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白い煙

第三十六話 白い煙



 川沿いの集落は、思ったより静かだった。



 近づくほど、煙の白さが際立った。


 アサメの集落の炉煙とは、まるで違う。


 あちらの煙は重く、黒く、鉄と炭の匂いがした。


 山の奥で生まれた火の匂いだ。


 こちらの煙は軽い。


 白く細く、空へまっすぐ昇っていく。


 風が吹いても、すぐには崩れない。


 煙そのものが、どこへ向かうか決めているみたいだった。



(何を燃やしているんだ)



 木の陰から、シンは集落を見た。


 家は三つか四つ。


 アサメの集落よりさらに小さい。


 川に寄り添うように建っている。


 雪はまだ残っていたが、川辺だけは少し溶けていた。


 水が生きているからだ。


 冬なのに、流れが死んでいない。



 水音が絶えず聞こえていた。


 遠くで鳴る風の音より近い。


 静かなのに、止まらない音だった。



 老人が一人、川辺に座っていた。


 目を閉じている。


 眠っているようにも見えるし、水音を聞いているようにも見える。



 そばでは、子供が石を拾っていた。


 六つか七つくらいだろう。


 丸い石を選んでは、水へ投げる。


 ぽちゃん。


 また拾う。


 ぽちゃん。



(コトを思い出すな)



 前の時代にも、こういう子がいた。


 川へ飛び込み、泥だらけになって、綺麗な石を見つけたと笑っていた。


 もう、記憶の中にしかいない。


 でも、こういう景色を見ると急に近くなる。


 時代が変わっても、子供は石を拾う。


 変わらないものは、意外と多い。



 シンは両手を上げながら、木陰から出た。


 老人が目を開けた。


 子供も動きを止めた。


 手の中の石を握ったまま、こちらを見ている。



「……外から来たか」


「そうです。害はないです!」


「害のある者も、そう言う」


「む、むむぅ…!」



 老人は少しだけ笑った。


 皺の深い顔だった。


 だが、笑い慣れている皺だった。



「何用だ」


「煙が見えた。何をしているのか気になって」


「煙が、か」


「白かったので」



 老人は立ち上がった。


 細い足だった。


 だが、不思議と揺れない。



「見るか」


「いいのか」


「隠すものでもない」



 老人について歩いた。


 子供も少し後ろからついてくる。


 近づきすぎず、離れすぎず。


 シンが振り返ると、子供は慌てて目を逸らした。



(警戒されてるなぁ)



 集落の奥に、少し開けた場所があった。


 石が円く並べられている。


 炉ではない。


 もっと静かな火だ。


 薄い石板の上に、白い骨が置かれていた。



 人の骨だった。



 火で乾かされ、白い煙が細く立ち上っている。


 煙は鉄の煙みたいに空を汚さなかった。


 雪解けの空気に混ざって、静かに上へ昇っていく。



「……弔い」


「そうだ」


「骨を焼くんですね」


「焼くというより、返す準備じゃな」


「返す?」


「煙で清め、川へ返す。川は山へ戻る」



 シンは骨を見た。


 前の時代の老婆の言葉を思い出す。


 返るものだけが、巡る。


 借りたものは、返る。



(ここでも同じなんだな)



 川は流れる。


 雪になる。


 山へ戻る。


 死者も同じ。


 ここでは、そう考えている。



「弔っているのは近しい方ですか」



 老人は少し黙った。



「仲間だ」


「そうですか…」


「討たれた」


「……誰に」


「白いのが来た」



 シンの呼吸が少し止まった。



「桃色の、女…」


「そう呼ぶ者もおる。ヤマトの鬼討ちじゃ」


「なぜ討たれたのです」


「鬼だったから、と」


「鬼……」



 老人は川を見た。


 流れを見ていた。



「儂には分からん。ただ、ここで生きておった。それだけだ」


「ヤマトに従わなかったから、鬼になったのか」


「従う、という意味もよく分からんかった。使いが来た。鉄を渡せ、と。それを断った。」



 鉄。



 シンはそこで、アサメの言葉を思い出した。


 鉄を別の目的で使う人間がいる。



(そういうことか)



 ここは、山で作られた鉄を扱う集落なのだ。


 鍛冶場ではない。


 武器を量産しているわけでもない。


 だが、川と海を繋ぐ流れの中で、鉄を運び、交換し、渡している。


 だからヤマトが来る。


 鉄は、そのまま力になる。



「鉄を扱っているんですね」


「少しな」


「山から来るんですか」


「山からも来る。海へも流す。塩や魚と換える」


「それをヤマトが欲しがった」


「欲しがったというより、止めたがった」



 老人は白い煙を見上げた。



「鉄は、人を集める。人が集まれば、ヤマトは境界を作る」



 シンは黙った。



(外を作るために、鬼がいる)



 アサメの言葉が重なる。


 ここは、ただ鉄を扱っていた。


 ただ生きていた。


 それだけなのに、ヤマトから見れば“外”になる。



 子供がシンの服を引いた。



「シン」


「え、俺の名前知ってるのか」


「ナギが言ってた」


「ナギ?」


「すこし前に来た。変な人が来るかもしれないから、親切にしろって」



(アサメか)



 ナギ経由で伝えていたらしい。


 あいつ、本当にあちこち動いてるな。



「しかし、変な人て」


「変なの?」


「……まあ、変だなぁ」



 子供は石を差し出した。



「これ、やる」


「なんで」


「きれいだから」



 受け取る。


 川で削られた滑らかな石だった。


 緑がかっている。


 宝石ではない。


 ただの川石だ。


 でも、水の光を含んでいた。



「ありがとう」


「うん」



 子供は満足そうに頷き、また川へ戻っていった。


 石を投げる。


 ぽちゃん。


 波紋が広がる。


 すぐ流れに崩れる。



 老人が言った。



「あの子の父親が、討たれた」



 シンは石を握ったまま黙った。



「……知らなかった」


「知らんでよい。あの子は知っとる。それで足りる」


「足りる?」


「生きておる者は、生きる。それだけじゃ」



 子供は笑っていた。


 父親の骨が煙になっている、そのすぐそばで。


 それが残酷なのか、自然なのか、シンには分からなかった。


 でも、ここではそれが当たり前なのだと思った。



 甘い匂いがした。



 雪でも、川でも、煙でもない。


 桃の匂い。



 シンは川の向こうを見た。


 モモがいた。



 向こう岸に立っていた。


 薄桃の衣。


 黒髪。


 白い雪と白い煙の間に、そこだけ淡い色がある。



 刃は抜かれていない。



 モモは最初、シンを見ていなかった。


 骨を見ていた。


 煙を見ていた。


 川を見ていた。


 それから子供。


 最後に、シン。



(見てる)



 討伐対象を見る目ではない。


 何かを照合している。


 だが、答えが出ない。


 そんな目だった。



 子供がまた石を投げた。


 ぽちゃん。


 モモの視線が少し動いた。


 ほんの少しだけ。


 子供へ。


 煙へ。


 そしてまた、シンへ戻る。



 揺れてはいない。


 でも、止まっていた。


 完全に。



 老人が隣で言った。



「あの白いのは、一度ここへ来た」


「仲間を討った時か」


「そうじゃ」


「その時も、あんな感じだったのか」


「いや。もっと速かった。川を渡る前に終わっておった」


「……」


「だが、最後に迷った」



 シンは老人を見た。



「迷ったと分かるのか」


「年を取ると、人の目くらいは分かる」


「あいつも、人に見えたのか」


「人でなければ、迷わん」



 老人はそう言って、また骨の方へ戻った。


 白い煙が空へ昇る。


 川が流れる。


 子供が石を投げる。


 向こう岸にはモモが立っている。



(止まってる)



 アサメの言葉を思い出す。


 止まるのは、何かがあるということだ。



 モモは今、骨を見ている。


 鬼と呼ばれた者の死を見ている。


 子供を見ている。


 残された者を見ている。



 それでも、鬼と呼べるのか。



 シンには分からない。


 モモにも、分からないのかもしれなかった。



 白い煙だけが、空へ真っ直ぐ昇っていた。



(第三十七話へ)

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