Starting Over
第一話 Starting Over
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Our life together…
is so precious together……
We have grown…
we have grown……
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俺を殺したのは、桃の匂いがする女だった。
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煙と。
火と。
誰かの叫び声。
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地面は濡れていた。
雨ではない。
血だった。
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足元で何かが転がっている。
折れた槍。
焦げた木片。
人の手。
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人の手、だ。
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(……え)
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理解が追いつく前に、匂いが来た。
焦げた草。
獣の脂。
土。
血。
そして、その全部を押しのけるような、場違いなほど甘い匂い。
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桃の匂いだった。
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顔を上げた。
その瞬間にはもう、目が合っていた。
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途中の動きが、なかった。
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そして俺は、死んだ。
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意識が、ゆっくり浮かんだ。
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深い水の底から引き上げられるような感覚だった。
遠くで声がする。
いくつかが重なっている。
柔らかく、あたたかい。
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誰かが笑っている。
誰かが、すぐ近くにいる。
それが誰なのかは分からない。
でも、不思議と怖くはなかった。
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(……いい夢だ)
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そう思った瞬間、胸の奥にほんの少しだけ寂しさが残る。
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(……誰といた、俺)
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思い出そうとする。
だが指の間から水がこぼれるみたいに、全部がほどけていく。
声も。
温度も。
誰かの気配も。
遠ざかっていく。
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最後に、歌だけが残った。
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始まり直す歌。
そんな意味だけが、胸の奥でかすかに揺れた。
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――息が入った。
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「っ……は、は……!」
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肺に空気が流れ込んだ。
体がびくりと跳ねる。
急に現実へ投げ出されたみたいだった。
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目を開ける。
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空。
揺れる葉。
枝の隙間から落ちる白い光。
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しばらく、そのまま瞬きをした。
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背中の下には土がある。
湿っている。
少し冷たい。
腕を動かすと、草の先が肌に触れた。
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(生きてる)
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なぜそんな確認を最初にしたのかは分からない。
でも、まずそう思った。
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手を開く。
指は動く。
胸に触れる。
痛みはない。
血もない。
首もある。
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(よし)
(生きてる)
(めちゃくちゃ生きてる)
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ゆっくり体を起こした。
頭が重い。
自分の体なのに、借り物みたいだ。
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記憶がない。
自分が誰なのかも、どこから来たのかも分からない。
なのに、ものの名前と意味だけは分かる。
木。
煙。
火。
人間。
危険。
知らないのに、知っている。
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(頭の中、何が入ってて何が抜けてんだ……)
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腹が鳴った。
かなり大きく鳴った。
考えかけていたことが全部、腹の一声で吹き飛んだ。
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(腹は正直だな)
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立ち上がって、周囲を見回す。
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森だった。
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太い木が、遠くまで続いている。
幹の根元に苔が厚く積もり、地面には落ち葉が何層にも重なっている。
蔓が木から木へ渡り、枝は低く垂れ、空を半分隠している。
どこを見ても、人の手が入った形跡がない。
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(……秘境か、ここ)
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道がない。
切り株がない。
整えられた場所がどこにもない。
ただ木が生えて、ただ葉が落ちて、ただ水が染みている。
世界にこんな場所があるのかという感じがした。
あるいは。
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(……世界の端っこ、じゃなくて)
(時代の端っこ、か)
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なぜそう思ったのかは分からない。
でも、景色を見ていると、場所が遠いというより、時間が遠い気がした。
自分がどこから来たのかは思い出せない。
だが、こんな森の中にいたはずはない。
もっと違う場所にいた。
もっと先の場所に。
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(俺、未来から来てる気がする)
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根拠はない。
でも、この森が古すぎる。
この空気が古すぎる。
そういう感覚だけが、腹の底にある。
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腹がまた鳴った。
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(考えるのは後でいい)
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森の向こうに、煙が見える。
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(人がいる)
(人がいるなら飯がある)
(頼む、あってくれ)
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ひとまず歩いた。
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集落は小さかった。
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地面に半分潜るような住居が、円を描くように並んでいる。
土と木と草で作られた壁。
枯れ草を重ねた屋根。
中央に、火があった。
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人がいる。
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最初に思ったのはそれだけだったが、次の瞬間には別のことを考えていた。
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皮をまとった男。
粗い布を巻いた女。
裸足の子供。
誰も、俺が知っている服を着ていない。
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(……原始人?)
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その言葉が浮かんで、自分でも少し驚いた。
原始人。
石器時代。
そういう言葉の意味は分かる。
なぜ知っているのかは分からない。
でも、この集落を見ていると、そういう言葉しか出てこなかった。
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(ということは、俺は相当とんでもない場所に来てしまった……?)
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おかしいと思ったのは、次だった。
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声が少ない。
笑い声がない。
子供が泣かない。
女が子供の肩を引き寄せている。
男たちは食べながら、南の森をじっと見ている。
老人が石の刃を削っている。
同じ形のものが、もう何本も並んでいた。
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間に合わせている。
急いでいる。
何かが来ることを、この場にいる全員が知っている。
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(なんか……嫌な感じだな)
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一歩踏み出した瞬間、近くにいた男が顔を上げた。
目が合う。
男の顔が固まった。
次に、短く叫んだ。
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(ひっ)
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一斉に視線が集まる。
数人が立ち上がった。
石の刃を持った槍が、こちらへ向く。
半円を描くように、距離を詰めてくる。
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(多い、多い、多い)
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両手をゆっくり上げた。
怖い。
普通に怖い。
でも動いたらもっとまずい気がする。
たぶん。
頼む、たぶんで合ってくれ。
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その時、人の輪が割れた。
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小柄な老婆が出てきた。
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背は低い。
腰は曲がっていない。
髪は白く、肌には深い皺が刻まれている。
首から古い紐が垂れ、先に小さな土の欠片が下がっていた。
丸く盛り上がった欠片。
目のようにも見える形。
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老婆の目がこちらを射抜く。
槍より、その目の方が怖かった。
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頭から足元まで眺められた。
家畜の品定めをするような目つきだった。
嫌だったが、刺されるよりはいい。
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眺められながら、こちらも老婆の顔を見た。
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彫りが深い。
目元が、どことなく見覚えのある造りをしている。
同じ顔の系譜だ、と思った。
自分も含めて。
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(……日本人、か)
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その言葉が、するりと出た。
日本。
日本人。
自分もそうだという感覚だけがある。
なぜ知っているのかは分からない。
でも、この老婆の顔を見ていると、同じ場所から来た人間だと思った。
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(じゃあ縄文時代……?)
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その言葉も、どこかから浮かんだ。
縄文。
石器。
大昔。
自分がいた場所より、ずっと前。
何千年も前。
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(何千年も前に来てしまったのか俺は……)
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「……外から来たな」
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老婆が言った。
言葉が、分かった。
喉の奥で転がるような音だが、意味は通る。
耳に入った瞬間、頭の中で意味へ変わる。
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「……分かりません」
「名は」
「……分かりません」
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同じ答えになった。
我ながら頼りない。
でも本当に分からないのだから仕方ない。
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周囲がざわつく。
若い男が何かを言った。
口調から察するに、たぶん「こいつ怪しいから追い出せ」か「刺すか」のどちらかだ。
どちらも嫌だ。
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老婆が片手を上げると、声は止まった。
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「……いい。火の外に座れ」
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(助かった……!)
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たぶん。
刺されないという意味では、たぶん助かった。
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座る場所は、輪の外側だった。
火の熱は届く。
でも、火の中心からは遠い。
まあ、外側でもいい。
火はあたたかい。
今はそれで十分だ。
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しばらくすると、焼いた肉を渡された。
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(ニク……!!)
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薄い肉片。
表面は焦げていて、中は少し硬い。
何の肉かは分からない。
脂は少ない。
味付けはほとんどない。
ただ焼いただけ。
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それなのに、うまい。
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体が欲しがっている。
舌で味わう前に、体の奥が食べろと言っている。
しばらく無心でかぶりついた。
腹に落ちるたびに、少しずつ頭が戻ってくる気がした。
飯とはそういうものらしい。
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(うまい……こんな状況なのにうまい……)
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夕方、背後で大きな足音がした。
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振り返る。
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でかい男がいた。
本当にでかい。
背が高いだけではない。
肩が厚い。
腕も太い。
立っているだけで、周囲の空気が少し狭くなる。
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「でか〜」
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(あ、口に出てた)
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男はこちらを見た。
怒るかと思った。
だが、少しだけ目を細める。
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「よく言われる」
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(あ、気にしてないんだ)
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男は隣に腰を下ろし、火を見た。
そのまま黙っている。
不思議と、追い払われる気配がない。
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男は肉を焼き始めた。
火に放り込むのではない。
遠ざけて、近づけて、脂の落ちる場所を見てわずかにずらす。
焦げすぎた部分だけ削る。
この緊張した集落で、この男だけが自分のペースで動いている。
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焼けた肉をひとつ、渡してくる。
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「食え」
「……ありがとう」
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さっきもらった肉より、少しだけ厚い。
かぶりつく。
焦げが香ばしい。
さっきより、うまい。
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(やっぱうまい……なんでこんな状況でこんなにうまいんだ……)
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「タダ」
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男が短く言った。
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「え?」
「俺」
「……ああ、名前か」
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少し間を置く。
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「俺は……」
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名乗ろうとして、止まる。
出てこない。
名前の場所だけが、ぽっかり空いている。
奥にあるのに、そこへ手が届かない。
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(ここで名無しはさすがに情けない)
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でも、その瞬間。
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「……シン」
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自然に口から出た。
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(あ、出た)
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自分でも驚いた。
胸の奥から、火の粉みたいに跳ねた。
これが自分の名前だと思った。
根拠はない。
でも、違うとも思えなかった。
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「たぶん、俺の名前」
「たぶんか」
「よく分かってない」
「……変だな」
「知ってる」
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タダは少しだけ笑った。
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(笑うんだ、この人)
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意外だった。
でも悪くない。
この場所で初めて、人の笑顔を見た気がした。
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火がはぜる。
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その音に重なるように、遠いメロディがよぎった。
始まり直す歌。
火のそばの歌。
誰かが笑っていた歌。
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(何の曲だっけ、これ)
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タダを見る。
タダは火を見ていた。
ほんのわずかに、鼻歌のように息を揺らした気がした。
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(……今のって、もしかして)
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聞こうとした。
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その瞬間。
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森の奥から、叫びが上がった。
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「南だ!!」
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声は震えていなかった。
だが、その場にいた全員の顔が硬くなった。
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女たちが子供を奥へ引く。
男たちが槍を取る。
老婆が土の欠片を握った。
タダが立つ。
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南の森が揺れた。
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出てきたのは、数の少ない男たちだった。
それなのに、集落の側が押されていく。
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石が飛ぶ。
誰かが顔を押さえて倒れる。
横から回り込まれる。
前が詰まる。
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(南)
(強盗、喧嘩、敵、戦争?)
(何が起きてるのか分からない)
(ただ、怖い)
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タダが前に出た。
踏み込みが重い。
刃とぶつかった。
衝撃が遅れて伝わる。
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だが続かない。
二撃、三撃。
土が削れる。
距離が詰まる。
あのタダが、少しずつ後退していく。
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(逃げるべきか)
(でも足が動かない)
(なんで動かないんだ俺の足)
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そこに、少女がいた。
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さっきまで、どこにもいなかった。
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最初に目に入ったのは、衣だった。
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白に近い、薄桃の色をしている。
この場所にあるはずのない布だ。
土も血も、一点もついていない。
風がないのに、裾がわずかに揺れている。
揺れ方が、おかしい。
風の向きと、合っていない。
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裸足だった。
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血の染みた地面に、直接立っている。
足首から足の甲にかけて、白かった。
陶器に近い白さだった。
汚れていない。
傷もない。
この地面に立っているのに、この地面のものが何一つついていない。
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目が足元から上へ移動した。
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細い足首。
すらりと伸びた脚の線。
衣の裾からわずかに見えるだけで、それ以上は布に隠れている。
それでも、全体の輪郭が分かった。
無駄がない。
力みがない。
ただそこに立っているだけなのに、一枚の絵みたいだった。
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黒い髪が、肩の左側でゆるくまとめられていた。
まとめる、というより、流れ落ちている。
その先端が、胸のあたりで静かに止まっている。
耳の脇に、小さな髪留めがひとつ。
桃の実の形をしていた。
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顔を見た。
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整っていた。
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整っている、という言葉では足りない気がした。
鼻筋が細い。
唇が薄い。
目元が涼しい。
肌が白い。
老婆の皺を見た後だからかもしれないが、信じられないくらい白い。
雪というより、光に近い白さだった。
一つ一つは静かな造作なのに、集まると息が止まるような顔になっている。
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問題は、その目だった。
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何も映していない、というのではない。
こちらを見ている。
確かに見ている。
だが、見られているのに、見られていない気がする。
視線ではなく、光の当たり方みたいな目だった。
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周りで人が倒れているのに、表情が動かない。
血が飛んでいるのに、瞬きの間隔が変わらない。
この場所にいるのに、この場所のものではない。
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(……なんだあれ)
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綺麗だと思った。
思った直後に、それどころじゃないと思った。
でも目が離せなかった。
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視線が合う。
途中の動きが、なかった。
気づいたときには、もう見られていた。
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(見るな)
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理由もなく、そう思った。
あの目に見られてはいけない気がした。
でも、逸らせない。
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次の瞬間。
消えた。
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(え)
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見失う。
音がない。
気配もない。
次に見えたときには、別の場所にいた。
男の背後。
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細い刃が振られた。
桃色の微光を帯びた刃。
この場所にあるはずのない、均一すぎる光。
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血が遅れて出た。
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「やられた!!」
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声が上がる。
だが、その間にも別の場所で人が倒れる。
誰も追えていない。
結果だけが増えていく。
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タダの体が崩れた。
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(タダ!)
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倒れてはいない。
膝をついただけだ。
だが顔が上がらない。
起き上がろうとして、腕が震えている。
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(立て)
(立ってくれ)
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少女がこちらを向いた。
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距離が消える。
いつ動いたのか分からない。
気づいたときには、目の前にいた。
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桃の匂い。
血の匂いを、全部押しのけて来る。
場違いなほど甘い。
この距離で嗅ぐと、頭がおかしくなりそうだった。
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(逃げろ)
(逃げろ逃げろ逃げろ)
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頭が叫んでいる。
足が聞かない。
体が聞かない。
全部が固まって、動かない。
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少女の顔が、すぐそこにある。
怖い。
怖いのに。
怖いのに、目が逸らせない。
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刃が上がる。
桃色の光が、一瞬だけ目に入った。
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少女の口が、わずかに動いた。
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「誤差、確認」
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声が来た。
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小さかった。
鈴が鳴るような、細くて澄んだ音だった。
だが抑揚がない。
怒りも、悲しみも、迷いも、何もない。
その声で、自分の死を読み上げられている。
それだけが分かった。
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(……なんだそれ)
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音が遅れた。
世界が、一拍ずれた。
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香りだけが残った。
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そして俺は、死んだ。
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息が入った。
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「っ……は、は……!」
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肺に空気が流れ込む。
体がびくりと跳ねる。
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目を開ける。
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空。
揺れる葉。
枝の隙間から落ちる白い光。
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背中の下には土がある。
湿っている。
少し冷たい。
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全部、同じだった。
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(……戻ってる)
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胸に触れる。
傷はない。
血もない。
首もある。
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でも、覚えている。
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火。
煙。
タダの背中。
少女の刃。
桃の匂い。
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「誤差、確認」
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耳の奥に、その声が残っている。
小さな鈴の音が、ずっと鳴り続けているみたいだった。
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(……死んで、戻ってる)
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腹の底に、その事実だけが落ちてきた。
冷たく。
静かに。
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(なんで)
(どうやって)
(誰が)
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答えは出ない。
出るわけがない。
森は何も答えない。
世界は、俺が一度死んだことを知らない顔で続いている。
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風が吹いた。
葉が揺れた。
鳥が鳴いている。
虫も鳴いている。
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(……怖い)
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声には出なかった。
声にしたら、もっと怖くなる気がした。
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シンは、煙を見た。
あそこに行けば、老婆がいる。
タダがいる。
南が来る。
あの少女が来る。
分かっている。
全部、また起きる。
それでも、視線だけが煙から離れなかった。
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(第二話へ)




