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初恋は隣の席から  作者: 水無月菜乃花
山口編

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第19話:隣の記憶

「だって、ゴエモン、小学生の頃からバスケやってたじゃん」


そう言った瞬間、空気が少しだけ変わった気がした。


ゴエモンの表情が止まる。 目が、わずかに揺れていた。


私は、静かに息を吸った。 言い過ぎたかもしれない。 でも、もう引き返せないと思った。


「私、吹奏楽が好きで、小学生の頃よく体育館に見に行ってたんだ。 隣の部屋で高校生が練習してて、音が響いてくるのが気持ちよくて」


ゴエモンは黙って聞いていた。 でも、その目は、どこか遠くを見ているようだった。


「その時よく見かけたよ。高橋くんとずっと練習してて。楽しそうだった」


その言葉に、ゴエモンのまぶたがわずかに動いた。 まるで、何かを思い出しかけているみたいに。


「だから、アニメの影響って言ってた時、ちょっと不思議だった」


私は、笑うように言ったけど、 ゴエモンはすぐには返事をしなかった。


机の端に手を置いたまま、少しだけ視線を落として―― それから、ぽつりとつぶやいた。


「……そうだったんだ」


その声は、どこか遠くて、でも確かに今ここにあった。


「うん。別に隠さなくてもいいのにって思ってた」


私は、少し身を乗り出して、静かに言った。


「バスケ、好きなんでしょ? 今も」


ゴエモンは、しばらく黙っていた。 それから、ゆっくり顔を上げて言った。


「……うん。やっぱり、好きなんだと思う。勝てなくても」


その言葉に、私は思わず笑ってしまった。 嬉しくて、安心して、ちょっと泣きそうで。


「じゃあ、いいじゃん。好きなことって、勝てなくても続けるもんだよ」


ゴエモンは、少しだけ目を細めて―― それから、静かにうなずいた。


「……渡辺に勝てる気はしないけど、勝負するのは嫌いじゃない」


その言葉が、どこか誇らしげに聞こえた。


私は、心からの笑顔で言った。


「じゃあ、次の体育も楽しみだね」


ゴエモンは、ほんの少し照れたように笑って―― そして、まっすぐ私を見て言った。


「……うん。楽しむよ。ちゃんと」


その言葉が、教室の空気をやわらかく変えた。


私は、少しだけ迷ってから、口を開いた。


「……中学では、最初バスケ部入ってなかったんだよね。 どうして辞めちゃったの?」


ゴエモンは、目を伏せて、ほんの少しだけ息を吸った。 そして、ゆっくりと話し始めた。


「小6の冬だった。最後の大会が近づいててさ」


その瞬間、私は息を止めた。


その声は、どこか遠くを見ているようで、でも確かに私に向けられていた。


「控えだった俺にも、ちょっとずつチャンスが回ってきて―― コーチに『レギュラー取れるかも』って言われたんだ。 それが嬉しくて、無理して練習した。 高橋と1on1して、走り込みして、家でも自主練して」


私は黙って聞いていた。 その言葉の端々に、あの冬の空気が滲んでいた。


「でも、ある日、体育館の床で足を滑らせてさ。 捻っただけだと思ってたけど、思ったより重くて――大会には、間に合わなかった」


「最後の試合、ベンチでユニフォーム着たまま、ずっとコート見てた。 高橋が声かけてくれたけど、何も言えなかった」


少し間を置いて、ゴエモンは続けた。


「……そういえばその時、体育館の隅から吹奏楽の音が聞こえてた。 応援っていうか、演奏で盛り上げるやつで。 あの中に山口いたのかなって、今、ちょっと思った」


その言葉に、胸がざわついた。


今まで、何度も思い出そうとしてもぼやけていた、あの冬の記憶。 体育館のステージ。サックスの重み。 響いていたはずの音が、急に輪郭を持って戻ってきた。


……いた。 私は、あの時、確かに演奏していた。 でも、心はどこか遠くにあった。

挿絵(By みてみん)

その前の週、アヤカちゃんとの選抜勝負があった。 ミニバス応援の演奏メンバーを決めるための選抜。


アヤカちゃんの方が、ずっと上手だった。 音も安定してたし、気持ちも入っていた。


でも、選ばれたのは私だった。


誰も理由は言わなかった。 「六年生だから」なんて、誰も口にしなかった。 でも、空気がそうだった。 先生の目も、周りの視線も。 アヤカちゃんの、少しだけ伏せた目も。


私は、何も言えなかった。 「ありがとう」も、「ごめん」も。 ただ、受け取ってしまった。 そのまま、ステージに立った。


その罪悪感が、ずっと胸の奥に沈んでいた。 でも、忘れていた。 忘れたふりをしていた。


今、ゴエモンが「音が聞こえてた」と言ってくれたことで、 その記憶が、音と一緒に戻ってきた。


私は、何も言えなかった。 「いたよ」と言えば、全部がバレてしまう気がした。 あの時、あなたがいなかったことが、 私の音を揺らしたことも。 選ばれたのに、心が入らなかったことも。


だから私は、ただ目を伏せて、 「……そうだったんだね」とだけ言った。


それだけで、精一杯だった。


ゴエモンは、私の言葉に何も返さなかった。 でも、少しだけ目を伏せて、それからまた前を向いた。


「……中学では、部活入らなかった」


ぽつりと、そう言った。


「小6の怪我が、中学でもずっと尾を引いててさ。 怪我のこともあったし、なんか、もういいかなって思ってた。 でも、諦めきれなかったんだと思う。 体育のバスケとか、見てるだけでちょっと悔しくて」


声は静かだった。 でも、どこかで熱を含んでいた。


「2年になって、バスケのアニメが流行ってさ。 それ見てたら、またやりたくなって―― その影響ってことにして、部活に入った」


私は、黙って聞いていた。 言葉は出なかったけど、ちゃんと届いていた。


「途中入部だったし、昔やってたこともなんとなく恥ずかしくて。

だから、“アニメ見て始めたミーハー部員”ってことにしてた。

その方が、なんか……気楽だったんだよね」


ゴエモンは、少しだけ笑った。

照れたような、でもちゃんと自分の気持ちを言葉にしたあとの、

まっすぐな笑顔だった。


そして、少しだけ間を置いて、続けた。


「……でも、今ならちゃんと言える気がする。

俺、ミニバスやってたんだって。

昔から、バスケ好きだったんだって」


その声は、どこか照れていて、でもまっすぐだった。


「山口のおかげだよ。ありがとう」


私は、何も言えなかった。

でも、その語りが、胸の奥に静かに届いた。


教室の空気は、少しだけ静かになって――

でも、どこか、あたたかかった。


窓の外では、風が吹いていた。

遠くで、誰かがボールをつく音が聞こえた気がした。


私は、まだ言えないまま。

でも、少しだけ、言えるような気がした。


あの時、私の音が揺れた理由。

選ばれたのに、心が入らなかったこと。

アヤカちゃんの目を、まっすぐ見られなかったこと。


ずっと、見ないふりをしてきた。

でも、もう逃げたくない。


ちゃんと話そう。

ちゃんと、向き合おう。

アヤカちゃんと。


私は、ゆっくりと息を吸った。

その音が、少しだけ、まっすぐになった気がした。

あの頃、揺れていた音が、今、少しだけ芯を持った気がした。


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