ガキ大将
第四十一話 ガキ大将
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シンの一時就職先は、保育士になった。
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もちろん、この時代に保育士という仕事はない。
資格もない。
試験もない。
名前もない。
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そもそも、子供だけを集めて専門の大人が見る、という形でもない。
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子供は、集落全体で見る。
火の近くにいれば誰かが叱る。
川へ近づけば誰かが呼ぶ。
刃物に触ろうとすれば誰かが手を叩く。
知らない草を口に入れようとすれば、たぶんアサメが目で殺す。
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そういう仕組みだった。
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ただ、その中でシンは、なぜか子供のそばにいる係になった。
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弱い者の失敗に気づく。
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アサメはそう言った。
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タダは、
「子供はすぐ死ぬ。見ていろ」
と言った。
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言い方が怖い。
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だが、意味は分かる。
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子供は、強い。
よく走る。
よく叫ぶ。
よく転ぶ。
よく笑う。
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そして、すぐ危ないことをする。
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火に近づく。
川に近づく。
刃物に触る。
食べられるかどうか分からないものを口に入れようとする。
山鳥を追いかける。
煙の中に突っ込む。
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だいたい昨日見た。
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だから、シンの仕事は「子供のそばにいること」になった。
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それが簡単かと言えば、全然簡単ではなかった。
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なぜなら、炉の集落には悪ガキ三人組がいたからだ。
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トン。
チン。
カン。
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最初に聞いた時、シンは冗談だと思った。
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「本当にその名前なの?」
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三人は同時に胸を張った。
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「トン」
「チン」
「カン」
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順番に言った。
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完璧な間だった。
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「いや、名前というより効果音じゃん」
「こうかおん?」
「叩いた時の音みたいなやつ」
「炉の音だ」
トンが言った。
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「鉄の音」
チンが言った。
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「失敗した時の音」
カンが言った。
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「最後だけ不吉だな」
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三人は笑った。
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トンは一番背が高い。
丸い顔で、声が大きい。
考えるより先に走る。
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チンは目が細い。
手先が器用で、いつの間にか物を持っている。
悪知恵が働く。
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カンは一番小さい。
だが、妙に勘がいい。
危ないものを見つけるのが早い。
そして、一番危ない方向へ行く。
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三人そろって、だいたい問題になる。
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その三人が、シンの周りをぐるぐる回っていた。
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「うろおぼえ」
「川の男」
「保育士」
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「保育士って言ったの誰だ」
「シン」
「それ俺の心の声じゃなかった?」
「聞こえた」
「怖いな」
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トンが木の枝を持って、シンの前に立った。
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「今日、何する」
「俺が決めるの?」
「ガキ大将だから」
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シンは固まった。
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「誰が?」
「シン」
「俺が?」
「うん」
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チンが頷く。
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「弱いけど」
カンが付け足した。
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「ガキ大将って、弱くてもなれるのか」
「煙の時、助けた」
「草には負けたけど」
「鳥にも負けたけど」
「木にも負けたけど」
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「負け星の確認やめてもらっていい?」
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三人は笑った。
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馬鹿にされている。
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たぶん、されている。
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でも、昨日までとは少し違った。
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完全に外の人間を見る目ではない。
変な大人。
弱い大人。
でも、煙の時は助けた大人。
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そのくらいの位置に、シンは置かれていた。
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そして、どうやらその位置は、ガキ大将と呼ばれるらしかった。
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(ガキ大将って、そんな年齢でもないのに……)
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釈然としない。
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だが、悪くはなかった。
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「じゃあ、今日は川へ行く」
シンは言った。
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三人の目が光った。
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「魚?」
「魚」
「獲る?」
「獲る」
「食う?」
「獲れたら」
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トンとチンとカンは同時に走り出した。
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「待て待て待て!」
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シンは慌てて追いかけた。
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ガキ大将初日。
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すでに部下の方が速い。
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山の集落の近くには、小さな沢があった。
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オキの集落の川とは違う。
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細い。
浅い。
石が多い。
水が冷たい。
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山の雪解けが流れ込んでいる。
手を入れると、指がすぐ痛くなる。
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シンは沢の前で立ち止まった。
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「ここで魚を獲るのか」
「いる」
トンが言った。
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「石の下」
チンが言った。
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「逃げる」
カンが言った。
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「情報が断片的すぎる」
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沢には小さな魚がいた。
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川魚だ。
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銀色の細い影が、石の間を走る。
水が澄んでいるので見える。
だが、見えるからといって獲れるわけではない。
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トンが両手を水に突っ込んだ。
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魚が逃げた。
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チンが石で挟もうとした。
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魚が逃げた。
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カンが上流から追い込もうとした。
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魚がいなくなった。
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「お前ら、魚を散らす天才だな」
「シンが獲って」
「ガキ大将」
「仕事」
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「急に責任を押しつけるな」
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シンは沢を見た。
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魚は速い。
手で掴むのは無理だ。
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網があればいい。
でも、今はない。
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罠。
追い込み。
石。
水の流れ。
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何かあった気がする。
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昔、テレビで見たのか。
川遊びで聞いたのか。
サバイバル動画か。
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分からない。
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だが、ウロオボエ様が小さく咳払いをした気がした。
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(石で、細い道を作る……?)
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シンは沢の浅いところを見た。
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「石を並べよう」
「石?」
「魚の道を狭くする」
「魚に道?」
「ある。たぶん」
「たぶん?」
「ウロオボエ様が言ってる」
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三人は顔を見合わせた。
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「うろおぼえさま」
「煙の神?」
「雑な神!」
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「雑な神で覚えるな」
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シンは石を並べた。
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沢の流れを全部塞ぐのではない。
そんなことをすれば、水が濁る。
魚も逃げる。
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流れを少し狭める。
小さな石を積む。
隙間を残す。
下流側に、浅いくぼみを作る。
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正しいかどうかは分からない。
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だが、完全な手探りよりはましだ。
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トンが大きな石を持ってきた。
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「それは大きすぎる」
「強い」
「強いけど、沢が怒る」
「沢、怒る?」
「たぶん」
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チンは小さな石を器用に積んだ。
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「こう?」
「うまい」
「チン、器用だな」
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チンは少し嬉しそうにした。
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カンはじっと水を見ていた。
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「そこ、逃げる」
「どこ」
「そこ」
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カンが指した場所に、確かに隙間があった。
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シンは石を足した。
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「カン、見つけるのうまいな」
「勘がいいから」
「名前通りだな」
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カンは胸を張った。
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しばらくかけて、小さな追い込み場ができた。
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立派なものではない。
石を並べただけだ。
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それでも、水の流れは少し変わった。
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「トン、上からゆっくり来い」
「走る?」
「走るな」
「叫ぶ?」
「叫ぶな」
「魚、びっくりする?」
「俺じゃないんだから、びっくりさせるな」
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トンは慎重に上流へ回った。
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珍しく慎重だった。
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チンは下流で待つ。
カンは横の隙間を見る。
シンはくぼみの前に手を入れた。
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冷たい。
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(ひゃっけぇ……)
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だが、我慢する。
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トンが上流から石を少し動かした。
水が濁る。
魚が一匹、走った。
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石の間を抜ける。
狭い道へ入る。
くぼみへ来る。
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「今!」
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シンは両手で水をすくうようにした。
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魚が跳ねた。
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ぬるっと滑る。
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逃げる。
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だが、チンが横から手を入れた。
カンが石で隙間を塞いだ。
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トンが叫んだ。
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「獲れた!」
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魚が、シンの手の中で暴れていた。
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小さい。
かなり小さい。
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でも、魚だった。
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三人は歓声を上げた。
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「うろおぼえ、すごい!」
「石の道、すごい!」
「シン、ちょっとすごい!」
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「ちょっとなのか」
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シンは魚を見た。
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小さな命が、手の中で跳ねている。
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食べるには小さい。
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「これは逃がそう」
「なんで」
「小さいから」
「食える」
「食えるけど、でかくなってから食おう」
「戻ってくる?」
「たぶん」
「たぶんばっか」
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子供たちは少し不満そうだったが、シンが魚を水へ戻すと、黙って見ていた。
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魚は一瞬止まり、それから石の陰へ消えた。
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カンが言った。
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「また獲る」
「大きくなったらな」
「大きくなったか、どうやって分かる」
「……勘で」
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カンは真剣に頷いた。
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「分かった」
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(今のでいいのか)
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沢の魚獲りは、結局ほとんど食料にはならなかった。
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大きめの魚を二匹だけ獲り、あとは逃がした。
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でも、三人は満足していた。
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石で道を作る。
魚を追い込む。
小さい魚は逃がす。
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それは遊びでもあり、仕事の真似でもあり、暮らしの練習でもあった。
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シンは、少しだけ仕事をした気になった。
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午後、シンは未来知識で遊びを教えた。
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最初に教えようとしたのは、鬼ごっこだった。
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しかし、口に出しかけて止めた。
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鬼。
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その言葉は、ここでは軽く使えない。
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子供たちは普通に使うかもしれない。
遊びの中なら、笑うかもしれない。
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でも、シンにはまだ無理だった。
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ミコの父。
オキの言葉。
イヌの警告。
モモの声。
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鬼。
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その言葉が、もう赤鬼青鬼のものではない。
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「じゃあ、別の遊びにする」
「何?」
「止まったら勝ち」
「動いたら?」
「負け」
「つまらなそう」
「やると意外と面白い」
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シンは地面に線を引いた。
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一人が背を向けて、ゆっくり数える。
その間に、他の者が近づく。
振り向いた時に動いていたら負け。
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だるまさんがころんだ。
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そう言いそうになって、やめた。
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だるまはまだいない。たぶん。
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「火が寝た」
シンは言った。
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三人は首を傾げた。
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「火?」
「火が寝てる間に近づく。火が起きたら止まる」
「火は寝ない」
トンが言った。
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「寝る火もある」
チンが言った。
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「灰の中の火」
カンが言った。
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「そう。それ」
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シンは頷いた。
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適当に言ったつもりだったが、妙にこの集落らしい名前になった。
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火が寝た。
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遊びは、すぐに広まった。
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トンは動きすぎる。
チンはずるい。
カンは止まり方がうまい。
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シンは振り向く役をした。
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「火が寝た、火が寝た、火が——起きた!」
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振り向く。
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トンが片足を上げたまま止まっている。
チンは明らかに一歩動いた。
カンは完全に石になっている。
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「チン、動いた」
「動いてない」
「動いた」
「風」
「風で人は一歩進まない」
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子供たちは笑った。
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何度もやった。
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炉の男たちが少し離れて見ていた。
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最初は呆れていた。
しかし、途中から一人が小さく笑った。
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やがて、年下の子供たちも混ざった。
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シンは完全に遊びの中心にいた。
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ガキ大将。
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その言葉が、少しだけ馴染んできた。
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次に、シンは三すくみの遊びを教えた。
いわゆるジャンケンだ。
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「手で勝負する」
「殴る?」
「殴らない」
「つまらない」
「剣呑な子供だなオイ……」
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シンは手を握った。
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「石」
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指を二本出した。
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「刃」
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手を開いた。
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「葉」
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三人は真似した。
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「石は刃に勝つ。刃は葉に勝つ。葉は石を包む」
「葉、弱そう」
トンが言った。
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「でも包む」
「石、強い」
「でも包まれる」
「刃、痛い」
「でも石に負ける」
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チンはすぐ理解した。
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カンはしばらく手を見ていた。
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「全部、勝つ。全部、負ける」
「そう」
「変」
「それがいい」
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三人は夢中になった。
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「石!」
「刃!」
「葉!」
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勝った負けたで騒ぐ。
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途中から、トンが「岩」を出した。
チンが「槍」を出した。
カンが「山」を出した。
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「増やすな」
「山は全部に勝つ」
「山、強すぎるだろ」
「川なら?」
「川は山を削る」
「火は?」
「葉を燃やす」
「雨は?」
「火に勝つ」
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遊びはすぐ崩壊した。
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だが、かなり盛り上がった。
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最終的に、トンが「タダ」を出した。
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「タダは全部に勝つ」
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全員が納得した。
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シンも納得した。
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少し離れた場所で薪を運んでいたタダだけが、意味が分からない顔をしていた。
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そうやって、数日が過ぎた。
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シンの仕事は、少しずつ増えた。
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水を運ぶ。
子供を見る。
小さい火を見る。
煙が溜まりそうな場所を気にする。
トンが走り出したら止める。
チンが何かを隠したら探す。
カンがじっと見ている場所を確認する。
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薪割りは相変わらず遅い。
鉄はまだ重い。
山菜は怖い。
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だが、シンは少しずつ集落に馴染んでいった。
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子供たちは、もうシンを完全な客扱いしなかった。
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「シン、魚」
「シン、火が寝たやる」
「シン、トンがまた変な石拾った」
「シン、チンが干し肉隠した」
「隠してない」
「口が肉」
「チン、お前……」
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毎日、何かが起きた。
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大きな事件ではない。
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でも、暮らしの中の事件だった。
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シンは疲れた。
かなり疲れた。
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子供を見るのは、狩りより疲れるのではないかと思った。
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少なくとも、獲物は喋らない。
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子供は喋る。
逃げる。
嘘をつく。
泣く。
笑う。
突然、川へ入る。
突然、鳥を追う。
突然、火のそばで踊る。
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それでも、嫌ではなかった。
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むしろ、少し楽しかった。
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シンはそのことに、自分で驚いていた。
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夜になると、くたくたになって炉のそばに座る。
タダが肉をくれる。
アサメが火を見る。
子供たちは少し離れたところで寝落ちする。
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その景色を見ていると、胸の中に何かが積もっていく。
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白い煙ではない。
川の石でもない。
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炉の灰のようなもの。
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熱の残る、静かな灰。
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それが、ここにいる時間の形なのかもしれなかった。
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そして、事件はだいたい、油断した頃に起きる。
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その日、トンが言った。
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「アサメが水浴びに行く」
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シンは魚の骨を取っていた手を止めた。
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「だから?」
「見に行く」
「行くな」
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即答した。
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チンが言った。
⸻
「見つからなければいい」
「そういう問題じゃない」
カンが言った。
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「水の音、聞く」
「聞くな」
「シン、行かないの?」
「行かない」
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三人は顔を見合わせた。
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そして、同時に言った。
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「弱い」
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「その挑発には乗らない」
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シンは立ち上がった。
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「俺は大人だからな。そういうことはしない」
「大人なのに草に負けた」
「大人なのに鳥に負ける」
「大人なのに薪少ない」
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「やめろ。俺の大人性が削られる」
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トンが言った。
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「じゃあ、止めにこいっ!」
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三人は走り出した。
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「あっ、こら!」
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シンは追いかけた。
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この時点で、もう半分負けていた。
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止めるため。
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そう。
止めるためだ。
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覗くためではない。
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断じて違う。
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シンは心の中で何度も言い訳しながら、三人のあとを追った。
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アサメが水浴びをする場所は、集落から少し離れた沢の上流だった。
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岩陰があり、木が茂っている。
外からは見えにくい。
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つまり、覗こうとする者にとっても、見えにくい。
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いや、そういうことではない。
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シンは頭を振った。
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「戻れ」
小声で言った。
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三人は岩の陰にしゃがんでいる。
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「声、大きい」
チンが言った。
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「お前らが悪い」
「シンもいる」
カンが言った。
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「俺は止めに来た」
「同じ場所にいる」
「痛いところを突くな」
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沢の向こうから、水音がした。
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シンは目を逸らした。
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本当に逸らした。
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見る気はない。
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ただ、三人を引っ張って戻るタイミングを探しているだけだ。
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そう言い訳していた。
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トンが、少しだけ岩から顔を出そうとした。
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シンはその頭を押さえた。
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「駄目」
「ちょっと」
「駄目」
「アサメ強いから平気」
「何が平気なんだよ」
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その時だった。
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背後の藪が揺れた。
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ばさっ。
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シンの全身が跳ねた。
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丸い山鳥が、藪から飛び出した。
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トリビックリクンだった。
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なぜここにいる。
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いや、鳥に理由を聞いても仕方ない。
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トリビックリクンは、いつものようにやたら大きな羽音を立てた。
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ばさばさばさっ。
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「うわっ!!」
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シンは叫んだ。
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トンも叫んだ。
チンも叫んだ。
カンは無言で転んだ。
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岩陰から、四人まとめて転がり出た。
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水音が止まった。
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恐ろしい沈黙が降りた。
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シンは地面に伏せたまま、ゆっくり顔を上げた。
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アサメがいた。
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濡れた髪を片手で押さえ、もう片方の手に布を持っている。
体は布で覆われていた。
何も見えていない。
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だが、見えていないから許されるという空気ではなかった。
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アサメの目が、静かだった。
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静かすぎた。
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それが一番怖かった。
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「シン」
「はい」
「何をしている」
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シンは土下座に近い姿勢になった。
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「止めに来ました」
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三人が同時に言った。
⸻
「一緒に来た」
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「裏切りが早い!!」
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アサメはシンを見た。
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「止めたのか」
「止めようとはしました」
「結果は」
「ここにいます」
「そうだな」
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終わった。
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シンはそう思った。
⸻
アサメは布を肩にかけたまま、沢から上がってきた。
⸻
足音が静かだった。
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近づく。
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トン、チン、カンは完全に固まっている。
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シンも固まっている。
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トリビックリクンだけが、少し離れた枝で丸くなっていた。
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原因のくせに、無関係そうな顔をしている。
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(あいつ……)
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アサメは四人の前に立った。
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「見たか」
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トンが首を横に振った。
チンも振った。
カンも振った。
⸻
シンも全力で振った。
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「見てません」
「見てない」
「水だけ」
「鳥」
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カンの答えだけ少し違った。
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アサメは枝の上の山鳥を見た。
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トリビックリクンが、ばさっと羽を揺らした。
⸻
アサメは少しだけ目を細めた。
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「鳥のせいか」
「はい」
シンは即答した。
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「全部ではない」
アサメが言った。
⸻
「はい」
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逃げ場はなかった。
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アサメは言った。
⸻
「タダに言う」
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それは、斬られるより怖かった。
⸻
⸻
タダは何も言わなかった。
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アサメから話を聞いたあと、シンとトンとチンとカンを順番に見た。
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そして、薪置き場を指した。
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「運べ」
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それだけだった。
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罰は、薪運びだった。
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しかも、かなり多い。
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トンが小声で言った。
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「鳥が悪い」
「お前らが悪い」
シンは言った。
⸻
チンが言った。
⸻
「シンも来た」
「止めに来た」
「来た」
「はい」
⸻
カンが言った。
⸻
「ガキ大将だから、一番悪い」
「責任だけ大将扱いするのやめろ」
⸻
タダが薪を持った。
⸻
一度に大量に。
⸻
シンたち四人がそれぞれ抱えた分を、タダは片手で持った。
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「ずるい」
トンが言った。
⸻
「強いだけだ」
タダが言った。
⸻
反論できなかった。
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薪運びはつらかった。
⸻
腕が痛い。
肩が痛い。
足元が滑る。
木の皮が服に引っかかる。
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子供たちは最初こそ文句を言っていたが、途中から競争にした。
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「トン、三」
「チン、四」
「カン、二」
「シン、一」
⸻
「また数字にされてる」
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シンは息を切らしながら薪を運んだ。
⸻
タダは、また数えきれないほど運んでいた。
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罰が終わる頃には、夕方になっていた。
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腕が重い。
足も重い。
背中も痛い。
⸻
だが、不思議と嫌な気分ではなかった。
⸻
トンが地面に座り込んだ。
⸻
「シン」
「何」
「次は、バレないようにする」
「反省の方向が違う」
⸻
チンが言った。
⸻
「鳥を先に見つける」
「そこじゃない」
⸻
カンが言った。
⸻
「アサメは怖い」
「それは正しい」
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四人はしばらく黙った。
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それから、誰からともなく笑った。
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馬鹿みたいな一日だった。
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でも、ちゃんと一日だった。
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シンはそう思った。
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こういう一日が、暮らしなのかもしれない。
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魚を獲って。
遊んで。
怒られて。
罰を受けて。
肉を食べる。
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その繰り返し。
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その繰り返しが、誰かの帰る場所になる。
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夜、シンは炉のそばで肉を食べた。
⸻
腕が痛いので、肉を持つ手が少し震える。
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タダがそれを見て、肉を少し小さく切った。
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「優しい」
「落とすから」
「理由は優しくない」
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アサメは少し離れたところにいた。
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髪はもう乾いている。
いつもの紅い衣を着ている。
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シンは正座に近い姿勢で言った。
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「本日は大変申し訳ございませんでした」
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アサメは肉を食べながら見た。
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「変な言葉だな」
「謝罪の言葉です」
「謝るなら、次は止めろ」
「はい」
「一緒に転がるな」
「はい」
「鳥に負けるな」
「それは難しい」
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アサメは少しだけ口元を動かした。
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笑ったのかもしれない。
⸻
「ガキ大将」
⸻
アサメが言った。
⸻
シンは顔を上げた。
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「何でその言葉を」
「子供が言っていた」
「広まってる……」
「大将なら、先に危ない方へ行け」
⸻
アサメは静かに言った。
⸻
「後ろで命令するな。先に見ろ。先に転べ。先に怒られろ」
「それ、かなり損な役じゃないか」
「そうだ」
「そうなんだ」
「だが、子供はついてくる」
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シンは黙った。
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今日のトン、チン、カンを思い出した。
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魚を獲る時。
遊ぶ時。
水浴びを覗こうとした時。
薪を運ぶ時。
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確かに、ついてきた。
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いや、引きずられたとも言う。
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だが、それでも一緒にいた。
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「俺、向いてるのかな」
「知らん」
「そこは励ましてほしい」
「向いているかは、続ければ分かる」
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アサメは炉を見た。
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「火も、人も、続けなければ分からない」
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シンはその言葉を噛んだ。
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肉と一緒に。
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続けなければ分からない。
⸻
ここで暮らす。
それも、続けなければ分からない。
⸻
その時、甘い匂いがした。
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シンは顔を上げた。
⸻
集落の外れ。
木の陰。
⸻
モモが立っていた。
⸻
白い衣。
黒い髪。
桃色の飾り。
⸻
刀は抜いていない。
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今夜も、見ているだけだった。
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アサメも気づいていた。
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しかし、弓を取らない。
ただ、視線だけを向ける。
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モモは、シンを見ていた。
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「……対象シン」
「うん」
「……幼体群、統率」
「統率ってほどじゃない」
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モモの視線が、少し離れたところで眠りかけているトン、チン、カンへ向いた。
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「……危険行動、多数」
「それはそう」
「……対象シン、危険行動に同行」
「止めに行ったんだよ」
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アサメが言った。
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「一緒に転がった」
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「そこ言わなくていいだろ」
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モモは少し沈黙した。
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「……統率失敗」
「ぐうの音も出ない」
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アサメの口元が、また少し動いた。
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モモは表情を変えない。
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だが、以前より少しだけ、反応が細かい気がした。
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シンは肉を持ち上げた。
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「食う?」
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モモの視線が、肉へ落ちた。
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「……不要」
「またそれか」
「……摂食、不要」
「今日は罰で薪運びしたから、必要だぞ」
「……対象モモに、薪運び該当なし」
「じゃあ見学料」
「……」
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モモは沈黙した。
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アサメがシンを見た。
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「それは何だ」
「見てるだけでも金がかかる、みたいな……いや、金はないけど」
「分からん」
「俺も言ってから違うと思った」
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シンは肉を少し火に近づけた。
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脂が温まり、匂いが強くなる。
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モモの視線が、わずかに動いた。
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肉ではなく。
煙へ。
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その動きに、シンは気づいた。
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「煙を確認してるな」
「……確認」
「肉の煙だぞ」
「……煙」
「肉の煙」
「……煙」
「粘るなぁ」
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アサメが立ち上がった。
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モモの方へ、一歩だけ近づく。
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空気が少し変わった。
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戦う空気ではない。
だが、山の者が外の者を見る空気だった。
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「桃色」
アサメが言った。
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モモはアサメを見た。
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「……対象アサメ」
「シンを斬るのか」
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直球だった。
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シンは少し息を止めた。
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モモは沈黙した。
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長い。
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前より長い沈黙だった。
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「……即時討伐、停止中」
「今は斬らないのか」
「……保留中」
「なら、見ていろ」
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アサメはそう言った。
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「ここで、こいつが何をするのか」
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シンはアサメを見た。
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アサメはモモを見ている。
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「子供と転ぶ。鳥に負ける。草に負ける。煙には少し勝つ。薪は遅い。だが、見る」
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ひどい評価だった。
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だが、不思議と嫌ではなかった。
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「見て、決めろ」
アサメが言った。
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モモは何も答えなかった。
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ただ、シンを見た。
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炉の火が揺れた。
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肉の煙が上がった。
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トンが寝言で何か言った。
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「タダは全部に勝つ……」
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シンは思わず笑いそうになった。
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アサメも少しだけ目を細めた。
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モモは、その寝言の意味を処理できなかったのか、わずかに首を傾けた。
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「……タダ」
「全部に勝つらしい」
「……照合不能」
「だろうな」
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夜の山に、少しだけ笑いが残った。
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モモは消えなかった。
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アサメも弓を取らなかった。
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シンは肉を食べた。
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腕は痛い。
足も疲れている。
今日もかなり怒られた。
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でも、ここにいる感じがした。
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トン、チン、カン。
タダ。
アサメ。
トリビックリクン。
そして、木陰のモモ。
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妙な集まりだった。
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まとまりなんてない。
危険もある。
春にはヤマトが来る。
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それでも。
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この夜の炉の周りには、少しだけ居場所があった。
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シンはそのことを、肉の熱と一緒に飲み込んだ。
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(第四十二話へ)




