4. 昨日まで我が家だった家、そして新しい我が家
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駅前通りの間柴呉服店から、町営公園近くの穂波家までは、歩いて10分足らず。
もう既に、日は暮れようとしていた。
比較的車の通る駅前通りから一本入ると、栗川の町は途端に寂しくなる。
母を先頭にカナ、姉の順で一列に並んで歩いて行く。
スタイルの良い母と姉に挟まれると、カナだけ10cm以上凹んで見えた。
美少女で評判の美香さんの親だけあって、母も充分綺麗だ。
姉と並んで歩くと、姉妹と間違われる事もしばしばらしく、40過ぎているとは思えない。
と言うか、姉より以前は、母が評判の美人だったと聞いている。
嫁いできた当時は『間柴の末っ子がアイドル騙さして嫁に連れて来た』とまで、言われたらしい。
つまりチンチクリンで筋肉ダルマのカナだけが、あくまで外見上の話だが、美人一家の異分子だった。
俺になったカナは、今頃どうしているだろうか。
女子が男の身体になってしまうのは、想像以上にショックな出来事じゃ、ないんだろうか。
ガッツリ落ち込んでなければ、いいけど……
視界の向こうに見えてきた、昨朝までは我が家だった家の姿に、そんな事を思った。
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「ほんとうに、うちの香奈がお世話かけました」
「ごめんなさい」
見かけ上は他人である実の父母に、しかも自分のやらなかった事で頭を下げるのは非常におかしな気分だが、今は俺がカナなので仕方がない。
「なんもなんも、まあ香奈ちゃんもケガなくて、ほんと良かったですよ」
穂波父母が玄関先で間柴の三人に上がるよう促して、間柴母がいえいえお構いなくほんとに、という毎度の遣り取りが繰り返される。
「加南ちゃんが勇敢に、香奈を助けて下さって、ほんとに、ねえ……」
「そうだよ、加南ちゃんは香奈の、命の恩人です。加南ちゃん、ほんとありがとう」
話しているうちに涙ぐむ母と、カナンの手を取って何度もお辞儀をする、姉。
カナの中身が入っている俺は、バツが悪そうな顔をしている。
そりゃそうだよな。自分のやらなかった事を褒められても、なあ。
「ほら、香奈も加南ちゃんにお礼しなっ……白馬の王子さまだよっ」
姉が余計な事を耳打ちしながら、カナを促した。
玄関の框にヌボッと立っている、俺。
この光景に、早く慣れなくちゃ、なあ……
カナンの様子はまずまず元気そうで、少し安心した。
「カナン、大丈夫? 問題ないかい?」
もちろん身体の心配じゃなく、新しい生活で問題ないかどうか、だ。
「なんもだ、問題ないさぁ――それよりカナ、その髪だけど」
カナンの眼光が一瞬、鋭くなる。そだな、カナはこういうチャラチャラしたの、嫌いだった。
「あらぁ、香奈ちゃんたくさんおリボンして、めんこいじゃないのー」
穂波母が1オクターブ高い声を出す。
え――たくさん?
前から見えてるリボンは、ふたつだけど……
不審に思って、後頭部に手を遣ると、穂波母の言葉の意味が分かった。
短く伸ばした後ろ髪が細かく編まれていて、そこにいくつものちいさなリボンが結わえてある。
「お姉ちゃん……」
「うん、めんこいめんこい」
姉に視線を寄越すと、にっこり笑って両肩をポンポン叩かれた。
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中学までは刈り上げて男の子みたいだったカナが、髪を少し伸ばし始めたのは、高校入学前後の時だった。
多分、全国野球女子たちの憧れ、東京ドルフィンズみづほ選手の髪型を真似したんだと思う。
ところがカナの髪質は思いのほか軟らかだったらしく、まるで海苔みたいにベタッと頭に張り付いてしまった。
しかもロクに手入れしないから、しばしば寝グセのアンテナがピン、と立ったまま学校にやって来る。
カナはそういうヤツだった。
カナンは憮然とした顔付きで、カナを見下ろしている。
「この、髪――カナじゃないよ、お姉ちゃんが結わえたのさ」
「――なして抵抗しなかった……」
冷えた声でカナンが呟く――おー、こいつの性格でカナンの身体だと、結構怖いな。
ゴゴゴゴッ、て背後で音がしてるよ。
こういう時は、やり過ごすに限る。
カナの話し相手は、後ろにいた開土に移った。
「カイトちゃん、どう? お兄ちゃん、怖くなってないかい?」
「んー、分かんない」
開土はモジモジしながら、年上のお姉さんに話し掛けられて照れる中坊に、有りがちな反応をした。
ま、カナンの文句は、明日聞いてやろう。
「カナン。助けてくれてありがと。感謝だよ」
はっきりとお礼を言い、深々と頭を下げる。
そこまでされると流石のカナン――中身はカナだが――も、振り上げかけた拳を下ろさざるを得なかった。
「ん――なんもだぁ」
穂波に持って行った母の手土産は、なんとサザエさんのおはぎだった。
わざわざ岩見沢まで車を飛ばして、買ってきたらしい。
祖母の大好物だそうで、間柴家の分もきちんと、母は確保していた。
俺がカナになって初めての夕食は、祖母が作った煮物に味噌汁、そしてサザエさんのおはぎという、何とも女所帯っぽい献立だった。
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「香奈お前、珍しいね。フロンティアーズの試合、観ないのかい?」
夕食後、乱雑に私物が折り重なった机の上を整頓しながら、やっぱりわやになっている机や箪笥の引き出しに、どこから手を着けたモノか途方に暮れていると、姉から声が掛かった。
今日はゴールデンウィークの最終日だから、確かに北海道フロンティアーズ、試合がある。
「お姉ちゃん、それよりこのリボン、取って? 頭が重いよ」
カナの髪だが、鏡で改めて確認すると、かなり凄い事になっていた。
後ろの髪がふわんと膨れ上がって、ちいさな三つ編みが十個以上垂れ下がっていて、そのひとつひとつに赤いリボンが付いている。
こりゃあカナンも渋い顔するわけだ――でも結構、めんこいな。
姉が、少し悪戯っぽく笑っている。
「その前にさ、写真撮ろ?」
昨日まで男だったカナに、複雑に結わえられたリボンなど外せる筈もなく、断る選択肢はなかった。
姉の悪ノリは想像以上に凄まじかった。
まずピンクのめんこいブラウスを着せられ(姉のだからブカブカだ)、前から横から後ろから撮られる。
そして自撮りツーショット、めんこく上目遣いを指示される。
――昨日までは背が高かったので、上を見上げる動作は久しくしてなかった事に気付く。
母、そして祖母とのツーショット写真までに及んで、母が思わず呟いた。
「香奈がこんな大人しく写真撮られてるなんて、こりゃ明日、吹雪くんじゃないかい?」
そうだったのか――いやいや、これが間柴の習慣なのかと、つい素直に応じてしまっていた。
取りあえず明日吹雪かれると、困るなあ……練習復帰するつもりだし。
栗川はそうでもないが、道東の寒い処だと、ゴールデンウィークでもたまに雪が積もる。
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「んー、もっとめんこくなりそうだなぁ……香奈、リップ付けてみよか?」
なおも写真撮りに励もうとする姉であったが、ここは怒っておくべきだろう。
「もう、やだよぉ……お姉ちゃん、いい加減にしてよぉ……」
頬をプーッと膨らませ、少し涙目になって姉を見つめる。
そんなカナを見た姉が、少しきょとんとした顔になり、次の瞬間にはニンマリーと笑い始めた。
「えいっ」
そして人差し指で、カナの膨らんだ頬を突つき、カナの口からプシュウと息が漏れる。
「香奈ぁー」
ニンマリーの極致になった姉の顔が、グッと近付いてくる。
「どしたの、今日の香奈って、なまらめんこいわぁーっ」
そう言うと凄い勢いで、カナに抱きついてきた。
余りの勢いにどう、と押し倒され、姉の身体がのし掛かってくる――どうやら姉は、カナの怒り顔に萌え死にしたらしい。
「んー、香奈ぁ。すりすりすり」
姉の美人顔が盛大に頬擦りしたり、何度も頬にキスしてくる。
「お姉ちゃんやめてぇ」
姉の身体は軽く、カナの筋力なら払いのけられそうだったが、その……甘い匂いがして感触が心地良過ぎて、つい抵抗の手を緩めてしまった。
「決めたっ。香奈、今日は姉ちゃんと一緒に、お風呂入ろっ」
「もー勘弁してぇ」
視界の向こうの居間では、祖母と母がフロンティアーズの試合をテレビで観ていて、栗川監督が映った時だけ拍手を送っていた。




