第9話:隣のチケット
地震の後、山口と電話で話したことで、距離がぐっと縮まった……気がする。
声で話せた安心感もあって、LINEでのやり取りもだいぶ余裕が出てきた……と思う。
今では部活や授業のこと、ちょっとしたくだらない話まで、気軽にやり取りできるようになった……多分。
一度だけ、既読がついたまましばらく返事が来なかったことがあった。
俺は勝手にパニックになって、スマホに必死でこう打ちかけた。
『ごめん、変なこと言ったかな?』
『なんか気に障ったら、本当にごめん』
『てか、既読ついてるのに返事ないってことは……』
その瞬間、後ろから姉の手が伸びてきて止められた。
「それ送ったら、マミちゃん引くよ。数分返事がないくらいで焦るな。最低でも二、三日は待ってから不安がりなさい」
「……じゃあ、どうすればいいんだよ」
「逆に聞くけどさ。返事を考えてる時に、横から『ねえねえ、どう思う?』『まだ?』『なんで黙ってんの?』って言われ続けたら、どう思う?」
「……うざい」
「でしょ。実際に面と向かって話してたら『ちょっと待ってね』って笑って言えるけど、LINEだとそれができない。だから、返事を催促する追撃メッセージは“無言の圧”になるの。相手の頭の中に土足で踏み込んで『早く答えてよ』って急かしてるのと一緒。いい? 送る時はさ――まるで、すぐ隣で話してるみたいに。その空気を忘れないで」
姉の助言で、俺は“待つ”ことを覚えた。
数分後、山口からは何事もなかったように普通の返信が届いた。
それからも何度か暴走しかけたけれど、そのたびに姉のジャッジに救われてきた。
「それ送ったら嫌われるよ」の一言で、何度も踏みとどまった。
俺の青春は、姉の監修によってギリギリのところで守られている。
今日も俺は、姉の監視のもとでLINEを送っていた。
山口から「部活終わった〜」と届き、俺が「お疲れ!」と返す。
それだけで、なんだか嬉しい。スマホの画面が、教室の隣の席みたいに感じる。
「……で? 今日も『お疲れ』だけ?」
姉がポテチをつまみながら、俺のスマホを覗き込んできた。
「いや、普通に会話してるし」
「毎日どうでもいいLINEばっかしてないで、そろそろデートにでも誘ったら?」
「はぁ!? 無理無理無理無理!」
「なんでよ。今は夏休みなんだし、そんなに深く考えずに、普通に『遊びに行こう』くらいのノリで誘えばいいじゃん。……友達として、ね?」
「いや、でも……誘うって言っても、どこに……」
「じゃあ、これ使いなさい」
そう言って、姉が引き出しからチケットを取り出した。
「私の入ってる社会人楽団のコンサート。来週の土曜。ホールは綺麗だし、演奏も本格的だし、ちょっとしたお出かけにはちょうどいいでしょ」
「それに、あの子――マミちゃん、私の演奏に憧れてるって言ってたじゃない。『また聴く?』って聞けば、自然に誘えるでしょ」
姉がニヤリと笑う。
「別にあんたの青春に興味があるわけじゃないけど――私にもチケットを捌くノルマがあるから、協力しなさい」
それだけ言い残して、姉はポテチの袋を持ったまま部屋を出ていった。
俺は残されたチケットを見つめながら、スマホを握り直す。
……「また聴く?」なんて、そんな簡単に言えるかよ。
※※※
結局、どう誘えばいいのかわからないまま夜になった。
スマホを握りしめたまま、何度もメッセージ欄を開いては閉じるのを繰り返す。
「また聴く?」でいいのか?
いや、それだけじゃ唐突すぎる気もする。
悩んでいると、山口からLINEが届いた。
『今テレビでサックス奏者の特集してるんだけど、ゴエモンも見てみてよ』
山口がサックスを見てと言う。それだけでまたあらぬ妄想をしそうになるが、ぐっと踏みとどまって考える。
(……これ、チャンスじゃね?)
俺は必死に返信を打ち込んだ。
『サックスと言えば、今度の土曜日に姉ちゃんの楽団がコンサートやるんだって。山口、前に姉ちゃんの演奏褒めてたよな。チケットがあるらしいんだけど……』
『一緒に行かない?』
この最後の一言だけがどうしても入力できず、結局そのまま送ってしまった。
……これ、誘ってるって伝わるんだろうか。
送信した後、しばらく返信が途絶えた。
俺はスマホを見つめながら、姉の言葉を反芻する。
「数分返事がないくらいで焦るな。最低でも二、三日は待ってから不安がりなさい」
……待つ。今は、待つしかない。
三十分後、ようやくスマホが震えた。
『ひよりちゃんも行きたいって言ってるけど、いい?』
……え?
俺じゃなくて、酒井さんと行きたいってことか?
いや、俺は“誘った”つもりだったんだけど……。
やっぱりチケットがあると言っただけじゃ、そうは受け取ってもらえないのか。
少しへこみながら、画面を叩く。
『もちろん、酒井さんもいいよ』
数分後、山口から返信が来た。
『ありがとう! じゃあ、三人で楽しもうね』
……え? 「三人で」?
つまり、俺も含まれているのか?
ということは、俺が女の子二人を連れて出かけるってことか……?
急に現実味が湧いてきて、俺はスマホを掴んだままリビングへ走った。
「姉ちゃん! チケット、もうちょいある?」
姉はソファでポテチをつまみながら、俺の顔を見て噴き出した。
「最初から二人きりなんて無理だと思ってたわよ。はい、追加の二枚」
そう言って、引き出しから二枚のチケットを渡してくる。
俺はそれを受け取って、必死に頭の中を整理した。
……俺、女子二人と出かけるのか。
それ、ハードル高くね?
そう思った瞬間、手の中にある「四枚目」のチケットが目に入った。
……あと、一枚。




