山の声
第三十二話 山の声
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アサメの集落は、山の中腹にあった。
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道があるようで、ない。
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岩と木の根の間を縫うように歩く。
雪が薄く残った斜面を避け、湿った落ち葉の上を踏み、時々、折れた枝を跨ぐ。
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足を引きずっていると、タダが黙って肩を貸した。
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重い。
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タダが重い。
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いや、タダが重いんじゃなく、タダに寄りかかっているシンが重いのかもしれない。
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(でかいのに、安定感がすごいな)
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少し体重を預けるだけで、倒れない。
岩みたいだった。
いや、岩に肉を焼く技術と治療技術がついている。
便利な岩だ。
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(便利な岩ってなんだ)
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自分で思って、少しだけ笑いそうになった。
笑うと足に響いた。
やめた。
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前の時代のタダも、こういう人だった。
動じない。
余計なことを言わない。
ただ、いる。
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それだけで、周りの空気が少し落ち着く。
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このタダは、シンを知らない。
シンが何度も死んだことも知らない。
モモのことも知らない。
コトのことも、ユナのことも、火を抱えて北へ逃げたことも知らない。
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それでも、タダだった。
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だから、少し怖かった。
安心するのが怖かった。
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安心してしまうと、失う時にまた痛い。
それをもう知っている。
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でも、腹は減るし、足は痛いし、タダの肩は安定している。
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人間は弱い。
安心できるものがあると、安心してしまう。
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集落が見えてきた。
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思ったより小さかった。
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家が五つか、六つか。
半分が地面に埋まるように建てられている。
屋根は低く、土と草と木で覆われていた。
雪が積もっても潰れないようにしているのか、屋根の角度はゆるいのに、全体が重く見える。
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煙が出ている。
複数の場所から。
細い煙と、太い煙。
白いものと、黒いもの。
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近づくほど、匂いが変わった。
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(煙の匂いが、違う)
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前の時代の煙とは少し違う。
前の時代の火は、食うための火だった。
暖を取るための火だった。
夜を囲むための火だった。
話をするための火だった。
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ここの煙には、それとは違うものが混じっている。
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金属が混じっている。
焼けた土の匂い。
黒い炭の匂い。
濡れた石が熱で乾いていく匂い。
それから、鼻の奥にひっかかる硬い匂い。
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(鉄の匂いか)
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集落の端に、大きな炉があった。
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石を積み上げた炉だ。
人の背ほどではないが、低くもない。
腹の大きな獣が地面に伏せているような形をしている。
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炉口の奥が、赤く光っていた。
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炎は直接見えない。
でも、中にある熱だけが、黒い口の奥で脈を打っている。
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息をしているみたいだった。
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ごう、という音ではない。
もっと低い。
奥の奥で、空気が吸われ、吐かれ、また吸われる音。
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炉の横には、黒い塊が積まれていた。
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石にも見える。
でも違う。
軽そうにも見える。
割れた断面が、鈍く光っている。
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それが何か、シンはすぐには分からなかった。
ただ、鉄と火の残りなのだと思った。
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炉の前に男が二人立っていた。
煤で顔が黒い。
腕が太い。
厚い革を体に巻き、目を細めて炉の口を覗いている。
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ひとりが長い棒で、炉の中を突いた。
もうひとりが何かを受ける。
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赤いものが見えた。
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光る鉄だ。
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それを石の台へ置き、叩く。
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かん。
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音がした。
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朝、森の中で聞いた音だ。
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冬の空気を切っていた、あの硬い音。
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ここから聞こえていた。
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炉の男たちがシンを見た。
目を細めた。
でも、何も言わなかった。
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アサメが一言だけ言った。
シンには聞き取れなかった。
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男たちは頷いて、また炉に向いた。
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(受け入れられた……のか?)
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分からない。
少なくとも、すぐには撃たれなかった。
それだけで十分だった。
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「ここで休め」
アサメが言った。
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「足はどうだ」
「動けます。たぶん」
「たぶんか」
「治るのに、何日かかるか分からなくて」
「タダが診る」
「ありがとうございます」
「対等に話せ」
「……ありがとう」
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アサメはそれ以上言わなかった。
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命令ではない。
でも、逆らえない声だった。
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タダが、そのままシンを地面に下ろした。
炉に近い場所だ。
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暖かい。
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前の時代の火と、少し違う熱だ。
強い。
重い。
体の表面を温めるというより、骨の奥へ押し込んでくるような熱だった。
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鉄を作る熱。
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食うための火じゃない。
囲むための火でもない。
何かを変えるための火だ。
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(うまそうな匂いはしないな)
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炉の前では、肉は焼けない。
温度が違いすぎる。
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これは、造るための火だ。
食うための火じゃない。
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火にも種類がある。
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今さらだが、そう思った。
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火はただ燃えるだけじゃない。
暖める。
焼く。
煮る。
照らす。
守る。
そして、鉄を変える。
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前の時代で抱えた火とは違う。
でも、火だ。
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シンは炉を見た。
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赤い。
深い赤だ。
ただの炎の赤ではない。
石の奥で、土の奥で、何かが溶けかけている赤。
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見ていると、少しだけ怖くなる。
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炉は静かに鳴っていた。
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タダが足の布を解いた。
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矢傷だ。
矢は抜けているが、穴が残っている。
血は止まりかけている。
しかし、布を外すとまた少し滲んだ。
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タダは黙って確認した。
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指で腫れを押す。
傷の周りを見る。
矢尻の破片が残っていないか、目で探す。
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怖いくらい慣れていた。
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それから、何かの葉を傷に当てた。
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しみた。
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かなり、しみた。
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「いでででで!」
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「動くな」
「わ、分かった……!」
「しばらく動くな」
「どのくらい」
「三日」
「三日か〜」
「少なくとも」
「少なくともかぁ……」
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タダは表情を変えずに、葉を押さえたまま布を巻く。
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痛い。
とても痛い。
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でも、手つきは乱暴ではなかった。
痛いことをする手なのに、雑ではない。
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そこがタダだった。
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「モモが来たら、どうする」
シンは聞いた。
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「誰だ」
「白い女だ。桃色、とアサメが言ってた」
「桃色が来たら、逃げる」
「逃げられるか」
「逃げる」
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タダは表情を変えなかった。
でも、力強く言った。
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逃げる、と。
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それだけで、少し安心した。
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逃げる。
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戦うでも、勝つでも、討つでもない。
逃げる。
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その言葉が、今は妙に頼もしかった。
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アサメが戻ってきた。
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木の椀を持っていた。
中に、何かが入っている。
液体だ。
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色が暗い。
草の匂いがする。
土の匂いもする。
良薬は口に苦し、という言葉が、椀を見ただけで頭に浮かぶ。
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「飲め」
「何これ」
「傷に効く」
「苦い……?」
「かなりな」
「正直だなぁ」
「嘘をついても意味がない」
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飲んだ。
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苦かった。
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かなり苦かった。
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舌の上に置いた瞬間、舌が逃げた。
逃げ場はなかった。
喉が嫌がった。
胃も少し迷った。
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でも、飲んだ。
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(にが〜〜)
(でも、なんか効きそうな感じがする)
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こういうものは、効きそうな味がする。
うまくはない。
だが、うまくないからこそ効きそうだ。
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そう思うしかなかった。
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アサメは炉の方を見た。
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炉を見ながら、立っている。
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紅い衣が、炉の明かりを受けていた。
布の赤が、火の赤と重なる。
頬から首筋へ走る紅い文様も、同じ赤を帯びて見えた。
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この女は、赤い。
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そう思った。
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血の赤。
火の赤。
山の中で見失わないための赤。
あるいは、山の中で見つかっても逃げないための赤。
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何の赤なのか、シンにはまだ分からない。
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ただ、炉の前に立つアサメには、その色が妙に似合っていた。
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アサメは炎口を見ている。
炎ではなく、炎の向こうを見ているようだった。
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じっと見ている。
ただ見ているんじゃない。
何かを、読んでいる。
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「アサメ」
「なんだ」
「炉を見てどうする」
「見る」
「見るだけ」
「色を見る。音を聞く。匂いを嗅ぐ」
「何のために」
「今夜、雪が来るか来ないか」
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シンは炉を見た。
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「炉で分かるのか」
「分かる」
「どうやって」
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炉が鳴っていた。
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ごう、ではない。
低い。
息をするみたいな音だ。
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奥で空気が吸われる。
火がそれに応じる。
煙が少し重く流れる。
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アサメは少し間を置いた。
それから、シンの方を向いた。
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「炉の火は、山の声だ」
「山の声?」
「空気が変わると、火が変わる。湿りが来ると、炎が揺れ方を変える。冷えが来ると、煙の色が変わる」
「……つまり、天気予報か」
「天気予報?」
「あ、こっちの言葉で言うと……空の読み方、か」
「そうだ」
「それを、炉で読むのか」
「炉が一番正確だ」
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シンは炉を見た。
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確かに、炎が揺れている。
風がないのに、揺れている。
上の方だけが、少し濃い色をしている。
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煙の出方も、一定ではない。
まっすぐ上がりかけて、少し横へ流れる。
それから、炉の口で重く沈む。
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見ていると、ただの火ではない気がしてくる。
何かを言おうとしている。
あるいは、アサメだけが分かる言葉で喋っている。
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(今夜、雪が来るのか)
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「雪が来ると、どうなる」
「動けなくなる」
「集落から?」
「道が消える。外と切れる」
「それは、困らないか」
「冬はそういうものだ」
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アサメは当然のように言った。
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困る、という感覚がない。
雪が来れば、外と切れる。
それだけのことだ。
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この山では、そういうものなのだ。
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シンは少し黙った。
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前の時代の長老を思い出した。
火を渡すと言った人。
全部は救えないと言った人。
怖い者は、雑に火を扱わないと言った人。
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アサメの言い方は、少し似ている。
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説明しない。
ただ、言う。
それで伝わる、と思っている。
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あるいは、伝わらなくてもいいと思っている。
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「アサメ」
「なんだ」
「モモ……桃色のことを、どのくらい知っている」
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アサメは少し間を置いた。
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炉の方を向いたまま。
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「ヤマトが使う、鬼討ちだ」
「ヤマト?」
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シンは聞き返した。
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その音には、覚えがあった。
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ヤマト。
大和。
大和朝廷。
ヤマト王権。
日本史の教科書の端っこで見たような言葉。
古墳とか、卑弥呼の後とか、ヤマトタケルとか、そういう、朧げでごちゃごちゃした記憶が頭の奥で動いた。
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(え、もうヤマト?)
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いつのヤマトだ。
どのヤマトだ。
国の名前なのか。
場所の名前なのか。
人のまとまりなのか。
この時代の人がそう呼んでいるだけなのか。
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分からない。
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シンの中にある歴史の知識は、あまりにも曖昧だった。
受験で使えるほどでもない。
人に説明できるほどでもない。
ただ、聞いたことがある、というだけだ。
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「ヤマトって、何だ」
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シンが聞くと、アサメは少しだけ眉を動かした。
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「知らないのか」
「音は知ってる。でも、ここで言うヤマトが何なのかは分からない」
「南の大きなものだ」
「大きなもの?」
「人を集める。道を作る。川を上る。鉄を欲しがる。従えと言う」
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アサメの言葉は短かった。
説明というより、見たものを並べているようだった。
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「国、なのか」
「国という言い方をする者もいる」
「アサメは、そう思ってない?」
「山から見れば、南の大きな火だ」
「火?」
「近づくと、草も木も人も、同じ形に燃やそうとする」
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シンは炉を見た。
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火。
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ここにも火がある。
だがアサメの言うヤマトの火は、この炉とは違う気がした。
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この炉の火は、山の中で息をしている。
鉄を変え、肉を焼き、人を暖める。
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アサメの言う南の火は、もっと別のものだ。
広がる火。
飲み込む火。
形を揃えようとする火。
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「そのヤマトが、桃色を使ってるのか」
「そう聞いている」
「聞いている?」
「見た者は少ない。見た者の多くは、帰らない」
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アサメは炉へ目を戻した。
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「山に入って、鬼を討つ」
「鬼討ちっていうのは、職業か」
「……職業?」
「役割、というか」
「そうだ。ヤマトが鬼と呼ぶものを討つ」
「鬼って、なんだ」
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アサメが、シンを見た。
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静かな目だ。
怒りの色はない。
でも、何かが混じっている。
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「ヤマトに従わぬ者が、鬼と呼ばれる」
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シンは、すぐには意味が分からなかった。
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「従わないと、鬼になるのか」
「ヤマトがそう言えば、そうなる」
「それだけか」
「それだけだ」
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あまりに短い答えだった。
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短すぎて、逆に重かった。
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「じゃあ俺は、ヤマトに従ってないから鬼なのか」
「違う」
「なぜ」
「お前は、どこにも属していないように見える」
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(どこにも属していない)
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その言葉は、少し刺さった。
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確かに、そうかもしれない。
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シンは、どこの人間でもない。
どの火にも生まれていない。
どの山にも、どの川にも、どの家にも、最初からいたわけではない。
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突然現れて、覚えて、死んで、戻って、また別の場所へ飛ぶ。
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属していない。
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言われてみれば、その通りだった。
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「じゃあ、俺はなんだ」
「……分からない」
「またか」
「お前も分からないと言っていた」
「まぁ、そうだな」
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二人、少し笑った。
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同じタイミングで笑った。
それがなんとなく、おかしかった。
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アサメは笑うと、少しだけ年相応に見えた。
それ以外の時は、山の中の木か岩みたいに見える。
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紅い衣のせいかもしれない。
炉の前に立っているせいかもしれない。
それとも、アサメ自身がそういう人間なのかもしれない。
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タダが足の布を整えてくれた。
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それから、燻製の肉を一切れ追加でくれた。
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「食え」
「ありがとう」
「食ったら、眠れ」
「眠れるかな」
「眠れ」
「命令ですか」
「命令だ」
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タダは頷いて、炉の方へ歩いていった。
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命令が雑だ。
でも、嫌な命令ではなかった。
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シンは肉を食べた。
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うまかった。
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燻製の煙の匂いが、鉄の匂いと混ざっている。
変な組み合わせだが、悪くなかった。
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肉を噛むたび、少しだけ体に力が戻る。
苦い薬の味が、ようやく薄れていく。
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炉の熱が背中を温める。
足はまだ痛い。
でも、さっきより生きている感じがした。
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夜になった。
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アサメの言った通り、雪が来た。
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最初は、細かい白いものが空気に混じっただけだった。
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灰かと思った。
炉の煙が冷えて落ちてきたのかと思った。
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けれど、すぐに分かった。
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雪だ。
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静かに、細かい雪が落ちてきた。
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音がない。
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落ち葉に触れても、木の枝に乗っても、雪は音を立てない。
ただ、白いものが少しずつ世界に増えていく。
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空が近くなる。
森が遠くなる。
集落の輪郭が、白い膜で薄く包まれていく。
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炉の火が、雪に負けずに燃えていた。
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黒い煙が上がる。
途中で雪に混ざり、灰色にほどける。
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シンは半地下の住居の中に入れられた。
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中は狭い。
だが、外よりずっと暖かい。
中央に炉があり、壁際には干した草や肉、木の道具が並んでいる。
天井は低い。
煙の抜け道があり、細く煙が上がっていく。
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土の壁に、火の光が揺れていた。
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知らない場所なのに、火があるだけで少し安心する。
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悔しいくらい、火は強い。
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タダは火のそばに座っていた。
肉を切っている。
アサメは入口の近くで、外の雪を見ていた。
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炉の音。
雪の沈黙。
遠い鉄の匂い。
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眠ろうとして。
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甘い匂いがした。
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薄い。
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ほとんどしない。
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でも、ある。
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(モモ)
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シンは目を開けた。
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集落の外を見た。
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暗い。
雪が落ちている。
何も見えない。
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白い闇だった。
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火の明かりが届く範囲の外は、雪と夜が混ざっている。
木の形も、人の影も、よく分からない。
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(どこにいる)
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来ない。
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でも、いる。
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この時代のどこかに、いる。
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前の時代のモモは、揺れた。
今の時代のモモは、揺れなかった。
「鬼」と言って、刃が来た。
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(なんで揺れなくなった)
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問いだけが、残った。
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答えはない。
でも、問いがある。
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問いがある間は、進める。
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雪が降り続けていた。
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炉の火が、揺れていた。
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タダが火のそばで横になっていた。
でかい体なのに、寝る時は妙に静かだった。
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アサメが炉の前に立ったまま、何かを見ていた。
雪を見ているのか。
火を見ているのか。
山を見ているのか。
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たぶん、全部だ。
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シンは目を閉じた。
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まぶたの裏に、モモの目が残った。
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冷たい目。
揺れない目。
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それから、炉の赤が残った。
山の声だと言われた火。
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鬼。
桃色。
ヤマト。
炉。
雪。
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知らない言葉と匂いが、頭の中で混ざっていた。
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それでも、眠れた。
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火があったからだと思った。
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(第三十三話へ)




