第8話:隣の電話
演奏会から、一週間が経った。
俺はあの日からずっと、スマホのLINE画面とにらめっこしている。
交換したはいいけど――そこから、何も送れていない。
何をどう送ればいいのか、まったくわからない。
スマホは部活の連絡用に買ってもらったばかりで、男友達とのやり取りすらほとんどない。
ましてや女子。しかも、山口。
「おはよう」って送るには、朝が過ぎてる。
「元気?」って送るには、俺が元気じゃない。
「演奏すごかったね」って送るには、もう一週間経ってる。
……ダメだ。どれも違う。正解がわからない。
送信ボタンが、地雷にしか見えない。
そんな俺の背後から、唐突に声が飛んできた。
「アンタ、まだ送ってなかったの?情けないね〜」
振り返ると、姉がポテチ片手にソファでニヤついていた。
「うるさいなぁ、姉ちゃんに関係ないだろ」
「はぁ?何よその口の利き方。誰のおかげでチューリップ摘んだ件、小遣い抜き回避できたと思ってんの?」
「……あれは元々、姉ちゃんのせいだろ。“花束は演奏会のマナー”って言ったの、姉ちゃんじゃん」
「でも、喜んでもらえたんでしょ?」
そう。
姉が母親に事情を説明してくれたおかげで、俺はなんとか小遣い抜きは免れた。
「青春だから許してやんなよ」って言ってくれたらしい。
その点は、正直感謝してる。
……でもその代償として、母親からも山口のことでからかわれるようになった。
「マミちゃんのこと、本気なんだね」
「花束まで用意するなんて、立派になったじゃない」
「気持ち、ちゃんと伝えなさいよ。後悔しないようにね」
俺の青春は家族全員に握られることになった。
「とにかくLINEなんてさっさと送っちゃいなさいよ。あんた達、結構いい感じに見えたわよ。ゴエモンなんてあだ名で呼ばれちゃってさ」
「そんなのみんな呼んでるよ。石川だからゴエモンなんて、誰が付けたのか忘れたけど、単純すぎるあだ名…」
俺がそう言うと、姉は呆れた顔でこっちを見た。
「……何言ってんの、あんたが自分でそう呼べって言い出したんじゃない」
「は?」
「小学生になったくらいの時だったか、急に“ゴエモンって呼んで”って言い出したの、あんたでしょ」
姉がポテチをつまみながら、思い出したように言う。
「……何でそんな小さい時に石川五右衛門なんて知ってんだよ」
「知らないわよ。私が“泥棒にでもなりたいの?”って聞いたら、“泥棒じゃない!”ってめちゃくちゃ怒ってたじゃない」
「……うそだろ」
全然覚えていない。その頃の自分に会って、理由を聞いてみたい。
俺はスマホを見つめながら、静かに思った。
……山口には、絶対に知られたくない。
「何にせよ、あだ名で呼ばれるってことは嫌われてはないってことなんだし、そんな深く考えすぎないで、伝えたいこと送っちゃいなさいよ」
そう言って姉は立ち上がり、部屋のドアの前で少しだけ振り返る。
「……あんたの言葉なら、ちゃんと届くと思うよ」
それだけ残して、静かに去っていった。
俺はスマホを見つめる。
伝えたいこと。
その言葉が、画面のメッセージ欄に浮かぶ。
俺は指を動かして、一言だけ打ち込んだ。
「すき」
……いやいやいやいや。
流石にこれはない。いきなりこれは、ない。
消そうとした瞬間――
ぐらり。
部屋が、わずかに揺れた。
棚の上のペン立てがカタリと音を立てる。スマホの画面も、微かに震えた。
地震。
大した揺れじゃない。でも、ここまでハッキリ感じたのは初めてだった。
「……おさまった?」
そう思った瞬間、ふと頭に浮かんだ。
――山口、大丈夫かな?
そのときだった。
スマホから、聞いたことのない音が鳴り出した。
ポポポポポ…♪ ピロリン…ピロリン…
「え、何?この音……地震アラーム?今鳴るの?いや、もう止まってるし!」
そう思いながら画面を確認すると――そこに表示されていたのは、
山口マミ LINE電話
……え?
俺は一瞬、画面を見つめたまま固まった。
地震のあとに、山口から電話。なんだこの展開。ドラマか?
でも、指はもう勝手に動いていた。
「……もしもし」
少しだけ震えた声が、スマホの向こうに届いた。
「あ、ゴエモン?地震、大丈夫だった?」
「うん、こっちは全然。そっちは?」
「うちも平気。ちょっと揺れたけど、すぐおさまったし」
「そっか……よかった」
少しだけ間を置いて、俺は聞いてみた。
「……なんで電話くれたの?」
山口は、少しだけ考えるような間を置いてから言った。
「うーん……なんでだろ。 自分でもよくわかんないんだけど…… 地震の後スマホ見たら、なんか急にゴエモンのこと思い浮かんじゃって」
……え?
俺のこと?思い浮かんだ?今?このタイミングで?
心臓が跳ねるどころか、祭りが始まった。
その後の通話は短かったけど、ずっと心がふわふわしてた。
地震の話から部活のこと、演奏会の話になって――
山口がふと、「お姉さん、本当カッコいいね」って言った。
その一言が、妙に胸に残った。
姉のソロを憧れの目で語る山口の声が、なんか誇らしくて、ちょっとくすぐったかった。
スマホ越しなのに、距離が近くなった気がした。
まるで、隣の席で話してるみたいに。
※※※
通話が終わっても、画面の向こうに山口の笑顔が残ってる気がして、俺はしばらくスマホを見つめていた。
……そこに送った覚えのない謎のメッセージがあった。
「すき焼きのタレ買っとくね!」
……は?
俺、こんなの送ったっけ?
そう思った瞬間、地震の直前に「すき」って打ってたのを思い出す。
「……あー、予測変換か……」
って、いや待て。
俺、地震の直前に打ってたのって――「すき」だよな?
そのまま送ってたら、完全に告白じゃん。
しかも何の前触れもなく、いきなり「すき」って。
地震より衝撃だわ。
……いやほんと、変換機能ありがとう。
お前がいなかったら俺、今頃人生終わってた。
でも――そうか。
これが山口のスマホに表示されて、俺のことを思い浮かべたのかもしれない。
これのおかげで、電話できたんだから。
……結果オーライ、ってことでいいよな?




