山の声
第三十二話 山の声
⸻
アサメの集落は、山の中腹にあった。
⸻
道があるようで、ない。
岩と木の根の間を縫うように歩く。
足を引きずっていると、タダが黙って肩を貸した。
重い。
タダが重い。
いや、タダが重いんじゃなく、タダに寄りかかっているシンが重いのか。
⸻
(でかいのに安定感がすごいな)
⸻
前の時代のタダも、こういう人だった。
動じない。
余計なことを言わない。
ただ、いる。
⸻
集落が見えてきた。
⸻
思ったより小さかった。
家が五つか、六つか。
半分が地面に埋まるように建てられている。
煙が出ている。
複数の場所から。
炉の煙だ。
⸻
(煙の匂いが、違う)
⸻
前の時代の煙とは少し違う。
金属が混じっている。
鉄の匂いだ。
焼けた石の匂いも混じっている。
⸻
(製鉄か)
⸻
集落の端に、大きな炉があった。
石を積み上げた炉だ。
赤く光っている。
炉の横には、黒い塊が積まれていた。
石にも見える。
でも違う。
軽い。
割れた断面が、鈍く光っている。
⸻
炉の前に男が二人立っていた。
何かを扱っている。
鉄だ。
光る鉄を、叩いている。
⸻
シンを見た。
目を細めた。
でも、何も言わなかった。
⸻
アサメが一言だけ言った。
男たちは頷いて、また炉に向いた。
⸻
「ここで休め」
アサメが言った。
「足はどうだ」
「動けます。たぶん」
「たぶんか」
「治るのに、何日かかるか分からなくて」
「タダが診る」
「ありがとうございます」
「対等に話せ」
「……ありがとう」
⸻
タダが、そのままシンを地面に下ろした。
炉に近い場所だ。
暖かい。
前の時代の火と、少し違う熱だ。
強い。
鉄を作る熱だ。
⸻
(うまそうな匂いはしないな)
⸻
炉の前では、肉は焼けない。
温度が違いすぎる。
これは、造るための火だ。
食うための火じゃない。
⸻
タダが足の布を解いた。
矢傷だ。
矢は抜けているが、穴が残っている。
タダは黙って確認した。
それから、何かの葉を傷に当てた。
しみた。
かなり、しみた…!
⸻
(いでででで!)
⸻
「動くな」
「わ、分かった(;ω;)」
「しばらく動くな」
「どのくらい」
「三日」
「三日か〜」
「少なくとも」
「モモが来たら、どうする」
「誰だ」
「白い女だ。桃色、とアサメが言ってた」
「桃色が来たら、逃げる」
「逃げられるか」
「逃げる」
⸻
タダは表情を変えなかった。
でも、力強く言った。
逃げる、と。
それだけで、少し安心した。
⸻
アサメが戻ってきた。
木の椀を持っていた。
中に、何かが入っている。
液体だ。
色が暗い。
草の匂いがする。
⸻
「飲め」
「何これ」
「傷に効く」
「苦い…?」
「かなりな」
「正直だなぁ」
「嘘をついても意味がない」
⸻
飲んだ。
苦かった。
かなり苦かった…。
でも、飲んだ。
⸻
(にが〜〜)
(でも、なんか効きそうな感じがする)
⸻
アサメは炉の方を見た。
炉を見ながら、立っている。
炎口を見ている。
炎ではなく、
炎の向こうを見ているようだった。
じっと見ている。
ただ見ているんじゃない。
何かを、読んでいる。
⸻
「アサメ」
「なんだ」
「炉を見てどうする」
「見る」
「見るだけ」
「色を見る。音を聞く。匂いを嗅ぐ」
「何のために」
「今夜、雪が来るか来ないか」
「炉で分かるのか」
「分かる」
「どうやって」
⸻
炉が鳴っていた。
ゴウ、ではない。
低い。
息をするみたいな音だ。
アサメは少し間を置いた。
それから、シンの方を向いた。
⸻
「炉の火は、山の声だ」
「山の声?」
「空気が変わると、火が変わる。湿りが来ると、炎が揺れ方を変える。冷えが来ると、煙の色が変わる」
「……つまり、天気予報か」
「天気予報?」
「あ、こっちの言葉で言うと……空の読み方、か」
「そうだ」
「それを、炉で読むのか」
「炉が一番正確だ」
⸻
シンは炉を見た。
確かに、炎が揺れている。
風がないのに、揺れている。
上の方だけが、少し濃い色をしている。
⸻
(今夜、雪が来るのか)
⸻
「雪が来ると、どうなる」
「動けなくなる」
「集落から?」
「道が消える。外と切れる」
「それは、困らないか」
「冬はそういうものだ」
⸻
アサメは当然のように言った。
困る、という感覚がない。
雪が来れば、外と切れる。
それだけのことだ。
⸻
(北の集落の老婆に似てる)
⸻
前の時代の老婆を思い出した。
「借りたものは、返る」と言った人だ。
語り口が、少し似ている。
説明しない。
ただ、言う。
それだけで伝わる、と思っている。
⸻
「アサメ」
「なんだ」
「モモ…桃色のことを、どのくらい知っている」
⸻
アサメは少し間を置いた。
炉の方を向いたまま。
⸻
「ヤマトが使う、鬼討ちだ」
「鬼討ちっていうのは、職業か」
「……職業?」
「役割、というか」
「そうだ。山に入って、鬼を討つ」
「鬼って、なんだ」
⸻
アサメが、シンを見た。
静かな目だ。
怒の色はない。
でも、何かが混じっている。
⸻
「ヤマトに従わない者が、鬼だ」
「それだけか」
「それだけだ」
「じゃあ俺は、ヤマトに従ってないから鬼なのか」
「違う」
「なぜ」
「お前は、どこかに属してない。鬼は、そういうものじゃない」
⸻
(どこかに属してない)
⸻
「じゃあ、俺はなんだ」
「……分からない」
「またか」
「お前も分からないと言っていた」
「まぁ、そうだな」
⸻
二人、少し笑った。
同じタイミングで笑った。
それがなんとなく、おかしかった。
⸻
タダが足の布を整えてくれた。
それから、燻製の肉を一切れ追加でくれた。
「食え」
「ありがとう」
「食ったら、眠れ」
「眠れるかな」
「眠れ」
「命令ですか」
「命令だ」
⸻
タダは頷いて、炉の方へ歩いていった。
⸻
シンは肉を食べた。
うまかった。
燻製の煙の匂いが、鉄の匂いと混ざっている。
変な組み合わせだが、悪くなかった。
⸻
夜になった。
アサメの言った通り、雪が来た。
静かに、細かい雪が落ちてきた。
炉の火が、雪に負けずに燃えていた。
⸻
眠ろうとして。
⸻
甘い匂いがした。
⸻
薄い。
ほとんどしない。
でも、ある。
⸻
(モモ)
⸻
シンは目を開けた。
集落の外を見た。
暗い。
雪が落ちている。
何も見えない。
⸻
(どこにいる)
⸻
来ない。
でも、いる。
この時代のどこかに、いる。
⸻
前の時代のモモは、揺れた。
今の時代のモモは、揺れなかった。
「鬼」と言って、刃が来た。
⸻
(なんで揺れなくなった)
⸻
問いだけが、残った。
⸻
答えはない。
でも、問いがある。
問いがある間は、進める。
⸻
雪が降り続けていた。
炉の火が、揺れていた。
タダが火のそばで横になっていた。
アサメが炉の前で立ったまま、何かを見ていた。
⸻
シンは目を閉じた。
⸻
眠れた。
⸻
(第三十三話へ)




