↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】未完成の夏~すれ違う思い、重なる夏の記憶~  作者: 空気人形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/24

episode.10「木陰のベンチと、短すぎる三十分」

あの、いつも自分の隣の席に座っていた例の可愛い女の子が、少しだけ緊張した面持ちで、まるで何かを決心するかのように勇気を絞り出すようにして、こちらに声をかけてきたのだ。


「あのさ、聞いたんだけど……本当に一人で銭湯に行って来たの?」


不意を突かれた予想外の問いかけに、俺の心臓は一瞬で大きく跳ね上がった。


「あー、もしかして、話し声が聞こえてた? ……だって、話し相手もいないし、お昼はとにかく暇だったからさ。ただ周辺を散歩してたら、たまたま古い銭湯を見つけたから、せっかくだし行ってみようかと思ってさ」

「手ぶらで?」

「うん。受付のところで、適当なタオルとか諸々買ったから大丈夫だった」

「へぇ……面白いことするんだね」


彼女がくすっと可愛らしく笑ったその横顔に、俺は不覚にも心臓のドキッとするのを隠せなかった。こんな変な行動をする奴だなんて、引かれただろうか、変な奴と思われただろうか。少しだけ自分の軽率な行動を恥ずかしく思い、心の中で頭をかいた。


「……ところで、同じ大学の、あの子とはもともと仲良いの?」

「いや、違うよ。学科も違うし、多分授業で会ってたかもだけど、今回のこの研修で初めて話したんだよ」

「でも、一緒にお昼を食べに行ったりしてたじゃん……」

「あれは、この辺りってあまりお昼を食べるところがないだろ? それで、『いつもどこに行ってるの?』って聞かれて、『それなら一緒にどう?』ってなっただけで、深い意味はないけど……」


自分にはやましいことなんて一切ないのに、なぜか目の前の彼女の視線に気圧されて、俺はつい早口で必死に言い訳を重ねてしまう。


「彼女、かわいいもんね……」

「そう……なのかな? ……」


その言葉を聞いた瞬間、俺は思わず「いや、君のほうがずっとかわいいよ」と言いかけて――いや待てよ、初対面に近い男にそんなこと言われたら、どう考えてもキモいと思われるに決まっていると脳内の理性が働き、間一髪でその言葉をぐっと飲み込んだ。

彼女はふと下を向き、少し気まずそうに黙り込んだあと、そのまま自分の席へと戻っていった。


近くで横顔を見ていると、やっぱり彼女はすごく可愛い。こんな変なことばかり話していて、俺は変に緊張して声が上ずっていなかっただろうか。そんな子供みたいな心配を頭の中でぐるぐると巡らせながら、俺は少し恥ずかしい思いで苦笑いを浮かべた。彼女と、その隣の席でずっと様子を窺っていた友達が、こちらを驚き半分、呆れ半分といった複雑な表情で見つめてくるのが、こそばゆくて仕方がなかった。


そんな調子で、研修の日々が進むにつれてほんの少しだけ彼女と言葉を交わせるようになってきたというのに、時は残酷なほどに、驚くべき早さで流れ去っていく。気づけば、あんなに長く感じられた一週間の研修は、あっという間に最終日を迎えてしまっていた。


全ての最後のプログラムが慌ただしく終わり、受講生たちはそれぞれの荷物をまとめて帰路の支度を始める。


この日、俺は地元の中学時代からの友人であるあつやが、「いよいよ研修最終日だろ。終わったら迎えに行ってやるから、そのまま一緒に飲みに行こうぜ」と連絡をくれていたので、美術館の敷地で合流することになっていた。一足先に荷物をまとめて外へ出た俺は、美術館の庭にある木陰の古いベンチに腰掛け、暇つぶしにスマホをいじりながら友人を待っていた。


どこかから、ひぐらしの「カナカナカナ……」という物悲しい鳴き声が、夕暮れ前の空気に乗って寂しげに響き渡っている。

彼女はいったいどこの大学のどんな学部なんだっけ、名前もちゃんと聞いておけばよかったな、というか相変わらず俺はなんてキモいことを考えてるんだ、そんなこと知ってどうするんだよ俺……。そんな自嘲的な独り言を頭の中で繰り返していた。


すると、ふっと目の前の明るい光が遮られ、柔らかい影が俺の上に落ちた。


思わず顔を上げると、そこに立っていたのは、他ならぬあの女の子だった。突然のことで驚いた俺に、彼女は少しだけ照れくさそうに、けれどどこか真剣な瞳で見つめ返しながら、勇気を振り絞るように問いかけてくる。


「……あの、誰か、待ってるの?」


その控えめでありながらも一生懸命な声の響きに、俺は慌ててスマートフォンの画面をパタンと閉じ、それから少し緩やかに目を細めた。


「……うん、このあと、友達とここで待ち合わせして、一緒に飲みに行くことになってさ」

「あの、もしかして……同じ大学の、あの子と一緒に?」


彼女はどこか不安げで、切なそうな顔をして聞き返す。いや、もしかすると、そうであってほしいという彼女なりの淡い願望が、そんな風に思わせたのかもしれない。


「ううん、違うよ。そうじゃなくて、地元の中学からの昔からの友達と出かけるんだ」

「そっか……。じゃあ、その友達が来るまで……少しだけ、話してもいい?」


その彼女の言葉が、俺の心の底から嬉しくて仕方がなかった。


俺たちは並んでベンチに座り、お互いの通う大学のくだらない話や、今抱えていた課題に対する荒削りな愚痴を、たったの三十分という短い時間だったけれど、途切れることなく語り合った。ずっと彼女とこうして話したかった俺にとって、その束の間の時間は驚くほど心地よくて、このまま時間が止まってしまえばいいのにと本気で願った。


「そういえば週末、近くの河川敷で大きな花火大会あるね」

「あー、そういえば、あるね」

「……渡辺くんは、見に行くの?」

「うーん、どうだろ……しばらく行ってないな。人もすごく多そうだし、わざわざ一人で行くのもね……」


――もしかして、ここで勇気を出して「一緒に見に行かない?」って誘ってもいいのだろうか。いや、俺はただ少し話せただけで、あっちにも好意があるんじゃないかと、勝手に都合よく浮かれすぎているだけなんじゃないのか。

そんな迷いと臆病さが頭の中でせめぎ合っているとき、タイミングがいいのか悪いのか、俺のポケットの中でスマホが短く、鋭く震えた。画面を確認すると、もう到着したという迎えの友人からのメッセージが表示されている。


「……あ、もう着いたって連絡来たわ」


顔を上げた私の視線の先、美術館の入口付近から、こちらに向かって大きく両手を振る友人の姿が見えた。


「そっか。じゃあ、友達来たみたいだから……行かなきゃね」

「うん、一緒に待ってくれてありがとう」


彼女は笑顔を浮かべて、そう言って俺に別れを告げた。俺も何か気の利いたスマートな返事を返したかったのに、気の利いた言葉なんて一つもうまく出てこなくて、ただ気まずそうに「じゃあね」と手を振り返すことしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。