聞こえてる
第四十八話 聞こえてる
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暗かった。
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でも、消えていなかった。
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意識が、かろうじて残っていた。
体が動かない。
でも、聞こえる。
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(生きてる)
(まだ生きてる)
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地面に倒れているらしかった。
土の匂いがする。
春の泥だ。
冷たい。
体の感覚は、ほとんどない。
でも、耳だけが動いている。
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「……サル、貴様」
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ハヤセの声だ。
低い。
感情が薄い。
でも、少しだけ違う。
いつもの乾いた声より、何かが混じっている。
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「なんだワンコ」
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軽い声。
サルと呼ばれた男だ。
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「なぜ殺した」
「山側だろコイツ。イヌが無駄に鳴くから情報漏れてるし。処理しなきゃ」
「……」
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ハヤセは苦々しい顔で黙った。
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「……白桃ちゃんもそう思うよね!」
サルが言った。
「……」
モモは答えない。
「この男、トモダチだった?」
「……確認中」
「確認中だったのか。だとしたらゴメン! でも仕事だからね〜」
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サルが動く音がした。
シンから少し遠ざかる。
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(動けない)
(でも聞こえる)
(このまま聞けるだけ聞く)
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「本題に入ろうか」
サルが言った。
「イヌ、お前も聞け」
「……聞いている」
「春の遠征の話だ。ミサネから下りた命令の話」
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ハヤセが、少し動いた気配がした。
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「それを、ここで話すのか」
「白桃もいるし、ちょうどいいからね〜」
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誰も止めなかった。
ハヤセも、モモも。
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(なんなんだこの男は)
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「ミサネの神託が下りた。日高見制圧を、今年中に完了させる。春に本隊が動く。それは知ってるな」
「知っている」
「じゃあ、なんで今年なのかはワンコ知ってる?」
「……」
「実は、ヤマトの中枢は日高見遠征にあまり乗り気じゃなかった」
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それは、シンにも少し意外だった。
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「乗り気じゃない、というのは」
ハヤセが聞いた。
「費用対効果が悪いんだよ。北つ方は遠い。山が深い。鉄は取れるが、運ぶのが大変。正直、ヤマトの本流は韓の方だ」
「から?」
「海の向こうさ。技術。鉄。渡来の知識。それを取りに行く方が、中枢の豪族には旨みがある。北つ方なんかより、ずっと」
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モモが、少し動いた気配がした。
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「なのに、今年動く理由は何だ」
ハヤセが言った。
「ミサネだよ。神託が下りた。日高見へ行け、北を制圧せよ、と。そうなると、ヤマトは動かないわけにいかない」
「……ミサネは、なぜそれを言った」
「さあね〜神託だから、理由は分からない。でも、俺には見当がつく」
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サルが少し間を置いた。
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「もっと遠いところから、声が来てる気がする」
「……遠いところ」
「ミサネよりも、もっと遠い。もっと上から来る何か。それが神託という形を取って、ミサネを通して降りてくる」
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シンの意識が、少し揺れた。
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(上から来る何か)
(前の時代でも、あった)
(雷が来ると、全部変わる)
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「……タケミカヅチ」
モモが、小さく言った。
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サルが止まった。
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「ほう」
「……」
「白桃が言うか、その名前を」
「……記録にある」
「記録ね。どんな記録だぃ?」
「……言えない」
「まあ、いいか。続けるぞ〜」
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また草を踏む音がした。
サルが歩き回っている。
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「本隊が動く。白桃も動く。イヌも動く。俺も動く。そして」
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少し間があった。
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「この山も、流れに飲まれる」
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誰も答えなかった。
風が来た。
木の葉が揺れた。
水の音だけが、続いていた。
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「白桃ちゃん」
サルが言った。
「……何?」
「君は本当に鬼を討てると思う? 今まで通りに」
「……任務」
「任務ね。でも、今の白桃ちゃんは変わってきてる。飯を食ってる。炉を見てる。ここが何か分かってきてる」
「……」
「分かってきた上で、殺せる?」
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モモは答えなかった。
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長い沈黙だった。
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サルが笑った。
今度は、さっきより静かな笑い方だった。
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「まあ、俺には関係ない話だけどね〜! 流れに乗っかるだけだし!」
「……お前の本当の目的は何だ」
ハヤセが言った。
「本当の目的? ないよ、そんなもの」
「嘘をつくな」
「嘘じゃない。俺は、面白い流れが見たいだけだ。昔から、ずっとそうだ」
「……昔から、とはどれほど昔だ」
「長い話になるねぇ〜またいつか!」
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サルが動いた。
帰る気配だ。
草を踏む音が、遠ざかり始める。
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シンは、ここだと思った。
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体に力を入れた。
動かない。
でも、声は出る。
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「……聞いたぞ」
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声が出た。
かすれていた。
でも、出た。
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足音が止まった。
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「お」
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サルの声が、少し変わった。
驚いている。
本当に驚いている。
演技じゃない。
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「…死にそびれちゃったのか! ごめん! つよいなぁ!」
「……全部、聞いた」
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シンは地面へ手をついた。
指先に泥が絡む。
首から、まだ血が流れていた。
熱い。
でも、寒い。
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「お前……ベラベラ喋りすぎだろ……」
「だって死んでると思ったし?」
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悪びれない。
本当に悪びれない。
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シンは少し笑った。
笑った瞬間、血が口から溢れた。
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(いてぇ)
(いやマジで深いなこれ)
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ハヤセが近づいた。
しゃがみ込む。
傷口を見る。
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「喋るな」
「無理だろ、これ……」
「黙ってろ」
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ハヤセの手が、首を押さえた。
強い。
痛い。
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でも、止血しようとしているのは分かった。
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「イヌ、助けるの?」
サルが笑った。
「そいつ山側だぜ?」
「……黙れ」
「優しいなぁ」
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モモは、少し離れた場所で立っていた。
動かない。
でも、目だけがシンを見ていた。
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(モモ)
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その顔が、少し怖かった。
いつもの無表情じゃない。
何かがズレている。
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処理できていない顔だった。
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「白桃ちゃん」
サルが言った。
「どうする?」
「……」
「このままだと死ぬよ?」
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モモは答えなかった。
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でも。
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一歩、シンへ近づいた。
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サルが、また少し目を細めた。
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「へぇ」
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その声だけ、少し低かった。
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「マジなんだ」
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風が吹いた。
濡れた枝が揺れる。
雪解け水の音が、遠くで続いていた。
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シンの意識が、少しずつ沈んでいく。
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(やばい)
(これ、死ぬやつだ)
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分かっていた。
前にもあった。
この感覚。
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冷たくなる。
遠くなる。
音が沈む。
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死ぬ直前の感覚だ。
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「シン」
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モモの声だった。
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近い。
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「……死ぬな」
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シンは、少しだけ笑った。
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「無茶言うなぁ……」
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サルが吹き出した。
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「アハハッ!」
「白桃ちゃん、それ面白い!」
「鬼に“死ぬな”って!」
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モモはサルを見なかった。
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ずっと、シンを見ていた。
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ハヤセが低く言った。
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「サル、帰れ」
「え〜?」
「これ以上はまずい」
「まずいのは白桃ちゃんじゃない?」
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サルは、ニヤニヤしながらモモを見た。
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「報告したら怒られるよ〜?」
「……」
「鬼を斬らない白桃とか、上が一番嫌うやつじゃん」
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モモの指が、少しだけ動いた。
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刃を握る手が強くなる。
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サルはそれを見て、また笑った。
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「うわ、こわ」
「でも今の白桃ちゃんなら、俺も斬る?」
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沈黙。
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モモは答えなかった。
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だが。
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否定もしなかった。
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ハヤセの空気が変わった。
わずかに腰が落ちる。
サルも、それに気づいた。
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「おっと」
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笑いながら、一歩下がる。
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「イヌまで怖い顔しないでよ」
「……消えろ」
「はいはい」
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サルは肩をすくめた。
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「じゃ、今日はここまで!」
「次会う時はちゃんと死んでね⭐︎」
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最後まで軽かった。
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次の瞬間。
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気配が消えた。
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本当に、一瞬で。
木々の向こうへ。
音もなく。
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静かになった。
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ハヤセが、小さく息を吐いた。
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「……最悪だ」
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その声は、本当に疲れていた。
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シンは空を見た。
白い空だ。
雲が流れている。
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(あー)
(空だ)
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どうでもいいことを考えていた。
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モモが、すぐ横へ来た。
膝をつく。
白い手が、血で汚れた。
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「……シン」
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また呼んだ。
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シンは少し驚いた。
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(今日、よく名前呼ぶな)
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前はもっと、記号みたいに呼んでいた。
観測対象みたいに。
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でも今は違う。
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モモの声に、揺れがある。
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「……って…」
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小さい声だった。
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「……?」
「……戻って」
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シンは、その意味を考えた。
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戻る。
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どこへ。
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意識が、急に深く沈んだ。
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寒い。
暗い。
音が遠い。
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モモの顔だけが、ぼんやり見えた。
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泣いてはいない。
でも、壊れそうな顔だった。
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(あ)
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その瞬間。
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シンは理解した。
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モモは。
俺が死ぬのを、怖がっている。
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それが分かった瞬間。
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世界が、落ちた。
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◆
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息が入った。
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「っ……は、は……!」
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目が覚めた。
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水音がした。
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ぽた。
ぽた。
ぽた。
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屋根から、雫が落ちている。
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見覚えのある天井だった。
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(……戻った)
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シンは起き上がった。
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首に触れる。
傷はない。
血もない。
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でも。
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覚えている。
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斬られた感覚。
冷たさ。
血の匂い。
サルの声。
モモの声。
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(聞いた)
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全部、聞いた。
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ミサネ。
神託。
日高見制圧。
韓。
タケミカヅチ。
白桃。
サル。
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聞いて、死んで、戻った。
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シンは自分の手を見た。
震えていた。
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(これで、三回目)
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この時代で、三回目。
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まだ戻る。
まだ終わらない。
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そう分かった瞬間、安堵より先に吐き気が来た。
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(あと何回だ)
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分からない。
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前の時代とは違う。
この時代の終わり方も、まだ分からない。
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でも、ひとつだけ分かった。
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死んでも、何も終わらない。
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情報だけが増える。
痛みだけが積み重なる。
そして、朝だけが戻ってくる。
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炉の匂いがした。
朝の匂いだ。
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外から、タダの薪を割る音が聞こえた。
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ざく。
ざく。
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日常の音だった。
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昨日と同じ音。
死ぬ前と同じ音。
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(同じ朝だ)
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でも、同じではない。
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シンだけが、違うものを持って帰ってきている。
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外から、アサメの声がした。
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「シン、起きたか」
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いつもの声だった。
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シンは、少し息を吸った。
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「起きた」
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声が少し震えた。
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アサメが入り口に顔を出した。
シンを見た。
目を細めた。
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「顔が悪い」
「顔は元からだよ」
「違う。死んだ顔だ」
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シンは黙った。
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アサメは、何も聞かなかった。
ただ、少しだけ近づいた。
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「炉へ来い」
「……うん」
「温まれ」
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それだけだった。
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シンは立ち上がった。
足元がふらつく。
頭が重い。
いつもの戻りの感覚だ。
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外へ出た。
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タダが薪を割っていた。
ナギが鍋を覗いていた。
アサメが炉のそばに戻った。
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みんな、まだ知らない。
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春の遠征が来ることも。
ミサネの神託も。
サルが笑いながら人を殺すことも。
モモが、シンに「死ぬな」と言ったことも。
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まだ、誰も知らない。
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甘い匂いがした。
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シンは振り向いた。
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集落の外縁に、モモがいた。
昨日と同じ場所。
いや。
昨日より、少し遠い。
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モモはこちらを見ていた。
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「モモ」
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声に出した。
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モモは答えなかった。
でも、消えなかった。
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ただ、じっと見ていた。
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(お前も)
(覚えているのか)
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分からない。
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でも、目が違った。
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炉の火が揺れた。
春の空気が動いた。
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シンは、ゆっくり息を吐いた。
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(第四十九話へ)




