モモ 対 花将軍
第百二十一話 モモ 対 花将軍
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「武器を捨てろ!」
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山へ声が響いた。
前。後ろ。川向こう。さらに斜面の上。
四方の弓が、シンとモモへ向いている。
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モモは動かなかった。
白い袖の下で、右手だけがフツの柄へ触れている。
シンは両手を上げたまま、隣を見る。
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「いや、だからさ。今その手を動かしたら余計やばいだろ」
「問題ない」
「俺にはある」
「黙って」
「無茶言うな」
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兵の一人が一歩出た。
まだ若い。だが鎧は泥に汚れ、弓を持つ指に迷いはない。
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「何者だ!」
「旅の者」
「そのような女が刀を持って旅をするか!」
「する」
「なんだと!」
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シンは少しだけ笑いそうになった。
笑っていい場面ではない。
なのに、モモの返答があまりにも平然としていた。
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「おい、もうちょいごまかすとか……」
「検討中」
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モモの目は兵を見ていなかった。
馬の位置。
斜面の崩れかけた端。
川岸のぬかるみ。
弓兵同士の射線。
枯れ枝の張り出し。
人が一人、抜けられるだけの隙間。
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「シン」
「何だ」
「三つ数えたら伏せて」
「やだよ、その言い方は嫌な予感しかしない」
「一」
「早い!」
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モモが一歩前へ出る。
兵の馬が鼻を鳴らした。
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「二」
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フツは抜かなかった。
鞘のまま地面へ突き立てる。
雪解けの泥に沈み込む。
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「三」
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鞘を跳ね上げた。
泥水が前列の馬の顔へかかる。
馬が嘶き、首を振り、隣の馬へ体当たりした。
弓兵の射線が一気に崩れる。
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「伏せて」
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シンは左へ飛び込んだ。
モモは鞘を返し、その勢いのまま斜面の枯れ木を叩いた。
頭上で枝が折れる音。
枯れ木が、斜面側へ崩れた。
上の弓兵たちが思わず退く。
馬がさらに暴れ、槍の先が味方同士へ向く。
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「走る」
「どこに!」
「そこ」
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モモがシンの袖を引いた。
兵と馬の間に残った、岩壁沿いの細い道。
最初から一つだけ空いていた隙間へ、二人は飛び込む。
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「待て!」
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背後で怒号が上がった。
だが矢は来ない。
撃てば味方と馬へ当たる。
山道が曲がり、追手の姿が木々の向こうへ消えた。
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「やったか!?」
「その台詞はだめ」
「何で!」
「失敗の予兆」
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前の霧が、すっと割れた。
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蹄の音。
一つ。
ゆっくりと。
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白い馬だった。
残雪の光を集めたような葦毛。
その背に、若い武者がいた。
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白を基調にした胴丸へ、金の威しが細かく走っている。
肩から広がる袖には花の文様。
細い腰に太刀と短刀。
高く結われた黒髪へ、金の紐と飾りが幾重にも絡み、風のたびに長い髪が揺れた。
烏帽子の黒が、その白さをさらに際立たせている。
頬はなめらかで、顎の線は細い。
目は涼しいのに、口元だけがやけに勝気だった。
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「ふふふっ」
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高い声がした。
次の瞬間。
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「はーっはっはっはっ!」
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若い武者は、馬上で胸を張って笑った。
山の中なのに、そこだけ舞台みたいだった。
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「見事だな! 我が兵を斬らず、馬だけ乱して抜けたか!」
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背後の兵たちが追いつき、道を塞ぐ。
前には白馬の武者。
後ろには追いついた兵。
今度こそ、道は閉じた。
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「だがしかし!」
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若い武者が手綱を軽く引く。
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「逃げ道を一つ残しておけば、人はそこへ走る」
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勝ち誇った顔だった。
自分の仕掛けに、自分で満足している顔だった。
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「どうだ! 我が兵法に、まんまと引っかかったな!」
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シンは思わず言った。
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「うわ、感じ悪い」
「感じは良いぞ!」
「自分で言うのか……」
「言う! 事実だからな!」
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白馬の武者は、また笑った。
この状況で、まるで宴の席にでもいるような笑い方だった。
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「名を聞こう」
「まずそっちの名前が気になる」
「ふん。よかろう!」
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背筋を伸ばす。
薄く広がる袖が風を孕んだ。
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「陸奥守兼鎮守府大将軍!」
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兵たちが一斉に頭を垂れる。
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「北畠顕家だ!」
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シンはぽかんとした。
聞いたことのない名前だった。
けれど、肩書きだけはすごい。
とにかく偉くて強いやつが出てきたことだけは分かった。
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(何だ、この人)
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若い。
大将軍だと名乗った。
兵たちも当然のように従っている。
それなのに。
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可憐だった。
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白と金の花を、そのまま人にしたみたいだった。
綺麗で、華やかで、細い。
触れたら折れそうなのに、周りの全部がこの人を中心に回っている。
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(男なのに)
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シンが見惚れた、その隣で。
モモの気配が変わった。
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フツの鞘が、微かに鳴った。
顕家を見ている。
正確には、その向こう側を見ていた。
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「モモ?」
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返事はない。
モモは眉を寄せた。
珍しく、分かりやすく嫌そうな顔だった。
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「そこに、何かいる」
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顕家の笑みが止まる。
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「何だと」
「薄い。けど、いる」
「何の話だ」
「分からない。でも、うるさい」
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兵たちがざわめいた。
シンにも分からない。
けれど、モモのあの顔は知っている。
何か、ひどく嫌なものを見つけた時の顔だ。
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モモが一歩進んだ。
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「少し動いて」
「誰に命じている」
「あなた」
「断る!」
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フツが鞘の中で鳴った。
モモの右手が動く。
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「射るな!」
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顕家の声が飛んだ。
兵が矢を放つより早く、白い刃が鞘を走る。
モモが斬ったのは、顕家ではなかった。
その肩越し。
何もない空間。
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顕家は馬上で身体を捻り、太刀を抜いた。
フツを受ける。
高い音が、山へ散った。
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「今の刃」
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顕家の目が細くなる。
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「私を外したな」
「あなたは斬らない」
「では、何を斬る」
「あなたの後ろ」
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顕家が背後を見た。
あるのは霧と、兵と、残雪だけだった。
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「何もないぞ」
「ある」
「ない」
「ある」
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顕家は一瞬黙った。
それから、楽しそうに笑った。
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「ふははっ! 私を邪魔だと言うか!」
「邪魔」
「よかろう!」
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顕家は馬から飛び降りた。
白い足元が泥へ降り立つ。
太刀を構え、モモの前へ立つ。
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「私の後ろを斬りたいのだろう?」
「うん」
「ならば越えてみろ」
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顕家の口元が大きく上がる。
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「私を傷つけず、その後ろとやらを斬ってみせろ!」
「できる」
「だろうな!」
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顕家は嬉しそうだった。
強い相手に出会って、隠しきれず浮かれている顔だった。
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「ちょっと待てって! 何でそうなるんだよ!」
「うるさいぞ、付き人!」
「誰が付き人だ!」
「違うのか?」
「違う!」
「でも弱そうだぞ」
「そうかもしれんけど!」
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顕家は一歩踏み込んだ。
細い身体が、真っ直ぐに入る。
速い。
見た目の可憐さとは違う、迷いのない踏み込みだった。
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モモが受ける。
フツと太刀がぶつかり、高い音が山へ散った。
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「っ」
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顕家の眉が僅かに上がった。
一撃目を受けられることまでは、顕家も読んでいた。
だが、刃を合わせた直後から次の一閃へ移る速さが、想定を超えていた。
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モモは刃を滑らせ、そのまま顕家の肩越しへ振るう。
身体ではない。
背後の、何もない場所へ。
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「何だ、それは!」
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顕家が目を見開き、初めて半歩退いた。
太刀を引き戻し、上からフツを叩き落とす。
モモは刃を外へ流し、そのまま横へ回った。
顕家も遅れず向きを変える。
白い袖と黒髪が大きく翻った。
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綺麗だ。
なのに速い。
綺麗さと速さが両立している。
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「すご……」
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シンの口から、素直に出た。
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顕家は、ただ剣が速いわけではない。
斜面。岩。足場。兵の位置。モモがシンを巻き込まないように取る間合い。
全部込みで、先に道を塞いでいる。
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「速い」
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モモが言った。
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「そっちこそ」
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顕家が笑う。
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「兵を斬らない。馬も傷つけない。そこの男は必ず庇う。優しいのか、甘いのか、どっちだ!」
「両方」
「ふはは! 正直!」
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高笑いしながら、顕家は太刀を返す。
右。左。上段。
華やかな動きなのに無駄がない。
しかも、いちいち表情が大きい。
余裕そうに笑った次の瞬間には、モモの一閃にちゃんと焦る。
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「おっと!」
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頬の横をフツが走った。
顕家の髪飾りの紐が一本、ひらりと切れて落ちる。
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「危なっ! 今のは危ないだろ!」
「危ないから斬った」
「そういう意味じゃない!」
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言い返しながらも、顕家は下がりすぎない。
自分が引けば兵が慌てると分かっている。
だから、一歩だけで止まる。
その一歩が絶妙だった。
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「天才かよ……」
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シンは呟いた。
型をなぞっているだけではない。
この人には、次に人が通る道が先に見えている。
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モモがまた顕家の背後へ刃を走らせる。
顕家が今度こそ顔をしかめた。
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「だから、どこを斬っている!」
「あなたの後ろ」
「後ろには何もない!」
「ある」
「ない!」
「ある」
「ないったらない!」
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子供みたいな言い合いだった。
そのくせ、剣だけは本気だ。
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モモの刃が落ちる。
顕家が受ける。
鍔元で押し込まれ、細い足が泥へ沈んだ。
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「くっ……!」
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ここで初めて、顕家の顔に本物の焦りが走った。
押し負ける。
そう悟った瞬間だった。
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だが、そこで無理に耐えない。
すっと力を抜き、自分から刃を外す。
モモの力が空へ抜ける。
顕家はそのまま、モモの足元を払った。
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モモが跳んだ。
白い衣がひるがえり、顕家の頭上を越える。
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「わ、すげえ!」
「シン、うるさい」
「すまん」
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着地したモモが振り返る。
また、顕家の身体ではなく、その向こうへ刃を向ける。
顕家も振り向く。
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その間へ。
太い丸太が、横から差し込まれた。
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鈍い音。
フツと太刀が、同時に木へ食い込む。
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「薪を斬るな」
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低い声だった。
大きな影が二人の間へ割り込む。
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髷をきっちり結った大男だった。
肩へ薪の束。
腰に鉈。
腕は太く、背は岩みたいに広い。
丸太の両端を片手ずつ掴んで、平然と立っている。
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タダだった。
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「タダ!」
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シンが叫ぶ。
大男が振り向く。
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「……何で俺の名を知っている」
「やっぱりタダだ」
「やっぱり、とは何だ」
「……説明できん」
「できん奴に呼ばれたのか、俺は」
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タダは丸太を持ち上げ、二人の刃を外した。
そのまま顕家を見る。
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「殿」
「何だ、タダ」
「朝から何も食っていないだろ」
「……食った」
「城のバアさんが、食っていないと言っていた」
「食った!」
「何を」
「えーと……気合を」
「飯ではない」
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兵たちが目を逸らした。
顕家の耳が少し赤くなる。
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「食う暇がなかっただけだ!」
「抜いたのだな」
「抜いてない!」
「では今すぐ握り飯を持って来させる」
「いらん!」
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その瞬間。
ぐうううう。
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腹が鳴った。
かなり立派に鳴った。
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全員が黙った。
顕家も黙った。
シンも黙った。
モモだけが、すっと目を細める。
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「腹鳴」
「鳴ってない!」
「空腹期伝播性強収縮運動」
「何を言っている!」
「いや、今のは完璧に――」
「貴様は黙れ、付き人!」
「だから違うって言ってるだろ!」
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タダは平然としていた。
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「殿。腹が減ると機嫌が悪い」
「悪くない!」
「今、だいぶ悪い」
「悪くないと言っている!」
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モモがフツを収めた。
顕家を見る。
その向こう側も、まだ見ている。
だが、さっきより刃を向ける気配は薄れていた。
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「落ち着いた」
「何がだ」
「少しだけ」
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顕家は眉をひそめる。
意味は分からない。
ただ、モモが自分ではない何かを狙っていることだけは、もう分かっていた。
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「……お前たち」
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顕家が太刀を収める。
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「名は」
「シン」
「モモ」
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顕家は腕を組んだ。
考える顔まで絵みたいに綺麗だ。
けれど、黙っていればいるほど、さっき腹が鳴った事実が面白くなる。
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「本当の名か?」
「本当」
「怪しい」
「そっちも十分怪しい」
「私は大将軍だぞ」
「だから何だよ」
「すごいだろう!」
「肩書きはな」
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顕家がふんと鼻を鳴らす。
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「モモ。お前はどこの者だ」
「陸奥の北」
「広い」
「小さな館を持つ武士の娘」
「家名は」
「名乗るほどの家ではない。争いで館を焼かれ、父も主も失った」
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シンが横目でモモを見た。
さっきまで検討中だったとは思えないほど、するすると出てくる。
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「その刀は」
「父の形見」
「そこの男は」
「ただ一人残った従者」
「誰が従者だ」
「黙って」
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顕家はシンを上から下まで見た。
腕。肩。腰。足。
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「弱そうだぞ」
「二回目だぞ、それ」
「従者として役に立つのか?」
「口数が多い。腹が減るとよく働く」
「お前、俺を何だと思ってるんだ」
「従者」
「今作っただろ!」
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兵の何人かが吹き出しそうになった。
顕家も口元を押さえる。
笑いを堪えていた。
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「それで、霊山へ何をしに来た」
「仕える先を探していた。この山には寺と館があり、兵も雑仕も集まっている」
「身元も分からぬ女が、刀を持ってか?」
「刀を捨てれば、私に残るものがない」
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顕家の笑みが僅かに薄れた。
モモの嘘は雑だった。
けれど、戦で家を失い、形見だけを持って流れてくる者は、この時代には珍しくない。
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「嘘は混じっているな。だが、全部が嘘でもない」
「そう」
「そして、お前は私を斬るつもりだったわけでもない」
「違う」
「だから余計に気味が悪い」
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顕家は少し考えたあと、指を一本立てた。
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「決めた」
「何を」
「こいつらは城へ連れていく」
「客として?」
「違う」
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顕家が胸を張る。
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「まずは預かりだ」
「縛らないのか」
「縛れば、お前は縄を切る」
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顕家はモモを指した。
次に、シンへ指を移す。
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「そこの男を人質にすれば、お前はこちらを斬る」
「斬る」
「やはりな!」
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顕家は得意げに笑い、タダを見る。
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「無理に縛るより、歩かせた方が見張りやすい。タダ、お前が見ろ。兵を四人つける」
「分かった」
「勝手に歩くな。妙な動きをすれば、今度は兵ではなく私が止める。飯を食った後で、改めて話を聞く」
「飯は出るのか」
「出る!」
「行きます」
「シン」
「飯が出るらしい」
「それは聞いた」
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顕家が呆れた顔をした。
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「お前たち、緊張感がないな」
「あんたが言うか」
「私はあるぞ!」
「腹は鳴るがな」
「タダ!」
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兵たちが今度こそ笑った。
顕家は顔をしかめたが、怒らなかった。
むしろ、笑われ慣れているようだった。
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一行は山道を登り始めた。
先頭は白馬の顕家。
その後ろに兵。
シンとモモの両脇を四人の兵が固め、そのすぐ後ろに、薪と丸太を担いだタダがついた。
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「なあ、タダ」
「何だ」
「本当に覚えてないのか」
「お前をか」
「うん」
「覚えていない」
「そっか」
「だが、腹が減っている顔は見慣れている気がする」
「何だそれ」
「そういう顔だ」
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シンは笑った。
やっぱりタダだと思った。
何がどうして同じなのか、説明はできない。
けれど、こういう時に飯の心配をする男は、タダ以外に考えられなかった。
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前を行く顕家が、馬上から振り返る。
金の紐が髪と一緒に揺れた。
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「シンとやら!」
「何だ」
「さっきから私を見すぎだ!」
「み、見てねえよ」
「見ている」
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モモが即答した。
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「お前まで!」
「綺麗だと思っている」
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シンが固まった。
顕家も固まった。
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「何で言う!」
「事実」
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顕家は数秒黙ったあと、ふっと笑った。
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「まぁ当然だな!」
「受け入れるのかよ!」
「私は美しいからな!」
「自分で言い切った!」
「言い切れるだけの根拠がある!」
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その言葉に、シンは妙に納得した。
馬鹿っぽい。
でも本当に強い。
それが腹立つくらい似合っていた。
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やがて、霧の向こうに屋根が見えた。
寺の堂。館。柵。見張り櫓。炊煙。
山の上に、寺と城と町がまとめて乗っている。
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「霊山城だ」
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顕家が前を向いたまま言う。
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「歓迎はしない。だが、飯は食わせる」
「十分だ」
「そうか」
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モモは黙ったまま、フツの柄へ軽く触れた。
まだ、何かを気にしている。
顕家の後ろに薄く残る、よくないものを。
それでも、少なくとも今すぐ斬るつもりはないらしい。
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「とりあえず」
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シンが言う。
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「飯だな」
「うむ」
「同意」
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タダとモモが即答した。
顕家だけが、馬上で大きくため息をついた。
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「お前たち、本当に変なやつらだな」
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その声は、少しだけ楽しそうだった。
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(第百二十二話へ)




