北の残り火
第六十七話 北の残り火
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朝霧の中に、アテルイがいた。
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正確には、朝霧の中で馬に説教していた。
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馬達の間にいた。
管理しているのではなかった。
従えているのでもなかった。
ただ、混ざっていた。
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霧は低かった。
柵の外の草地に白く溜まり、馬の脚を膝のあたりまで隠していた。
馬が息を吐くたび、その霧が少しだけ揺れる。
白いものの中から、耳が出る。
首が出る。
濡れた毛並みが、朝の薄い光を吸っていた。
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アテルイは、その中に立っていた。
手に縄を持っていない。
鞭も持っていない。
腰に刀はある。
だが、馬の前ではそれを意識させなかった。
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一頭が自然に寄ってくる。
鹿毛の牝馬だった。
首を伸ばして、アテルイの肩へ頭を擦り付けた。
かなり強く擦り付けたので、アテルイの体が少し傾いた。
アテルイは特に驚かなかった。
耳の後ろをゆっくり掻いた。
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「お前、また柵越えたろ」
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馬に向かって言っていた。
馬は答えない。
ただ、耳を一度だけ後ろへ倒した。
叱られる前の子供みたいな耳だった。
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「知らない顔をするな。腹に出てる」
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アテルイは馬の腹のあたりを軽く叩いた。
叩くと言っても、音を出すための触れ方だった。
馬は鼻を鳴らした。
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「だからお前は太るんだ」
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鹿毛の牝馬は、悪びれる様子もなく、アテルイの袖を噛んだ。
噛むというより、唇で引いた。
抗議しているようにも、誤魔化しているようにも見えた。
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「やめろ。反省のふりが下手だ」
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アテルイは袖を取り返した。
馬は鼻を鳴らした。
霧の中で、その音だけが妙に大きく聞こえた。
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シンは少し離れたところから、それを見ていた。
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会話している。
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そう見えた。
もちろん、馬が言葉で返しているわけではない。
アテルイも、本当に返事を待っているわけではない。
だが、馬が耳を動かす。
鼻を鳴らす。
首の力を抜く。
前脚にかける重さを変える。
アテルイはそれを見て、触る場所を変える。
声の低さを変える。
半歩退く。
また近づく。
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命令ではなかった。
長い付き合いの中で、互いに読めるようになったものだった。
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子馬が一頭、アテルイの足元をうろついていた。
脚がまだ細い。
冬毛がふわりと残っていて、霧の水気を含んでいる。
大人の馬に近づいては押し戻され、また別の馬の腹の下へ入り込もうとしている。
危なっかしい。
だが、周りの馬は本気で怒らない。
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アテルイは子馬の方も見た。
しゃがんで、鼻先へ手を差し出した。
子馬がそれを嗅いだ。
少し後退する。
耳を立てる。
また近づく。
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アテルイは動かなかった。
手を追わせない。
逃げても、追わない。
ただ待った。
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子馬がもう一度、鼻先を近づける。
アテルイの指に触れる。
それから、急に興味を失ったみたいに横を向いた。
アテルイが小さく笑った。
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「偉い顔だな」
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霧の中に、その光景だけがあった。
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シンが近づくと、アテルイが振り返った。
起きていたか、とも言わなかった。
ただ、横へ少し空けた。
座れ、ということらしかった。
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シンは草の上に腰を下ろした。
草は濡れていた。
冷たかった。
だが、不快ではなかった。
山の朝の冷たさだった。
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「なんで馬があんなに懐くんだ」
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シンが聞いた。
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アテルイは少し考えた。
考えながら、牝馬の鼻面を軽く押し返した。
馬がまた肩へ頭を擦り付けようとしていた。
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「怖がってないからじゃないか」
「それだけか」
「それだけだ」
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アテルイは霧の向こうを見た。
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「人間はすぐ支配したがる。縄を締める。声を荒げる。先に勝とうとする」
「馬には勝てないだろ」
「勝てる。勝てるが、嫌われる」
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アテルイは牝馬の首に手を置いた。
馬の皮膚が、その下で細かく震えた。
霧の中に小さな虫がいたらしい。
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「馬は嫌な奴には近寄らない。近寄っても、心を寄せない」
「心か」
「面倒な言い方だが、他にない」
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子馬がまた近づいてきた。
今度はアテルイではなく、シンの方へ来た。
シンは少し固まった。
子馬が鼻先を伸ばす。
シンの膝のあたりを嗅ぐ。
喉の布の方へ顔を上げる。
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シンは反射的に動きかけて、止めた。
逃げれば追ってくるかもしれない。
手を出せば怖がるかもしれない。
どうすればいいか分からず、ただ座っていた。
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アテルイが笑った。
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「嫌われてはいないらしい」
「……怖がってないだけだろ」
「そうだ。それで十分だ」
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子馬はシンの膝を嗅ぎ終えると、興味を失ったように横へ歩いていった。
小さな尾が、霧の中で揺れた。
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「今、俺は判定されたのか」
「された」
「どうだった」
「食えない。危なくない。面白くもない」
「最後は余計だろ」
アテルイが笑った。
笑うと、周りの馬が少し耳を動かした。
この男の笑い声を、馬も覚えているのだと思った。
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霧が少しずつ薄くなっていた。
山の形が出てきた。
川の音が近くなった。
どこかで、朝の火が起こされる匂いがした。
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「馬と話せるのか」
シンが聞いた。
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アテルイは、少しだけ眉を上げた。
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「話せる」
「本気で言ってるのか」
「本気だ」
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アテルイは馬を見た。
馬は草を食んでいた。
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「こいつらは、嘘が下手だ。怖い時は怖がる。痛い時は痛がる。走りたい時は体が先に前へ出る。眠い時は耳が鈍る」
「それを読むってことか」
「それを読む。こちらも読まれる」
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アテルイが手を上げると、牝馬が一歩寄った。
呼ばれたからではない。
アテルイの体の向きと、声を出す前の気配を読んだように見えた。
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「だから、話してる」
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シンは黙った。
妙に納得した。
不思議なことが起きているわけではない。
それでも、言葉を使っている人間同士より、ずっと通じているように見えた。
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その日は、イサワの中を歩いた。
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朝の霧が晴れると、集落の輪郭がはっきりした。
前日に見た時よりも、広く見えた。
木柵はただ敵を防ぐためのものではなかった。
馬を逃がさない。
子供が川へ迷わない。
夜の獣を遠ざける。
乾かしている魚や皮を守る。
そういう生活の境でもあった。
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柵の内側には、低い家が並んでいた。
草葺きの屋根。
土を固めた壁。
板を組んだ壁。
高床の倉もあった。
鼠を防ぐためなのか、柱の途中に平たい板が付けられている。
倉の下では犬が丸くなっていた。
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川へ出ると、男達が漁をしていた。
網を使っていた。
川幅は広い。
水は澄んでいる。
秋の水だから、足を入れれば骨まで冷えるはずだった。
それでも男達は足首から脛まで水に入っていた。
冷たそうな顔をしながら、手は止めない。
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網を張る者。
石を動かして魚を追う者。
岸で籠を構える者。
獲れた魚をすぐに腹へ刃を入れる者。
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作業は早かった。
声を張り上げない。
だが、必要な時だけ短く呼ぶ。
その声で、誰が何をするか分かっている。
ヤマトの陣で見た命令とは違う。
こちらは、何度も同じ水に入ってきた人間達の呼吸だった。
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魚の銀が、朝の光を弾いた。
岸の棚には、割かれた魚が並んでいる。
尾を下げ、腹を開き、風を通す。
塩は少ない。
だから煙を使う。
風を使う。
寒さを使う。
この土地にあるものを、全部使う。
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少し上流では、炭焼き場があった。
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土を積んだ低い窯から、白い煙が細く上がっていた。
煙はまっすぐには昇らない。
山から来る風に押され、横へ流れて、また木々の間へ戻っていく。
炭を管理している老人が一人、煙を見ながら何かを確認していた。
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老人は、煙の色を見る。
匂いを嗅ぐ。
土の隙間から漏れる熱を手の甲で測る。
木が炭へ変わる途中の声を聞いているようだった。
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「まだ開けない」
老人が言った。
誰に向けた言葉でもなかった。
近くにいた若者が、黙って頷いた。
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炭が要る。
鍛冶に要る。
冬に要る。
火を長く持たせるためにも要る。
山の火は、ただ燃やすだけでは続かない。
燃やし方を知る者がいて、初めて続く。
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鍛冶の音が続いていた。
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鉄を打つ音だ。
一定のリズムで打っていた。
近づくと、若い男が赤い鉄を叩いていた。
鍛冶場は簡素だった。
炉。
鞴。
石の台。
道具を置く棚。
壁には曲がった刃や、折れた鏃や、使い古した金具が吊られている。
新しい鉄だけではない。
古いものを直し、つなぎ、また使う場所だった。
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師匠らしい老人が横で見ていた。
何も言わなかった。
若い男の槌の角度が少しずれる。
老人が咳をした。
それだけで、若い男の手が直った。
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鉄が赤い。
赤から橙へ変わる。
橙から暗くなる。
暗くなる前に打つ。
打てなくなれば、火へ戻す。
その繰り返しだった。
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シンは、火を見ていた。
炉の火とは違う。
飯の火とも違う。
鉄を変える火。
人の生活を守るために、硬いものを曲げる火。
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毛皮を加工している女達がいた。
皮を伸ばし、乾かし、脂を入れ、柔らかくする作業だ。
木枠に張られた皮が、秋の光の中で白く見えた。
女達の手は荒れていた。
指の節が太く、爪の間に汚れが入っている。
でも手つきに迷いがなかった。
どこを強く引けば裂けるか。
どこなら伸びるか。
手が知っている。
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子供が近くで見ていた。
一人が飽きて、皮の端をつついた。
女がその子の頭を軽く叩く。
叱るというより、覚えろ、という手だった。
子供は口を尖らせたが、また見た。
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市のような場所もあった。
都にあるような市とは多分違う。
決まった区画があるわけではない。
木の台、敷いた布、荷を下ろした場所。
そこに物が並ぶ。
琥珀。
鉄器。
毛皮。
干した魚。
薬になる根。
馬具の金具。
矢柄にする木。
誰かが持ってきて、誰かが持っていく。
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琥珀は、光を含んでいた。
小さな虫の影が閉じ込められているものもあった。
シンはそれを見て、すぐに分かった。
これが欲しいのだ。
鉄も。
馬も。
皮も。
山の道も。
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ヤマトは、ただ鬼を討ちに来るのではない。
道を欲しがる。
物を欲しがる。
名を欲しがる。
数えられるものにして、自分の内へ入れようとする。
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(国だけど、村の延長だ)
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シンは思った。
ヤマトのような、命令と管理の国家ではない。
だが、ばらばらでもない。
未開でもない。
山の民が連なって、一つの形になっている。
川の集まり。
馬の集まり。
火の集まり。
その形が、生きていた。
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老人が子供に弓を教えていた。
子供は弓を引く力がなくて、何度も手元が狂った。
老人は怒らなかった。
ただ、後ろから腕ごと支えた。
弓を引く。
戻す。
また引く。
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「獣を射る前に、自分の息を射る」
老人が言った。
子供は意味が分からない顔をした。
それでも真剣に頷いた。
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シンはその横を通り過ぎた。
胸の奥に、アサメの時代の山が重なった。
あの山は小さかった。
ここは大きい。
あの山は、まだ国になる前の火だった。
ここは、国に近づいた火だった。
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それでも、根は同じだった。
生きるために覚え、覚えたものを次へ渡す。
それだけのことが、国の形になる。
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二日目の昼過ぎ、匂いで気づいた。
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燻製の匂いと、汁の匂いが混じっていた。
炭焼き場の近くの、人が集まっている場所から来ていた。
煙の奥に、脂がある。
根菜の甘さがある。
魚の皮が焦げる匂いがある。
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でかい男が、鍋をかき回していた。
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シンは止まった。
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「……また面倒な顔してる」
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男が振り返らずに言った。
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「タダ」
「ああ」
「お前、荷運びじゃなかったのか」
「荷は置いた」
「置いたら鍋の前に来るのか」
「火があった」
「理由になるのか」
「なる」
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タダは鍋を混ぜながら答えた。
説明するつもりがない言い方だった。
でも嘘でもなかった。
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タダは、シン達と一緒にイサワへ入った。
道案内というより、荷を背負う者としてだった。
モレの前でも田村麻呂の前でも態度を変えず、ただ袋を担いで歩いていた。
その男が、気づけばもう炭焼き場の近くで鍋を見ている。
そして、最初から任されていたみたいな顔で匙を動かしている。
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足元には、荷袋が二つ置かれている。
一つは空になっていた。
もう一つには干し魚と根菜が残っている。
その隣に、塩を入れた小さな袋があった。
口をきつく結んでいる。
大事なものの置き方だった。
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「アテルイとも知り合いか」
「何度か飯を出した」
「それで鍋まで触れるのか」
「飯は強い」
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シンは少し笑いそうになった。
またなった。
ここ数日で、そういうことが増えていた。
笑いそうになって、自分で驚く。
まだ笑えるのか、と。
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タダは鍋から匙を上げた。
汁を少し落とす。
粘りを見る。
それから、火を見た。
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「火が近い」
タダが言った。
近くの若い男が首を傾げた。
「鍋が怒ってる」
「鍋が?」
「泡が荒い」
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タダは薪を一本抜いた。
火が少し落ちる。
鍋の泡が静かになった。
若い男が感心した顔をした。
その隣で、さっきまで鍋を見ていた女が腕を組んでいた。
余所者に場所を取られて不満そうなのに、鍋の泡が静かになると、悔しそうに頷いた。
タダはその頷きも見ていない。
タダは何も言わない。
当然のことをしただけ、という顔だった。
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アテルイがその場に来た。
馬具を直していたらしく、手に革の匂いがついていた。
鍋を覗き込む。
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「お前の汁は薄い」
「塩は貴重だ」
「もう少し入れろ」
「駄目だ」
「鹿革やる」
「塩の方が高い」
「ぬぅ」
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アテルイが少し口を曲げた。
言い返さなかった。
でも次の瞬間、小さく笑っていた。
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「では、何を足せば濃くなる」
「時間」
「それは今ない」
「なら我慢しろ」
「客に出す汁だぞ」
「客も我慢する」
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周りにいた者が笑った。
アテルイも笑った。
タダは笑わなかった。
ただ、鍋へ薄く裂いた燻製肉を入れた。
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「それは塩ではないのか」
アテルイが言った。
「肉だ」
「塩をまとった肉だ」
「肉だ」
「ずるいな」
「飯はずるくていい」
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アテルイは真面目な顔で頷いた。
「それは覚えておく」
「覚えるな」
「なぜだ」
「悪用する顔だ」
「俺はそんな顔をしているか」
「してる」
周りがまた笑った。
アテルイは笑われても平気だった。
むしろ少し得意そうですらあった。
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シンはその会話を聞きながら、汁をもらった。
薄かった。
でもうまかった。
塩が前に出ないぶん、魚と根の味が分かる。
燻製肉の脂が、後から舌に戻ってくる。
腹に落ちると、体の芯が少しだけ温かくなった。
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「薄いだろ」
タダが言った。
「うまい」
「薄いかどうかを聞いた」
「薄い」
「だろ」
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タダは満足そうだった。
薄いことを認めた上で、うまい。
それが大事らしかった。
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アテルイが椀を持ったまま言った。
「戦の後も、お前はどっちにも飯を持っていくのか」
「生きていれば」
「死んでいたら」
「誰かが作れ」
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アテルイは少し黙った。
それから椀を見た。
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「飯を作る者は、戦う者より強い時があるな」
「腹が減った戦う者は弱い」
「そうだな」
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アテルイは汁を飲み干した。
椀の底に残った根のかけらまで、指で取って食べた。
それを誰も不作法とは見なさなかった。
ここでは、食べ物を残す方が不作法なのだと分かった。
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夜になった。
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老女達が炉の番をしていた。
夜通し火を維持する仕事だ。
大きな火ではない。
炎を高く上げる火でもない。
炭の奥に熱を残す火だった。
灰をかぶせ、空気を絞り、朝まで消えないように眠らせる。
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火を眠らせる。
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その言い方が、シンの中に浮かんだ。
消すのではない。
殺すのではない。
朝に起こせる形で、夜へ渡す。
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スズリが、その輪へ自然に混ざっていった。
最初は見ているだけだった。
紙も筆も持っていない。
記録する者としてではなく、火の前にいる一人として座っていた。
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老女の一人が灰を寄せる。
別の老女が炭の位置を変える。
火が強すぎる場所に灰をかぶせ、弱すぎる場所へ細い枝を入れる。
無駄がなかった。
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スズリはそれを見ていた。
見ているうちに、腰の小さな布袋へ手をやった。
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お守りだった。
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墨色の衣の内側から、そっと取り出す。
小さな布袋。
紐は何度も替えられているようだった。
袋の布も古い。
だが、中に入っているものの方がもっと古かった。
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スズリは布袋の口を開いた。
中から、煤けた鉄片を出した。
指の先ほどの、小さな欠片だった。
刃物の一部なのか。
火打ちの残りなのか。
何かの飾りだったのか。
形はもう分からない。
黒く煤けて、ところどころ赤錆が浮いている。
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それでも、捨てられずに残されてきたものだった。
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スズリはそれを掌に乗せた。
火に近づける。
鉄片が、赤くなるわけではない。
ただ、表面の煤が少しだけ光を返した。
スズリはじっと見ていた。
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自分で意味を知らないものを、意味があるものとして持たされてきた。
そういう目だった。
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老女の一人が、手を止めた。
スズリの手元を見た。
目が細くなる。
火を見る目ではない。
古い傷を見る目だった。
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「それを、誰に持たされた」
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スズリが顔を上げた。
鉄片を握り込まなかった。
隠さなかった。
ただ、掌に乗せたまま、少しだけ固まった。
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「分かりません」
「分からぬ?」
「子供の頃から、持っていました。意味は、知らないんです」
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老女は黙った。
それから別の老女と目を合わせた。
何かを確認しているみたいだった。
でも、すぐには何も言わなかった。
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炉番の老人が、そこへ来た。
昼間、炭焼き場で煙を見ていた老人だった。
火を確認してから、ゆっくりと座った。
腰を下ろすまでに時間がかかった。
だが、座ると背筋が少し伸びた。
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老人はスズリの掌を見た。
鉄片を見た。
それから、炉を見た。
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「……それ、まだ残っていたのか」
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スズリは意味が分からなかった。
でも老女達が少しだけ動いた。
呼吸が変わった。
それだけだった。
何も言わなかった。
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「知っているんですか」
スズリが聞いた。
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老人はすぐに答えなかった。
火箸で炭を一つ動かした。
炭の奥から、小さな赤が覗いた。
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「知っているというほどではない」
老人は言った。
「俺が見たものではない。俺の父が見たものでもない。父の父が、年寄りから聞いた話だ」
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誰かへ向けた話ではなかった。
でも、皆が聞いていた。
シンも、少し離れた場所で聞いていた。
モレは柱の影に立っていた。
アテルイはいなかった。
だが、外で馬が一度鼻を鳴らした。
その音まで、話を聞くために静まったように感じた。
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「昔、火の山が焼かれた時代があった」
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老人は言った。
静かな声だった。
炉の火の音に混じる声だった。
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「山の民は散った。一部は海へ逃げた。イズモのキジに案内されて、別の地へ移り住んだ」
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シンは、少し動いた。
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(海へ逃げた)
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前の時代のことを思い出した。
ナギが船を出した。
タダが子供を抱えていた。
火種が海の上を行った。
黒い水の上で、小さな火が消えないように守られていた。
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喉の奥が、急に狭くなった。
ただの昔話のはずだった。
この老人は、アサメの名を知らない。
ナギも知らない。
シンがいた山の夜も、火の前で交わされた声も、知るはずがない。
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それなのに、話の中にあった。
海へ逃げた火。
子供を抱えた腕。
消えないように守られた小さな赤。
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シンは、膝の上で手を握った。
爪が掌に食い込んだ。
痛みがあって、ようやく息が戻った。
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「逃げなかった者達が、北へ向かった」
老人は続けた。
「山を越え、川を越え、名を変え、血を混ぜた。炉を消さないように。火を守りながら」
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老人は炉を見た。
今燃えているこの火を見た。
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「それが、ここへ来た」
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だれも喋らなかった。
炉の音だけが続いた。
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シンは、目の前の炉を見た。
灰の奥に赤がある。
細い。
小さい。
息を吹きかけすぎれば散る。
放っておけば消える。
それでも、火だった。
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(残ってた)
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声にはならなかった。
でも、胸の奥でその言葉だけがはっきりした。
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アサメは死んだ。
その事実は変わらない。
あの手はもう戻らない。
あの声も戻らない。
シンが戻りたいと願った場所は、もうどこにもない。
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だが、消えていなかった。
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アサメが守ろうとしたもの。
ナギが海へ運んだもの。
タダが腹を満たして守ったもの。
山の民が、名を変え、血を混ぜ、それでも捨てなかったもの。
それが、ここにあった。
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シンは、少し下を向いた。
泣くつもりはなかった。
泣く場面でもなかった。
だが、目の奥が熱かった。
悲しみだけではなかった。
救われた、という言葉も違う。
もっと苦くて、もっと温かいものだった。
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戻れない。
でも、届いていた。
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そのことが、ひどく痛くて、ひどくありがたかった。
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「その時、火を持つ者がいたという」
老人は、スズリの掌へ視線を戻した。
「女だったとも、子供だったとも、男だったとも言う。話す者によって違う。だが、火を持っていたことだけは同じだ」
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「火を」
スズリが小さく言った。
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「消えた炉へ入れる火だ。死んだ者の名を忘れぬための火だ。新しい家を、ただの小屋にしないための火だ」
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老人の声は低かった。
だが、重すぎなかった。
昔話を語る声だった。
事実と祈りが、まだ分かれていない場所の声だった。
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「その火を守るために、鉄の欠片を袋へ入れた。焼けた山から拾った鉄だとも、折れた刃だとも、炉の底に残った塊だとも言う。何が本当かは知らん」
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スズリの指が、鉄片を少しだけ強く包んだ。
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「それは何のために」
「忘れぬためだ」
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老人は即座に答えた。
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「火は、見ていなければ消える。名も同じだ。持つ者が持ち、次へ渡す。意味が分からなくなっても、捨てなければ残る」
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「……その火を持つ者は」
シンは、気づくと口を開いていた。
声が少し掠れていた。
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老人がシンを見た。
老女達も見た。
スズリも、鉄片を掌に乗せたまま顔を上げた。
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「その者は、どうなった」
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老人はすぐには答えなかった。
炉の火を見た。
灰を少し寄せた。
赤が、ほんの少し広がった。
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「知らん」
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短い答えだった。
シンの胸が、少し沈んだ。
だが老人は続けた。
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「山で死んだとも言う。海へ戻ったとも言う。名を変えて、誰かの母になったとも言う。火の中へ入ったとも言う」
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老人は、そこで薄く笑った。
作り話を笑う顔ではなかった。
人がどうしても何かを残したくなることを知っている顔だった。
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「だが、どうなったかより、火が残ったことの方が大事だ」
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シンは息を止めた。
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「人は死ぬ。名も削れる。話は曲がる。だが、炉に火が入れば、子が飯を食う。寒い夜を越す。次の朝に起きる。それで、死んだ者は少しだけ負けずに済む」
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シンは何も言えなかった。
胸の奥で、何かが崩れた。
崩れたのに、空洞にはならなかった。
そこへ、別の温かさが入ってきた。
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アサメを忘れることはできない。
忘れたくもない。
だが、アサメのいた場所へ戻ることだけが、彼女を想うことではない。
ここに残った火を見ることも、たぶん同じだった。
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スズリは黙った。
鉄片を見ていた。
自分が今まで、意味の分からないものを持っていたこと。
意味の分からないまま、捨てなかったこと。
そのことが、急に重くなったように見えた。
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「私は」
スズリが言った。
声は小さかった。
「これを、何も知らずに持っていました」
「それでいい」
老人は言った。
「知っている者だけが残すわけではない。知らぬ者が残すこともある」
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スズリは顔を上げた。
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「知らないままで、残していいんですか」
「知ったふりで捨てるよりは、よほどいい」
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老女の一人が、そこで小さく笑った。
笑いというより、息だった。
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「火を見る手つきだった」
その老女が言った。
「さっきの手だ。灰を寄せる手。あれは、教わらねばできぬ」
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スズリが自分の手を見た。
白い指。
墨の跡。
爪の隙間に、さっき触れた灰が少し入っている。
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「私は、覚えていません」
「手は覚える」
老女が言った。
「頭より先に、手が覚えることがある」
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スズリは何も言えなかった。
変な顔ではなかった。
取り乱してもいなかった。
ただ、静かに戸惑っていた。
自分の中に、自分より古いものが少しだけ残っている。
それをどう扱えばいいのか分からない。
そんな顔だった。
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シンは、その顔を見ていた。
胸の奥が少し痛んだ。
記憶がなくても、残るものはある。
それを信じたいと思っていた。
でも、目の前に出されると、少し怖かった。
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モモも、そうなのか。
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名前を呼べなくても。
自分が何者か分からなくても。
それでも、どこかに残っているものはあるのか。
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炉の火が、低く鳴った。
老人はまた炭を動かした。
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「持っていろ」
老人が言った。
「それは、お前が意味を知るためのものではない。お前が消さぬためのものだ」
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スズリは、鉄片を布袋へ戻した。
袋の口を結ぶ。
結び目に少し手間取った。
指が震えていた。
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誰も急かさなかった。
炉の火だけが待っていた。
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深夜、客間へ戻った。
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寒かった。
山の夜だ。
秋の終わりの冷気が、板の隙間から来ていた。
昼の火の匂いは残っている。
だが、空気はすぐに冷える。
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炉の炭が残っていたが、小さかった。
赤い芯だけが灰の奥にある。
その赤を見ていると、さっきの老人の言葉が戻ってきた。
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火は、見ていなければ消える。
名も同じだ。
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毛皮が足りなかった。
スズリが一枚持っていた。
それを、シンに押し付けようとした。
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「俺より寒いだろ」
「慣れています」
「慣れてない顔だ」
「そんな顔ですか」
「してる」
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結局、毛皮を半分ずつにした。
炉の近くに並んで横になった。
他に方法がなかった。
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距離は近かった。
だが、妙な気配はなかった。
寒さをしのぐための距離だった。
火のそばで生き物が身を寄せる距離。
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炉の火が、小さく揺れていた。
外で風が鳴っている。
スズリの墨と、薄い香の匂いがした。
その奥に、灰の匂いが混ざっていた。
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しばらくして、スズリが言った。
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「ここ、初めてなのに懐かしいんです」
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シンは炉を見たまま答えた。
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「俺もだ」
「……変ですよね」
「変じゃない」
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少し間があった。
風が板の隙間を鳴らした。
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「あなたは、誰を探しているんですか」
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シンは少し止まった。
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「探している」
「はい。ずっとそういう顔をしています」
「そういう顔か」
「はい」
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シンは炉の火を見た。
答えるつもりはなかった。
でも、口が動いた。
火のそばでは、時々、言わなくていいことまで口から出る。
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「……黒髪の女だ」
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スズリは黙った。
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「桃の香りがする」
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言ってから、胸の奥が冷えた。
久しく感じていない香りだった。
思い出すだけで近くなるのに、近くなったぶんだけ遠さが分かる。
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「会えていないのですか」
「壊れてしまった。置いて来てしまった」
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全部は言わなかった。
言えなかった。
未来のこと。
観測のこと。
命令のこと。
死に戻りのこと。
白い光の中で泣いた顔のこと。
何も言えなかった。
でも、それだけ出た。
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スズリは黙っていた。
何も言わなかった。
励ましもしなかった。
尋ね返しもしなかった。
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ただ、少しだけ毛皮を自分の方へ引いた。
気づいていないみたいだった。
無意識の動きだった。
毛皮の端が、シンの肩から少しずれた。
スズリはそれに気づいて、また少し戻した。
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しばらくして、小声で聞いた。
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「その人、まだ生きていると思いますか」
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シンはかなり長く黙った。
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炉の炭が、かすかに音を立てた。
灰の奥で、小さな赤が崩れた。
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「……分からない」
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また黙った。
外の風が、少し弱くなった。
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「でも、待ってる気がする」
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スズリは答えなかった。
少しだけ、静かになった。
それ以上は何も言わなかった。
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やがて呼吸が落ち着いた。
眠ったらしかった。
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シンは眠れなかった。
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しばらくして、外へ出た。
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山が見えた。
夜の山だ。
暗い。
でも形が分かった。
黒いものの上に、さらに黒いものが重なっている。
その重なりが山だった。
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イサワの火が、柵の内側から見えた。
夜通し燃えている炉の火だ。
一つではない。
あちらにも。
こちらにも。
家の中に低く残る火。
炉番のそばに眠る火。
鍛冶場の灰の奥に隠された火。
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北の残り火。
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その言葉が、胸の奥に落ちた。
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シンは山を見ながら、頭の中で知っていることを探した。
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アテルイ。
蝦夷。
坂上田村麻呂。
征夷大将軍。
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そのくらいだった。
詳しく知っていたわけではない。
何年に何があったのか、誰が何を願ったのか、どこでどうなったのか。
そこまでは分からない。
ただ、大きな形だけは知っていた。
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アテルイは、田村麻呂と戦った。
そして負けた。
最後には処刑された。
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たぶん、学校で習った。
あるいは、どこかで読んだ。
覚え方も曖昧だった。
けれど、その結末だけは頭の底に残っていた。
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遠い時代の出来事としてなら、ただの知識で済んだ。
文字の上なら、短い。
アテルイ。
敗北。
処刑。
それだけで終わる。
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だが今は違う。
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アテルイは馬に話しかけていた。
太った牝馬を叱っていた。
子馬を待っていた。
老人と笑っていた。
タダの薄い汁に文句を言っていた。
椀の底の根まで食べていた。
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それだけの男が、負ける。
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それだけの男が、殺される。
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その知識が、今は刃物みたいだった。
目の前に生きている人間の背中へ、すでに振り下ろされている刃だった。
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(ここは、負ける側だ)
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大雑把な結末だけを、シンは知っていた。
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アテルイは知らない。
モレはどこかで感じているかもしれない。
スズリは記そうとしている。
タダは飯を作っている。
老人達は火を眠らせている。
子供達は弓を覚えている。
馬は朝になれば草を食む。
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それら全部が、いずれ別の名前で書かれる。
鬼。
賊。
討たれるべき者。
服すべき者。
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モレが言っていた。
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負けても、消えないように。
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シンはその言葉を、今になって少しだけ分かった気がした。
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(消えないようにするには、どうすればいい)
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初めて、そこを考えた。
死に戻りで時間を変えることではない。
歴史を書き直すことでもない。
勝敗をひっくり返すことでもない。
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残すことだ。
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名前を。
声を。
この火を。
薄い汁の味を。
馬に話しかける声を。
煤けた鉄片を掌に乗せたスズリの顔を。
灰の奥で眠る赤を。
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シンは山を見ていた。
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風が来た。
炉の煙が流れた。
夜の山が、静かに呼吸していた。
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この火も、大きな流れに呑まれるのかもしれない。
だが、呑まれた後にも残せるものがあるのかもしれない。
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火は、見ていなければ消える。
名も同じだ。
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シンは、煙の向こうの山を見た。
アサメの火。
モモの桃。
スズリの鉄片。
アテルイの声。
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全部が、この夜の中で、細く繋がっていた。
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(第六十八話へ)




