第6話:隣の体育館
運命の日。
演奏会は隣のホールで夕方から行われる予定だが、俺はバスケ部の試合のため、午前中にはすでに町民体育館にいた。
いつもはシューズと飲み物くらいの軽装なのに、今日のバッグは妙に膨らんでいる。
演奏会用の着替えと、手作りの花束――これだけは、絶対に誰にもバレたくなかった。
※※※
花束は買うつもりだったが、検索してみたら予想以上の値段にひるんだ。
「こんなのを渡すために千円以上ってマジか……」
そう思って夜の庭に出たとき、背後から声が飛んできた。
「なにしてんの。夜に庭で花探しなんて……ホラーかと思ったわ」
姉が玄関から顔を出す。俺はびくっとして振り返った。
「……花束、作ろうと思って」
姉は一瞬だけ目を丸くしてから、すぐに笑った。
「そこまで真面目に考えなくてもいいのに」
そう言いながら庭に降りてくると、ひょいっと花をいくつか摘み始める。
「でもまあ、演奏会で花もらうのってさ」
色合いを並べながら、軽い調子で続けた。
「女子は普通に嬉しいし、テンション上がるでしょー」
茎を揃えて、くるっとまとめてから、俺に差し出す。
「これ渡したら、たぶんイチコロだよ?」
「ちげーし……そういうんじゃないから」
「はいはい、青春青春」
姉は楽しそうに笑って、手をひらひら振りながら、すっと家に戻っていった。
月明かりに照らされたそれは、思っていたよりずっとちゃんとしていた。
※※※
「ゴエモン、今日のバッグ、なんかすごいな。何入ってんの?」
試合前、体育館の廊下で後輩の佐伯が声をかけてくる。
「いや、まあ……暑くなるって聞いたから。タオル多めにしただけだ」
「へー。試合出ないのに汗気にするの珍しいね」
その言葉が妙に刺さる。俺は無言でカバンの位置を調整した。
体育館の隅から、顧問の声が響く。
「おい石川、そのバッグ……やたら膨らんでんな。何入ってんだ?」
「いや、着替えとか……いろいろです」
顧問はじっと見ていたが、すぐに視線を逸らして言った。
「そうか。試合、出られるといいな」
「……はい」
「まあいい。1年、“タクティクスボード”持ってきてくれ! 倉庫の奥にあるはずだ!」
指名された1年生たちが「タクティクス……?」と顔を見合わせている。
俺は立ち上がろうとしたが、
「お前、2年だろ。座っとけ」
と、あっさり止められた。
「作戦を立てるときに使うホワイトボードみたいなやつだよ。棚の奥に赤いケースがあるから、それだ」
俺が口を挟むと、1年生は
「へえ、サンキュー! ゴエモン、2年から始めたのによく知ってんな」
と感心して走っていった。
その様子を見ていた2年のエース・高橋が、隣に座りながら言う。
「ゴエモンってさ、1年と仲良いけど……なめられてない?」
「え、まあ……別に気にしてないよ」
「そっか。俺だったら無理だわ。敬語じゃないと落ち着かんし」
「……お前にタメ口きく1年なんて、普通いないだろ」
高橋はボールを足元で転がしながら、俺じゃなく、バッグに目をやった。
「それ、なんか重そうだな。部活用じゃなさそうだけど」
「……着替えとか、いろいろ」
「でもお前、試合――」
「出ないけどいいの!」
少し語気を強めて遮ると、高橋は一瞬目を丸くしたが、すぐに笑ってボールを拾い上げた。
「ふーん。てか、お前最近、酒井さんと仲良いんだってな。うらやましいぞ」
「え、そんなことないけど……なんで?」
「隣の俺のクラスまで伝わってくるんだよ。酒井さん、可愛いからな」
俺は肩をすくめて返す。
「用事があれば話す程度だよ」
「お前がそんな子と緊張せずに話せるなんて珍しいな。昔は女子ってだけでガチガチだったのに」
高橋は少し間を置いて言った。
「そういや今日、酒井さんたちの吹奏楽部が隣で演奏するって。ホールの夕方枠らしいぞ」
「へえ、そうなんだ」
なるべく無関心を装ったが、心臓は勝手に跳ねていた。
「てかさ、昼飯どうする? 売店混みそうじゃね?」
話題を変えようとわざとらしく言ったが、高橋はさらっと続けた。
「16時からだって。ポスター貼ってあったぞ」
ごまかしは完全に空振りだ。
バッグの中身がずしりと重く感じる。
その重さは、俺の心の中で膨らむ期待と不安の象徴だった。
演奏会まで、あと数時間。




