5. カナになっての初練習
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あまり知られていないが、栗川はスポーツの町だ。
まずサッカーのJチーム、ステラロサーレ札幌。
そのユースチームの拠点だが、当初は栗川にあった。
さらに月寒に新施設が出来る前は、トップチームのメイン練習場でもあり、名だたるJリーグ選手たちが栗川のグラウンドでプレーしていた。
そして、人口一万二千の町に、球場がみっつもある。
町民球場に、栗川公園脇の公園球場。
残るひとつが、北海道フロンティアーズ栗川監督が個人で造った、栗の樹球場だ。
俺たち、カナンとカナが生まれる前の話だ。
栗川の人たちが町おこしのために、全国の栗川さんを集めて、いろんな事をやろうと呼びかけたらしい。
そしてその話に乗ったのが、東京ドルフィンズを引退して野球評論家をしていた、栗川さんだった。
つまりそもそも、栗川町と栗川さんには、これっぽちの縁もゆかりもない。
ただ苗字がたまたま同じと言うだけで栗川さんは、私財を投じて天然芝の球場を栗川に造り、栗川の人たちに開放して下さった。
カナンもカナも、栗の樹球場で何度か野球をした事がある。
北海道フロンティアーズ監督を務める現在、栗川監督は自宅も建てて、栗川の住人になっている。
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ゴールデンウィーク明けの初日。
教室でカナンが、怖い顔をしてカナを睨んでいる。
「お前、なしてお姉ちゃんと手ぇ繋いで学校に来た」
そう。間柴呉服店から高校までは徒歩20分だが、姉はずっとカナの手を握ったままだった。
「お前が悪いんだぁ? いい歳して道路飛び出しなんてやらかすから、お姉ちゃん心配して、手ぇ離してくれなかったのさ」
こっちも引かずに、カナンを睨み返した。
――中身が入れ替わっていると知らない人には、ふたりが何で言い争っているのか、見当が付かないだろう。
そしてその立場に居たのが、フクローだった。
「おう、カナンもカナも、大丈夫か? ――お前ら、何ふたりして強情張ってんの」
「いや、何でもねえ」
カナンがぷいっと、カナから視線を逸らした。
微妙な雰囲気を察して、カナンとカナを交互に見比べていたフクローだったが、やがて口を開いた。
「監督から伝言。練習は参加していいけど、あまり無理すんな、てさ」
「そだね」
「やるに、決まってるっしょっ」
おーおー、カナンの鼻息が荒い。
その体格で練習するのは、初めてだからな。期待に溢れているのが有り有りだった。
対して、カナの方は――カナになった自分は、どこまでやれるだろうか。
改めて、カナの手を見ながら、グーパーを繰り返してみる。
身体のサイズに見合った、ほんとにちいさくてめんこい手だ。
こんな短い指で、今までよくボール握って、野球やってたなあ、と感心する。
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それにしても。
一年生のほとんどがガキの頃から見知った間柄とは言え、立場が違うと学校生活も微妙に変わってくるのは当たり前の話だった。
今年の一年生は男子20名、女子23名。
カナと良く連んでいたのは、弓道部やテニス部、バスケ部といった運動系部活動に入っている、いわゆる体育女子たちのグループだった。
体格のいい女子が多いので、もちろんカナが断トツでちいさい。
特に仲の良いのが村前沙織、通称サオリン。
隣町の由仁から通っている子で、少年野球をやっていたので、カナとは同じ女子選手として、それなりに仲良くしていたらしい。
カナンもカナも南空知のシニアチームには入らず、栗川中の野球部に入っていたので離ればなれになっていたが、サオリンが弓道をするために栗高に入学し、再会した。
もちろん弓道部で、美香姉さんの美少女っぷりと弓道の腕前に、メロメロになっている。
それとご多分に漏れず、フクローのファンだ。
「カナ、車に轢かれたんだって? 頭打ってバカになった?」
開口一番、こんな言葉が出るんだから、カナとサオリンの関係がどんなモノか分かるだろう。
「多分、少うし頭良くなったべ」
そう言ってけたたましく、ふたりで笑い合う。
入れ替わる前のテスト成績は、カナよりカナンの方が良かったから、事実を述べたに過ぎない。
――成績が落ちて怒られないよう、カナンには釘を刺しておく必要があるかも知れないなぁ。
「元気そうで良かったわぁ。今日は体育あるけど、あまりハッチャキこく(=張り切る)でねーぞ」
サオリンに言われるまでもなく、今日の体育では、カナの身体能力をじっくり見極めるつもりだった。
入れ替わりを戻す算段はこれっぽちも立ってはいないが、現時点ではカナの身体を預かっている身の上。
壊さないよう大事に扱いながら、今のカナに出来る最大限の事をやっていく。
と言うより、時間はあまりない。
やれると分かったなら即行動しないと、間に合わない。
カナは冷静に、自身を見つめていた。
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三年前、天才少女と呼ばれた遠野みづほが、ほぼ独りで切り拓いた、高校野球への女子選手の公式戦参加の道。
その条件である認定試験は、昨年からは全国――つまり北海道でも行われるようになった。
昨年はひとり合格者が出て、南北海道大会に出場を果たした。
そして四年めの今年から、受験資格が大きく見直される事になった。
遠野選手をはじめ、全国の女子選手たちの頑張りが、ルールを変えたと言って良い。
昨年までは、男子と一緒に硬式野球経験が二年以上の女子に、資格が与えられていた。
つまり中学までずっと軟式野球をやっていたカナは、三年まで受験出来ない。
三年まで頑張って、最初で最後の認定試験にすべてを懸ける――栗高野球部に入部した時点で、カナはきっとそんな決意をしていたのだろう。
だが全国で試験が実施されるに到って、中学の硬式クラブチームが都市部に集中しているため、地方で野球をしている女子たちの受験機会を大きく損なう問題が生じた。
事実、北海道では、硬式クラブチームは札幌が半分以上を占め、後は中核都市にひとつ、ふたつある程度。
栗川にある中学クラブチームは軟式で、硬式クラブは岩見沢と北広島にひとつずつ有るっきりだった。
そこで今年から、硬式は二年以上、硬軟問わずは五年以上の野球経験がある女子選手に、門戸が開放される事となった。
つまり小四から男子と一緒に野球をやっていたカナは、一年から受験資格を持つ事になる。
それを知ったカナが、はち切れんばかりに喜びを爆発させていたのを、今でも思い出す。
つまり、カナになった俺が、今やるべき事。
カナの野球選手としての可能性を引き出し、春季大会の後に開催される認定試験に合格する。
そして栗高野球部のメンバーとして、北北海道大会に出場する。
何よりもまず、それだけだった。
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放課後。カナになって初めての練習参加だ。
まずアップは、みんなと同じメニューをこなす。
キャッチボールの相手は、今日は同じ一年の外野手、硯だった。
昨年まで捕手をしていた主将の広田さんはエースピッチャーの北野さんと、そして今年から正捕手濃厚のフクローは、カナンが相手。
そして名ばかりの第三ピッチャー香奈は、硯ともうひとりの一年内野手、滝川が交代で相手をしてくれた。
「え――カナ、今日は投球練習、しねーの?」
キャッチボールをしながら、硯が意外そうな顔をする。
「うん、カナは外野に入るさぁ」
認定試験合格への青写真は、朧気ながら既に見えていた。
今日から、その第一歩を踏み出そう。
監督をしている佐藤先生とも事前に話し合って、了承を取ってある。
それにしてもキャッチボールの時点で、さっきからカナンが良い音を立てている。
バシーーン。
「おいおい、そんなに飛ばすなよ」
「いやぁ、肩が軽くてさあ」
いやカナン。フクローの言うとおりだ。
ピッチャーの肩はただでさえ消耗品なんだから、他人の身体であまり無茶こくな。
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かなり根を詰めてインターバル走とダッシュを続けると、それだけで息が上がってきた――女子の身体のハンデってヤツを、つくづくと思い知らされる。
でも、方針はもう、決めてある。
今日はまず、ヘトヘトになるまでダッシュを続けよう。
短い休憩を入れて、長距離の走り込みもやろう。
その次は外野の守備練習、そしてひたすらバントの練習。
みんなと同じ練習をしても、試験には合格しない。
それがカナの出した結論だった。
一年のみんな、そして特にカナンには、後で説明しよう――
「うおおおおおおおっ!!」
そして喧しいのが、ひとり居る。カナンだ。
「すげえっ! こんなに走ってるのに、疲れねえっ!!」
――身体が替わって身体能力が上がった分、嬉しいのは分かるが、頼むからやめれ。
我が身の事のように恥ずかしいわ。
「なんだなんだ、カナン、なまらハッチャキこいてんな」
「車に轢かれたせいか? まるで人が変わったみてえだな」
口々に部員たちが好き勝手な事を言っていたが、図らずも正解が出てしまった。
そうなんだ――人、替わってんだぁ。
そして事件は、カナが走り込みから帰って来て、休憩を取ろうとした時に起きた。
折しもブルペンでは、北野さんとカナンが並んで、投球練習を始めるところだった。
カナ時代を思わせる綺麗なフォームで、カナンの右腕が撓る。
そして放られたボールは、凄い回転の掛かった豪速球となり、フクローのミットに吸い込まれた。
バシーーーーン。
とんでもない音がグラウンドに響き、マスクを取って立ち上がったフクローが、半ば呆然としながらカナンを見つめている。
「カナン――お前、いったい……」
今まで見た事もないような、凄いボールだった。
カナンの恵まれた身体と、カナの綺麗な投球フォームが産み出した、奇跡のストレート。
気付くとカナンも呆然と突っ立ったまま、ポロポロと涙を流していた。
コメントし忘れていましたがJチーム『ステラロサーレ札幌』の語源はステラ・ロッサ。
日本語で言うと『赤い星』、つまり北海道のシンボル、開拓の赤い星です。
筆者は赤い星を見ると、未だに胸が熱くなります。
創作の場で某球団をレッドスターズと表現しているモノが散見されますが、赤い星は北海道のシンボルなんです、それをお忘れなきよう。
現在の豊かな北海道の食は、間違いなく先祖たちの汗と命から産み出されたモノであります。
しかし開拓という行為は、アメリカのソレと同様に、先住民の生活権を奪うモノであったでしょう。
開拓の赤い星が周知されないのは、開拓時代の終焉や、先住民に対する配慮がそうさせたのかな、と個人的に思っています。




