芽
第十一話 芽
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十日ほど経った。
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朝、シンが目を覚ますと、集落の外れが騒がしかった。
いつもと違う声だ。
怒鳴っていない。
叫んでもいない。
でも、明らかに何かがある。
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(何かあったか)
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立ち上がる。
外へ出る。
人が集まっている方へ歩く。
五人、六人。
皆、同じ方向を見ている。
声が出ている。
いつもより、明るい声だ。
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人の間をすり抜けて、前に出る。
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畑があった。
といっても、小さい。
土を掘り起こして、区画を作っただけの、粗い畑だ。
でも、その土から。
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緑が出ていた。
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(芽だ)
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細い。
小指ほどの太さもない。
でも、確かに出ている。
二本、三本、五本。
数えればもっとある。
土から、緑が顔を出している。
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(出た)
(本当に出た)
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知識としては知っていた。
埋めれば育つ。
頭では分かっていた。
でも、目で見ると違う。
本当に出てくるんだ、という感じがある。
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周りの人間も同じらしかった。
老人が屈んで、芽の近くに顔を寄せている。
子供が指を伸ばしかけて、隣の大人に止められている。
女の一人が、隣の女に何か言っている。
声は小さいが、弾んでいる。
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種を渡すことを揉めた男が、少し離れたところで腕を組んでいる。
顔は見えない。
でも、こちらに背を向けていない。
見ている。
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(見てるじゃないか)
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タダさんが隣に来た。
「出たな」
「出ましたね」
「育つか」
「育つと思います。水があれば」
「……水、出せる」
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タダさんはしばらく、芽を見ていた。
表情は変わらない。
でも、目の奥が少し違う。
考えている、というより。
受け入れている、という顔だ。
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「お前の言ったこと、本当だった」
「まだ途中ですけど」
「途中でも、本当だった」
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短い言葉だった。
でも、先日の揉め事を思い出す。
食えもせんものに肉を払ったのか。
あの声が、今日は聞こえない。
芽が出たことで、空気が変わっている。
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(良かった)
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そう思う。
素直に、そう思う。
でも、その直後に。
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(待てよ)
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シンは畑の周りを見た。
土が掘り起こされている。
区画がある。
この場所は、今日から「畑」だ。
誰かのものになった。
この集落のものになった。
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(この土地が、大事になった)
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以前は、ただの地面だった。
今日から、守らなければならない何かになった。
人間が、場所に縛られ始めた。
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子供が芽の前でしゃがんでいる。
大人がその肩を抱いている。
皆が笑っている。
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(良いことのはずだ)
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良いことのはずだった。
でも、胸の奥で何かが引っかかっている。
その引っかかりが、何なのかはまだ言葉にならない。
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夕方になった。
集落が静かになり始めた頃。
甘い匂いがした。
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(モモ)
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振り返らずに、畑を見たまま言う。
「見に来たのか」
少し間があった。
「……確認」
「芽が出た」
「……誤差の結果」
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(誤差って言うな、芽が出たんだぞ)
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「いいもんだろ」
「……」
「笑ってた。皆」
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返事はない。
でも、気配が消えない。
まだいる。
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「モモ」
「……何」
「見てみろよ、せっかく来たんだから」
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また少し間があった。
草を踏む音がして、モモが横に立った。
距離は保っている。
でも、今日は遠くない。
畑を見ている。
細い緑の芽が、夕風に揺れている。
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モモはしばらく、黙っていた。
シンも黙っていた。
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「……これは、きれい?」
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シンは少し驚いた。
モモが聞いてきた。
きれいかどうか、という問いを。
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「きれいだと思う」
「……基準が分からない」
「腹が減ってる人間に食い物を渡せる、ってことだよ。それがきれいだと俺は思う」
「……」
「お前は思わないか」
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モモは答えなかった。
ただ、芽を見ていた。
風が来る。
緑が揺れる。
モモの衣も、少し揺れた。
今度は、ちゃんと風の向きに合っていた。
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「……りょ」
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小さな声だった。
返事なのか、独り言なのか、よく分からなかった。
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(りょ?)
(なんだそれ、急に)
(……あれ、でもどこかで)
(まぁいいか、今は)
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モモは消えた。
いつものように、音もなく。
でも今日は、匂いが少し長く残った。
桃の香り。
それと、夕暮れの草の匂い。
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シンは畑を見た。
芽が揺れている。
何も知らないように、揺れている。
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(良いことのはずだ)
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良いことのはずだった。
でも、胸の奥で何かが引っかかっている。
その引っかかりが、何なのかはまだ分からない。
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芽は、風に揺れている。
細くて、頼りない。
でも確かに、そこにある。
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(第十二話へ)




