第九話 樹上の怪物、足りない手数
「みんな逃げろーっ」
俺が上を向いて叫ぶと、みんながつられて上を向いた。
「何アレ!」「おいおい」「蜘蛛ぉ?」
次の瞬間、巨大な影が落ちてくる。
俺は反射的に地面へ転がった。振り下ろされた一本目の脚が、さっきまで俺がいた場所を叩き潰す。
「逃げろ、逃げろ、逃げろ!」
言いながら、さらに転がる。二本目も、かろうじて躱せた。
その時になって、ようやくみんなも動き出す。各々がバラバラに逃げ、近くの木陰へと飛び込んだ。
俺も槍を取り落としたまま、藪に突っ込んで身を潜めた。
――ドスン。
重い音とともに、巨大な蜘蛛が地上に降り立つ。
体高は三メートル……いや、四メートルか。脚を広げれば、十メートル近くあるかもしれない。
蜘蛛はぴたりと動きを止めた。
モゾモゾと、顎だけが動いている。
……探っているのか?
そこで三上が、声を抑えて言った。
「……みんな、動かないで」
どこかで、小さく息を呑む気配がした。
「蜘蛛は地面の振動に敏感だ。足音で位置を見てる」
間を置いて、さらに続ける。
「でも、空気の振動、会話くらい、大声でなければ大丈夫だと思う」
俺たちは息を潜める。蜘蛛も、動かない。
じっと、何かを待つように。
「……どうすんの? みんなで槍で突きかかる?」
藤堂が呟く。度胸あるな。
「俺は槍を落とした……」
俺も小声で返す。
「トロッコじゃ、無理だ。脚一本にぶつけたところで」
小田切が苦々しく言った。
そのとき、俺はすぐ近くの草陰に、白骨が転がっているのに気付いた。
「三上……俺の近くに骨がある。これ、使えないか?」
「……そこだけじゃないよ。近くに十体くらい、あるみたい」
次の瞬間、離れた藪の中で、カタリ、と音がした。
白骨が起き上がる。
手には、朽ちた剣。
――三上が動かしてるのか?
蜘蛛が、すぐにそちらへ向きを変えた。
そして、走る。
速い。
スケルトンが剣を振るう。脚に一撃、確かに入った。
いける――そう思った瞬間。
別の脚が振り下ろされ、スケルトンはあっさりと叩き割られた。
骨が砕けて散る。
「……弱っ」
思わず呟く声。
「何だよ、もっと出せよ」
小田切が思わず声を荒げる。
その瞬間、蜘蛛の脚がぴくりと動き、小田切の方へ向いた。
小田切が慌てて口を塞いだ。
「……一度に動かせるのは、一体までみたいだよ」
三上の声が、わずかに硬い。
「三上、スケルトンで気を引こう」
俺は息を殺しながら言った。
「その隙に、俺たちが槍で腹を刺す。
一刺しするごとに隠れて、無理はしない。どうだ?」
「……しゃあ、ねぇ」
「りょ~かい」
小田切、藤堂が応じた。そして三上も。
「やってみよう。
みんな、行くよ。……3、2、1」
別の場所で、再び骨が立ち上がる。
蜘蛛がそちらへ向かう。
スケルトンが攻撃――外す。
次の瞬間、また粉砕。
同時に藤堂が飛び出し、槍を突き出す。
――浅い。届かない。
彼女は即座に木陰へ退避。蜘蛛がそれを追おうとする。
俺も槍を拾い、近くの木を叩く。蜘蛛が止まり、こちらを向く。
……このままじゃ、削り切る前にこっちが崩れるか。
そのとき。
あちこちの藪で、カラカラと音が鳴り始めた。
骨が、動く。
集まっていく。
「……一体分しか動かせないなら」
三上の声。
「上半身なんて飾りです。それが偉い人には……」
骨が跳ねる。繋がる。
腕が一本、二本、三本――増えていく。
上半身はない。
代わりに、腰から六本の腕が生えた異形。
それぞれが、剣や斧など武器を握っている。
六本の腕が、ばらばらに蠢く。
「行け――六骨合体シックスアーム」
異形のスケルトンが、がに股で地を駆ける。
蜘蛛が脚を振り下ろす。
だが、次々に振るわれる武器に脚を引いた。
蜘蛛の動きが、一瞬止まる。
今度は小田切が飛び出し、突きかかる。
槍が腹に刺さり、暴れる大蜘蛛。
慌てて陰に隠れる小田切。
再び六本腕が切りかかり、蜘蛛が脚を上げる。
何度も突き、隠れ、また突く。
スケルトンが壊されても、骨を入れ替えて動かし続けた。
どれくらい戦ったか。三十分か、一時間か。
俺たちの疲労も限界を迎え、スケルトンの腕も残り三本となった時だった。
ガタン、ガタン、ガタン。
ガタン?
いつの間にか敷かれたレールをトロッコに乗った小田切が疾走する。小田切が叫んだ。
「進め、正義の青信号!」
危ない。蜘蛛の脚が振り下ろされる。一手、早く気付いたが、俺じゃ間に合わない。
「右だーっ」
俺は叫んだ。
「こっちは、赤信号だよ」
蜘蛛の脚の軌道を、藤堂の槍が反らす。
小田切が脚の間をかいくぐり、蜘蛛の腹に槍を突き刺した。
「ギケーッ」
初めて蜘蛛の声を聞いた気がした。そして、どうと倒れる大蜘蛛。
――終わった。
しばらく、誰も動かなかった。
「……勝った、のか?」
誰かが呟く。
答える声はない。
ただ、全員が荒い息をついていた。
パッとしない、ひどい泥試合だった。
……やっぱり俺たちは、勇者にはなれそうにない。
それでも、ミラルディアの木の根を持ち帰ることはできた。
三日後にはルシアちゃんの病状も回復し、予定していた薬草の採取も終了した。
王都に戻るか、この街で冒険者を続けるか。
マテオさんの家で、そんな話をしていた昼過ぎ。
太陽が最も高く昇った頃だった。
「敵襲だーっ! 魔物が襲ってきたぞー!」
◇
王国中央付近、パルネ子爵領カンザの街の神殿。その夜、礼拝堂では異様な光景が見られた。
擦り切れたローブを纏い、両手に半透明の小剣を持った細身の男。だが、その背からは魚のヒレのような革の羽が広がり、空中に浮いていた。
「クククッ、よもや人間風情に発見されるとは。
いや、これが内通者のいる何よりの証拠か」
下から怒鳴り声が上がる。その男の口元では金歯が光っていた。
「てめぇ、魔族って奴か!?」
「只の魔族ではない。
我は風魔将軍旗下、七魔衆が一人、陽炎のキャリバンである」
さらに隣の細目の男が、独り言ちる。
「グランヴェルのオヤジの言う通りか。なら、影鎖縛!」
足元から影が伸び、魔族の脚に絡みつく。
「我は陽炎。そのような児戯、通用せぬ」
次の瞬間、影が揺らぎ、空気が歪む。魔族の姿がかき消えた。
ズサッ。
ガキン。
「かはっ」
いつの間にか金歯、梶原の背後に回っていた魔族。
一刀目で背中を切られた梶原が倒れるが、とどめの二刀目は黒い剣が受け止める。
「ほう、見える者がいたか」
魔族は、黒い剣の大柄な男からすっと身を離す。
「梶原? 馬鹿な。もう一度だ、影鎖縛!」
細目の男の影が伸びるが、結果は先ほどと同じ。
「スンマセンッス、黒瀬さん。俺の魔法じゃ」
「梶原を連れて下がれ、柊。佐伯もだ」
大柄な男、黒瀬が剣を振るうが、魔族はまた掻き消える。
すぐさま背後を斬るが、そこに魔族はいない。
「どこを狙っている?」
魔族は彼の横で腕を組んでいた。
黒瀬が横に薙ぐが、今度こそ魔族は後ろに回り、背を切る。
二筋の切り傷から血を流す黒瀬。
傷など構わず、黒瀬の剣が魔族を追う。
一撃、二撃、……十連撃。それでも魔族には当たらない。
黒瀬の傷が増えていく。
「遅すぎる。
人は呼吸の瞬間を越えられない。
その刹那があれば、いかな剣撃も牛歩のごとし」
「うるせぇ、当たるまで斬るだけだ!」
十一、十二、……二十連撃。剣撃の間隔が縮まる。
「いつまで、そんな無茶が続くか・・・」
二十一、ついに黒瀬の剣が魔族を掠める。
「馬鹿な。まさか、コイツ無呼吸で」
さらに回転の上がった剣撃が魔族を追い詰める。
二十二、二十三、……三十。
「ガハッ」魔族の口から血が溢れる。
ついに黒い剣が、魔族の腹を貫いた。黒瀬が大きく息を吐く。
「ぷはーっ。息継ぎが邪魔ならよー、吸わないだけ、だぜ」




