霊山城
第百二十二話 霊山城
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「これ、城なのか?」
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山へ入って最初に出た言葉が、それだった。
城を囲うような石垣も、大きな堀もない。
岩と木の間を縫う山道の先に古い堂があり、その奥にも別の屋根が見えた。道脇には大きな礎石が残る。
鐘が鳴り、僧の横を弓兵が走っていく。
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柵。物見。馬。薪と矢束。
炊煙の下では女たちが鍋をかき回し、文書を抱えた男が走る。
寺と軍営と役所と町が、山の上で重なっていた。
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「城だ」
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後ろから、タダが言った。
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「寺にも見えるけど」
「寺でもある」
「どっちなんだよ」
「両方だ」
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シンがもう一度あたりを見回した時、坂の上から一人の武士が駆け下りてきた。
日に焼けた細い顔。使い込まれた直垂の袖を腕までまくり、腰には太刀と文書入れを一緒に下げている。
男は白馬の顕家へ頭を下げ、それからタダを見た。
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「戻ったか。……で、タダ」
「何だ」
「薪を取りに行っただけだったよな」
「そうだ」
「どうして殿と、知らない二人まで増えてる」
「拾ったのは殿だ」
「……まあ、そうだろうと思った」
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男は軽く額を押さえた。
顕家が馬上で胸を張る。
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「国継。細かいことを言うな。すべて私の見事な判断によるものだ!」
「はいはい。で、朝飯は?」
「……食った!」
「何を?」
「気合を」
「それは朝飯とは言いません」
「細かい!」
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男は小さく息を吐いた。
慣れきっている顔だった。
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「伊佐国継だ。この山より北に本領がある」
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シンは頭を下げた。
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「シン」
「モモ」
「聞いてる。山で派手にやったらしいな」
「殿とモモがな」
「……まあ、見れば分かる」
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国継はそれ以上追及しなかった。
顕家が国継を指す。
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「国継。お前もこいつらを見ていろ」
「……はいはい」
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国継は今度はタダの肩の薪を見た。
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「タダが見張り役じゃなかったのか」
「こいつ一人に任せたら、お前たちへ飯を食わせて終わる」
「十分じゃないか」
「……そう言うと思った」
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タダは薪を担ぎ直した。
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「まず飯だ」
「ほらな」
「私も同意するぞ!」
「殿が一番食いたそうじゃないですか」
「違う! 私は皆に付き合ってやるだけだ!」
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通されたのは、堂の脇に建つ板葺きの建物だった。
広くはない。
柱には古い傷があり、壁際には絵図と文箱が積まれている。元は僧の住まいだったらしい。
木椀が並んだ。
粟飯。蕪と豆の汁。干し魚。塩漬けの蕨と大根。
豪華ではないが、湯気が立っていた。
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シンの腹が鳴った。
今度は誰も黙らなかった。
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「お前もか!」
「俺は腹が減ったことを否定してない」
「私は別に減ってはいない!」
「まだ言いますか」
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国継が椀を置きながら言った。
その時、顕家の肩へ小さな手が置かれた。
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「飯」
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いつ入ってきたのか分からなかった。
顕家の後ろに、小柄な老女が立っている。
六十ほどに見える。灰色を混ぜた髪をきっちりまとめ、細い身体に地味な袿を重ねていた。
年寄りなのに、動きだけが妙に速い。
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「小萩、分かっている!」
「朝から食べてないね」
「気合は食った!」
「飯じゃない」
「今から食うところだ!」
「なら食べな」
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顕家は口を開いた。
閉じた。
素直に椀を取った。
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「あの大将軍、負けたぞ」
「小萩には、いつも負ける」
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シンが小声で言い、タダが普通の声で答えた。
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「誰が負けた!」
「殿、食べながら怒鳴らない」
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国継はそう言って、自分の汁をすすった。
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小萩はシンとモモを一度だけ見た。
モモの刀。シンの泥だらけの袖。二人の距離。
それだけを見て、飯櫃をシンの近くへ置いた。
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「食べな」
「はい」
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逆らってはいけない相手だと、シンにも分かった。
飯は少し硬く、汁は塩気が強い。
それでも、うまかった。
温かいものが腹へ落ちて、ようやく別の場所へ着いたのだと身体が分かった。
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タダは三杯目だった。
シンも息をつく間もなく二杯目へ進んだ。
顕家は誰より早く一膳目を空にし、当然のように二膳目を差し出している。
モモだけが静かに食べ続けていた。
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「殿」
「何だ」
「二膳目ですよ」
「うむ!」
「もう隠す気ないじゃないですか」
「何をだ!」
「腹が減ってることです」
「違う! これは将として兵糧の出来を確かめているのだ!」
「はいはい」
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小萩の手が伸び、顕家の椀へもう一匙よそった。
顕家は満足そうに頷いた。
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「バアさん。俺にも」
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タダが椀を出す。
次の瞬間、飯杓子がその頭を叩いた。
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「小萩」
「小萩」
「よろしい」
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タダは何事もなかったように言い直した。
国継が苦笑する。
顕家が笑った。
兵まで笑いを堪えている。
モモが、少し目を細めた。
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ここでは、笑っても誰も死なないらしい。
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食事が終わると、国継はシンとモモを連れて霊山を歩いた。
見張りと案内を兼ねている。
タダも途中までついてきたが、兵糧蔵の前で呼び止められた。
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「タダ、その俵を二つ、上の蔵へ運べ」
「分かった」
「一つずつでいいぞ」
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タダは二つまとめて肩へ載せた。
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「……まあいい。板だけ踏み抜くなよ」
「分かった」
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タダはそのまま坂を上っていった。
足元の板は、ぎしりとも鳴らなかった。
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「壊してないな」
「そういう問題でもないんだけどな」
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国継は肩をすくめて歩き出した。
その横を、経巻を抱えた僧が通る。
堂の前では読経が続き、少し下では兵が弓弦を張る。
蹄を調べる者。俵を数える者。文書を写す者。
使者は坂を上り、返書を持って下りていった。
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「山の上に、全部あるんだな」
「全部置かなきゃ、ここでは戦えない」
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国継が答えた。
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「兵だけ集めても腹が減る。馬も食う。弓は湿る。道は崩れる。誰がどこを守るか決める者もいる」
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口調は落ち着いている。
国継の目は、通る兵の顔も、減った薪の山も、道のぬかるみも見落とさなかった。
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「なあ、モモ」
「何」
「あいつ、結局何者なんだ?」
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シンは、坂の上を指した。
白と金の袖が、別の建物へ入っていくところだった。
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「北畠顕家。北畠親房の子。若い公卿」
「公卿」
「陸奥守。鎮守府大将軍。奥州にいる南朝方の中心」
「肩書きが多いな」
「権限も大きい」
「そんなすごいやつなのか」
「かなり」
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シンは、さっき二膳目を兵糧の確認と言い張った男を思い浮かべた。
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「見えないな」
「食事と能力は別」
「南朝って何だ?」
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モモが少しだけシンを見る。
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「今は、建武の新政が崩れた後」
「もう分からない」
「早い」
「そこから説明してくれ」
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モモは歩きながら言葉を選んだ。
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「足利尊氏が京の朝廷を支え、後醍醐帝は吉野へ移った。朝廷が二つある」
「朝廷が二つ?」
「京と吉野」
「帝が二人いるのか?」
「そういう状態」
「ややこしいな」
「かなり」
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モモは坂の上を見た。
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「京には北朝。吉野には南朝。顕家は南朝側」
「じゃあ、こっちは吉野側の東北本部みたいなものか」
「近い」
「国が二つに割れてる?」
「そんなに綺麗じゃない。土地ごとに立場が違う」
「もっと面倒だった」
「うん」
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国継が横からモモを見る。
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「その辺まで知っているのか」
「知っている」
「北の小さな武士の娘が?」
「そう言った」
「答えになってないな」
「設定は維持する」
「せってい?」
「家の事情」
「今、言い直しただろ」
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国継は苦笑した。
声は荒らげなかった。
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「まあいい。殿が面白がる理由は少し分かった」
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モモは気にせず、崖際の物見から下を見た。
山道が細く折れ、木々の間を麓へ落ちる。遠くには川と田畑が見えた。
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「多賀城より守りやすい」
「知っているのか」
「地形を見れば分かる。登れる道が少ない。堂と僧坊も区切りになる」
「なら安全か?」
「違う。上にいる人は、下から運ばれる物がなければ生きられない」
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モモの目が、再び山内へ向いた。
馬。兵糧。矢。文書。
到着したばかりの武士と、小分けにされている荷。
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「籠もる準備だけじゃない」
「何?」
「馬具を直している。兵糧を小分けにして、兵の組も作り直している」
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モモは短く言った。
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「大きく動く準備」
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国継の顔から軽さが消えた。
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「そこまで誰に聞いた」
「見た」
「それだけで?」
「十分」
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国継はモモを見て、踵を返した。
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「殿のところへ行こう」
「案内は終わりか」
「少し見てもらいたくなった。お前が何を見ているのか」
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顕家は、政務に戻っていた。
低い机を三つ並べ、文書と絵図を広げている。
道の崩れを聞きながら別の書状へ返事を口述し、兵の数まで直していた。
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「その五十は揃わぬ。来るなら昨日、先触れが着いている。三十として場所を空けろ」
「しかし、書状には」
「書状を書いた時には五十いたのだろう。雪解けの道を三日歩けば、馬も人も足並みが崩れる。遅れた者は後から回せ」
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次の文書を取る。
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「東の荷は今夜上げるな。西の峰が隠れた。雨になる。麓の堂へ入れ、道が締まってから運べ」
「はっ」
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使者が走り去る。
顕家はようやく顔を上げた。
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「国継。案内にしては早いな」
「この娘が、見ただけで城の動きを読みました」
「ほう」
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顕家の目が輝いた。
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「モモとやら。こちらへ来い」
「命令?」
「客ではない。まだ預かりだ。命令だ!」
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顕家は絵図の前を空けた。
墨で引かれた山と川。道。村。寺。
その横には兵、馬、米、塩、飼葉の数を書いた紙がある。
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「ここにある兵を山から出すとする」
「どこへ」
「まだ教えぬ」
「いつ」
「それもだ」
「なら、分からない」
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国継の眉がわずかに動く。
顕家は怒らなかった。
むしろ、口元を上げた。
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「未来は読めぬか」
「分からない」
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モモは絵図を見る。
指先で、紙の端を押さえた。
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「でも、今あるものなら読める」
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顕家の笑みが深くなった。
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「よかろう。なら問う。この軍を最初に止めるものは何だ」
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モモは紙から窓の外へ目を移した。
馬。濡れた飼葉。蹄を削る音。
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「兵糧じゃない」
「馬だ」
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二人の声が重なった。
国継が顕家を見る。
顕家は一瞬だけ目を見開き、すぐ楽しそうに笑った。
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「続けろ!」
「北から来た馬は休めていない。蹄が減ってる。飼葉も濡れてる」
「うむ」
「一度に下ろせば先の馬が道を泥にする。後ろの荷駄が遅れる」
「だから組ごとに時をずらし、飼葉を先へ送る」
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顕家が絵図の三か所を指した。
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「ここ、ここ、ここへ分ける。だが、まだあるぞ」
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モモは兵糧の紙を取った。
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「この米は、全部持ち出せない」
「なぜだ」
「寺と、ここに残る人の分がいる」
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顕家の指が、絵図の寺の印へ落ちた。
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「その通りだ。一つは残す」
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顕家も見落としていない。
それでも、初見のモモが同じところへ届いた。
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顕家は腕を組んだ。
モモも黙って見返す。
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「気に入った!」
「……早いですよ、殿」
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国継が呆れたように言った。
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「何が早い。これほど面白い者を近くへ置く判断に、時間をかける方が愚かだ!」
「身元は、まだ何一つ分かってませんけどね」
「私も信じてはいない!」
「それでいいんですか」
「よい!」
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顕家は言い切った。
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「嘘をつきながら媚びぬ。分からぬことを、分かるふりもしない」
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顕家がモモを指す。
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「そして私と同じ結論へ来る。気に入らぬ理由がない!」
「最後、自分を褒めたいだけだろ」
「無論だ! 私の判断は褒めるに値する!」
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シンが言うと、国継が小さく笑った。
そこへ、空になった俵を抱えたタダが入ってきた。
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「話は終わったか。こいつらの寝る場所を作るぞ」
「まだ私が決めていない!」
「では、外で寝かせるのか」
「そうは言っていない!」
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顕家が立ち上がった。
白い袖を大きく払う。
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「決めた。シン、モモ。二人を預かりから客へ格上げする!」
「客?」
「うむ! ただし、勝手に城を下りるな。出歩く時は国継かタダへ一声かけろ」
「それ、まだ預かりとあんまり変わらなくないか?」
「違う! 飯も寝床も客として用意する!」
「そこなのか」
「大事だぞ!」
「殿にとっては特にな」
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国継がぼそりと言った。
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「モモは、私が求めた時には意見を言え!」
「分かった」
「シンは……」
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顕家は少し考えた。
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「……飯を食いすぎるな!」
「俺だけ扱いが雑じゃない!?」
「お前はそれくらいしか注意することがない!」
「それは褒められてるのか?」
「たぶんな」
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国継が小さく笑った。
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「ええい! とにかく今日から客だ! 私がそう決めた!」
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顕家は、大仰で妙に明るく笑った。
その背後を、モモが見た。
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右手が、フツの柄へ触れる。
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顕家本人は気づかない。
モモは何も言わなかった。
まだ薄く残る何かを確かめるように、指先へ力を込めた。
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夜。
シンとモモには、古い僧坊の一室が与えられた。
板敷きに畳が二枚。
その上には、衾が一組だけ置かれていた。
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シンは入口で止まった。
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「……一組?」
「うん」
「これ、寝床だよな」
「そう」
「一つしかないけど」
「一緒に使えばいい」
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シンの思考が止まった。
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「……一緒に?」
「うん」
「俺と、お前が?」
「他に誰がいるの」
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モモは真顔だった。
だから余計に困る。
同じ部屋。
衾は一組。
その中にモモ。桃の匂い。
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(待て待て待て)
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心臓が、急にうるさくなった。
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「いや、でもこれ、一人用だろ」
「詰めれば入る」
「入るとかそういう問題じゃなくて!」
「シンは大きくない」
「そういう問題でもない!」
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モモが首を傾げた。
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「嫌?」
「嫌とかじゃない!」
「じゃあ、いい」
「よくない!」
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モモの視線が、赤くなっていくシンの顔で止まる。
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「顔が赤い」
「赤くない」
「赤い」
「ちょっと暑いだけだ」
「夜は寒い」
「分かってる!」
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モモはもう一度、衾を見た。
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「なら、使って」
「だから一緒に――」
「私は寝ない」
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「……は?」
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シンが固まった。
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「寝ない?」
「うん」
「朝まで?」
「うん」
「じゃあ、さっきの『一緒に使えばいい』は何だったんだよ!」
「一組しかないって気にしてたから」
「だからってその案を出すな!」
「詰めれば入る」
「一緒には入らないからな!?」
「嫌?」
「そういう聞き方やめろ!」
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モモがほんの少し首を傾げる。
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「変」
「お前が言うな!」
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シンは力が抜け、そのまま縁へ出た。
山の風が、火照った頬を冷ましていく。
遠くで鐘が鳴る。
見張りの火が木々の間を動く。
人の声も、今は風と馬の鼻息に混じるだけだった。
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モモも縁へ来た。
膝へフツを置き、シンの隣へ座る。
少しだけ間を空けて。
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「それにしても」
「何」
「朝廷が二つって、やっぱり変な時代だな」
「うん」
「慣れたくない」
「そのうち慣れる」
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シンは昼間の霊山を思い返した。
堂。兵。僧。馬。飯。文書。
騒がしい顕家と、周りの人たち。
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「顕家って、この先どうなるんだ?」
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モモはすぐには答えなかった。
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「知ってるんだろ」
「知識はある」
「じゃあ」
「……今は言わない」
「何で」
「まだ、ここにいるから」
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シンはモモを見た。
それ以上は聞かなかった。
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「顕家の後ろにあったってのは」
「……神託」
「まだある?」
「ある」
「何か分かった?」
「正体は、まだ」
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モモの指が、フツの鞘を撫でた。
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「薄い。でも、まだある」
「そっか」
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今夜は、それでよかった。
分からないものを無理に斬らず、明日まで持ち越せる。
そんな夜は、今まであまりなかった。
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「でも、あいつ綺麗だよな。男なのに」
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モモがシンを見た。
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「別に」
「いや、かなりだろ」
「誤差」
「何と何の?」
「比較不要」
「怒ってる?」
「不同意」
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モモは顔を背けた。
桃の髪留めが、月の薄い光を拾う。
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「また言った」
「何を」
「綺麗」
「覚えてたのか」
「記録」
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シンは少し笑った。
モモは笑わなかった。
けれど、離れもしなかった。
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「今日は、ずっと一緒だったな」
「うん」
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隣にはモモの手がある。
触れてはいない。
それでも、同じ板の上にあった。
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「明日もいる?」
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モモはすぐに答えた。
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「いる」
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「そっか」
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鐘が、もう一度鳴った。
風が山を越え、遠い火を揺らす。
桃の匂いは、まだ隣にある。
それだけで、明日というものが、少しだけ普通の形をした。
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(第百二十三話へ)




