表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/11

交渉

第八話 交渉



 種が、南の者の手に戻っていく。



 シンは一歩踏み出した。



 タダが振り返る。


 目が合う。


 何をする気だ、という顔だ。



「……ちょっとだけ、いいですか」


 小声で言う。


「外の者、口を出す話ではない」


「分かってます。でも、あの種」


「いらん」


「使い方を知ったら、いると思います」



 タダは少し間を置いた。



「……使い方、知ってるのか」


「たぶん」


「たぶんか」


「かなりたぶん」



 タダはしばらくシンを見た。


 それから、短く言った。


「言ってみろ」



 シンは南の者の前に出た。


 南の者が警戒する。


 シンは両手を見せる。


 武器がない、という意思表示だ。


 前の時代で覚えた。



 地面を指す。


 種を指す。


 土を軽く掘る仕草をする。


 種を置く仕草をする。


 水を注ぐ仕草をする。


 手で植物が育つ様を示す。



 南の者の顔が変わった。


 驚いている。


 この外来者が、農耕を知っている。


 そういう顔だ。



 南の者が、今度はシンに向かって話し始めた。


 言葉は半分しか分からない。


 でも身振りと表情で補う。


 土の質。


 水の量。


 季節。


 向き。



(なるほど)


(かなり細かい)



 シンはそれを聞きながら、隣のタダに要点を伝えた。


 全部じゃない。


 分かった部分だけ。


 土に埋めれば芽が出る。


 水をやれば育つ。


 食い物になる。



 タダは黙って聞いた。


 表情は変わらない。


 でも、目が動いた。


 考えている。



 最終的に、種は受け取られた。


 干し肉と交換された。


 南の者が帰っていく。


 その一人が、去り際にシンを振り返った。


 何も言わない。


 ただ、頷いた。



(通じた)



 小さいことだ。


 種が一袋、この集落に残っただけだ。


 育つかどうかも分からない。


 ちゃんと使われるかも分からない。


 でも。



(変わった)


(さっきと、変わった)



 それだけで、胸の奥で何かが動いた。



 タダが隣に来た。


「なぜ知ってた」


「……なんでか分からないけど、知ってた」


「変なやつ」


「よく言われます」



 タダは短く笑った。


 先祖のタダさんも笑い方が短かった。


 本当によく似ている。



(何なんだろ、この人たち)



 南の者たちが消えていった方向を、シンはしばらく見ていた。


 森の向こう。


 向こうに、向こうの集落がある。


 向こうの論理がある。


 向こうの都合がある。



(俺は、ここだけ見てた)



 種一袋が残ればいい。


 農耕が伝わればいい。


 でも、向こうにも意図がある。


 意図と意図がぶつかれば、必ずどちらかが引く。


 今日は上手くいった。


 でも、次はどうなる。



(次、どうなる)



 答えは出なかった。


 空が、少し暗くなってきた。



 その夜。


 集落が静かになった頃。



 甘い匂いがした。


 今度は、消えない。



 シンはゆっくり振り返った。



 モモが、いた。



 距離は少し遠い。


 前の時代より、遠い。


 刃は出ていない。


 ただ、こちらを見ている。



 口が開く。



「逸脱、確認。誤差、記録」



 平坦な声だった。


 感情がない。


 報告している。


 誰かに、報告している。



(誰に言ってる)



 シンはその問いを飲み込んだ。


 今は聞かない。


 今日は、ここまでだ。



「……久しぶり」


 言った。


 モモは答えない。


 ただ、一瞬だけ。


 視線がわずかにずれた。



(また、揺れた)



 モモは消えた。


 音もなく。


 気配もなく。


 ただ、匂いだけが少しの間、残った。



 桃の香り。



 シンは空を見た。


 星が出ている。


 前の時代と同じ星だ。


 でも今日は、少しだけ多く見える気がした。



(変えられる)


(変えながら、続ける)



 それだけが、今の答えだ。


 まだ全部は分からない。


 でも、一つだけ分かった。



 種が、この集落に残った。


 たった一袋。


 でも確かに残った。



(それでいい)


(今日は、それでいい)



 火がはぜる音がした。


 遠くで、タダさんが横になる気配がした。


 集落が眠る。



 シンは最後にもう一度、南の方角を見た。


 何もない。


 暗い森があるだけだ。


 でも、その向こうに。


 変えられる何かが、あると思った。



(第九話へ)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ