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同じ朝

第三話 同じ朝



 息が入った。


 また。



「っ……は、は……!」


 肺に空気が流れ込む。体がびくりと跳ねる。


 目を開ける。


 空。


 揺れる葉。


 枝の隙間から落ちる白い光。



(……また、ここ)



 背中の下には土がある。


 湿っている。


 少し冷たい。


 腕を動かすと、草の先が肌に触れた。


 くすぐったい。


 昨日と同じだ。


 全部、昨日と同じだ。



(死んだ)



 記憶がある。


 刃が来た。


 香りがした。


 終わった。


 はずなのに。


 ここにいる。


 なぜか、いる。



(……なんで)



 ゆっくり体を起こす。


 頭が重い。


 足元がふらつく。


 この重さにも、昨日覚えがある。


 まだ慣れていない感覚。


 昨日も、そう思った。



(死んで、戻ってる)



 ひとつずつ確認する。


 手は動く。


 腕も動く。


 胸に触れる。


 傷はない。


 血もない。


 なかったことになっている。



(……なかったことに、なってる)



 森は同じだ。


 太い木と細い木が入り混じり、地面には落ち葉が重なっている。


 獣道のような細い道が、木々の間に伸びている。


 その先に、煙が見える。



(集落)



 知っている。


 あそこに行けば老婆がいる。


 タダがいる。


 南から、あいつが来る。


 そして俺は死ぬ。



(……行かなければいい)



 そう思った。


 至極まっとうな結論だと思った。


 集落に行くから死ぬ。


 なら行かなければいい。


 シンは立ち上がり、煙と逆の方向へ歩いた。



 森は深かった。


 一時間か、二時間か、歩いた。


 木が続く。


 道が続く。


 終わらない。


 日が動く。


 腹が鳴る。



(腹、減った)



 何も持っていない。


 武器も。


 食料も。


 知識だけはある。


 役に立つかどうかは別として。


 川のそばで何かの果実を見つけた。


 食べられるかどうか分からない。


 だが腹が空いている。


 かじる。


 渋い。


 飲み込む。


 死にはしないだろう。


 たぶん。



(どこへ向かってるんだ、俺は)



 答えは出ない。


 ただ歩く。


 集落から離れることだけが目的になっている。


 それで正しいのか、分からない。


 でも死にたくない。


 一度死んだ感覚がある。


 もう一度は嫌だ。



 午後になって、森が開けた。


 小高い丘の上に出た。


 眺めがいい。


 南に広い平地が見える。


 遠くに川が光っている。


 北には山の稜線が連なっている。



(きれいだな)



 素直にそう思う。


 何もかも分からないのに、きれいという言葉だけは出てくる。


 しばらくそこに座った。


 風が来る。


 草が揺れる。


 遠くで鳥が鳴く。


 このまま、ここにいればいいかもしれない。



 そう思った瞬間だった。



 甘い匂いがした。



(……え)



 桃の芳香。


 昨日のあれだ。


 息が止まる。


 全身が固まる。


 ゆっくり、振り返る。



 少女がいた。



 整いすぎた顔。


 汚れのない衣。


 風もないのに揺れる布。


 この場所に、どこからか来ていた。


 音はなかった。


 気配もなかった。


 ただ、いる。



(なんで)


(ここだぞ)


(集落から離れたのに)



 距離は十歩ほど。


 少女はこちらを見ている。


 表情がない。


 怒っていない。


 喜んでもいない。


 ただ見ている。


 ちょうど、確認するように。



(……確認してるのか?)



 刃はまだ出ていない。


 昨日と違う。


 少女は動かない。


 シンも動けない。


 しばらく、そのままだった。



 口が開いた。


 少女の口が。



「逃げても意味ない」



 言葉が、分かった。


 昨日の老婆と同じ音だが、少しだけ違う。


 整いすぎている。


 抑揚が均一だ。


 どこにも感情が乗っていない。



「……なんで」


 シンは声を出した。


「なんでここにいる」


「追跡している」


「俺を?」


「そう」



(あっさり言うな)



「なんで追跡してる」


「任務だから」


「任務」


「そう」



 平坦だ。


 怒りも、躊躇いも、楽しさもない。


 答えているだけだ。



「……俺を殺すのも任務か」


「そう」


「逃げても追ってくるか」


「追跡は継続する」



(詰んでる)



 シンは草の上に座り込んだ。


 戦意喪失というより、計算の結果だ。


 逃げても来る。


 戦っても勝てない。


 死んでも戻る。


 戻ってもまた死ぬ。



(ループしてる)


(俺はループしてる)



 その言葉が浮かんだ瞬間、何かが腹の底に落ちた。


 知っている感覚だった。


 ループ。


 繰り返し。


 やり直し。


 言葉の意味だけが、なぜか分かる。



「……お前、名前は」


 なぜか聞いた。


 少女は一拍置いた。


「モモ」


「モモ」


「そう」



 シンは少し間を置く。



「俺はシン」


「……知っている」


「なんで知ってる」


「対象の情報は把握している」


「対象って俺か」


「そう」



 また平坦な返事だった。


 腹も立たない。


 ただ、奇妙な感じがする。


 この少女は、何かに従っている。


 命令か。


 意志か。


 それとも、もっと別の何かか。



「……一つだけ聞いていいか」


 シンは草を一本引き抜いた。


「何」


「俺が死んだら、それで終わりか」



 少女が止まった。


 ほんの少しだけ。


 一拍分。



「……終わりではない」


「じゃあ、また来るか」


「……」


「また来るか」


「継続する」



 シンは引き抜いた草を折った。


 ぱきん、と小さな音がした。



(そうか)


(なら)



 答えは一つだった。


 逃げても無駄。


 死んでも戻る。


 戻っても殺される。


 それが続くなら。


 続く理由を、変えるしかない。



 シンは立ち上がった。


 モモの方を向く。


 距離は変わらない。


 十歩。


 その距離を、シンは一歩踏み出した。



(なんか……決めよう)



 何を決めるのかは、まだ分からない。


 でも、座ったままでいるよりはましだ。


 モモが体勢を変える。


 刃が出る。


 光が走る。


 それでも、シンは目を逸らさなかった。



(何回でも)


(戻るなら)


(何回でもやればいい)



 香りが来る。


 桃の香り。


 またこれだ。


 また終わる。


 でも今度は少しだけ、何かが違った気がした。


 モモの目が、一瞬だけ。


 ほんの一瞬だけ。


 揺れた気がした。



 ――そして俺は、また死んだ。



 でも今度は。


 終わりだとは思わなかった。



(第四話へ)


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