95. 秋季北海道大会決勝戦 (vs北海堂6)
*
八回裏、北海の攻撃もあと2イニング。
スコアは2対0、リードはわずか2点、と言って良い。
金属バットの高校野球、しかも相手が道内随一を誇る強力打線では簡単にひっくり返せるような、あって無いに等しい点差である。
6番の葛西くんが左打席に向かい、栗夕月奈の守備陣は一斉に気を引き締めた。
ムラが多いが彼もまた、北海打線の一翼を担う優秀な長距離ヒッターだ。
しかしここからカナンは、さらに躍動した。
カーブから入って見逃しストライクを取った二球め、甘いコースのストレート。
一瞬身構えるカナだったが、バックネットへのファールとなり、胸を撫で下ろす。
スコアボードに球速150km/hが表示され、球場がどよめきに包まれる。
三球め、146km/hの高速スライダー。
しかし曲がり過ぎてしまい、当たりそうになった葛西くんが尻もちを突いて避けた。
これで1ボール2ストライク。
フクローが葛西くんに、軽く詫びを入れている。
そして圧巻なのが四球めだった。
アウトローいっぱいにコントロールされたストレートがズバンと来る。
球速は何と、この終盤で152km/h。
こんなの、打てと言われたって、絶対無理だ。
見逃し三振に倒れた葛西くんが天を仰いだ。
*
「すげー、カナン……」
カナはレフトの位置から、ただ見ているだけだった。
7番長岡さんだって今日こそノーヒットだが、本来ならレベルの高い好打者である。
それが、カナンのストレートにまったく付いて行けてない。
バットに当たっても、打球が全然前に飛んでくれない。
長岡さんには三球勝負だった。
低目いっぱいの150km/hストレート、完全に振り遅れたバットが空を切った。
連続三振、これで2アウト。
間違いなくカナン、試合前よりストレートの威力と精度が上がっている。
つまり北海の強打者と切磋琢磨しているうちに、知らず知らず試合中にさらなる進化を遂げてしまったのだろう。
それならさっきの曲がり過ぎたスライダーにも納得がいく。
カナンの高速スライダーは、ほとんどストレートと投げ方が変わらない、いわゆる『曲がってしまう』スライダーなのだ。
ストレートが試合前と別物になってしまったので、勢いスライダーも変化がキツくなってしまったわけだ。
――ほんとにあれ、自分の身体だったのかしらん。
カナはカナンの伸び代に舌を巻いた。
8番坂口さんの代打で、伊東さんが二回、三回と素振りをしながら右打席に就く。
さすが代打の一番手だけあって、ミートが巧そうな鋭いスイングをしている。
しかしカナンの投げるストレ-トに、甘いコースにも関わらず初球空振りを喫した。
伊東さんは結局、二球続けて当たり損ねのファールで粘るのが精いっぱいだった。
四球め、タイミング外しのカーブにバットが回ってしまう。
三者三振、八回裏はカナンのワンマンショーで幕を閉じた。
九回表。
カナンの快投に触発されたのか、息切れし掛かっていた八木さんが復活した。
気合と冷静が混在したピッチングで、140km/h台のストレートと縦横の変化球でコーナーを突き、的を絞らせない。
ルイさん以下の油っこいバッターを三者凡退に切って落とした。
*
3アウトめ、キタさんが打ち捕られるのを確認すると、隣に座っていた菫さんが長く息を吐いた。
そしてすくっと立ち上がり、微笑みながらカナを見下ろす。
「香奈ちゃん」
「はい」
「――行こっか」
「はいっ」
ふたりとも既にグラブを手に履いて(=着けて、はめて)いて、守備の準備は出来ている。
カナもまた微笑みながら応え、みんなと一緒にグラウンドに飛び出していった。
カナンがマウンドに立っただけで、応援スタンドから大きな拍手が送られてくる。
相手ベンチ前では北海の選手たちが円陣を組んでいる。
「ひとりでも良い、何とかしてランナー出すぞっ!!」
そんな声がカナの守備位置まで聞こえてくる。
無理もない、二回裏の葛西くんのヒットを最後に、北海打線はカナンにパーフェクトに抑えられているのだから。
九回裏、最終回の攻撃が始まる。
あとアウトみっつで優勝、甲子園だ。
9番斉藤さんは遠目からでも分かるほど、バットを極限まで短く持っていた。
しかしそれでも、初球高めのストレートにバットを合わせていると言うのに、打球は後ろに飛んで行く。
そしてストレート狙いには、スライダーもカーブも有効だった。
しかし今はストレートが無双し過ぎている関係で、高速スライダーがあまりにも曲がってしまう。
手が出ない感じで見送られ、ボール。
マスクの奥でフクローが苦笑いしている。
斉藤さんは食らい付いてきたが、五球めのカーブに身体が思い切り泳いでしまった。
空振り三振、試合終了まであとふたり。
*
打順は1番に戻って、秋元さん。
ファーストストライクを見送った二球め、秋元さんはバットを寝かせて走り打ちの構えを取った。
まともに打って歯が立たないならバントで塁に出よう、という考えだ。
フクローは秋元さんの仕掛けを読んでいたのかも知れない。
内角、程よい高さのストレート、はっきり言って甘々のコース。
セーフティをするにしても、充分引き付けて三塁方向に転がすにはお誂え向きのボールだった――それが普通のストレートならば。
150km/h前後の速球が、おそらくホップしてきたのだろう。
秋元さんのバントはボールの下を叩いてしまい、コーンと真上への小フライとなってしまった。
マスクを取ったフクローが慎重にキャッチし、2アウト。
これで、あとひとり。
あとひとつのアウトで甲子園という事は、栗夕月奈の応援席にも充分伝わっていたらしい。
ところが当然ながらこの一市三町、老若男女おしなべてこのような状況は初めての経験である。
どこからともなく『あとひとり』のコールが起こり、少しずつ大きくなっていく。
2番岡部さんが打席に就く前に球審の方からタイムが掛かり、応援席に注意が飛ぶ。
その時には既に、美香お姉ちゃんたち応援団のみんなが、両手で大きくバッテンを作りながらスタンドを走り回っていた。
高校野球は教育の場でもあるので、『あとひとり』『あと一球』などや、『倒せ』『負けろ』などの相手に失礼になる応援は望ましくない、というのが最近の風潮である。
学校側では周知されていたとは思うが、今日の決勝戦は飛び入りの応援が過半数だったので、徹底出来てなかったらしい。
試合再開。
2アウトランナー無し、打順は2番岡部さん。
カナンの背中が、今までになく大きく頼もしく見える。
カナにしてみれば、15年間本人そのものであった加南とは、もはや別物であった。
*
長打力こそないものの、秋元さん以上の曲者と評判の岡部さんに対しても、カナンは圧倒していた。
初球のストレート、岡部さんは一瞬セーフティバントの構えを見せ、即座にバットを引いて見送る。
ストライク。
注意されてしょんぼりしていた栗夕月奈のスタンドから、静かな拍手が起きた。
最終回の始まり、いや八回裏からカナが薄々感じていたが、引っ込めていた感情が改めて湧いてきた。
――この先、カナのとこまで打球がやって来る事は、もうないだろう。
それでも何があるか分からないのが野球。
しかも相手は道内最強のチーム、今までの経験則は通じないと思っておこう。
ストライクあとふたつ。カナは気持ちを引き締め、バッターを凝視した。
二球め、岡部さんはバットを短く持ち、果敢に打ってきた。
ストレート。やはり打球は前に飛ばず、バックネットに突き刺さる。
これで2ストライク、あと一球。
ブルペンには、もう誰も居ない。
試合中ずっと控え捕手のキョロちゃんが詰めていて、マッチーとカバちゃんの球を代わり番こに受けていたのだったが、みんなベンチに引っ込んでしまった。
控えのみんなはベンチ前に片脚を掛けて、いつでもグラウンドに飛び出す用意が出来ている。
岡部さんはさすがの粘りで、追い込まれてから立て続けに三回ファールで切り抜ける。
三回め、つまり五球めのストレートはファールチップで、フクローがそれをポロリと落とす。
応援スタンドがわーっと沸き上がり、次の瞬間にはため息で包まれたが、カナは冷静だった。
――フクローが捕り損なうんだったら空振りじゃないっしょ。
いや、正確には冷静さを装っていた。
カナのちいさな胸は、さっきからトクトクトクトク忙しく鼓動して、痛いくらいだ。
センターのスズを顔を合わせると、苦笑いしながら親指でライトを指している。
――あらら、ルイさん何やってんのー。
守備機会があまりにもなくて暇だったのだろう、ルイさんが直立不動で体操よろしく、その場でぴょんぴょん飛び跳ねていた。
ルイさんの奇行は今に始まった事ではないので、一切無視して試合に集中する。
六球め、ストレートがわずかに低めに外れる。ボール。
スタンドのどよめきや歓声が半端ない。
――まああれは、ボールっしょ。
見逃し三振かと思って、マウンドに一歩を踏み出し掛かったのは内緒である。
七球めは満を持しての高速スライダーだった。
短い間に修正でもしたのか、インコースに投げ込まれたボールがギューンと変化して、あっという間に外まで曲がっていく。
あんなの投げられたら、堪ったもんじゃない。
ストレートとほぼ同じタイミングでバットを出した岡部さんだったが、あまりの変化に対応出来ずバットは空を切り、その場に身体ごと崩れ落ちた。
空振り三振、ゲームセット。
2対0、全国でも史上初の、連合チームの優勝。
試合終了の瞬間、カナは全身の力がすーっと抜けるのを感じた。




