狩り
第五十四話 狩り
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煙は、朝より先に空へ上がっていた。
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青黒い山の影から、黒い筋が伸びている。
炉の煙とは違う。
飯を炊く火とも、湿った薪を燃やした煙とも違う。
太く、重い。
風に押されても千切れず、山の向こうから次々と湧いていた。
「オキの集落」
ナギの声は低かった。
いつものように笑っていない。
目だけが、煙の根を測っていた。
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アサメが動いた。
寝床へ戻り、弓を取る。
弦を指で弾き、腰へ刃を差す。矢筒の中身を数える時間まで含めて、動きに迷いがなかった。
「タダ」
「行く」
タダはすでに槍を持っていた。
「ナギ」
「道を案内する」
「シン」
「行く」
答える前から、シンは水筒と布袋を肩へ掛けていた。
炉の脇を見る。
昨夜、モモが座っていた場所には、乾いた布が畳んで置かれている。
モモも、フツもいない。
いつ去ったのか、誰も見ていなかった。
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「俺たちも行く!」
トンが言った。
「鬼の家の続きは後!」
チンが言った。
「ミコ、探す」
カンだけが、遊びとは違う顔をしていた。
アサメは三人の前へしゃがんだ。
「お前たちは残れ」
「でも」
「集落を守る者も要る」
三人が黙る。
「煙が増えたら、子供と年寄りを川上へ連れていけ。二度、鳥の声がしたら、何も持たずに走れ」
「アサメたちは?」
「戻る」
「いつ?」
「戻れる限り、早く」
嘘は言わなかった。
必ずとも、すぐとも言わない。
トンは唇を噛んだ。
チンは地面を見た。
カンだけがアサメを見続けた。
「……分かった」
最後に、三人が同時に頷いた。
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空が白み始める前に、四人は集落を出た。
山はまだ夜の冷たさを抱えていた。
雪解け水が斜面を走り、濡れた根が土から浮いている。
一歩踏み外せば足首まで泥へ沈んだ。
先頭はナギだった。
迷わない。
獣道が二つに分かれる前から細い方へ入り、倒木を越えず、その根元を回る。沢へ出ると水際を避け、少し上の岩を選んだ。
「そっちは遠回りじゃないのか」
シンが聞いた。
「沢沿いは速い。でも、向こうから来た奴が残ってたら見つかる」
「向こうから?」
「川下から入るなら、あそこを使う」
ナギは振り返らなかった。
知っている者の言い方だった。
シンはそれ以上聞けなかった。
今は、オキの集落へ着く方が先だった。
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歩きながら、オキの声を思い出した。
『ここはずっと危ない。それでもここにいる』
低い声だった。
オキは多くを話さなかった。
こちらが問いを一つ置けば、必要な分だけ答えた。
山で作られた鉄を受け取る。
同じ長さに整えられた小さな鉄の刃を、川へ流す。
下流から塩と布と牛の皮が上がり、時には海や南の話も一緒に届く。
鉄を作る者ではない。
鉄が通る場所を守る者だった。
だからヤマトは欲しがる。
鉄そのものだけではない。
誰が作り、誰が運び、どこで荷を替え、どの道なら冬にも通れるのか。
流れを知る者ごと、流れを奪う。
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『また来る』
シンは、そう言った。
『来なくていい』
オキは答えた。
『それでも来る』
あの時は、次に来る日があると思っていた。
ミコもいる。
川辺で石を拾い、袖を泥で汚し、何事もなかったように赤い石を見せてくると思っていた。
『父さん、赤い石が好きだった。夕焼けみたいだから』
父の骨を川へ送った後、ミコはそう言った。
『悲しいよ。泣いたよ。もう泣いた。だから今は石を集める』
あの小さな手を思い出した。
白い石。
黒い石。
緑の石。
夕焼け色の赤い石。
どれも何かの役に立つわけではない。
それでもミコは拾った。
昨日までのシンなら、それを遊びと呼ばなかったかもしれない。
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風向きが変わった。
最初に来たのは、濡れた灰の匂いだった。
次に、焼けた藁。
焦げた穀。
魚の脂。
その奥に、髪や皮を焼いた時の、覚えたくない臭いが混じっていた。
アサメの足が速くなる。
「近い」
タダが言った。
ナギは答えなかった。
四人は最後の斜面を下った。
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オキの集落は、そこにあった。
形だけは。
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入口の目印になっていた二本の曲がり木は、片方が折れていた。
その先に並んでいた竪穴の家は、半分以上が焼け落ちている。
土を掘り下げた床へ、屋根が落ちていた。
炭になった垂木が折り重なり、灰の下ではまだ赤い火が息をしている。
風が吹くたび、屋根を葺いていた草の灰が浮いた。
春の雪のように見えた。
白くはなかった。
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魚を干していた棚が倒れている。
縄は焼け、魚は黒く縮み、地面へ貼りついていた。
機織りの道具は、柱ごと踏み折られていた。
織りかけの布が泥の中へ引きずり出され、何人もの足で踏まれている。
籠は裂かれた。
土器は割られた。
蓄えていた木の実は灰と混ざり、雨水の溜まった窪みへ流れ込んでいた。
ただ壊したのではない。
ここで明日も暮らすために必要なものが、選んで壊されていた。
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「ミコ!」
アサメが呼んだ。
返事はない。
「ミコ!」
焼け残った壁の向こうへ回る。
崩れた屋根を持ち上げ、灰の中を探る。
「オキ!」
声が集落の奥まで抜けていく。
誰も答えない。
生きた者の声が、一つもなかった。
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シンは、以前オキと話した家へ向かった。
低い入口は残っていた。
中へ入ると、焦げた梁が斜めに落ちている。
オキが座っていた場所には、割れた椀があった。
縁の一部が欠けている。
初めから欠けていた椀だ。
オキは、客へ欠けていない方を出し、自分ではいつもそれを使っていた。
シンは椀へ触れた。
まだ温かかった。
火の熱だった。
人の温度ではない。
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「こっちだ」
タダの声がした。
家の裏手。
オキが鉄を置いていた小さな建物だった。
地面から少し上げた床は焼かれていない。
太い柱も残っている。
だが、戸は外されていた。
中の棚は空だった。
短い鉄の刃を包んでいた布だけが、床へ散らばっている。
結び目は解かれていない。刃物で一直線に切られていた。
数を確かめ、持ち運ぶために、手早く中身だけを抜いた跡だった。
「焼け残ったんじゃない」
シンが言った。
「焼かなかった」
アサメが答えた。
鉄を傷めずに持ち出すために。
ここに何があり、どこへ置かれているのか知っていた者の仕事だった。
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ナギが入口に立っていた。
顔から血の気が引いている。
「全部、持っていった」
呟くように言った。
「なぜ分かる」
アサメが聞いた。
「布の数」
「数えたことがあるのか」
ナギは答えなかった。
しゃがみ、切られた布を一枚拾う。
指が震えていた。
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集落の中央に、大人が三人倒れていた。
一人は背に矢を受けている。
一人は頭を割られていた。
もう一人は、焼けた家の入口で腕を伸ばしたまま動かない。
武器を持つ者だけではなかった。
逃げようとした者。
火を消そうとした者。
誰かを庇おうとした者。
その違いを、襲った側は数えなかった。
けれど、死体は少なかった。
集落には、もっと多くの人がいた。
年寄りもいた。
女もいた。
子供もいた。
皆が逃げきったとは思えない。
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タダが地面へ膝をついた。
泥の上に残った跡を見る。
「集められた」
「どこへ」
シンが聞いた。
タダは集落の北側を指した。
何人もの足跡が同じ方向へ伸びている。
歩幅が揃っていない。
滑った跡がある。
膝をついた者を引き起こした跡もある。
その両側に、一定の間隔で深い足跡が並んでいた。
槍を持つ者が、列の外を歩いた跡だった。
「連れていったのか」
「何人かは」
「何のために」
「道を作らせる。荷を運ばせる。山を案内させる」
タダは足跡を見たまま言った。
「それが終われば、また別の役に使う」
声に怒りはなかった。
怒りより深いところで、硬くなっていた。
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アサメは水場へ向かった。
集落の端から湧く細い泉は、埋められていなかった。
水を溜める木の槽も残っている。
「水は殺していない」
アサメが言った。
「戻るつもりか」
「違う」
泉の脇に残った足跡へ触れる。
「ここを、次に来る者が使う」
集落を滅ぼした後、ヤマトの側の者が水場を使う。
兵が飲む。
荷を運ぶ者が飲む。
ここを次の道の途中にする。
人の暮らしを消し、その場所だけを使う。
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「戦じゃない」
タダが言った。
槍の石突きで、泥に残った跡を示す。
「戦なら、向かう者同士がいる」
焼けた家を見る。
縛られて連れられた列を見る。
「これは狩りだ」
逃げ道を塞ぐ。
使えるものを選ぶ。
抵抗するものを殺す。
残りを追い立てる。
獣を狩る時と同じだった。
違うのは、狩られた側も人だったことだけだ。
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「ミコ」
アサメが、もう一度呼んだ。
先ほどより小さな声だった。
返事を恐れているようにも聞こえた。
返事がないことを恐れているようにも聞こえた。
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シンは、川の方へ歩いた。
ミコなら、川へ行く。
理由ではなかった。
ただ、そう思った。
川辺には、昨日までと同じ水が流れている。
集落が焼けても、水は止まらない。
灰を浮かべ、細い木片を運び、それでも低い方へ流れていく。
岸の泥に、小さな足跡があった。
一つ。
二つ。
三つ。
走っている。
その後ろに、大人の足跡が重なっていた。
追っているのか、同じ方向へ逃げたのかは分からない。
途中で土が崩れ、跡は消えた。
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足元に、白い石が落ちていた。
少し先に、黒い石。
さらに先に、緑の石。
シンの心臓が強く打った。
「ミコ」
声に出した。
川音が返る。
石を追った。
ミコの袋が破れ、逃げる間にこぼれたのかもしれない。
あるいは、自分の通った道を知らせようと置いたのかもしれない。
どちらとも決められなかった。
最後の石は、川が大きく曲がる場所にあった。
赤かった。
濡れた表面が、雲の切れ間から差した朝日を受けている。
夕焼けを小さく固めたような色だった。
その先に、足跡はなかった。
川へ入ったのか。
誰かに抱えられたのか。
石が、ただここまで流されたのか。
分からなかった。
シンは赤い石を握った。
冷たかった。
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オキの姿も見つからなかった。
鉄を置いていた建物の裏に、古い杖が折れていた。
オキの杖だった。
先端は長い年月で丸くなり、握る場所だけが黒く艶を持っていた。
その近くに血がある。
多くはない。
だが、雨で薄まっても見える程度には残っていた。
血の跡は、連れ去られた列へ続いていた。
「生きている」
シンが言った。
自分へ言い聞かせる声だった。
「少なくとも、ここでは死んでいない」
アサメは折れた杖を拾った。
「ここでは、な」
希望を否定しなかった。
希望だけにも縋らなかった。
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四人は日が傾くまで周囲を探した。
アサメは尾根へ上がった。
タダは連れ去られた列を追った。
ナギは川下を見た。
シンは川上を探した。
何度も名を呼んだ。
オキ。
ミコ。
知っている者。
知らない者。
返事はなかった。
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夕方、タダが戻った。
「追えない」
短く言った。
「岩場で三つに分かれている」
「三つ?」
「縛った者を分けた。足跡を消すために水も使っている」
偶然ではない。
追う者がいると知っていた動きだった。
「ハヤセは」
シンは言いかけた。
最後まで続けなかった。
ハヤセなら、もっと殺さずに済む道を選んだかもしれない。
逃げられる隙を残したかもしれない。
だが、ここには死者がいる。
家は焼けている。
人は連れ去られている。
減らした罪が、消えるわけではなかった。
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日が沈む前に、死者を並べた。
焼け残った布で、一人ずつ包んだ。
今すぐ骨を川へ送ることはできない。
火を焚けば、まだ近くにいるかもしれない兵へ居場所を知らせる。
アサメは三人の胸元へ、小さな石を一つずつ置いた。
山の石。
川の石。
集落の地面から拾った石。
「戻ってくる」
誰へともなく言った。
「必ず、送る」
風が布の端を揺らした。
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夜は、集落から少し離れた岩屋で過ごした。
火は小さくした。
煙が岩肌を這い、外へ出る前に薄くなる。
誰も腹が減ったと言わなかった。
それでもタダは干し肉を四つに割り、一つずつ渡した。
生きている者は食わなければならない。
シンは噛んだ。
塩の味がした。
オキの集落へ、川下から運ばれていた塩と同じ味だった。
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アサメは岩壁へ背を預け、折れた杖を膝へ置いていた。
火を見ていない。
何もない暗がりを見ている。
「ミコの事は、いつから知ってる」
シンが聞いた。
「生まれた時から」
「ずっと?」
「オキが山へ来る時、あの子もついてきた。歩けるようになる前は、背負われていた」
アサメの指が、杖の折れたところをなぞる。
「初めて歩いた時も、石を拾った。口へ入れた。オキが取り上げると泣いた」
「今と変わらないな」
「今は、口には入れない」
「そこは変わったか」
わずかな沈黙。
アサメの口元が、動きかけた。
笑みにはならなかった。
「父親が死んでから、泣かなくなった」
「泣いたって言ってた」
「人のいないところでな」
シンは手の中の赤い石を見た。
ミコは泣いた。
泣き終えたから石を拾った。
悲しくなくなったわけではない。
それでも次の日を生きるために、石を拾った。
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「怖いか」
シンが聞いた。
アサメはすぐに答えなかった。
火の向こうで、タダが顔を上げる。
ナギは俯いたまま動かない。
「怖い」
やがて、アサメが言った。
声は静かだった。
「敵が来ることではない」
膝の上の杖を見る。
「生きていた山が、消えることが怖い」
道が消える。
火の焚き方が消える。
誰がどの石を好んだか、どの魚をどの季節に獲ったか、誰が笑う時に鼻を鳴らしたか。
人が死ねば、そういうものまで消える。
「ヤマトは、土地を取ったと言うだろう」
アサメは続けた。
「だが土地だけが残っても、山は同じではない」
泉は残っている。
川も流れている。
木々も立っている。
それでも、オキの集落はもう昨日と同じ場所ではなかった。
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「取り戻す」
シンが言った。
「何を」
「オキも、ミコも。連れていかれた人も」
「道が分からない」
「探す」
「敵の数も分からない」
「それも調べる」
「死ぬかもしれない」
シンは、そこで言葉を止めた。
死ねば戻れる。
その考えが浮かんだ。
すぐに消した。
『死ぬ覚悟と、死ねばいいという考えは、似ているようで反対だ』
ミチヌシの声が残っている。
「死なない道を探す」
シンは言い直した。
「一人で無理なら、皆で探す」
アサメはシンを見た。
しばらく見た後、小さく頷いた。
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「道なら」
ナギが言った。
火の向こうで、顔を上げる。
「俺が知ってる」
声が掠れていた。
アサメがナギを見る。
「どの道だ」
「ヤマトが入った道」
岩屋の中が静かになった。
「さっきの沢を使えば、見張りから見えない。集落の裏へ出る。鉄を置く小屋にも近い」
ナギの指が、自分の膝を強く掴んでいる。
「水場を残せば、後から来る兵が使える。人を連れ出すなら北の岩場で三つに分ける。あそこからなら、川道と尾根道と、古い塩の道へ出られる」
「なぜ知っている」
アサメの声は低かった。
ナギは答えない。
火が小さく爆ぜた。
シンは、朝から積み重なっていた違和感を思い出した。
迷わず選んだ道。
空の鉄包みを見て、全部持っていったと断じたこと。
追跡を防ぐ分かれ道。
ナギは知りすぎていた。
「ナギ」
シンが呼んだ。
「お前、誰から聞いた」
ナギは目を閉じた。
いつもの笑いはない。
海の言葉を幾つも知り、誰とでも話し、道と道の間を軽く渡っていた男。
その口が、今は開かなかった。
長い沈黙の後。
「聞いたんじゃない」
ナギは言った。
「俺が、教えた」
シンの手の中で、赤い石が冷たくなった。
「俺、キジなんだ」
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