94. 秋季北海道大会決勝戦 (vs北海堂5)
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七回裏、先頭の八木さんに対して、カナンは初球から高速スライダーを投げた。
ギュイン。
カナの守る外野からでもはっきり分かるほど、ボールが唸りを上げてもの凄い変化を見せる。
ストレート狙いだったのだろう、八木さんのバットが空を切った。
実の処この試合、スライダーはこれでまだ五球め。
カナンにとっては奥の手中の奥の手、それをフクローは小出しに活用し、最良とも言える結果を叩き出している。
何しろスライダーを投げ始めてからここまで、あの北海の強力打線に、ほとんど自分のバッティングをさせていない。
八木さんはセーフティバントまで試みて出塁しようとしたが、カナンのボールが一枚も二枚も上回った。
狙っていた筈のストレートに詰まらされ、ほぼ定位置のセンターフライ。
続く船木くんも簡単に追い込んで、決め球は高速スライダー。
ガツッ。
鈍い音がして、力のない打球がファーストに転がっていく。
少し見ただけでバットに当てちゃうのは凄いけど――これで2アウト。
いちばん怖いふたりの打者を、これだけ手玉に取ってしまう。
カナンはいったい、どんな高みまで昇りつめて行くんだろう。
油断したわけではないだろうが、原田さんは危なかった。
カキーン。
大きなフライがレフトを襲い、素早く背走するカナ。
カナはフェンスを背にして打球を待ち構える。
フェンスをよじ登る用意も覚悟も、既に出来ていた。
――ああ、球場の歓声が凄い。
原田さんの打球に対する歓声なのか、カナのスーパーキャッチに期待する声なのか。
カナは後者だと思う事にして、神経を研ぎ澄ました。
幸いにも球威に押され、打球は手前で急速に勢いを落としていった。
――よし、これならフェンスに登らないで済みそうだ。
少し膝を曲げ、捕球体勢に入る。
結局カナはフェンスぎりぎりの位置で、ぴょこんと軽くジャンプし、両手で大事にキャッチした。
これで3アウト。
回も差し迫ってくると、ひとつひとつのアウトが、序盤のそれとは比べものにならないほど重い。
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八回表、ネクストに行く準備をさくさくと進めながら、ベンチに腰掛けようとするカナンに話し掛ける。
「カナン、ナイスピッチ。疲れてないかい?」
「ああ、なんもなんも。今日は投げてて楽しいよ」
条件反射的に微笑みを交わし合う。
――そうかぁ。楽しい、のか。
勝てば甲子園、道内高校野球の頂点を争う決勝戦。
そんな試合をカナンは楽しんで投げている。
あいにくカナには、精神的にも肉体的にもそんな余裕はない。
ひとつひとつのプレーに、集中して臨むだけだ。
ネクストに待機しているカナの眼前では、スズが決め球のシンカーを空振りし、三振を喫した。
あっさりと打ち捕られたように見えるが、スズだってバットを短めに持ち、配球を読み、必死に食らい付いた結果である。
1アウトを取った八木さんがマウンドで吠える。
北海の野手陣、ベンチ、スタンドで応援する部員たちが一斉に、声も涸れんばかりに応える。
栗夕月奈を上回る、凄い気魄だ。
そう。
栗夕月奈も、そして北海も死力を尽くしている。
そんな相手に女子であるカナが立ち向かい、対等に渡り合うためには、どうすれば良いのか。
――最終的な答えはまだ出ていないが、現時点で出来る事は、はっきりしている。
こっちも全力でプレーするだけだ。
勇気を振り絞ってカナは、本日四度めの打席に向かった。
今日の八木さんはシンカーが冴え渡っていて、それがこの試合での快投に繋がっている。
通常、横の変化は読みを外されても何とかバットがついて行けるが、縦の変化となるとそれがかなり難しくなる。
ほとんど横の変化だけで完全に相手を抑え込んでいるカナンは常識外の存在だが――それはまた、別の話。
カナがクリーンヒットを打つ時は、内角の緩いボールを、バットを巻き込んで引っ張るパターンがほとんど。
多分データもそうなっているのだろう、ヒットコースにわざわざ投げ込んでくれるピッチャーは、このレベルではまず居ない。
案の定、初球はインコースにストレートがズバッと来た。
おそらく次は外角の変化球で、カウントを稼ぐか空振りを誘うつもりだろう。
読みは当たっていて、外いっぱいにカーブが落ちてくる。
判定はストライク。
外れていたように感じたが、少しベースを掠めていたのかも……と考える事にする。
「――あ……」
2ストライクと追い込まれ、改めてマウンドを見たカナは思わず息を飲んだ。
八木さんが今までになく大きく見えてきて、仕方がない。
それに、あの目付き。カナを完全にロックオンしている。
身体が一瞬すくみ、八木さんが怖くて、まともに見ていられない。
胸の動悸がひどく、呼吸さえままならなくなってくる。
ヤバい。
こんなとこでいきなり、加南時代の悪い癖が顔を出してしまった。
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必死になって前を向き、バットを構える。
立ち直る間もなく八木さんが投球動作に入る。
ギュイン。
ボールが唸りを上げて凄い角度で外に落ちてきた。
シンカーだ。判定はボール。
身体が動かせずに見送ったのが幸いした。
決め球のシンカーを見送られた八木さんが、凄い目付きでカナを睨んでくる。
唾をゴクリと飲み込もうとするが、口の中が渇いて上手くいかない。
身体よ、動け、動け。
カナの中に残ってる香奈、カナを助けてくれ。
冷や汗をたらたら垂らしながら、カナはそれでも前を見た。
カナンになった香奈。
フクローにルイさん、チュージさん、キタさん、そして菫さん。
ついでにスズにタッキーに……頼れるチームメイトのみんな。
夏に対戦した遥乃さん、試験で一緒だった葉月さん、西さんたち。
憎たらしかったけど今は仲間でライバルの、五月女の双子姉妹。
そう、カナはひとりでバッターボックスに立っているけど、独りじゃない。
みんなカナと一緒に闘い、カナの背中を押してくれる。
渾身のストレートがゾーン内にやって来る。
カナは必死にバットを出し、ファールで切り抜ける。
よかった、身体はスイングを覚えてくれていた。
ボール、ファール、ファール。
だんだんとまともに呼吸が出来るようになってくる。
心臓はまだ、早鐘みたいにトクトクトクトク鳴り続けているが、秋元さんが返球した時に素振りが出来るほど、身体は動くようになっていた。
前をしっかり見つめる。
マウンドの八木さんは相変わらず大きく、威圧感たっぷりだ。
昨日の準決勝、駒場くんを、あの殺気を思い出せ。
あのストレートを、カナは打てたじゃないか。
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八球め、またもシンカーが来たが、コースが甘い。
カナは全身を使い、腕を伸ばして食らい付く。
行けっ! 当たれえっ!!!
コーン。
――やたっ、当たった。
そのまま振り抜いた打球は、センター方向やや左のライナーとなる。
打球は横っ飛びにジャンプしたショート斉藤さんのグラブをすり抜け、センター前にワンバンした。
カナ、八木さんのシンカーをセンター前ヒット。
「ふうーーっ……」
一塁を少し回ったとこで、カナは両肩の力がどっと抜けるのを感じ、頬を膨らませて長いため息を吐いた。
なおも八木さん気魄のピッチングは続き、後続は敢えなく打ち捕られる。
カナは一塁残塁、八回表の栗夕月奈は無得点。
一見、勝負にはまったく関係のない処で飛び出した、今後も語られる事のないだろう、一本のヒット。
だがそれはカナにとって、加南時代の弱気の虫を克服して打てた、掛け替えのない価値を持つヒットとなった。




