30. カナンとカナ、次へのステップ
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栗高野球部の勝利は、ちいさな町を大いに沸かせた。
南北海道時代を含めても、実に30数年ぶりの本戦出場である。
フロンティアーズの栗川監督が住んでいる事もあって、野球好きの多い土地柄である。
七月中旬の本戦には、大応援団を組んでやって来るような勢いだった。
しかし当の野球部員たちは、浮き足立った意識とは程遠かった。
帰り道、カナの頭上で、フクローとカナンが話をしている。
「まだふたつ勝っただけで、大したことはしてないのになあ」
「そだな。本番は、これからっしょ」
ふたりの言う通りだと、カナも思う。
みんなは鬼の首でも獲ったように持て囃してくれるけど、北北海道の参加校をずらずらーっとトーナメント表に並べてみれば、分かる事である。
実質は、比較的楽な組み合わせの二回戦と三回戦を勝ったに過ぎない。
久々の快挙に違いは無いが、全道大会を優勝した美香お姉ちゃんたち弓道部の方が、よっぽど凄い。
相手が飛躍的に強くなる本戦こそが、栗高の、そしてカナンの試金石だ。
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フクローと別れてふたりきりになったカナンとカナは公園に向かった。
一見デートのようであるが、実際には近況報告と情報交換である。
カナの生理がきっかけだった。
下腹の違和感とともにトイレに駆け込んだら、便器が血塗れになっていた。
今さら姉や母に話すわけにもいかず、かなり慌てながらも、カナンに携帯で連絡した。
「ああ、そだなぁ……カナはそういうの、初めてだもんなあ……」
ため息混じりにそう言いながら、カナンは懇切丁寧に対処法を教えてくれた。
身体が入れ替わってからというもの、カナンは香奈の頃より優しくなったような気がする。
それからは週一回くらいのペースで、生活の細々とした事や、親戚付き合いその他など、互いに戸惑う事、知っておいた方が良い事を、教え合うようにした。
纏わり付く美香お姉ちゃんを撃退する時に、香奈がグーで殴っていた事も、そこで初めて知った。
「だってそうしないとお姉ちゃん、すぐ一線越えるから。仕方ないっしょ」
「は……はぁ……」
道理でお姉ちゃん、最近のカナは大人しくてめんこいと、事ある毎に言うわけだ。
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もっとも最近は、互いに新生活に馴染んでしまったせいか、野球の話ばかりだった。
「カナンは新しい変化球、練習してるんだって?」
「ああ」
カナンほどの豪球投手だと、ちいさく変化するボールは、あまり助けにならない。
低いフォームからストレートが浮き上がってくるので、大抵の打者はボールの下を振って空振りする。
そこへちいさく落ちる変化球など投げようものなら、わざわざバットを振った処に当てに行くという、かなり馬鹿馬鹿しい結果になる。
さらにカナンの場合、カーブはかなりの完成度にあるので、タイミングを外すチェンジアップなども、それほど要らない。
習得するとすれば、大きく曲がるスライダー系か、大きく落ちるフォークだろう。
カナンのストレートについて行けるレベルのバッター相手には、かなり有効な筈だ。
やはりと言うべきか、カナンが練習しているのはフォークボールだった。
「指が長いから、ボールが簡単に挟めるのさ。握力も段違いだし……ほんと有り難い身体だよ」
そう言うカナンの表情には、余裕のようなモノまで感じられた。
実用段階にはもう少し掛かりそうだが、きちんと落ちてくれるらしい。
「カナは調子、どう?」
「どう? って、うーん……まだ今は守備の人かなあ……」
いざ試合を戦ってみて、130km/h前後のストレートには完全に力負けする事が、分かってしまった。
何度もグローブを修繕しながら、毎日素振りをしてはいるが、それで打力が上がるなら、とっくの昔にそうなっている。
効果が現れるのは、多分まだまだ先の話だろう。
取りあえずカナの長所である、走力と守備力を磨く――本戦に間に合いそうなのは、それだけだった。
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「力負け、かあ――また筋力つける?」
「却下。それやるとスピード落ちちまう。何か参考になればと思って、ドルフィンズのあの人、チェックしてんだけどさ……」
「ドルフィンズ? ああ、みづほさんか」
カナが最近、穴が空くほど観察しているのが、今年東京ドルフィンズに入団した史上初のNPB女子選手、遠野みづほ内野手のバッティングフォームだ。
華奢な身体で、高校時代から木製バットを振り回し、150km/hのストレートを弾き返していた秘訣を、探り続けていたのだった。
「で、結論は――」
「うん、参考になったのは体重移動くらいだった。みづほさんて、あんな細っこい身体で結構パワーあるわ。足だってカナより速いんだよ、ただの化けモンだった」
「ボクも香奈の頃は、みづほさんの事、ずーっと見てたから分かるさ。世の中にはあんな天才、いるんだなあ……」
カナンはそう呟くと、徐々に暮れゆく空を、何となしに見上げていた。
七月に入ったばかりの栗川は、一年でいちばん昼が長く、過ごしやすい季節だ。
気付けば少し涼しくなった初夏の風が、カナの髪をずっと撫で続けていた。
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「カナお前、ほんと大したもんだと思うよ……」
「なんだよ、いきなり」
「いやいや、15年間その身体で生きてきたボクの、それが正直な感想さぁ」
ベンチに座っているカナンが大きな身体を折り曲げ、膝の上で手を組み合わせる。
「ボクさ、ずっと男の子になりたかった、のかな……もう分かんないや。少年野球の頃は結構やれてたのに、中学でどんどんみんなに、加南にも追い抜かれてさ……どんだけハッチャキこいて(=必死に頑張る)も、差は広がる一方だった……」
「カナン……」
静かに呟くカナンの横顔を、カナは見上げる。
カナンは空を見たまま、少し微笑んでいた。
「背は全然伸びなかったし、いくら筋トレしても、思うようなボールは投げらんなかった。コントロールに自信はあったし、カーブを磨けば何とかなるんじゃないか、とか、いろいろ考えて……今になって分かったけど、ボク、ずいぶん意地になってたな」
「だって香奈、栗川監督に褒められたんだべ? そりゃこだわりも出るさ」
「もう昔の話だもん。そんなモンに縋ってちゃ、いけなかったんだよ」
軽い微笑みを崩す事なく、カナンがカナに視線を移した。
「とにかくさ、何年もボクは藻掻き続けてたわけ。出口もなんも、全然見えなくて、さ――それがたったの、一カ月だよ?」
「あ、うん……」
「加南がカナになって一カ月で、あっという間に、試験に受かるまで仕上げちまった」
「――うん……」
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カナンがずっと見つめ続けていたので、カナはすっかり照れてしまって、少し頬を赤らめて俯いた。
遠目には高校生ふたりが、愛の囁きでも交わしているように見えたかも知れない。
「ボク以上にボクを見てくれてて、ボクを知ってくれるヤツが、こんな近くにいたなんて、なあ……」
その言葉自体は、ある意味、愛の囁きと考えられなくもない。
カナは以前、お姉ちゃんが言っていた、香奈は加南を好きでしょ、という言葉を思い出していた。
加南としては、香奈はどうだったかなあ……
何かと付き合わせては強引に引っ張り回すし、すぐ暴力振るうし、詳しく思い返してみれば、ガキ大将と家来という関係がピッタリである。
しかし大切な親友である事だけは、間違いなかった。
「なんもだ――香奈だって凄かったんだよ? 足速いし。カナはね、香奈がこれまで積み上げてきたいろんな事に、手を加えてっただけだよ……それ言うなら、加南が今まで出来なかった事を、いとも簡単にやってのけたカナンの方が、もっと凄いんでないかい……」
「したっけそれこそ、加南が今まで積み上げてきたモンだよ。ボクはたまたま、上手く乗っかれただけなのさ」
カナンの顔がずいっと、カナに近付いてきた。
微笑みは既に消え、かなり真剣な表情だ。
「ボクを仕上げてくれたカナには、感謝と――少し嫉妬の感情も、あるかな」
「え? 嫉妬?」
「そりゃあそうだろ? 全然ボクが思いもしなかった、左打ちの外野手転向って形で、香奈の可能性を開拓してくれたんだから」
それを言うなら、カナだってそうだよ――カナンが、こんなスーパーなエースになれるなんて、思いもしなかったさぁ……
カナは近付いてきたカナンの頬に、両の掌を優しく当てた。
「なあ、カナン。互いに余計な感情は要らねえから、今んとこは野球が上手くなる事だけ、考えよ」
「ん? ああ、そだな……」
「特にカナン、お前だ。お前が頑張れば頑張るだけ、チームは勝てる。お前はもう、そういう選手になってんだ」
元の自分にそんな事言うのは変な気分だが、偽らざる正直な気持ちだった。
「ああ――そだな。その通りだ」
カナンは真剣な表情のまま、深く肯いた。
「カナは、カナに出来る事、ハッチャキこくさぁ……なあ、カナン。応援してるぞ。けっぱれ」
「ボクもカナを応援するよ。けっぱれ」




