第7話:隣の演奏会
試合が終わって、体育館は静まり返っていた。
俺は顧問の気まぐれで数分だけ試合に出て、シュート1本だけ決めた。
勝敗には関係なかったけど、それでも嬉しかった。
問題は――汗。
「……シャワー浴びなきゃ」
バッグの中の着替えと花束を誰にも見つからないようにしながら、まずはシャワールームを目指す。
そこで帰ろうとする一年達と遭遇した。
「ゴエモン、ゲーセン行かね?」
「ごめん、今日は予定があるから」
「隣」で予定があることは絶対に悟られてはいけない。
そのとき、後ろから声が飛んできた。
「俺も行っていいかー?」
高橋だった。ボールバッグを肩にかけて、軽い足取りで近づいてくる。
一年たちが一瞬だけ固まる。
「え、あ……高橋先輩も?」
佐伯が戸惑いながら、俺の方をちらっと見た。
高橋がニヤリと笑う。
「ゴエモンも先輩だぞ」
一見冗談のようだが、俺にタメ口をきく一年生たちへの皮肉めいた牽制が含まれていた。
佐伯は「あ、いや、その……」と口ごもる。視線が泳いで、俺と高橋の間を行ったり来たりしてる。
俺は肩をすくめた。
「ビビらせんなって。俺は気にしてないから」
佐伯は小さくうなずいたけど、高橋の前ではまだ言葉を選んでる感じだった。
高橋はその様子を見て、ふっと笑う。
「まあ、俺はゲーセンより風呂だな。汗ヤバいし」
俺は内心で「それな」と思いながら、バッグの中身を気にして、そっと持ち直した。
「そうだ、演奏会16時からだっけ?」
心臓が跳ねる。――やばい。覚えてる。
「無料らしいし行こうかな」
……やめてくれ。その言葉が、頭の中でぐるぐる回る。
花束のこともある。山口に会うのも、俺ひとりで行きたい。
「……でも、用事あるんだったわ。親に頼まれてたやつ」
思わず息を吐く。助かった。ほんとに。
誰にも見られずに行きたい。
誰にも知られずに、あの言葉を果たしたい。
「行けたら行く」――その約束を。
※※※
シャワールームの受付に向かうと、カウンターの奥から声がした。
「あら、石川くん? なんだか懐かしい顔ねぇ」
俺は軽く会釈する。
「こんにちは。ちょっと汗かいちゃって」
「そうなのね。シャワーね。今は400円だからね。前と変わってるから気をつけて」
「……あ、はい」
財布を開いて、小銭を探す。少しだけ戸惑ったけど、なんとか足りた。
そのとき、おばちゃんがカウンター越しに言った。
「荷物、預かろうか?」
「……いえ、大丈夫です」
思わず声が上ずる。バッグの中には花束。見られるわけにはいかない。
俺はうなずいて、受付を通り過ぎた。
シャワーで汗を流し、髪を整え、服を着替える。
バッグの中身を確認して、花束の位置を直す。
ロビーのベンチに座って、少しだけ休憩。
スマホで演奏会のポスターを検索する。
……気づいたら、目を閉じていた。
※※※
「……やば」
目を開けた瞬間、時計を見て焦る。開演まで、あとわずか。ギリギリの時間だった。
俺はバッグを抱えて、急いで立ち上がる。
でも――このまま持っていくのは、さすがに目立つ。
受付に戻って、カウンターのおばちゃんに声をかける。
「すみません、隣のホールにちょっと用事があって……荷物、預かってもらえますか」
おばちゃんは笑いながら言った。
「まあ、おしゃれして。デートかしら?」
「ち、違います」
声が少しだけ裏返った。
おばちゃんはニヤニヤしながら、バッグを受け取る。
俺は花束だけを手に持って、ホールへ向かう。
ホールに滑り込むと、空いていたのは一番前のど真ん中の席だった。
ステージからもよく見える場所。
俺は花束を抱えたまま、そこに座る。
周りを見渡す。誰も花なんて持ってない。
……やばい、目立つ。
ほどなくして、姉の楽団が登場。ジャズの曲が始まり、姉がサックスを構える。
その瞬間、ステージ上から俺を見つけて――笑った。
「ホントに花束持ってるしw」って顔。
口元がひらいて、目がニヤついてる。
……騙したな。
俺は視線をそらす。でも、演奏が始まると、すぐに目を戻した。
姉のソロ。音が鋭くて、でもしなやかで――カッコいい。
サックスってこんなふうに吹くのか。
山口も、こんな感じなのか?
俺は花束を抱えたまま、じっとステージを見つめていた。
次はいよいよ、吹奏楽部の演奏。
ステージに並ぶ部員の中に、山口を見つけた。
少し緊張してるようで、譜面を見ながら深呼吸している。
その瞬間、ふと目が合った――気がした。
山口が、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
演奏が始まる。
技術的なことは、正直よくわからない。
でも、山口の音には、何かがあった。
音の粒が跳ねて、流れて、重なって――
その中に、山口の“楽しさ”が詰まっていた。
心から楽しそうに吹いている。
それが、音を通してまっすぐ伝わってくる。
俺は、ただただ聴き入った。胸の奥が熱くなる。
なんでだろう。涙が出そうだった。
気づいたら、立ち上がっていた。
拍手をしながら、無意識に。
スタンディングオベーション。
舞台の上で、山口が笑っていた。
その笑顔が、まぶしかった。
※※※
演奏会が終わったあと、俺はホールの隅で花束を抱えたまま立ち尽くしていた。
渡すタイミングを逃して、ずっと手に持ったまま。
そこへ姉がやってくる。サックスケースを肩にかけて、ニヤニヤしながら俺の顔を見る。
「結局渡せなかったの?青春だねぇ〜」
「うるさい……」
俺が言い返す前に、後ろから声がした。
「ゴエモン、来てくれたんだ。ありがとう」
振り返ると、山口が立っていた。
制服のまま、少し汗をかいて、でも笑顔だった。
「…来れたから、来た」
少しだけ視線を逸らしながら、でもちゃんと届くように言った。
山口が、ふっと笑う。
「なにそれー。ゴエモンって、そういう言い方するんだ」
その笑顔が、さっきの演奏のときよりもずっと柔らかかった。
「……あれ?その人」
山口が隣にいる姉に気付き、少し怪訝そうな表情を見せる。
「うちの、姉ちゃん」
「えっ……ええ!?ゴエ…石川くんのお姉さん!?」
山口の目がぱっと見開く。
「さっきの楽団の人ですよね!? サックス、すっごくかっこよかったです!
音がすごく伸びてて、ソロのところとか鳥肌立ちました!」
姉はちょっと驚いた顔をして、それから嬉しそうに笑う。
「ありがと。あんたも吹奏楽部なんだって?」
「はい!同じサックスです! あんなふうに吹けたらいいなって、ほんと憧れます!」
「そっか〜。じゃあ、これからも頑張ってね。音って、気持ちが乗ると全然違うから」
「はいっ!」
姉は俺の顔をちらっと見て、ニヤリと笑う。
「……じゃ、私は先に帰るね」
そう言って、俺の肩をぽんと叩く。
そのまま何も言わず、くるっと背を向けて歩き出す。
数歩進んだところで、振り返らずに片手をひらひらと振る。
その手の動きが、なんだか“任せたよ”って言ってるみたいだった。
俺と山口、二人だけが残された。
山口が、俺の手元に目をやる。
「それ……花束?」
「……うん。姉ちゃんに騙されてさ。
演奏会って花束持ってくのがマナーだって言われて……。それは嘘だったんだけど…でも……」
俺は少しだけ視線を落として、言葉を選ぶ。
「さっきの演奏、ほんとに良かった。
音が、なんていうか……山口の“楽しい”が全部詰まってる感じで。
聴き入って、胸が熱くなった」
山口は目を丸くして、それからゆっくり笑った。
「……ありがとう。そんなふうに言ってもらえるの、すごく嬉しい」
俺は、そっと花束を差し出す。
山口は少し驚いた顔をしながらも、丁寧に受け取ってくれた。
「こんなのもらったの初めて。大事にするね」
少しだけ沈黙があって、山口がスマホを取り出す。
「ねえ、LINEやってる?」
「……うん」
「よかったら、交換しよ?」
俺はうなずいて、少し照れながらスマホを取り出す。
画面越しに並ぶ名前。
その中に、山口の名前が加わった瞬間――今日の全てが報われた気がした。
※※※
夜、自宅。
玄関を開けた瞬間、母の声が飛んできた。
「洋平!庭のチューリップ、あんた勝手に摘んだでしょ!」
「……え、いや、それは……姉ちゃんが……」
「今年の一番きれいなやつだったのに! 罰として来月小遣い抜きだからね!」
「そ、そんなぁ… こんなことなら素直に花束買っときゃ良かった…」




