同じ朝
第二話 同じ朝
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シンは、森の中を歩いていた。
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足元で落ち葉が潰れる。
湿った土が沈む。
低い枝が肩に触れる。
草の先が、裸の脛をかすめていく。
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前にも、ここを歩いた。
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いや。
正確には、ここで目覚めた。
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空。
揺れる葉。
枝の隙間から落ちる白い光。
湿った土。
遠くの水音。
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全部、同じだった。
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時計もない。
日付も分からない。
太陽の位置だって、正確に読めるわけではない。
それでも、たぶん同じだと思った。
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同じ場所。
同じ朝。
同じ始まり。
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(……戻ってる)
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もう一度そう思う。
思うたびに、腹の底が冷たくなる。
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自分は死んだ。
桃の匂いがする少女に殺された。
細い刃が振られて、世界が一拍ずれて、そこで終わった。
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なのに、ここにいる。
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傷はない。
血も出ていない。
首もある。
息もしている。
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生きている。
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生きているのに、死んだことだけは覚えている。
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(最悪じゃないか)
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声には出さなかった。
出すと、森に聞かれそうな気がした。
森に聞かれたところでどうなるわけでもないのに、なぜか嫌だった。
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シンは、自分の服を見下ろした。
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前回は、あまり考えなかった。
目覚めた直後は混乱していたし、腹も減っていたし、煙を見つけてからは人のいる場所へ行くことしか頭になかった。
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だが、今は違う。
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自分は、集落の人間たちと似たような格好をしていた。
粗い皮を身にまとっている。
腰のあたりを紐のようなもので結び、肩から胸へかけて、獣の皮がかかっている。
足元は裸足に近い。
歩くたびに、土の冷たさがそのまま伝わってくる。
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(なんで俺、こんな格好してるんだ)
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分からない。
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自分で着た記憶はない。
誰かに着せられた記憶もない。
そもそも、ここへ来る前に何を着ていたのかも思い出せない。
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だが、この服はこの場所に馴染んでいる。
少なくとも、あの集落の人間たちから見て、完全に異物というほどではなかった。
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それが、逆に気持ち悪い。
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(誰が用意した)
(いつ)
(俺は、どこから来た)
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答えは出ない。
ただ、ひとつだけ分かることがある。
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自分は、たぶんここよりも遥かに未来から来た。
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根拠は薄い。
でも、そうとしか思えない。
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この森は古すぎる。
この空気は古すぎる。
あの集落も、火も、土に半分潜るような住居も、石の刃も、何もかもが遠い。
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場所が遠いのではない。
時間が遠い。
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(原始時代……)
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その言葉が浮かぶ。
続いて、別の言葉も浮かんだ。
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縄文時代。
弥生時代。
平安時代。
戦国時代。
江戸時代。
明治。大正。昭和。平成……
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名前だけは出てくる。
流れも、なんとなく分かる。
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ここから国ができる。
大きな王のようなものが生まれる。
都ができる。
貴族がいて、武士が出てきて、戦があって、城が建って、江戸時代が終わって、戦争が起きて、車やテレビやコンピューターのある時代になる。
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そういう大ざっぱな流れは分かる。
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学校で習ったのか。
漫画で読んだのか。
テレビで見たのか。
ネットで調べたのか。
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そこが分からない。
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(知ってる、けど詳しくない)
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しかも、かなり怪しい。
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縄文時代と弥生時代の違いすら、正直あまり自信がない。
土器。
米。
竪穴住居。
石器。
青銅器。
なんか、そういうもの。
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(雑だな、俺の知識)
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年号も出てこない。
何千年前なのかも分からない。
ここが本当に縄文なのか、弥生なのか、それともその間みたいな場所なのかも分からない。
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それどころか、不思議なことに、時代が未来に近づくほど記憶は曖昧になっていく。
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遠い昔の名前は、いくつか浮かぶ。
だが、自分がいたはずの時代に近づくほど、輪郭がぼやける。
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車。
テレビ。
スマホ。
ネット。
コンピューター。
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言葉は分かる。
意味も分かる。
でも、自分がそれらとどう関わっていたのかが分からない。
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どこに住んでいたのか。
誰といたのか。
何をしていたのか。
何を好きだったのか。
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何も出てこない。
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(俺、何者なんだよ)
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足が止まりそうになる。
だが、止まるのが怖くて、歩き続けた。
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煙とは逆の方へ。
あの集落とは逆の方へ。
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行かなければいい。
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最初に浮かんだ答えは、それだった。
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集落に行くから死ぬ。
南が来る場所にいるから死ぬ。
あの少女に見つかるから死ぬ。
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なら、行かなければいい。
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(当たり前だ)
(すごく当たり前だ)
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タダの顔が浮かんだ。
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大きな体。
火のそば。
肉を焼く手。
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食え。
シン。
たぶんか。
変だな。
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たったそれだけの言葉が、妙に重かった。
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(考えるな)
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シンは奥歯を噛んだ。
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(今は考えるな)
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考えなければならないことは、他にもある。
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あの少女。
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桃の匂い。
薄桃の衣。
黒い髪。
桃の飾り。
この時代にあるはずのない刃。
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あれも、おかしい。
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自分がおかしいのと同じくらい。
いや、それ以上におかしい。
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(刀、だよな)
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シンでも分かる。
この時代に刀はない。
少なくとも、あんなものはない。
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石の刃。
木の槍。
獣の皮。
土の家。
その中に、均一な光を持つ細い刃がある。
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合わない。
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しかも、衣も変だ。
着物のように見える。
だが、自分の知っている着物とも違う気がする。
布の質が、この場所のものではない。
汚れない。
破れない。
風と合わない。
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そして、あの動き。
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見えなかった。
速い、という言葉ですら足りない。
途中が抜けていた。
気づいたときには、もう別の場所にいる。
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(人間じゃないだろ、あれ)
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そう思って、すぐに首を振った。
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人間じゃないなら何なのか。
神か。
化け物か。
未来人か。
機械か。
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どれも馬鹿みたいだ。
だが、死んで戻っている時点で、もう何が馬鹿なのかも分からない。
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シンは歩いた。
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草の背が高い。
足に絡む。
湿った土が沈む。
木の根が地面を這い、何度もつまずきかける。
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何かの巣穴があった。
倒木の下に、黒い穴が開いている。
中から獣の匂いがした。
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近づかない方がいい。
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それだけは分かった。
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(俺、こんなの知ってたっけ)
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知らない。
でも分かる。
分かるが、完璧ではない。
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何が食べられるか。
何が危険か。
どちらへ行けば水があるか。
どこに獣がいそうか。
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ぼんやりと輪郭だけが分かる。
でも、生き延びるには足りない。
死なないためには、少し足りない。
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腹が鳴った。
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(腹、減った)
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こんな時でも腹は減る。
死んでも腹は減る。
その事実に、少し腹が立った。
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足元に木の実が落ちていた。
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小さい。
茶色い。
前に集落の女が選り分けていた実に似ている気がする。
だが、完全には同じではない。
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(食えるか?)
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考える。
分からない。
でも腹が減っている。
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かじった。
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渋い。
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(ぎにゃっ)
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口の中が一気にしぼむ。
舌の奥がきゅっとなった。
顔の真ん中が全部、変な方向へ引っ張られる。
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(にがっ、しぶっ、なにこれ)
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吐き出しかけて、飲み込んだ。
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死にはしないだろう。
たぶん。
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死んだらまた戻るのかもしれないが、木の実で死ぬのは嫌だった。
だいぶ嫌だった。
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さらに歩く。
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森が少しずつ傾いてきた。
足元の土が硬くなる。
木の間隔が広くなる。
風が通る。
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やがて、視界が開けた。
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小高い丘だった。
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シンは息を切らして、その縁に立った。
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南には、広い平地が見えた。
川が光っている。
川は蛇のように曲がりながら、森と草地の間を流れていた。
その向こうに、低い煙がいくつか見える。
別の集落かもしれない。
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北には山があった。
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重なり合う稜線。
黒い緑。
奥へ行くほど色が深くなる。
人を拒むような山だった。
でも、同時に、人を隠してくれる山にも見えた。
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(北)
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その方角だけが、妙に胸に残った。
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理由は分からない。
ただ、南から来るものを避けるなら、北だと思った。
川を越えるより、山へ入る方がましだ。
まし、な気がした。
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振り返る。
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森の切れ間の向こうに、細い煙が見えた。
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あの集落だ。
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老婆がいる場所。
タダがいる場所。
火の外側に座らされ、肉をもらい、名前を思い出した場所。
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(俺が行かなかったら)
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どうなる。
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南は来る。
あの人たちは戦う。
負ける。
あの少女が来る。
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俺がいないなら、俺は殺されないかもしれない。
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では、タダは。
老婆は。
子供を奥へ引いていた女は。
槍を持っていた男たちは。
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(……知らん)
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そう思おうとした。
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知らない。
俺には関係ない。
俺は今日、初めてあそこへ行っただけだ。
あの人たちは俺の家族ではない。
友人でもない。
命を賭ける理由なんてない。
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ないはずだった。
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なのに、胸の奥が苦しかった。
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タダの声が残っている。
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食え。
シン。
たぶんか。
変だな。
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(ずるいだろ)
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名前を呼ばれた。
それだけなのに。
たったそれだけなのに、見捨てるには重すぎる。
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シンは丘の上に座り込んだ。
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(どうする)
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戻るか。
戻って、何をする。
南が来ると伝えるのか。
信じてもらえるか。
信じてもらえたとして、勝てるのか。
あの少女に勝てるのか。
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無理だ。
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あれは、そういうものではない。
人が工夫してどうにかなる相手ではない。
タダが止められなかった。
あのタダが。
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(じゃあ逃げるか)
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逃げる。
ひとりで。
北へ。
山へ。
死なないために。
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それが正しい気がする。
でも、正しいことと、できることは違った。
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シンは頭を抱えた。
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「あー……」
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声が出た。
誰もいない丘に、自分の声だけが転がる。
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「無理ゲーすぎるだろ、これ」
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言ってから、意味の分からない言葉だと思った。
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無理。
ゲーム。
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その二つの意味は分かる。
でもなぜ、今それが一緒に出たのかは分からない。
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空を見上げる。
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雲が流れている。
何も知らない雲だ。
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このまま、ここにいればいいかもしれない。
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南も。
集落も。
タダも。
老婆も。
あの少女も。
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全部、見なかったことにして。
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そう思った瞬間だった。
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甘い匂いがした。
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桃の芳香。
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息が止まる。
全身が固まる。
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(……うそだろ)
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ゆっくり、振り返る。
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少女がいた。
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整いすぎた顔。
汚れのない衣。
風もないのに揺れる布。
黒い髪。
桃の飾り。
刃。
⸻
この場所に、どこからか来ていた。
音はなかった。
気配もなかった。
ただ、いる。
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(なんで)
(ここだぞ)
(集落から離れたのに)
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距離は十歩ほど。
少女はこちらを見ている。
表情がない。
怒っていない。
喜んでもいない。
ただ見ている。
ちょうど、確認するように。
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(確認してるのか?)
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刃はまだ出ていない。
それだけが、さっきと違った。
少女は動かない。
シンも動けない。
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しばらく、そのままだった。
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口が開いた。
少女の口が。
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「逃げても、意味ない」
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言葉が、分かった。
老婆たちと同じ音のはずなのに、少しだけ違う。
整いすぎている。
抑揚が均一だ。
どこにも感情が乗っていない。
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「……なんで」
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シンは声を出した。
喉が乾いていた。
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「なんでここにいる」
「追跡している」
「俺を?」
「そう」
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(あっさり言うな)
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「なんで追跡してる」
「任務だから」
「任務」
「そう」
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平坦だ。
怒りも、躊躇いも、楽しさもない。
答えているだけだ。
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「……俺を殺すのも任務か」
「そう」
「逃げても追ってくるか」
「追跡は継続する」
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(詰んでる)
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シンは草の上に座り込んだ。
戦意喪失というより、計算の結果だった。
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逃げても来る。
戦っても勝てない。
死んでも戻る。
戻ってもまた死ぬ。
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(ループしてる)
(俺は、ループしてる)
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その言葉が浮かんだ瞬間、何かが腹の底に落ちた。
知っている感覚だった。
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ループ。
繰り返し。
やり直し。
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言葉の意味だけが、なぜか分かる。
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でも、そんなことが本当にあるのか。
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ある。
今、ある。
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俺は死んで戻った。
そして、殺した相手がまた目の前にいる。
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「……お前、名前は」
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なぜか聞いた。
自分でも、なぜ今それを聞くのか分からなかった。
でも、聞かずにいられなかった。
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少女は一拍置いた。
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「モモ」
「モモ」
「そう」
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短い名前だった。
かわいい名前だと思った。
桃の匂いがする女の名前がモモなのは、そのまますぎる気もした。
でも、笑えなかった。
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シンは少し間を置く。
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「俺はシン」
「……知っている」
「なんで知ってる」
「対象の情報は把握している」
「対象って俺か」
「そう」
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また平坦な返事だった。
腹も立たない。
ただ、奇妙な感じがする。
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この少女は、何かに従っている。
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命令か。
意志か。
それとも、もっと別の何かか。
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「……一つだけ聞いていいか」
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シンは草を一本引き抜いた。
指先が震えているのをごまかしたかった。
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「何」
「俺が死んだら、それで終わりか」
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モモが止まった。
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ほんの少しだけ。
一拍分。
⸻
「……終わりではない」
「じゃあ、また来るか」
「……」
「また来るか」
「継続する」
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シンは引き抜いた草を折った。
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ぱきん、と小さな音がした。
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(そうか)
(なら)
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答えは一つだった。
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逃げても無駄。
死んでも戻る。
戻っても殺される。
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それが続くなら。
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続く理由を、変えるしかない。
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シンは立ち上がった。
モモの方を向く。
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距離は変わらない。
十歩。
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その距離を、シンは一歩踏み出した。
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(なんか……決めよう)
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何を決めるのかは、まだ分からない。
でも、座ったままでいるよりはましだった。
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「モモ」
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名前を呼ぶ。
モモの目がわずかに動いた。
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「何」
「お前、俺を何回殺すつもりだ」
「必要なだけ」
「必要って誰にとって」
「任務にとって」
「お前にとっては?」
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沈黙。
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風が来る。
草が揺れる。
モモの衣も揺れた。
でも、風の向きと少しだけ合っていない。
そのズレが、やけに怖かった。
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「……関係ない」
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モモが言った。
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「関係あるだろ」
「ない」
「ある。だってお前が殺すんだろ」
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言いながら、自分でも無茶苦茶だと思った。
殺される側が、殺す側の気持ちを問いただしている。
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怖い。
普通に怖い。
足も震えている。
吐きそうだ。
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でも、聞かずにはいられなかった。
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「お前は、何も思わないのか」
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モモは答えなかった。
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その沈黙が、答えよりも奇妙だった。
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刃が出る。
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いつ出したのか分からない。
ただ、次に見た時には、手にあった。
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細い光。
この時代にあるはずのない、均一すぎる刃。
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モモが一歩進む。
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シンは目を逸らさなかった。
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(何回でも)
(戻るなら)
(何回でもやればいい)
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そう思おうとした。
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でも、本当は嫌だった。
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死にたくない。
痛いのは嫌だ。
終わる瞬間は、怖い。
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怖い。
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それでも、目を逸らさなかった。
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香りが来る。
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桃の香り。
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またこれだ。
また終わる。
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でも今度は、少しだけ何かが違った気がした。
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モモの目が、一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ。
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揺れた気がした。
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刃が振られる。
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世界が一拍ずれる。
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終わる。
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そして俺は、また死んだ。
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でも今度は。
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終わりだとは、思わなかった。
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(第三話へ)




