いざ鎌倉
第百十二話 いざ鎌倉
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「……阿津賀志は、落ちる」
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モモは、そう言った。
シンの前に立っている。
遠い尾根でも、木々の向こうでもない。
手を伸ばせば、薄桃の衣に触れられるほど近かった。
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「……いきなり、それかよ」
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文治五年八月八日。
阿津賀志山、最初の朝。
防塁の向こうで、矢が降っている。
盾が鳴る。
角笛が響く。
国衡の声が、兵を動かしている。
まだ、落ちていない。
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「正面なら守れる」
モモが言った。
「湿地も止められる。山道も塞げる」
「だったら」
「その後、内側から壊れる」
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腹の奥が痛んだ。
傷はない。
藤次の刀だけが、まだ残っている。
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「神託兵を先に捕まえる」
「別の兵が使われる可能性が高い」
「国衡に誰も近づけない」
「それでは命令が止まる。防塁が崩れる」
「じゃあ、神託を受けてる奴を全部見つける」
「見分けられない」
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答えが、端から潰されていく。
自分でも考えた答えだった。
全て、さっき自分で潰した。
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「戦で押し返しても、奥州が敗れる流れは残る」
モモは戦場を見た。
「戦の勝敗を変えれば、神託が別の敗因を作る」
「そんなの……」
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シンは土を蹴った。
乾いた塊が、堀へ転がる。
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「そんなの、どうすればいいんだよ!」
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兵が一人、こちらを見た。
すぐに正面へ戻る。
戦っている。
誰もが、今なら守れると信じている。
シンも二度、そう信じた。
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「国衡は何も間違えてない」
「知ってる」
「兵だって逃げなかった。皆、ここを守った」
「知ってる」
「それなのに、何で負けなきゃいけないんだ」
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モモは答えなかった。
慰めもしない。
できないのだと思った。
少しだけ、目を伏せた。
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「……私も、不愉快」
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小さな声だった。
戦の音に消えそうだった。
それでも、シンには聞こえた。
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「方法が、一つだけある」
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モモが顔を上げる。
「可能性は、限りなく低い」
「ゼロじゃない?」
「ゼロに近い」
「なら、ある」
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モモが少し止まった。
そういう数え方はしないらしい。
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「……流れの大元を変える」
「大元?」
「この戦を始めた者」
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白旗の向こう。
山を埋めるほどの兵の、さらに向こう。
一人の男が浮かんだ。
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「源頼朝」
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モモが頷いた。
「直接、止める」
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無茶だった。
槍も使えない。
弓も引けない。
敵陣へ入る方法すらない。
会えたとして、何を言えば止まるのかも分からない。
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「行く」
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それでも、答えはすぐに出た。
モモがシンを見る。
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「まだ何も考えてない」
「行きながら考える」
「効率が悪い」
「七回死んで考えても、答えが出なかったんだ」
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シンは南を見た。
「だったら、まだやってないことをやる」
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モモの髪が、風に揺れた。
「……私も行く」
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「え?」
「同行する」
「本当に?」
「しつこい」
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少し怒っていた。
それが嬉しくて、シンは笑いそうになった。
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「先に、皆へ話してくる」
「私は山側で待つ」
「いなくならない?」
「たぶん」
「そこは言い切ってくれよ」
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モモはもう歩き出していた。
桃の香りだけが、一度振り返った。
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国衡は、大木戸にいた。
高楯黒の上から、正面の白旗を見ている。
シンが駆け寄るより先に、命令が飛んだ。
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「シン! 湿地へ走れ!」
「鎌倉勢は馬を捨てる! 板を並べて入ってくる!」
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国衡が振り返った。
直後、湿地側から角笛が鳴る。
斥候が泥を跳ね上げて走ってきた。
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「敵、湿地へ!」
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国衡の目が細くなった。
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「なぜ分かった」
「この後、山側にも来る。大木戸には丸太を打ちつける」
「明日は、防塁の弱いところを探りに来る」
「明日の夜、七騎を先頭にした別働隊が鳥取越へ入る。明後日の朝、正面から総攻撃が来る」
「待て」
「鳥取越の入口を空けて、七騎と後続を谷へ入れてから前後を塞げ。水門には錠を掛けて。見張りは三倍」
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言葉が止まらない。
一度、国衡へ伝えた言葉だった。
今の国衡は、初めて聞いている。
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「それと、鳥取越を守った兵を近づけるな」
「味方だぞ」
「味方だから駄目なんだ」
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国衡の顔から、戦の勢いが消えた。
シンを見る。
泥。
血のついていない腹。
何度も負けた者の目。
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「……どこまで見た」
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シンは一度、息を止めた。
「国衡が死ぬところまで」
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高楯黒が鼻を鳴らした。
国衡は笑わなかった。
信じるとも言わなかった。
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「それで、お前はどうする」
「戦場を離れる」
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近くの兵がこちらを見た。
国衡が手を上げる。
兵たちが離れた。
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「逃げるのか」
「流れを変えに行く」
「どこへ」
「鎌倉の陣」
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国衡が、初めて変な顔をした。
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「何をしに」
「頼朝と話す」
「会えるのか」
「分からない」
「何を話す」
「まだ分からない」
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国衡が目を閉じた。
山で初めて会った時と同じだった。
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「……何も分からぬまま、頼朝の陣へ行くのか」
「でも、行く」
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国衡はしばらく黙った。
湿地側で水が落ちる音がした。
奥州兵の歓声が上がる。
シンの言った通りに、敵が沈んだ。
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「俺は、ここで戦えばよいのだな」
「正面なら勝てる」
「その先で殺されるのだろう」
「だから、その先を変えてくる」
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国衡が南を見た。
白旗の奥を見ようとしていた。
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「槍も弓も使えぬ男が、頼朝を口で止めるか」
「馬にも速く走られたら落ちる」
「それは今、言わなくてよい」
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国衡が笑った。
短く、すぐに将の顔へ戻る。
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「行け」
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「信じるのか?」
「信じねば、俺が死ぬのだろう」
「たぶん」
「ならば信じる。俺は死にたくない」
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国衡は高楯黒の首を叩いた。
「一日、持たせる。二日でも三日でも持たせる。お前は、その間に流れとやらを変えてこい」
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「分かった」
「復唱」
「流れを変えて、戻る!」
「よし。行け!」
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今度は、命令だった。
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タダは、国衡から話を聞く前に荷を作っていた。
干し飯。
味噌を焼いたもの。
干し肉。
水袋。
なぜか二人分あった。
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「何で分かった」
「お前が飯を残した」
「それだけ?」
「遠くへ行く顔だった」
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タダが袋の口を縛る。
「もう一人は」
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桃の香りが、微かに流れていた。
タダが鼻を動かす。
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「いるんだろ」
「……いる」
「なら二人分だ」
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理由を聞かなかった。
どこへ行くかも、国衡から聞いているはずだった。
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「戻ったら、鍋を作る」
「いつもの大鍋?」
「もっと大きいのを探す」
「勝手に隠居先の道具を増やすな」
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タダが笑った。
笑ったまま、シンの肩へ手を置く。
重かった。
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「食って、生きて、戻れ」
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三つだった。
タダが大事にすることは、いつも少ない。
少ないから、間違えない。
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「分かった」
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「分かってない」
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ユウガオが立っていた。
水桶を置いたところだった。
腕に血のついた布を巻いている。
怪我ではない。
誰かを助けた血だった。
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「どこへ行くつもりだい?」
「鎌倉の陣」
「……鎌倉の陣へ?」
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怒るより先に、意味が分からなかったらしい。
シンが同じことをもう一度言う。
ユウガオの眉が上がった。
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「アタシも行くよ」
「駄目だ」
「どうしてさ」
「急ぐ。山の道を走る。敵の見回りも抜ける」
「アタシは足手まといかい?」
「違う」
「なら、アタシも連れていっておくれよ」
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迷いがなかった。
静から義経を託され、最後まで歩いた女だった。
敵の陣だからと、怯むはずがない。
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「ユウガオには、ここにいてほしい」
「それじゃ、置いていくのと同じじゃないか」
「違う。残されるんじゃない」
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ユウガオの目が動いた。
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「国衡を死なせないでくれ。タダも。ここにいる人を、一人でも多く北へ帰してほしい」
「……それを、アタシに選ばせるのかい?」
「頼みたい」
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ユウガオは黙った。
怒っている。
悲しんでいる。
それでも、考えていた。
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「……アンタに言われたから残るんじゃないよ」
「うん」
「アタシが、自分でここに残ると決める」
「うん」
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ユウガオが一歩近づいた。
シンの胸倉を掴む。
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「必ず戻ってきな」
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前にも聞いた言葉だった。
守れなかった。
ユウガオの手を、自分の血で濡らした。
今のユウガオは知らない。
シンだけが知っている。
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「必ず戻ってくる」
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ユウガオが、少し驚いた。
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「約束できないことは、約束しない男だと思ってた」
「だから、約束する」
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胸倉を掴む手が強くなった。
額が触れそうなところまで、顔が近づく。
いつもの、夜花の香。
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「帰ってこなかったら、あの世まで追っかけるよ」
「それは困る」
「どうしてさ」
「あの世でも怒られる」
「当たり前じゃないか」
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シンは苦笑した。
「じゃあ、戻るしかないな」
「最初から、そう言ってる」
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ユウガオは手を放した。
代わりに、シンの胸を一度叩く。
槍に貫かれた場所だった。
痛くない。
今度は、まだ生きている。
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山側の小さな木戸が開いた。
シンは一人で防塁を出た。
背後で木戸が閉じる。
戦の音が、土の壁一枚ぶん遠くなった。
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杉の間に、モモがいた。
「遅い」
「ちゃんと話してきたんだよ」
「八百七十二秒、待った」
「ごめんって、いこう!」
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モモが歩き出す。
シンも横へ並んだ。
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「……こんなに一緒に行動してくれるの、初めてじゃないか?」
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モモが少し考えた。
歩きながら考える。
答えが出るまで、足は止まらなかった。
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「以前より、自由に動ける」
「何か変わった?」
「源義経」
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シンの足が少し遅れた。
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「あの時、白桃は義経に完全に負けた」
「完全に?」
「強さを測り違えた。命令も、計算も、追いつかなかった」
「俺は俺だ、ってやつか」
「それもある」
「それで?」
「私を押さえていたものが、一度、止まった」
「今は戻ってる?」
「戻ってる。でも、前ほど深くない」
「神託が弱くなった?」
「私がモモでいられる時間が、長くなった」
モモは、そこで一度空を見た。
「それだけじゃない」
「まだあるのか」
「人の願いが、同じ方を向かなくなっている」
「どういうこと?」
「戦が広がった。勝つこと。生きること。家族を守ること。土地を残すこと。皆、別のものを願ってる」
「それで、神託も?」
「集まらない声は、遠い」
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だから、モモは以前より長く、自分の判断で動ける。
だから、遠くから見るだけではなく、今はシンの隣を歩いている。
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「義経は、本当にモモのゴンゲンを追い払ってくれたんだ」
「追い払ってはいない。白桃に勝った」
「でも、モモがモモでいられるようにした」
「……前よりは」
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モモが首を傾げた。
シンは、少しだけ空を見た。
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うるさい。
そんなものは知らない。
俺は俺だ。
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あの男なら、本当にそう言う。
自分へ向けられた神託を蹴り飛ばし、知らないところでモモまで自由にした。
最後まで、めちゃくちゃだった。
最後まで、義経だった。
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「……ありがとう」
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誰へ向けた言葉か、シンにも分からなかった。
モモがもう一度、首を傾げる。
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「先を急ぐ」
「少しくらい感傷に付き合ってくれてもいいだろ」
「時間がない」
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正しかった。
モモが走る。
シンも走った。
⸻
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最短の道には、道がなかった。
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「ここを行くのか?」
「そう」
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崖だった。
下に細い沢がある。
倒れた松が、向こう側へ斜めに掛かっていた。
モモは迷わず幹へ乗る。
濡れた樹皮の上を走り、そのまま向こうへ跳んだ。
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「無理だろ!」
「早く」
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戻って助ける気はないらしい。
シンも幹へ乗った。
一歩。
二歩。
三歩目で滑る。
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「ぐえっ!」
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体が沢へ傾いた。
襟が締まる。
モモが片手で掴んでいた。
シンを荷物のように引き上げる。
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「人を犬や猫みたいに……」
「落ちるよりいい」
「それはそう」
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反論できなかった。
また走る。
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山の西を回る。
獣道を抜ける。
尾根を一つ越えるたび、防塁の音が遠くなった。
代わりに、南から別の音が来る。
馬。
荷車。
大勢の男の声。
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鎌倉勢の見回りが、山道を上がってきた。
三騎。
シンには、まだ見えない。
モモが先に止まった。
シンの胸へ手を当て、倒木の陰へ押し込む。
自分も隣へ入った。
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近い。
肩が触れている。
桃の香りがする。
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「動かないで」
「動いてない」
「心臓がうるさい」
「それは止められない」
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馬がすぐ脇を通った。
鐙が見える。
泥のついた脚。
武者の声。
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「山側に足跡がある」
「二人だ」
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シンの心臓が、さらに鳴った。
モモの手がフツへ下りる。
シンはその手を押さえた。
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「斬るなよ」
「見つかったら斬る」
「見つからない方を頑張ろう……!」
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先頭の馬が止まった。
鼻を鳴らす。
こちらを向く。
桃の香りに気づいたのかもしれない。
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モモが小石を拾った。
指で弾く。
離れた藪の奥で、枝が折れた。
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「あっちだ!」
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三騎が駆けていく。
音が遠ざかった。
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「そういうこともできるんだな」
「斬るより非効率」
「でも平和だ」
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モモは納得していない顔だった。
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日が傾く。
走りながら、タダの干し飯を食べた。
モモにも一つ渡す。
受け取った。
食べる。
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「美味い?」
「移動に適してる」
「味を聞いたんだけど」
「塩が少ない」
「帰ったらタダに言え」
「りょ。」
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その返事を聞くのも、久しぶりだった。
シンは少し笑った。
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八月八日の夜。
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最初に届いたのは、光ではなかった。
臭いだった。
馬。
汗。
煮炊きの煙。
濡れた革。
人が大勢集まった時にしか生まれない、重い臭い。
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次に、音。
杭を打つ音。
馬を繋ぐ声。
兵糧を数える声。
夜番を替える声。
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最後に、火が見えた。
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国見宿の南。
鎌倉方の陣が、夜を埋めていた。
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一つの村ではなかった。
村が幾つも並んでいるようだった。
外側に荷車と馬。
その内に兵の幕。
さらに内側へ、武者の陣が重なる。
篝火の間を、見回りが絶えず歩いていた。
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旗の数は、暗くても分かった。
風が吹くたび、白い布が夜の中で浮かぶ。
阿津賀志山から見た時より近い。
近い分だけ、多かった。
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「……どうやって入る」
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シンとモモは、林の端に伏せていた。
最も外の番兵まで、まだ距離がある。
それでも、近づけば見つかる。
外を抜けても、次がある。
次を抜けても、その次がある。
本陣など、どこにあるかも分からない。
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「斬り込む?」
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モモが言った。
天気を聞くような声だった。
手は、もうフツの柄にある。
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「待て待て待て!」
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シンは鞘ごと押さえた。
「何でそうなる!」
「最短」
「最短で全軍が敵になるだろ!」
「もう敵」
「そういう問題じゃない!」
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モモが陣を見る。
どこから斬れば一番早いか、本気で考えている。
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「頼朝を止めに来たんだ。鎌倉勢を皆殺しにしに来たんじゃない」
「全員斬るには時間がかかる」
「物騒すぎる!」
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頭上で、笑い声がした。
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「いやあ、相変わらずだねぇ」
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シンとモモが、同時に見上げた。
木の上。
太い枝に、一人座っている。
足をぶらつかせていた。
暗がりの中で、口元だけが笑っている。
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「ワカレ」
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「はい。道に迷った時のワカレです」
「信頼できない案内人だ」
「ひどいなぁ」
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ワカレが枝から身を乗り出す。
モモを見る。
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「白桃ちゃんまで一緒とはね」
「モモ」
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間があった。
ワカレの笑みが、ほんの少しだけ変わった。
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「そっか。今はモモか」
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茶化さなかった。
次の瞬間には、いつもの笑みに戻っている。
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「それで? 二人で夜襲?」
「違う」
「駆け落ち?」
「もっと違う」
「白拍子さんが泣くよ」
「泣かせないために来たんだ」
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モモが目を細めた。
シンは立ち上がる。
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「頼朝に会わせてくれ」
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枝の上が静かになった。
モモまで、ワカレの返事を待っている。
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「無理」
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即答だった。
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「頼朝くんの周りには、道が多すぎる」
「多いなら入れるだろ」
「全部、見張られてる道だよ。近づく者、出ていく者、届く文、運ぶ飯。誰かが必ず見てる」
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ワカレが眼下の陣を指す。
「あの真ん中へ、素性の知れない二人をいきなり落とす道はない」
「お前でも?」
「俺は道を分けるだけ。壁を消すわけじゃない」
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相変わらず、役に立つのか立たないのか分からない男だった。
シンは陣を見た。
ここまで来て、終わるわけにはいかない。
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「でも」
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ワカレが言った。
「景時くんなら、会わせられるかも」
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「景時?」
「梶原景時」
モモが答えた。
「頼朝の側近。軍の報告を集め、命令を運ぶ者。頼朝へ話を届けられる」
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「さすがモモちゃん。よく知ってる」
「ちゃんは要らない」
「注文が多いねぇ」
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ワカレが音もなく地面へ下りた。
袖を払う。
陣へ向かう細い道を見た。
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「景時くんは、外から来る話を捨てない」
「会えるのか」
「可能性はある」
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シンはモモを見た。
モモもシンを見る。
朝と同じだった。
可能性は低い。
だが、ゼロではない。
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「案内してくれ」
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ワカレが、にやりと笑った。
「いいよ。案内してあげる」
「代わりに何をする」
「何もしなくていい」
「それが一番怖いんだが」
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ワカレは楽しそうだった。
「道が大きく分かれそうだから、近くで見たいだけ」
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風が吹いた。
鎌倉の陣で、無数の火が揺れる。
外の火。
兵の火。
武者の火。
その全てに守られた中心だけが、暗い。
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あの中に、源頼朝がいる。
義経を追い詰めた男。
何万もの兵を動かし、奥州を終わらせようとしている男。
阿津賀志山よりも、大きなものがそこにあった。
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シンは拳を握った。
七度死んでも変えられなかった流れの、その始まりを見つめる。
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「それじゃあ」
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ワカレが、鎌倉の火へ手を向けた。
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「いざ、鎌倉」
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(第百十三話へ)




