従属の入り口
第十話 従属の入り口
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三日後。
南の者たちが、また来た。
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シンは集落の外れで種の様子を確認していた。
まだ芽は出ていない。
当たり前だ。
三日しか経っていない。
でも、なんとなく毎朝確認してしまう。
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(出ろ出ろ)
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念じても意味がないのは分かっている。
でも念じる。
他にできることがないので念じる。
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そのとき、外周に立っていた男が声を上げた。
来た、という合図だ。
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(南か)
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シンは立ち上がった。
集落の男たちが動く。
前に出る者、後ろで構える者。
タダさんが先頭に立つ。
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今回は、前より人数が多かった。
七人。
荷物もある。
でも様子が少し違った。
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(前より、前に出てる)
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集落の男たちと対面する距離が、前回より近い。
距離の詰め方が、自信に満ちている。
前回は恐る恐る来た感じがあった。
今日は違う。
向こうは自分たちが必要とされていると知っている。
そういう立ち方だ。
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交渉が始まる。
今日は長い。
前回より言葉が多い。
声が少し高い。
要求している。
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(何を要求してるんだ)
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シンは少しずつ近づいた。
聞こえる距離まで。
タダさんの後ろに立つ。
声の断片を拾う。
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人。
若い者。
季節が変わるまで。
来てほしい。
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(……人を寄こせ、ということか)
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農耕の技術を教える代わりに、人手を求めている。
向こうの農地で働く人間を、ということらしい。
若い男が数人、向こうへ行くことになる。
そういう交渉だ。
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(これは)
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シンの胸の奥で、何かが引っかかった。
人を出す。
若い者を。
季節が変わるまで。
それは取引ではない。
労働力の提供だ。
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(従属の始まりだ)
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そこまで考えて、シンは止まった。
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(待て)
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自分が言えることか、これは。
種の話に割り込んだのは自分だ。
その結果として、南との関係が深まった。
深まったことで、今日この交渉が来た。
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(俺が、入り口を開けたのか)
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交渉が続く。
タダさんが何か言っている。
声は静かだ。
でも、こちらの条件を押し返している。
人は出せない。
技術を学ばせてくれ。
向こうに行かせるのではなく、向こうから来て教えてほしい。
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南の者たちが顔を見合わせる。
予想外の返答らしい。
押し問答が続く。
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最終的に、今日は決まらなかった。
南の者たちは帰った。
また来る、という雰囲気だけ残して。
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タダさんが戻ってきた。
シンの横に立つ。
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「聞いていたか」
「……はい」
「どう思う」
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シンは少し間を置いた。
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「向こうは、続けるつもりです」
「そうだな」
「一度関係を持ったら、簡単には切れない」
「そうだな」
「……俺が余計なことをしたかもしれないです」
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タダさんはシンを見た。
表情は変わらない。
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「余計かどうかは、まだ分からん」
「でも」
「まだ分からん」
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それだけ言って、タダさんは集落の方へ歩いていった。
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(まだ分からん、か)
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シンは南の者たちが消えた方向を見た。
森の向こう。
向こうに、向こうの集落がある。
向こうの論理がある。
向こうの都合がある。
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(俺は、ここだけ見てた)
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種一袋が残ればいい。
農耕が伝わればいい。
そう思っていた。
でも、向こうにも意図がある。
意図と意図がぶつかれば、必ずどちらかが引く。
今回はタダさんが押し返した。
でも、次はどうなる。
次の次は。
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(変えるって、こういうことか)
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一手先しか見ていなかった。
向こうは二手先、三手先を見ている。
最初から、こういう交渉を想定していた可能性がある。
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(種を渡したのは、これが目的だったのか)
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そこまで考えて、シンは頭を振った。
考えすぎかもしれない。
でも、考えなさすぎよりはましだ。
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種が埋まっている地面を見た。
まだ何も出ていない。
静かな土が、ただそこにある。
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(芽が出たとして)
(その先に、何が来る)
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初めて、そこまで考えた。
芽が出て、育って、実る。
皆が喜ぶ。
でも、実れば南がまた来る。
もっと大きな要求を持って。
それを断れるか。
断れなくなった時、ここはどうなる。
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(分からん)
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答えは出ない。
でも、問いだけが残った。
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変えることの重さが、初めて腹の底に落ちた気がした。
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空が、少し暗くなってきた。
遠くで、雷の音がした。
雨が来る。
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(雨は、種に悪くないな)
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とりあえず、それだけ思った。
答えが出ない問いを抱えたまま、シンは集落へ戻った。
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