のあつやの容赦ないからかいにムスッと不機嫌な顔をしながらも、胸の奥ではゼロ点ゼロ何パーセントかのかすかな期待をぎゅっと抱きしめ、色とりどりの浴衣や無数の提灯でごった返す熱気の中を進んでいった。
「歩き疲れたし、まずは腹ごしらえに何か食べようぜ、もちろんお前のおごりでさ!」
「なんで俺がおごられる側……じゃなくて、なんで俺のおごりなんだよ。傷心の俺を慰めてくれるための付き添いなんじゃないのかよ」
あつやのちゃかすような気遣いに、俺はいつものような軽口で言い返す。
「おじさん! たこ焼き二つ、ソースたっぷりで頼むわ!」
「あいよ!」と景気よく威勢のいい声で答える屋台のおじさんの声を聴きながら、ふと、背後のざわめく雑踏から誰かに見つめられているような不思議な視線を感じた気がした。
はっと驚いて振り返ってみると、そこにはカップルや楽しげな親子連れ、そして浴衣を着て笑顔ではしゃぎながら通り過ぎていく女の子たちがいるだけで、目当ての彼女の姿はどこにもなかった。
――そんなにうまく、人生がドラマみたいにいくわけないよな。
分かっていたことだ。最初からそんな奇跡なんて起きるはずがないと、頭ではちゃんと分かっていたはずなのに、心のどこかで微かな期待をしてしまった自分が少しだけ情けなく、そして猛烈に恥ずかしく感じられる。
あの時、もう少しだけ勇気を出して、花火に誘っておけばよかったな……。
俺は河川敷の土手を覆う熱気と雑踏を歩きながら、ふっと夜空を見上げた。
――すごく綺麗だな。この満天の花火を、あの子と一緒に見られたら、もっともっと感動したんだろうな……。
「おい、どうしたんだよ、急に黙り込んで」と、心配そうにあつやが肩を叩いて声をかけてくる。
「なんでもない、ただ少し暑くてさ。ほら、最後までいたら帰り激込みするから、そろそろ帰ろうぜ」
まだ夜空に大輪の花火を鮮やかに咲かせ続ける夜空を背に、俺たちは帰路についた。
彼女もきっと、この夜空の下で、同じように花火を見上げているのだろう。俺はそれだけで、不思議と胸が少しだけ温かく満たされるような気がした。
この夏、彼女と並んで花火を見ることはできなかったけれど――彼女も同じように見上げているかもしれない夜空へ向かって、俺は誰にも気づかれないようにそっと、胸につかえていた溜息を吐き出した。




