第4話:隣の教科書
席替えで、山口が隣に来た。
それから数日。
消しゴムを拾ってもらい、シャーペンの芯を借り、教科書の読む場所を教えてもらった――。
いわゆる“隣の席イベント”は、ひと通りこなした。
「欲張りすぎだ」と思うだろうが、わざとじゃない。全部、偶然なんだ。
いや、偶然とは少し違うか。
山口を意識しすぎるあまり手が震え、消しゴムは落ち、芯は折れる。先生の声だって右から左だ。
隣の席イベントというのは、相手を好きでいるほど巡ってくる、ご褒美みたいなものなのかもしれない。
そして今日。
ついにイベント最上級の『教科書を一緒に見る』時間がやって来た。
しかも忘れたのは、山口の方だった。
「……あれ、教科書、ない? ……もしかして、忘れた?」
山口が小声で呟いた瞬間、俺は音速で顔を向けた。
珍しく戸惑っている彼女の様子に、内心ドキドキしながら、ぎこちなく声をかける。
「俺の教科書……一緒に見る?」
「え、いいの?」
「もちろん」
自分では自然に言えたつもりだったが、心臓はバックバクだ。
山口が俺の方に椅子を寄せ、机を動かそうとする。
なぜか分からないけど、俺は慌てて自分の机を動かしていた。
「ありがとう」
山口が小さく笑って言った。
その一言だけで、俺の心臓の鼓動はさらに加速する。
教科書を机の真ん中に置く。
……距離が、近すぎる。
少し顔を寄せた瞬間、彼女の髪からふわっとシャンプーの香りがした。
机の上では、彼女の細い指がページをなぞっている。
「次、どこから読むんだっけ?」
「……あ、えっと、確か……」
指し示す俺の指先が、わずかに震えていた。
そのとき、隣からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「え、どうしたの?」
「ねえ、これ何〜?」
指差された先は、教科書の隅にある作者の顔写真だった。
そこには、俺が昔描いた落書き。
丸メガネに、ヒゲ。
謎の余白に踊る「燃えよ」の文字。
「これ、ゴエモンが描いたの?」
「え、あ、うん……暇でつい……」
顔が沸騰寸前だった。
だが、山口は弾むような声で言った。
「センスあるね」
その笑顔を見た瞬間。
俺は、山口が隣にいる幸せをこれでもかというほど噛み締めていた。
※※※
次の時間。英語の授業。
先生の「教科書開いてー」という声に合わせて、俺はいつものページをペラッとめくる。
ふと隣を見ると、山口は静かに「自分の」教科書を開いていた。
ああ、忘れ物をするのは一時間目だけだったんだな。
そう思いながら、何気なく自分の教科書に目を落とす。
「I like sushi」の例文のすぐ隣。
そこに――俺が以前書き殴った一文があった。
『I like Mami Yamaguti』
しかも “like” がなぜか無駄に力強い太字。
“Mami” の横には、今すぐ消し去りたい真っ赤なハートマーク。
そして “Yamaguti” のスペル……惜しい。
ヘボン式ですらない独自路線のミス。
こ、これは……。
……思い出した。あのときだ。
「例文に続けて、自分の好きなものを書いてみましょう」と先生が言い、
俺は「これ一択でしょ」と迷いなくペンを走らせたのだった。
あの時の俺を、今すぐ呼び出して正座させて説教したい。
さりげなく山口の方を伺う。
……たぶん、こっちのページは見ていない。
見ていないよな?
見ていないと言ってくれ、頼む。
俺は誰よりも素早く教科書を閉じ、心の中で絶叫した。
(山口が忘れたの、英語の教科書じゃなくて本当によかったーーーーー!!!!)




