表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
48/62

聞こえてる

第四十八話 聞こえてる



 暗かった。



 でも、消えていなかった。



 意識が、かろうじて残っていた。


 体が動かない。


 でも、聞こえる。



(生きてる)


(まだ生きてる)



 地面に倒れているらしかった。


 土の匂いがする。


 春の泥だ。


 冷たい。


 体の感覚は、ほとんどない。


 でも、耳だけが動いている。



「……サル、貴様」



 ハヤセの声だ。


 低い。


 感情が薄い。


 でも、少しだけ違う。


 いつもの乾いた声より、何かが混じっている。



「なんだワンコ」



 軽い声。


 サルと呼ばれた男だ。



「なぜ殺した」


「山側だろコイツ。イヌが無駄に鳴くから情報漏れてるし。処理しなきゃ」


「……」



 ハヤセは苦々しい顔で黙った。



「……白桃ちゃんもそう思うよね!」


 サルが言った。


「……」


 モモは答えない。


「この男、トモダチだった?」


「……確認中」


「確認中だったのか。だとしたらゴメン! でも仕事だからね〜」



 サルが動く音がした。


 シンから少し遠ざかる。



(動けない)


(でも聞こえる)


(このまま聞けるだけ聞く)



「本題に入ろうか」


 サルが言った。


「イヌ、お前も聞け」


「……聞いている」


「春の遠征の話だ。ミサネから下りた命令の話」



 ハヤセが、少し動いた気配がした。



「それを、ここで話すのか」


「白桃もいるし、ちょうどいいからね〜」



 誰も止めなかった。


 ハヤセも、モモも。



(なんなんだこの男は)



「ミサネの神託が下りた。日高見制圧を、今年中に完了させる。春に本隊が動く。それは知ってるな」


「知っている」


「じゃあ、なんで今年なのかはワンコ知ってる?」


「……」


「実は、ヤマトの中枢は日高見遠征にあまり乗り気じゃなかった」



 それは、シンにも少し意外だった。



「乗り気じゃない、というのは」


 ハヤセが聞いた。


「費用対効果が悪いんだよ。北つ方は遠い。山が深い。鉄は取れるが、運ぶのが大変。正直、ヤマトの本流は韓の方だ」


「から?」


「海の向こうさ。技術。鉄。渡来の知識。それを取りに行く方が、中枢の豪族には旨みがある。北つ方なんかより、ずっと」



 モモが、少し動いた気配がした。



「なのに、今年動く理由は何だ」


 ハヤセが言った。


「ミサネだよ。神託が下りた。日高見へ行け、北を制圧せよ、と。そうなると、ヤマトは動かないわけにいかない」


「……ミサネは、なぜそれを言った」


「さあね〜神託だから、理由は分からない。でも、俺には見当がつく」



 サルが少し間を置いた。



「もっと遠いところから、声が来てる気がする」


「……遠いところ」


「ミサネよりも、もっと遠い。もっと上から来る何か。それが神託という形を取って、ミサネを通して降りてくる」



 シンの意識が、少し揺れた。



(上から来る何か)


(前の時代でも、あった)


(雷が来ると、全部変わる)



「……タケミカヅチ」


 モモが、小さく言った。



 サルが止まった。



「ほう」


「……」


「白桃が言うか、その名前を」


「……記録にある」


「記録ね。どんな記録だぃ?」


「……言えない」


「まあ、いいか。続けるぞ〜」



 また草を踏む音がした。


 サルが歩き回っている。



「本隊が動く。白桃も動く。イヌも動く。俺も動く。そして」



 少し間があった。



「この山も、流れに飲まれる」



 誰も答えなかった。


 風が来た。


 木の葉が揺れた。


 水の音だけが、続いていた。



「白桃ちゃん」


 サルが言った。


「……何?」


「君は本当に鬼を討てると思う? 今まで通りに」


「……任務」


「任務ね。でも、今の白桃ちゃんは変わってきてる。飯を食ってる。炉を見てる。ここが何か分かってきてる」


「……」


「分かってきた上で、殺せる?」



 モモは答えなかった。



 長い沈黙だった。



 サルが笑った。


 今度は、さっきより静かな笑い方だった。



「まあ、俺には関係ない話だけどね〜! 流れに乗っかるだけだし!」


「……お前の本当の目的は何だ」


 ハヤセが言った。


「本当の目的? ないよ、そんなもの」


「嘘をつくな」


「嘘じゃない。俺は、面白い流れが見たいだけだ。昔から、ずっとそうだ」


「……昔から、とはどれほど昔だ」


「長い話になるねぇ〜またいつか!」



 サルが動いた。


 帰る気配だ。


 草を踏む音が、遠ざかり始める。



 シンは、ここだと思った。



 体に力を入れた。


 動かない。


 でも、声は出る。



「……聞いたぞ」



 声が出た。


 かすれていた。


 でも、出た。



 足音が止まった。



「お」



 サルの声が、少し変わった。


 驚いている。


 本当に驚いている。


 演技じゃない。



「…死にそびれちゃったのか! ごめん! つよいなぁ!」


「……全部、聞いた」



 シンは地面へ手をついた。


 指先に泥が絡む。


 首から、まだ血が流れていた。


 熱い。


 でも、寒い。



「お前……ベラベラ喋りすぎだろ……」


「だって死んでると思ったし?」



 悪びれない。


 本当に悪びれない。



 シンは少し笑った。


 笑った瞬間、血が口から溢れた。



(いてぇ)


(いやマジで深いなこれ)



 ハヤセが近づいた。


 しゃがみ込む。


 傷口を見る。



「喋るな」


「無理だろ、これ……」


「黙ってろ」



 ハヤセの手が、首を押さえた。


 強い。


 痛い。



 でも、止血しようとしているのは分かった。



「イヌ、助けるの?」


 サルが笑った。


「そいつ山側だぜ?」


「……黙れ」


「優しいなぁ」



 モモは、少し離れた場所で立っていた。


 動かない。


 でも、目だけがシンを見ていた。



(モモ)



 その顔が、少し怖かった。


 いつもの無表情じゃない。


 何かがズレている。



 処理できていない顔だった。



「白桃ちゃん」


 サルが言った。


「どうする?」


「……」


「このままだと死ぬよ?」



 モモは答えなかった。



 でも。



 一歩、シンへ近づいた。



 サルが、また少し目を細めた。



「へぇ」



 その声だけ、少し低かった。



「マジなんだ」



 風が吹いた。


 濡れた枝が揺れる。


 雪解け水の音が、遠くで続いていた。



 シンの意識が、少しずつ沈んでいく。



(やばい)


(これ、死ぬやつだ)



 分かっていた。


 前にもあった。


 この感覚。



 冷たくなる。


 遠くなる。


 音が沈む。



 死ぬ直前の感覚だ。



「シン」



 モモの声だった。



 近い。



「……死ぬな」



 シンは、少しだけ笑った。



「無茶言うなぁ……」



 サルが吹き出した。



「アハハッ!」


「白桃ちゃん、それ面白い!」


「鬼に“死ぬな”って!」



 モモはサルを見なかった。



 ずっと、シンを見ていた。



 ハヤセが低く言った。



「サル、帰れ」


「え〜?」


「これ以上はまずい」


「まずいのは白桃ちゃんじゃない?」



 サルは、ニヤニヤしながらモモを見た。



「報告したら怒られるよ〜?」


「……」


「鬼を斬らない白桃とか、上が一番嫌うやつじゃん」



 モモの指が、少しだけ動いた。



 刃を握る手が強くなる。



 サルはそれを見て、また笑った。



「うわ、こわ」


「でも今の白桃ちゃんなら、俺も斬る?」



 沈黙。



 モモは答えなかった。



 だが。



 否定もしなかった。



 ハヤセの空気が変わった。


 わずかに腰が落ちる。


 サルも、それに気づいた。



「おっと」



 笑いながら、一歩下がる。



「イヌまで怖い顔しないでよ」


「……消えろ」


「はいはい」



 サルは肩をすくめた。



「じゃ、今日はここまで!」


「次会う時はちゃんと死んでね⭐︎」



 最後まで軽かった。



 次の瞬間。



 気配が消えた。



 本当に、一瞬で。


 木々の向こうへ。


 音もなく。



 静かになった。



 ハヤセが、小さく息を吐いた。



「……最悪だ」



 その声は、本当に疲れていた。



 シンは空を見た。


 白い空だ。


 雲が流れている。



(あー)


(空だ)



 どうでもいいことを考えていた。



 モモが、すぐ横へ来た。


 膝をつく。


 白い手が、血で汚れた。



「……シン」



 また呼んだ。



 シンは少し驚いた。



(今日、よく名前呼ぶな)



 前はもっと、記号みたいに呼んでいた。


 観測対象みたいに。



 でも今は違う。



 モモの声に、揺れがある。



「……って…」



 小さい声だった。



「……?」


「……戻って」



 シンは、その意味を考えた。



 戻る。



 どこへ。



 意識が、急に深く沈んだ。



 寒い。


 暗い。


 音が遠い。



 モモの顔だけが、ぼんやり見えた。



 泣いてはいない。


 でも、壊れそうな顔だった。



(あ)



 その瞬間。



 シンは理解した。



 モモは。


 俺が死ぬのを、怖がっている。



 それが分かった瞬間。



 世界が、落ちた。



          ◆



 息が入った。



「っ……は、は……!」



 目が覚めた。



 水音がした。



 ぽた。


 ぽた。


 ぽた。



 屋根から、雫が落ちている。



 見覚えのある天井だった。



(……戻った)



 シンは起き上がった。



 首に触れる。


 傷はない。


 血もない。



 でも。



 覚えている。



 斬られた感覚。


 冷たさ。


 血の匂い。


 サルの声。


 モモの声。



(聞いた)



 全部、聞いた。



 ミサネ。


 神託。


 日高見制圧。


 韓。


 タケミカヅチ。


 白桃。


 サル。



 聞いて、死んで、戻った。



 シンは自分の手を見た。


 震えていた。



(これで、三回目)



 この時代で、三回目。



 まだ戻る。


 まだ終わらない。



 そう分かった瞬間、安堵より先に吐き気が来た。



(あと何回だ)



 分からない。



 前の時代とは違う。


 この時代の終わり方も、まだ分からない。



 でも、ひとつだけ分かった。



 死んでも、何も終わらない。



 情報だけが増える。


 痛みだけが積み重なる。


 そして、朝だけが戻ってくる。



 炉の匂いがした。


 朝の匂いだ。



 外から、タダの薪を割る音が聞こえた。



 ざく。


 ざく。



 日常の音だった。



 昨日と同じ音。


 死ぬ前と同じ音。



(同じ朝だ)



 でも、同じではない。



 シンだけが、違うものを持って帰ってきている。



 外から、アサメの声がした。



「シン、起きたか」



 いつもの声だった。



 シンは、少し息を吸った。



「起きた」



 声が少し震えた。



 アサメが入り口に顔を出した。


 シンを見た。


 目を細めた。



「顔が悪い」


「顔は元からだよ」


「違う。死んだ顔だ」



 シンは黙った。



 アサメは、何も聞かなかった。


 ただ、少しだけ近づいた。



「炉へ来い」


「……うん」


「温まれ」



 それだけだった。



 シンは立ち上がった。


 足元がふらつく。


 頭が重い。


 いつもの戻りの感覚だ。



 外へ出た。



 タダが薪を割っていた。


 ナギが鍋を覗いていた。


 アサメが炉のそばに戻った。



 みんな、まだ知らない。



 春の遠征が来ることも。


 ミサネの神託も。


 サルが笑いながら人を殺すことも。


 モモが、シンに「死ぬな」と言ったことも。



 まだ、誰も知らない。



 甘い匂いがした。



 シンは振り向いた。



 集落の外縁に、モモがいた。


 昨日と同じ場所。


 いや。


 昨日より、少し遠い。



 モモはこちらを見ていた。



「モモ」



 声に出した。



 モモは答えなかった。


 でも、消えなかった。



 ただ、じっと見ていた。



(お前も)


(覚えているのか)



 分からない。



 でも、目が違った。



 炉の火が揺れた。


 春の空気が動いた。



 シンは、ゆっくり息を吐いた。



(第四十九話へ)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ