ミチヌシ
第十四話 ミチヌシ
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それは、いつもと同じ朝のはずだった。
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コトが起き上がって、シンの顔を覗き込んだ。
目と目が合った。
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「起きた?」
「起きた〜」
「おはよう」
「おはよう!」
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コトは満足そうにうなずいて、走っていった。
どこへ行くのか分からない。
ただ走っていった。
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(元気だな)
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シンも起き上がった。
空が明るい。
鳥が鳴いている。
いい朝だ。
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火のそばで、ユナが何かを煮ていた。
木の実と、干した魚を一緒に煮ている。
匂いがいい。
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「腹減った」
「もうちょっと」
「どのくらい」
「もうちょっと」
「それ、何分くらいですか」
「もうちょっと」
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(会話にならん)
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待つ。
煮える。
うまい。
朝から幸福だ。
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(ここ、悪くないな)
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素直にそう思う。
種を残したことで揉めて、南が要求を高じさせて、色々あった。
でも、今日みたいな朝がある。
それは確かだ。
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午前中は畑の水やりを手伝った。
芽が少しずつ育っている。
最初より、太くなった。
根が張ってきた感触がある。
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(育ってる)
(ちゃんと育ってる)
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コトが隣に来て、芽を覗き込んだ。
「でかくなった」
「そうだな」
「食べられる?」
「ん〜もうしばらくかかる」
「どのくらい」
「もうしばらく」
「ユナみたいなこと言う」
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(失礼な)
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コトはケタケタ笑いながら走っていった。
また走っていった。
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午後になった。
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最初に気づいたのは、タダだった。
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タダが集落の西側を見ている。
作業の手が止まっている。
声は出していない。
ただ、見ている。
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シンもそちらを見た。
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森の縁。
木の影の中。
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人がいた。
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一人だ。
動いていない。
ただ、立っている。
こちらを見ている。
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(いつから)
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分からない。
気づいたときには、いた。
音がしなかった。
気配もなかった。
それなのに、いる。
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集落の空気が変わった。
子供たちが動きを止める。
女たちが集まる。
男たちが前に出る。
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タダが一歩踏み出した。
声を上げる。
誰だ、という意味らしい。
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森の影の人間が、動いた。
ゆっくりと、木の陰から出てくる。
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背が高かった。
タダより、頭一つ分高い。
体が削ぎ落とされている。
余分なものが何もない。
肉も、脂肪も、迷いも。
全部、削ぎ落とした後みたいな体だ。
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(……でかい)
(タダより、でかい)
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装備は少ない。
刃はある。
腰に下げている。
でも抜いていない。
首のあたりに、細い縄が巻かれている。
縄の先に、緑色の石が下がっていた。
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(あれ)
(ヒスイか)
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なぜその名前が出てきたのか分からない。
でも分かる。
緑色の、半透明の石。
光を受けて、ぼんやりと輝いている。
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男は集落の中央近くまで歩いてきた。
止まった。
タダと向かい合う。
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「食い物がある、と聞いた」
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言葉が分かった。
音が違う。
北の言葉でも、南の言葉でもない。
もっと削ぎ落とされた音だ。
子音が強い。
母音が短い。
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「ない」
タダが返す。
「あるだろう」
「ない」
「畑を見た」
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男の目が、集落の外れへ動いた。
畑の方を見ている。
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(見えてる)
(ちゃんと見えてる)
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距離がある。
それでも見えている。
目がいい。
それだけじゃない。
何かを探し続けている目だ。
常に、探している。
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「種を持ち込んだのは、誰だ」
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男が言った。
集落全体に向けて言った。
声が低い。
遠くまで届く声だ。
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誰も答えない。
シンも黙っていた。
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(なんで知ってる)
(種のことを、なんで)
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男はゆっくりと視線を動かした。
一人一人を見ている。
その視線が、シンで止まった。
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シンは息を飲んだ。
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男は何も言わなかった。
ただ、シンを見た。
三秒か、四秒か。
それだけ見て、視線を外した。
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「道を止めるな」
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男が言った。
タダに向けて言った。
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「道?」
「この先に、道がある」
「知っている」
「お前たちの畑が、その道にかかる」
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タダが黙った。
シンも聞いていた。
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(道)
(道にかかる、畑)
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地形が頭に浮かぶ。
畑は集落の西寄りにある。
西は森だ。
その森を抜けると、どこへ続くのか。
考えたことがなかった。
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「どかせ、とは言わない」
男は続ける。
「ただ、知っておけ」
「何を」
「道は、止まらない」
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それだけ言って、男は踵を返した。
来たときと同じように、ゆっくりと歩く。
森の縁まで歩いて。
木の陰に入って。
消えた。
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音もなく。
気配もなく。
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集落がしばらく、静まり返った。
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タダが戻ってきた。
シンの横に立つ。
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「タダ、あの人は」
「……ミチヌシ」
「名前、知ってるんですか」
「噂は聞いていた」
「どんな人間ですか」
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タダは空を見た。
雲が流れている。
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「道を守る者だ」
「道を守る」
「……そういう人間がいる。道の端から端まで、全部知っている」
「西の人間ですか」
「西にも、南にも、属していない」
「じゃあ、何者ですか」
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タダは少し間を置いた。
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「道、そのものだ」
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シンは少し黙った。
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(道、そのもの)
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「ヒスイを持っていた」
「……見たか」
「首に、緑の石」
「それを持っている者が、道守だ」
「なんで、それが証になるんですか」
「流れを知っている者の証だ。どこから来て、どこへ行くか。その流れを持っている者だけが、持てる石だ」
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シンは畑の方を見た。
芽が揺れている。
午前中に水をやったばかりの、青い芽。
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(道にかかる)
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ミチヌシの言葉が、じわりと広がる。
あの畑が、誰かの道の上にある。
誰かが通ってきた道の上に。
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(種を残した時、そこまで考えなかった)
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コトが走ってきた。
「シン、何かあった?」
「大丈夫だ」
「本当に?」
「たぶん」
「たぶんか〜」
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コトは納得したのかしていないのか、またどこかへ走っていった。
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シンは西の森を見た。
ミチヌシは、もういない。
でも、道はある。
見えないけど、ある。
この集落の、すぐそこに。
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(また来る)
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そう思った。
脅しではなかった。
約束だった。
そういう目だった。
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夕方になった。
ユナが夕食の準備をしている。
コトが邪魔をしている。
老婆が火のそばで何かを呟いている。
タダが外周を見ている。
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いつもと同じ夕方だ。
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(でも)
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何かが変わった気がした。
見えないところで、何かが動き始めた。
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芽が、夕風に揺れている。
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