表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
41/62

ガキ大将

第四十一話 ガキ大将



 シンの一時就職先は、保育士になった。



 もちろん、この時代に保育士という仕事はない。


 資格もない。


 試験もない。


 名前もない。



 そもそも、子供だけを集めて専門の大人が見る、という形でもない。



 子供は、集落全体で見る。


 火の近くにいれば誰かが叱る。


 川へ近づけば誰かが呼ぶ。


 刃物に触ろうとすれば誰かが手を叩く。


 知らない草を口に入れようとすれば、たぶんアサメが目で殺す。



 そういう仕組みだった。



 ただ、その中でシンは、なぜか子供のそばにいる係になった。



 弱い者の失敗に気づく。



 アサメはそう言った。



 タダは、


「子供はすぐ死ぬ。見ていろ」


 と言った。



 言い方が怖い。



 だが、意味は分かる。



 子供は、強い。


 よく走る。


 よく叫ぶ。


 よく転ぶ。


 よく笑う。



 そして、すぐ危ないことをする。



 火に近づく。


 川に近づく。


 刃物に触る。


 食べられるかどうか分からないものを口に入れようとする。


 山鳥を追いかける。


 煙の中に突っ込む。



 だいたい昨日見た。



 だから、シンの仕事は「子供のそばにいること」になった。



 それが簡単かと言えば、全然簡単ではなかった。



 なぜなら、炉の集落には悪ガキ三人組がいたからだ。



 トン。


 チン。


 カン。



 最初に聞いた時、シンは冗談だと思った。



「本当にその名前なの?」



 三人は同時に胸を張った。



「トン」


「チン」


「カン」



 順番に言った。



 完璧な間だった。



「いや、名前というより効果音じゃん」


「こうかおん?」


「叩いた時の音みたいなやつ」


「炉の音だ」


 トンが言った。



「鉄の音」


 チンが言った。



「失敗した時の音」


 カンが言った。



「最後だけ不吉だな」



 三人は笑った。



 トンは一番背が高い。


 丸い顔で、声が大きい。


 考えるより先に走る。



 チンは目が細い。


 手先が器用で、いつの間にか物を持っている。


 悪知恵が働く。



 カンは一番小さい。


 だが、妙に勘がいい。


 危ないものを見つけるのが早い。


 そして、一番危ない方向へ行く。



 三人そろって、だいたい問題になる。



 その三人が、シンの周りをぐるぐる回っていた。



「うろおぼえ」


「川の男」


「保育士」



「保育士って言ったの誰だ」


「シン」


「それ俺の心の声じゃなかった?」


「聞こえた」


「怖いな」



 トンが木の枝を持って、シンの前に立った。



「今日、何する」


「俺が決めるの?」


「ガキ大将だから」



 シンは固まった。



「誰が?」


「シン」


「俺が?」


「うん」



 チンが頷く。



「弱いけど」


 カンが付け足した。



「ガキ大将って、弱くてもなれるのか」


「煙の時、助けた」


「草には負けたけど」


「鳥にも負けたけど」


「木にも負けたけど」



「負け星の確認やめてもらっていい?」



 三人は笑った。



 馬鹿にされている。



 たぶん、されている。



 でも、昨日までとは少し違った。



 完全に外の人間を見る目ではない。


 変な大人。


 弱い大人。


 でも、煙の時は助けた大人。



 そのくらいの位置に、シンは置かれていた。



 そして、どうやらその位置は、ガキ大将と呼ばれるらしかった。



(ガキ大将って、そんな年齢でもないのに……)



 釈然としない。



 だが、悪くはなかった。



「じゃあ、今日は川へ行く」


 シンは言った。



 三人の目が光った。



「魚?」


「魚」


「獲る?」


「獲る」


「食う?」


「獲れたら」



 トンとチンとカンは同時に走り出した。



「待て待て待て!」



 シンは慌てて追いかけた。



 ガキ大将初日。



 すでに部下の方が速い。




 山の集落の近くには、小さな沢があった。



 オキの集落の川とは違う。



 細い。


 浅い。


 石が多い。


 水が冷たい。



 山の雪解けが流れ込んでいる。


 手を入れると、指がすぐ痛くなる。



 シンは沢の前で立ち止まった。



「ここで魚を獲るのか」


「いる」


 トンが言った。



「石の下」


 チンが言った。



「逃げる」


 カンが言った。



「情報が断片的すぎる」



 沢には小さな魚がいた。



 川魚だ。



 銀色の細い影が、石の間を走る。


 水が澄んでいるので見える。


 だが、見えるからといって獲れるわけではない。



 トンが両手を水に突っ込んだ。



 魚が逃げた。



 チンが石で挟もうとした。



 魚が逃げた。



 カンが上流から追い込もうとした。



 魚がいなくなった。



「お前ら、魚を散らす天才だな」


「シンが獲って」


「ガキ大将」


「仕事」



「急に責任を押しつけるな」



 シンは沢を見た。



 魚は速い。


 手で掴むのは無理だ。



 網があればいい。


 でも、今はない。



 罠。


 追い込み。


 石。


 水の流れ。



 何かあった気がする。



 昔、テレビで見たのか。


 川遊びで聞いたのか。


 サバイバル動画か。



 分からない。



 だが、ウロオボエ様が小さく咳払いをした気がした。



(石で、細い道を作る……?)



 シンは沢の浅いところを見た。



「石を並べよう」


「石?」


「魚の道を狭くする」


「魚に道?」


「ある。たぶん」


「たぶん?」


「ウロオボエ様が言ってる」



 三人は顔を見合わせた。



「うろおぼえさま」


「煙の神?」


「雑な神!」



「雑な神で覚えるな」



 シンは石を並べた。



 沢の流れを全部塞ぐのではない。


 そんなことをすれば、水が濁る。


 魚も逃げる。



 流れを少し狭める。


 小さな石を積む。


 隙間を残す。


 下流側に、浅いくぼみを作る。



 正しいかどうかは分からない。



 だが、完全な手探りよりはましだ。



 トンが大きな石を持ってきた。



「それは大きすぎる」


「強い」


「強いけど、沢が怒る」


「沢、怒る?」


「たぶん」



 チンは小さな石を器用に積んだ。



「こう?」


「うまい」


「チン、器用だな」



 チンは少し嬉しそうにした。



 カンはじっと水を見ていた。



「そこ、逃げる」


「どこ」


「そこ」



 カンが指した場所に、確かに隙間があった。



 シンは石を足した。



「カン、見つけるのうまいな」


「勘がいいから」


「名前通りだな」



 カンは胸を張った。



 しばらくかけて、小さな追い込み場ができた。



 立派なものではない。


 石を並べただけだ。



 それでも、水の流れは少し変わった。



「トン、上からゆっくり来い」


「走る?」


「走るな」


「叫ぶ?」


「叫ぶな」


「魚、びっくりする?」


「俺じゃないんだから、びっくりさせるな」



 トンは慎重に上流へ回った。



 珍しく慎重だった。



 チンは下流で待つ。


 カンは横の隙間を見る。


 シンはくぼみの前に手を入れた。



 冷たい。



(ひゃっけぇ……)



 だが、我慢する。



 トンが上流から石を少し動かした。


 水が濁る。


 魚が一匹、走った。



 石の間を抜ける。


 狭い道へ入る。


 くぼみへ来る。



「今!」



 シンは両手で水をすくうようにした。



 魚が跳ねた。



 ぬるっと滑る。



 逃げる。



 だが、チンが横から手を入れた。


 カンが石で隙間を塞いだ。



 トンが叫んだ。



「獲れた!」



 魚が、シンの手の中で暴れていた。



 小さい。


 かなり小さい。



 でも、魚だった。



 三人は歓声を上げた。



「うろおぼえ、すごい!」


「石の道、すごい!」


「シン、ちょっとすごい!」



「ちょっとなのか」



 シンは魚を見た。



 小さな命が、手の中で跳ねている。



 食べるには小さい。



「これは逃がそう」


「なんで」


「小さいから」


「食える」


「食えるけど、でかくなってから食おう」


「戻ってくる?」


「たぶん」


「たぶんばっか」



 子供たちは少し不満そうだったが、シンが魚を水へ戻すと、黙って見ていた。



 魚は一瞬止まり、それから石の陰へ消えた。



 カンが言った。



「また獲る」


「大きくなったらな」


「大きくなったか、どうやって分かる」


「……勘で」



 カンは真剣に頷いた。



「分かった」



(今のでいいのか)



 沢の魚獲りは、結局ほとんど食料にはならなかった。



 大きめの魚を二匹だけ獲り、あとは逃がした。



 でも、三人は満足していた。



 石で道を作る。


 魚を追い込む。


 小さい魚は逃がす。



 それは遊びでもあり、仕事の真似でもあり、暮らしの練習でもあった。



 シンは、少しだけ仕事をした気になった。




 午後、シンは未来知識で遊びを教えた。



 最初に教えようとしたのは、鬼ごっこだった。



 しかし、口に出しかけて止めた。



 鬼。



 その言葉は、ここでは軽く使えない。



 子供たちは普通に使うかもしれない。


 遊びの中なら、笑うかもしれない。



 でも、シンにはまだ無理だった。



 ミコの父。


 オキの言葉。


 イヌの警告。


 モモの声。



 鬼。



 その言葉が、もう赤鬼青鬼のものではない。



「じゃあ、別の遊びにする」


「何?」


「止まったら勝ち」


「動いたら?」


「負け」


「つまらなそう」


「やると意外と面白い」



 シンは地面に線を引いた。



 一人が背を向けて、ゆっくり数える。


 その間に、他の者が近づく。


 振り向いた時に動いていたら負け。



 だるまさんがころんだ。



 そう言いそうになって、やめた。



 だるまはまだいない。たぶん。



「火が寝た」


 シンは言った。



 三人は首を傾げた。



「火?」


「火が寝てる間に近づく。火が起きたら止まる」


「火は寝ない」


 トンが言った。



「寝る火もある」


 チンが言った。



「灰の中の火」


 カンが言った。



「そう。それ」



 シンは頷いた。



 適当に言ったつもりだったが、妙にこの集落らしい名前になった。



 火が寝た。



 遊びは、すぐに広まった。



 トンは動きすぎる。


 チンはずるい。


 カンは止まり方がうまい。



 シンは振り向く役をした。



「火が寝た、火が寝た、火が——起きた!」



 振り向く。



 トンが片足を上げたまま止まっている。


 チンは明らかに一歩動いた。


 カンは完全に石になっている。



「チン、動いた」


「動いてない」


「動いた」


「風」


「風で人は一歩進まない」



 子供たちは笑った。



 何度もやった。



 炉の男たちが少し離れて見ていた。



 最初は呆れていた。


 しかし、途中から一人が小さく笑った。



 やがて、年下の子供たちも混ざった。



 シンは完全に遊びの中心にいた。



 ガキ大将。



 その言葉が、少しだけ馴染んできた。



 次に、シンは三すくみの遊びを教えた。


 いわゆるジャンケンだ。



「手で勝負する」


「殴る?」


「殴らない」


「つまらない」


「剣呑な子供だなオイ……」



 シンは手を握った。



「石」



 指を二本出した。



「刃」



 手を開いた。



「葉」



 三人は真似した。



「石は刃に勝つ。刃は葉に勝つ。葉は石を包む」


「葉、弱そう」


 トンが言った。



「でも包む」


「石、強い」


「でも包まれる」


「刃、痛い」


「でも石に負ける」



 チンはすぐ理解した。



 カンはしばらく手を見ていた。



「全部、勝つ。全部、負ける」


「そう」


「変」


「それがいい」



 三人は夢中になった。



「石!」


「刃!」


「葉!」



 勝った負けたで騒ぐ。



 途中から、トンが「岩」を出した。


 チンが「槍」を出した。


 カンが「山」を出した。



「増やすな」


「山は全部に勝つ」


「山、強すぎるだろ」


「川なら?」


「川は山を削る」


「火は?」


「葉を燃やす」


「雨は?」


「火に勝つ」



 遊びはすぐ崩壊した。



 だが、かなり盛り上がった。



 最終的に、トンが「タダ」を出した。



「タダは全部に勝つ」



 全員が納得した。



 シンも納得した。



 少し離れた場所で薪を運んでいたタダだけが、意味が分からない顔をしていた。




 そうやって、数日が過ぎた。



 シンの仕事は、少しずつ増えた。



 水を運ぶ。


 子供を見る。


 小さい火を見る。


 煙が溜まりそうな場所を気にする。


 トンが走り出したら止める。


 チンが何かを隠したら探す。


 カンがじっと見ている場所を確認する。



 薪割りは相変わらず遅い。


 鉄はまだ重い。


 山菜は怖い。



 だが、シンは少しずつ集落に馴染んでいった。



 子供たちは、もうシンを完全な客扱いしなかった。



「シン、魚」


「シン、火が寝たやる」


「シン、トンがまた変な石拾った」


「シン、チンが干し肉隠した」


「隠してない」


「口が肉」


「チン、お前……」



 毎日、何かが起きた。



 大きな事件ではない。



 でも、暮らしの中の事件だった。



 シンは疲れた。


 かなり疲れた。



 子供を見るのは、狩りより疲れるのではないかと思った。



 少なくとも、獲物は喋らない。



 子供は喋る。


 逃げる。


 嘘をつく。


 泣く。


 笑う。


 突然、川へ入る。


 突然、鳥を追う。


 突然、火のそばで踊る。



 それでも、嫌ではなかった。



 むしろ、少し楽しかった。



 シンはそのことに、自分で驚いていた。



 夜になると、くたくたになって炉のそばに座る。


 タダが肉をくれる。


 アサメが火を見る。


 子供たちは少し離れたところで寝落ちする。



 その景色を見ていると、胸の中に何かが積もっていく。



 白い煙ではない。


 川の石でもない。



 炉の灰のようなもの。



 熱の残る、静かな灰。



 それが、ここにいる時間の形なのかもしれなかった。



 そして、事件はだいたい、油断した頃に起きる。




 その日、トンが言った。



「アサメが水浴びに行く」



 シンは魚の骨を取っていた手を止めた。



「だから?」


「見に行く」


「行くな」



 即答した。



 チンが言った。



「見つからなければいい」


「そういう問題じゃない」


 カンが言った。



「水の音、聞く」


「聞くな」


「シン、行かないの?」


「行かない」



 三人は顔を見合わせた。



 そして、同時に言った。



「弱い」



「その挑発には乗らない」



 シンは立ち上がった。



「俺は大人だからな。そういうことはしない」


「大人なのに草に負けた」


「大人なのに鳥に負ける」


「大人なのに薪少ない」



「やめろ。俺の大人性が削られる」



 トンが言った。



「じゃあ、止めにこいっ!」



 三人は走り出した。



「あっ、こら!」



 シンは追いかけた。



 この時点で、もう半分負けていた。



 止めるため。



 そう。


 止めるためだ。



 覗くためではない。



 断じて違う。



 シンは心の中で何度も言い訳しながら、三人のあとを追った。



 アサメが水浴びをする場所は、集落から少し離れた沢の上流だった。



 岩陰があり、木が茂っている。


 外からは見えにくい。



 つまり、覗こうとする者にとっても、見えにくい。



 いや、そういうことではない。



 シンは頭を振った。



「戻れ」


 小声で言った。



 三人は岩の陰にしゃがんでいる。



「声、大きい」


 チンが言った。



「お前らが悪い」


「シンもいる」


 カンが言った。



「俺は止めに来た」


「同じ場所にいる」


「痛いところを突くな」



 沢の向こうから、水音がした。



 シンは目を逸らした。



 本当に逸らした。



 見る気はない。



 ただ、三人を引っ張って戻るタイミングを探しているだけだ。



 そう言い訳していた。



 トンが、少しだけ岩から顔を出そうとした。



 シンはその頭を押さえた。



「駄目」


「ちょっと」


「駄目」


「アサメ強いから平気」


「何が平気なんだよ」



 その時だった。



 背後の藪が揺れた。



 ばさっ。



 シンの全身が跳ねた。



 丸い山鳥が、藪から飛び出した。



 トリビックリクンだった。



 なぜここにいる。



 いや、鳥に理由を聞いても仕方ない。



 トリビックリクンは、いつものようにやたら大きな羽音を立てた。



 ばさばさばさっ。



「うわっ!!」



 シンは叫んだ。



 トンも叫んだ。


 チンも叫んだ。


 カンは無言で転んだ。



 岩陰から、四人まとめて転がり出た。



 水音が止まった。



 恐ろしい沈黙が降りた。



 シンは地面に伏せたまま、ゆっくり顔を上げた。



 アサメがいた。



 濡れた髪を片手で押さえ、もう片方の手に布を持っている。


 体は布で覆われていた。


 何も見えていない。



 だが、見えていないから許されるという空気ではなかった。



 アサメの目が、静かだった。



 静かすぎた。



 それが一番怖かった。



「シン」


「はい」


「何をしている」



 シンは土下座に近い姿勢になった。



「止めに来ました」



 三人が同時に言った。



「一緒に来た」



「裏切りが早い!!」



 アサメはシンを見た。



「止めたのか」


「止めようとはしました」


「結果は」


「ここにいます」


「そうだな」



 終わった。



 シンはそう思った。



 アサメは布を肩にかけたまま、沢から上がってきた。



 足音が静かだった。



 近づく。



 トン、チン、カンは完全に固まっている。



 シンも固まっている。



 トリビックリクンだけが、少し離れた枝で丸くなっていた。



 原因のくせに、無関係そうな顔をしている。



(あいつ……)



 アサメは四人の前に立った。



「見たか」



 トンが首を横に振った。


 チンも振った。


 カンも振った。



 シンも全力で振った。



「見てません」


「見てない」


「水だけ」


「鳥」



 カンの答えだけ少し違った。



 アサメは枝の上の山鳥を見た。



 トリビックリクンが、ばさっと羽を揺らした。



 アサメは少しだけ目を細めた。



「鳥のせいか」


「はい」


 シンは即答した。



「全部ではない」


 アサメが言った。



「はい」



 逃げ場はなかった。



 アサメは言った。



「タダに言う」



 それは、斬られるより怖かった。




 タダは何も言わなかった。



 アサメから話を聞いたあと、シンとトンとチンとカンを順番に見た。



 そして、薪置き場を指した。



「運べ」



 それだけだった。



 罰は、薪運びだった。



 しかも、かなり多い。



 トンが小声で言った。



「鳥が悪い」


「お前らが悪い」


 シンは言った。



 チンが言った。



「シンも来た」


「止めに来た」


「来た」


「はい」



 カンが言った。



「ガキ大将だから、一番悪い」


「責任だけ大将扱いするのやめろ」



 タダが薪を持った。



 一度に大量に。



 シンたち四人がそれぞれ抱えた分を、タダは片手で持った。



「ずるい」


 トンが言った。



「強いだけだ」


 タダが言った。



 反論できなかった。



 薪運びはつらかった。



 腕が痛い。


 肩が痛い。


 足元が滑る。


 木の皮が服に引っかかる。



 子供たちは最初こそ文句を言っていたが、途中から競争にした。



「トン、三」


「チン、四」


「カン、二」


「シン、一」



「また数字にされてる」



 シンは息を切らしながら薪を運んだ。



 タダは、また数えきれないほど運んでいた。



 罰が終わる頃には、夕方になっていた。



 腕が重い。


 足も重い。


 背中も痛い。



 だが、不思議と嫌な気分ではなかった。



 トンが地面に座り込んだ。



「シン」


「何」


「次は、バレないようにする」


「反省の方向が違う」



 チンが言った。



「鳥を先に見つける」


「そこじゃない」



 カンが言った。



「アサメは怖い」


「それは正しい」



 四人はしばらく黙った。



 それから、誰からともなく笑った。



 馬鹿みたいな一日だった。



 でも、ちゃんと一日だった。



 シンはそう思った。



 こういう一日が、暮らしなのかもしれない。



 魚を獲って。


 遊んで。


 怒られて。


 罰を受けて。


 肉を食べる。



 その繰り返し。



 その繰り返しが、誰かの帰る場所になる。



 夜、シンは炉のそばで肉を食べた。



 腕が痛いので、肉を持つ手が少し震える。



 タダがそれを見て、肉を少し小さく切った。



「優しい」


「落とすから」


「理由は優しくない」



 アサメは少し離れたところにいた。



 髪はもう乾いている。


 いつもの紅い衣を着ている。



 シンは正座に近い姿勢で言った。



「本日は大変申し訳ございませんでした」



 アサメは肉を食べながら見た。



「変な言葉だな」


「謝罪の言葉です」


「謝るなら、次は止めろ」


「はい」


「一緒に転がるな」


「はい」


「鳥に負けるな」


「それは難しい」



 アサメは少しだけ口元を動かした。



 笑ったのかもしれない。



「ガキ大将」



 アサメが言った。



 シンは顔を上げた。



「何でその言葉を」


「子供が言っていた」


「広まってる……」


「大将なら、先に危ない方へ行け」



 アサメは静かに言った。



「後ろで命令するな。先に見ろ。先に転べ。先に怒られろ」


「それ、かなり損な役じゃないか」


「そうだ」


「そうなんだ」


「だが、子供はついてくる」



 シンは黙った。



 今日のトン、チン、カンを思い出した。



 魚を獲る時。


 遊ぶ時。


 水浴びを覗こうとした時。


 薪を運ぶ時。



 確かに、ついてきた。



 いや、引きずられたとも言う。



 だが、それでも一緒にいた。



「俺、向いてるのかな」


「知らん」


「そこは励ましてほしい」


「向いているかは、続ければ分かる」



 アサメは炉を見た。



「火も、人も、続けなければ分からない」



 シンはその言葉を噛んだ。



 肉と一緒に。



 続けなければ分からない。



 ここで暮らす。


 それも、続けなければ分からない。



 その時、甘い匂いがした。



 シンは顔を上げた。



 集落の外れ。


 木の陰。



 モモが立っていた。



 白い衣。


 黒い髪。


 桃色の飾り。



 刀は抜いていない。



 今夜も、見ているだけだった。



 アサメも気づいていた。



 しかし、弓を取らない。


 ただ、視線だけを向ける。



 モモは、シンを見ていた。



「……対象シン」


「うん」


「……幼体群、統率」


「統率ってほどじゃない」



 モモの視線が、少し離れたところで眠りかけているトン、チン、カンへ向いた。



「……危険行動、多数」


「それはそう」


「……対象シン、危険行動に同行」


「止めに行ったんだよ」



 アサメが言った。



「一緒に転がった」



「そこ言わなくていいだろ」



 モモは少し沈黙した。



「……統率失敗」


「ぐうの音も出ない」



 アサメの口元が、また少し動いた。



 モモは表情を変えない。



 だが、以前より少しだけ、反応が細かい気がした。



 シンは肉を持ち上げた。



「食う?」



 モモの視線が、肉へ落ちた。



「……不要」


「またそれか」


「……摂食、不要」


「今日は罰で薪運びしたから、必要だぞ」


「……対象モモに、薪運び該当なし」


「じゃあ見学料」


「……」



 モモは沈黙した。



 アサメがシンを見た。



「それは何だ」


「見てるだけでも金がかかる、みたいな……いや、金はないけど」


「分からん」


「俺も言ってから違うと思った」



 シンは肉を少し火に近づけた。



 脂が温まり、匂いが強くなる。



 モモの視線が、わずかに動いた。



 肉ではなく。


 煙へ。



 その動きに、シンは気づいた。



「煙を確認してるな」


「……確認」


「肉の煙だぞ」


「……煙」


「肉の煙」


「……煙」


「粘るなぁ」



 アサメが立ち上がった。



 モモの方へ、一歩だけ近づく。



 空気が少し変わった。



 戦う空気ではない。


 だが、山の者が外の者を見る空気だった。



「桃色」


 アサメが言った。



 モモはアサメを見た。



「……対象アサメ」


「シンを斬るのか」



 直球だった。



 シンは少し息を止めた。



 モモは沈黙した。



 長い。



 前より長い沈黙だった。



「……即時討伐、停止中」


「今は斬らないのか」


「……保留中」


「なら、見ていろ」



 アサメはそう言った。



「ここで、こいつが何をするのか」



 シンはアサメを見た。



 アサメはモモを見ている。



「子供と転ぶ。鳥に負ける。草に負ける。煙には少し勝つ。薪は遅い。だが、見る」



 ひどい評価だった。



 だが、不思議と嫌ではなかった。



「見て、決めろ」


 アサメが言った。



 モモは何も答えなかった。



 ただ、シンを見た。



 炉の火が揺れた。



 肉の煙が上がった。



 トンが寝言で何か言った。



「タダは全部に勝つ……」



 シンは思わず笑いそうになった。



 アサメも少しだけ目を細めた。



 モモは、その寝言の意味を処理できなかったのか、わずかに首を傾けた。



「……タダ」


「全部に勝つらしい」


「……照合不能」


「だろうな」



 夜の山に、少しだけ笑いが残った。



 モモは消えなかった。



 アサメも弓を取らなかった。



 シンは肉を食べた。



 腕は痛い。


 足も疲れている。


 今日もかなり怒られた。



 でも、ここにいる感じがした。



 トン、チン、カン。


 タダ。


 アサメ。


 トリビックリクン。


 そして、木陰のモモ。



 妙な集まりだった。



 まとまりなんてない。


 危険もある。


 春にはヤマトが来る。



 それでも。



 この夜の炉の周りには、少しだけ居場所があった。



 シンはそのことを、肉の熱と一緒に飲み込んだ。



(第四十二話へ)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ