第十八話 地の底から来るもの
地面がわずかに盛り上がった。次の瞬間、土を割って巨大な蛇の頭が現れる。
荷馬車の前の焚火が、その異様な姿を闇の中に浮かび上がらせた。
頭部は人の背丈を軽く越える高さまで伸び上がり、中央の馬車と、その周囲の人間たちを見下ろしている。まだ体の半分も出ていないのだろう。胴は、腕では回りきらないほど太い。
「うわーっ」
商人や御者たちが一斉に後ずさる。
蛇の頭が、逃げ惑う人間を追うようにゆっくり傾いた。
次の瞬間、凄まじい勢いで振り下ろされる。
「くそーっ!」
護衛隊長ラウドが盾を構えて突進する。横殴りに受け止めると同時に、剣を叩きつけた。
鈍い衝撃音とともに、蛇の頭がわずかに弾かれる。
「ギィ……」
湿ったような低い音を残し、蛇は頭を引き戻す。焚火の明かりの外側、闇の中へと身を沈めるように退いた。
ラウドの合図で、周囲の護衛が一斉に間合いを詰める。
蛇の頭は何度も振り下ろされ、噛みつきを繰り返す。盾が受け止め、槍と剣が横合いから叩きつけられるたびに、その巨体はわずかに引き戻された。
やがて蛇は攻勢を切り上げるように、地面の裂け目へと後退し、そのまま闇の中へ消えた。
俺たちも向かおうとしたが、ヴィクターさんが引き留める。
「待て。俺たちの役目はこの馬車の防衛だ。あの蛇が、まだどこから出てくるか分からん」
「うわ~っ、ビックリしたよ~」
藤堂が戻ってきた。エルナと一緒に寝ると言っていたから、中央の馬車の近くにいたのだろう。こっちに置いてあった鎧を着はじめる。
先ほどの騒ぎで全員が起きたようで、前方、中央、後方の馬車の周りに集まって、地面を見回している。
そして再び悲鳴が上がる。
前方の馬車だ。
ここからだと見づらいが、馬車の近くに蛇が現れたようだ。
喧騒が大きくなってから、再び静かになった。
また、地面に潜ったのか?
そして、俺たちの足元が揺れた。
「うおっ」
誰かが声を上げる。近くの土が崩れ、飛び出した蛇の頭が上へと伸びあがる。
目の前にすると、さらにでかく見える。超、怖い。
だが、容赦なく口を広げた大蛇が、覆いかぶさってきた。
体が竦んで動かない。
ガキン。
その首の向きを、盾でそらしたのはヴィクターさんだった。
「ガキども、動け! 死ぬぞ!」
それでやっと俺たちも動き出す。
ヴィクターさんが攻撃を受け流し、藤堂が引きつける。
俺、小田切、三上はとにかく武器で叩いたが、硬い鱗で守られた体を傷つけられたとは思えない。
それでも必死に戦っているうちに、大蛇はまた穴の中に戻っていった。
「アレ、やべーな。全然、攻撃が通らねぇ」
小田切が言う。
「どうすんです? たぶん、ワンミスでアウトで、体力も向こうが絶対上ですよ」
三上も続く。
「ラウドさんも、追い返すので精一杯だったからね」
中央にいた藤堂が付け足した。
「お前ら、諦めたら死ぬぞ。何かで流れが変わるまで、生き残れ!」
ヴィクターさんに怒られるが、流れが変わるような何かがないと……。
「……俺さ、スキルのレベルが上がったみたいなんだ」
突然、小田切が呟いた。みんなが注目する。
「最古の機関車、ペナダレンを呼べそうなんだ。トロッコよりは重量があるから……」
やれることは何でもやるしかないだろう。
小田切は大蛇が出てきた穴の前に、五メートルくらいのレールを敷いた。
さらにその上に、台車の上にドラム缶を横倒しにしたような真っ黒な機械が現れる。
長い煙突と一輪の大きな歯車が特徴的だ。
「何だこれは?」
ヴィクターさんに聞かれ、小田切が、本来は輸送用の魔法だと答える。
火を点けてもすぐには変化はない。
中央で、あるいは前方で、大蛇が暴れている。
「これ、スピードが出せませんよね」
三上が本質的なことを言う。加速する距離が全然ない。
だが、それ以上に小田切が不吉なことを言う。
「……失敗したかも」
煙突から煙とともに、危機感を覚える高音が発せられる。まるで沸騰したやかんのように。
俺の頭に警報が鳴り響く。これは爆発する。大蛇を待ってる時間がない。どこかにこれを捨てられないか。
レールの先に穴があった。大蛇が暴れたせいか、ちょうど良く広がっている。
「穴に落とせーっ」
みんな、同じことを思っていたのか、一斉に穴めがけて機関車を押した。異常な熱気に汗が噴き出す。
ついに穴の上に車体を半分出した機関車が、ゆっくりと傾いていった。
俺たちは慌てて、馬車の後ろに隠れる。
ガタンッ。
背後で穴に落ちる音がした。
そのとき、俺たちの足元が揺れた。
穴から低い唸り声が聞こえた。よりにもよって今か!
「自分の巣に、侵入者がいると勘違いしたんです!」
三上が叫んだ。
だが、その瞬間、破裂音とともに土砂が舞い上がる。
バラバラと土砂が落ちる音。
静寂。
穴のあったところを見ると、蛇が伸びあがっていた。
こちらを睨んでいる。
だが、その身体は無数の切り傷で皮膚が裂け、黒い液体を流しているように見える。
「止めを刺せーっ!」
ヴィクターさんの号令で、俺たちは駆け出した。
みんなの武器が次々に大蛇の体に突き刺さり、その傷をえぐっていく。
狂ったように暴れる大蛇。俺は掠っただけで、跳ね飛ばされ、ゴロゴロと転がる。
集まってくる男たちを見たところで、視界が暗転した。
地面が揺れた気がした。
「うおおおおーっ!」
大歓声に目が覚める。
周りを見ると、男たちが座り込み、あるいは寝転がって喝采を上げていた。
みんなひどい格好だが、歓喜の雄たけびを上げている。
そして、その中で大蛇が巨体を横たえていた。
勝ったのか!
だが、そこに冷や水を浴びせるよう声がした。
「何でおまえら生きてんだよ! あぁっ!?」
振り返ると、馬に乗った一人の男がいた。
◇
その日も九条たちは、王城のテラスルームでお茶を飲んでいた。ただし、このときエイリーズ王女はいなかった。
そこへ、庭から一人の男が近づいてくる。
「ご機嫌よう、クジョー殿」
声をかけてきたのは帝国大使レオンハルトだった。
「ご機嫌よう、大使殿。エイリーズ王女ならいらっしゃらなくてよ」
九条は口元を扇子で隠しながら応じる。
「構いません。本日はクジョー殿にお話がありまして」
レオンハルトは微笑を崩さぬまま、本題を告げた。
「率直に申し上げます。帝国へ来ていただきたいのです」
背後で朝倉と椎名が息を呑む。
端の席の桜庭が九条を見るが、彼女の表情は変わらない。桜庭の膝には、薄紫色の毛並みを持つ、ウサギともリスともつかない小動物が抱えられていた。
「それはどうしてかしら?」
朝倉が空いていたカップをレオンハルトの前に置き、椎名がお茶を注いだ。
「ヴァルディア王国は勇者アマギを迎え、魔族への備えも整いつつあります。しかし帝国にはそのような象徴がなく、民は不安を抱えております」
「私は勇者ではなくてよ」
二人のやりとりを聞きながら、桜庭はクッキーに手を伸ばす。
「先日の騒ぎでは、暗殺者の動きは精彩を欠き、逆に王国兵は不自然なほど冴えていた。私はあれは貴女の力だと考えています」
「思い過ごしでは?」
レオンハルトが、一瞬朝倉たちに微笑み、カップを口にした。
「帝国兵は精強です。実際に前線に立つ必要はありません。民を安心させる象徴になっていただければ」
九条は扇子を閉じる。
「対価は何でしょう?」
レオンハルトは一拍置き、静かに答えた。
「私の領地に、湖畔の館を用意いたしました。魔族領からも遠い地です。身分は子爵位を」
「詳しいお話を聞きましょうか」
数週間後、帝国大使レオンハルトは帝国に帰国した。同じ頃、九条たちは王都から姿を消す。だが、彼女たちを探させたのは、エイリーズ王女だけだった。




