第17話:隣の勝負
文化祭は無事に終わった。
みんなでバタバタして、笑って、写真を撮って。 終わった瞬間は、あんなに大変だった準備がちょっと恋しくなるくらい楽しかった。
でも——一番楽しかったのは、準備初日にゴエモンと二人で作業したあの時間。
色紙を切るたびに、ハサミの持ち方を教え合ったりして、 ちょっとした会話が、なんでもないのに嬉しかった。
空き教室の静けさと、ゴエモンの隣にいる時間だけが、今も胸の奥に残ってる。
***
休日の朝。
そんなことを思い出しながら、出かけようと玄関を開けたら、タケルくんがいた。
「お、マミ。ちょっと渡したいものがあるんだけど」
「え?なに?今から出るとこだから、歩きながらでいい?」
そのまま並んで歩き出す。 商店街の角を曲がったあたりで、タケルくんが袋から箱を取り出した。
「はい、これ。コンビニで当たったから」
渡されたのは、石川五右衛門のフィギュア。 確か、今一番くじの景品になってたやつ。
タケルくんがくれるものなんて、大したものじゃないと思ってたから、箱の立派さにちょっと驚いた。
私は箱を抱え直して、フィギュアの顔をちらっと見た。
「……ありがと。ね、五右衛門。こんなのもらえると思ってなかった」
思わず口にしてから、前の方に誰かいた気がして、ちょっとだけ恥ずかしくなった。
タケルくんは、少しだけ笑って答えた。
「前に好きって言ってたの、覚えてたから。ちょうどC賞が残ってて、運が良かった。来月誕生日だし、ちょうどいいかなって」
……誕生日。
夏休みにホットケーキを焼いた日のことが、ふっと頭に浮かぶ。 あの時は、誕生日って嘘だったけど——それでも、なんだか嬉しかった。
そんなことを思い出しながらタケルくんの顔を見たら、何か言いたそうな顔してる。
……あ、これ、何かあるなって思った。
「ふーん、で?こんなの渡すってことは、何か裏があるんでしょ?」
「まあ、ちょっと頼みがあってさ」
タケルくんはポケットから小さなメモを出した。
「二学期の終業式に、社会人楽団の人たちを呼んで演奏してもらおうって話になってて。 生徒会の企画なんだけど、マミ、前に関わってただろ?話を通してもらえたら助かる」
「社会人楽団……!」
ゴエモンのお姉さんが吹いてたサックスの音、今でも忘れられない。 柔らかいのに芯があって、ひとつひとつの音がまっすぐ届いてくる感じ。
聴いてるだけで胸が熱くなって、あの瞬間だけ空気が変わったみたいだった。
「それなら全然!また聴けるんだね、あの人たちの演奏!」
思わず声が弾んだ。
「……そう、それで——」
「ねえ、いつやるの?冬休み前?」
タケルくんの言葉を途中でかぶせてしまった。 自分でも気づかないくらい、ちょっと浮かれてた。
「……うん、冬休み前。終業式の日」
「そっか、楽しみだね!」
そう言って笑うと、タケルくんも苦笑いしながらうなずいた。
風が吹いて、箱の中の五右衛門がカタリと鳴った。 私はそれを両手で抱え直して、少しだけスキップしたいような気分で歩き出した。
***
翌週の部活。
タケルくんの話を聞いてから、ずっと楽団のことが頭にあった。 また演奏が聴けるかもしれない——そう思ったら、迷わず連絡していた。
本当はゴエモンに頼もうかと思ったけど、最近ちょっと元気がないみたいで、声をかけそびれてしまった。 代わりにお姉さんに直接メッセージを送ったら、「話しとくね」と返ってきて、数日後には正式に引き受けてくれた。
「なんか、マミ嬉しそうじゃん」
フルートを抱えたひよりちゃんが、私の顔を覗き込む。
「え?……そうかな」
思わず笑ってしまう。自分ではそんなつもりなかったけど、たぶん顔に出てた。
「うん。なんか、いいことあった?」
「ちょっとね。……楽団の話、進んだんだ」
「そっか。よかったね」
ひよりちゃんはふわっと笑って、譜面を整える。
「それよりさ、またオーディションだね。黒板に書いてあったよ」
「ああ、次のイベント演奏の代表選抜……まただね」
「今度もサックスは、マミとアヤカちゃんの二人でしょ?」
「うん、そう。また同じメンバー」
「マミってさ、勝負事あんまり好きじゃなかったでしょ。大丈夫?」
「うん。もう勝ち負けは気にしないって決めた。誰にも遠慮しないで、自分の演奏をするだけ」
「そっか。……マミらしいね」
ひよりちゃんは優しく笑って、譜面を整える。
そこへアヤカちゃんがやってきた。
「マミ先輩、次こそ負けませんからね!」
勢いよくそう言うアヤカちゃんの目は、まっすぐで挑戦的。
「うん、頑張ってね」
自然にそう返した自分の声が、思ったより落ち着いていて、少しだけ不思議だった。
「はいっ!全力でいきます!」
その明るさに少し押されながらも、私は穏やかにうなずいた。
——本当に、もう大丈夫。 その時はそう信じてた。
***
オーディション当日。
「じゃあ、サックスパートいこうか。山口さん、白石さんの順で」
私はゆっくり立ち上がって、サックスを構えた。 深呼吸をひとつ。指先の感覚を確かめながら、キーに触れる。
音を出した瞬間、空気がすっと通った。 柔らかくて、まっすぐで、どこか遠くまで届いていくような音。
——ゴエモンのお姉さんなら、こんなふうに吹くかな。 そんなことを考えていた。演奏中なのに、ふと頭の片隅でそんな想像が浮かぶくらいには、心に余裕があった。
音はよく響いていた。 自分の中で、何かが整っているような気がしていた。
演奏を終えて席に戻ると、すぐにアヤカちゃんが立ち上がった。
彼女の音は、最初の一音から違っていた。 少し荒削りだけど、芯があって、まっすぐで。 「負けない」「勝ちたい」——そんな気持ちが、そのまま音になっていた。
一音一音に、彼女の意志が乗っている。 音が揺れても、少し外れても、気持ちが途切れない。 むしろ、その不器用さが、彼女の強さに見えた。
私は静かに息を吐いた。 ——アヤカちゃん、すごくなってる。前とは、全然違う。
演奏が終わり、先生は一度教室を出ていった。 審査の時間だ。教室には、発表を待つ空気が静かに漂っていた。
私はサックスケースの留め具を指でなぞっていた。 無意識の癖みたいなもの。何かを待つとき、いつもこうなる。
隣に座っていたひよりちゃんが、そっと声をかけてきた。
「マミ、緊張してる?」
「ううん。……今回は、たぶん大丈夫」
「そっか。じゃあ、落ち着いてるんだ」
「うん。……でもね、次は負けるかもって思ってる」
「え?」
「アヤカちゃん、すごくなってる。今日の演奏、前とは全然違った。……次は、わかんないかも」
ひよりちゃんは少しだけ笑って、それから静かに言った。
「……でも、今回もまだ結果出てないよ。油断しないでね」
私は思わず聞き返した。
「え?それ、どういう意味?」
そのとき、教室のドアが静かに開いた。 審査を終えた先生が戻ってきて、前に立った。
「どちらもよく頑張っていました。ただ——」
その声に、教室の空気がぴんと張る。
「山口さんは安定していたけど、最後の集中が少し切れたね。 白石さんはまだ粗い部分はあるけど、音に気持ちの強さがあった。」
——あれ?
先生の言葉が、すぐに頭に入ってこなかった。 一瞬、意味がつかめずに、ただ音だけが通り過ぎていく。
安定していたのは私で、粗いのはアヤカちゃんで。 でも、言い方が……なんだろう。 まるで、“粗さ”より“気持ちの強さ”の方が価値があるみたいな。 つまり——その言い方だと、選ばれるのは……
「今回は、白石さんを代表にします」
その言葉が落ちた瞬間、胸の奥で、何かが音もなくズレた。
気づいたら、頬を伝っていた。 自分でも驚くくらい、静かな涙だった。
——なんで泣いてるの?
自分に問いかけたその瞬間、心の奥に、ひとつの答えが浮かんだ。
私、最初から勝つ前提でいたんだ。
勝って当然、選ばれて当然。
どれだけ自分が傲慢だったか、今初めて気付いた。
「誰にも遠慮しない」って言ったのは、勝つつもりだったから。
「負けません」って言うアヤカちゃんに、「頑張ってね」なんて、まるで上から目線で。
挙げ句の果てに、「次は負けるかも」なんて言ってた。
“次は”ってことは——今回負けるなんて、考えてもいなかったんだ。
涙は、悔しさでも悲しさでもなく、 自分の思い込みに気づいたことへの、静かな衝撃だった。
そのまま、しばらく動けずにいた。
教室のざわめきが、遠くに聞こえる。
ふと、視線の先にアヤカちゃんがいた。 一年生達に囲まれて、笑っている。 代表に選ばれたばかりの、あの子の笑顔。
——あの子は、ずっと私の隣にいた。 でも、私は……どこを見ていたんだろう。




