第16話:隣の作業
夏休みが終わって、二学期が始まった。 朝の空気は少しだけ涼しくなっていて、 教室のざわめきも、どこか落ち着いている。
席替えがあって、ゴエモンとは少し離れた席になった。 でも、LINEは続いてるし、 教室で顔を合わせれば言葉を交わすこともある。 それだけで、なんとなく安心できると思ってた。
けれど、朝教室に入るとつい目で探してしまう。 どこにいるかな、って。 無意識に、視線がゴエモンを探してる。
今日も、すぐに見つけた。 隣の席には、学級委員の吉岡さん。 きちんとした声で「おはよう」と挨拶されて、 ゴエモンも自然に返している。
その様子を見て、少しだけ胸がざわついた。 “隣”って、こんなに普通に話せる距離なんだっけ。
私も、席に向かいながら声をかける。
「ゴエモン、おはよー」
ゴエモンは、ちょっと驚いたように顔を上げて――
「っ、おは……よ」
声が裏返りそうになるのを、なんとか押しとどめてる。
そのぎこちなさに、少しだけ笑いそうになった。 でも、なんでだろう。吉岡さんとはあんなに自然に話してたのに。
席に着いてから、ひよりちゃんがゴエモンに話しかけていた。 部活の話だったかな。 ゴエモンは普通に返していて、笑ったりもしてる。
……なんで、私のときだけぎこちないの。 声が揺れて、視線が泳いで――
それって、私が“特別”だから? それとも、話しづらい相手だから?
嬉しいような、怖いような。 胸がふわっとするのに、同時に少しだけ沈む。
そんなことを考えていても、授業は進んでいく。 黒板の文字をノートに写しながら、心はずっと、隣じゃなくなった席の方を向いていた。
※※※
昼休み。
お弁当を広げながら、私はひよりちゃんに声をかけた。
「ねえ、朝ゴエモンと楽しそうだったね?」
ひよりちゃんは、口元をゆるめてニヤッと笑う。
「……それって、嫉妬?」
「ちがうし」
「いやいや、その聞き方がもう嫉妬じゃん。気になってるのバレバレ」
「気になってないってば」
「ふーん。じゃあ、なんでそんなに見てたの?」
「見てたっていうか……たまたま目に入っただけ」
「はいはい、“たまたま”ね」
私はちょっとだけ視線をそらしてから、聞いてみた。
「で、何話してたの? ゴエモンと」
「文化祭の話だったと思う。ゴエモン、文化祭委員だから」
「あ、そういえばそうだったね」
私はスマホを取り出して、朝のLINEを思い出す。
「今日から放課後準備するって、LINE来てたよ。空き教室でって」
「え? 私来てないよ」
「え……?」
慌てて画面を確認すると、送られていたのは―― クラスのグループじゃなくて、私の個人LINE。
「……あれ、グループじゃない。私だけに来てる」
「えー、それってさ……」
ひよりちゃんが、ニヤニヤをさらに深める。
「間違えたんだろうけど、でもさ。気づかないふりして行っちゃいなよ。チャンスじゃん」
「いや、でも……ほんとに間違えたんなら教えてあげないと」
「間違えて送る相手がマミって、もうそれ運命でしょ」
「そんなことないって……」
でも、心の奥が少しだけ跳ねた。 “私だけに送られてきた”って事実が、なんだか特別に思えてしまう。
「行くかどうかは自由だけどさ。行ったら、絶対楽しいと思うよ?」
ひよりちゃんの言葉に背中を押されて、私はスマホをそっと閉じた。
……行こう。 迷いはあるけど、行かなかったら、きっと後悔する。
※※※
放課後、空き教室の前で、私は立ち止まっていた。 ドアの向こうから、紙を動かす音が聞こえる。 たぶん、ゴエモンがひとりで準備してる。
……本当に、誰も来てないんだ。
スマホをもう一度確認する。 やっぱり、個人LINE。グループじゃない。
間違いだったのかもしれない。 でも、来てしまった。来たかったから。
私は、少しだけ深呼吸して、ドアを開けた。
「遅くなりましたー」
声が、思ったより高くなってしまった。 落ち着いて話そうと思ってたのに、緊張が先に出る。
ゴエモンが手を止めて、こちらを見た。
「あ……」
その一瞬の間が、なんだか長く感じる。
教室を見回して、私は首をかしげた。
「え、誰もいないの? てっきり何人か来てると思ってた」
ゴエモンは苦笑いしながら答える。
「俺もそう思ってたんだけどな……」
私はすっと教室に入って、机の上の画用紙を見ながら言った。
「ゴエモン、1人で準備してたの? 大変じゃない?」
声が、少しだけ優しくなった。 緊張を隠すために、明るく振る舞ってる自分がいる。
「……まあ、慣れてるから」
ゴエモンが画用紙を持ち直すのを見て、私は隣に座った。
手伝うのは自然な流れだったけど、心の中では、ずっとドキドキしていた。
「これ、何センチ角に切るの?」
ハサミを手に取りながら、なるべく自然な声で聞いたつもりだった。 でも、少しだけ喉が乾いていて、声が硬くなった気がする。
「……えっと、1.5センチくらい……かな。あんまり小さすぎると貼るの大変だし」
ゴエモンの返事も、ほんの少しだけ揺れていた。 その声を聞いて、私はふと気づく。
……あれ? もしかして、ゴエモンも緊張してる?
私と話すときだけ、ぎこちない。 それって、私が話しづらい相手だから?それとも…私と同じ理由?
ずっと不安だったけど、今は少しだけ違う。 “同じ”かもしれないって思えたら、胸の奥が少しだけあたたかくなった。
「了解。じゃあ、赤と青、私が切るね」
「じゃ……じゃあ俺、黄と緑やるわ」
その言い方も、ちょっとだけ照れてるように聞こえた。 私は、少しだけ笑いそうになりながら、色画用紙を手に取った。
黙々と切り始める。 でも、すぐに差が出た。
私の切った紙は、きれいな正方形。 ゴエモンのは、ちょっと歪んでる。
「ゴエモン、それちょっと大きいかも。あと、角が甘いね」
「え、マジ?……いや、これが俺の“味”ってことで」
「味っていうか、雑……?」
「雑って言われると、さすがに傷つくな」
笑いながら言い合えるのが、なんだか嬉しい。 でも、距離が近くなると、少しだけ息が詰まる。
私は定規を手に取って、そっとゴエモンの手元に添えた。
「こうやって切ると、まっすぐになるよ。ほら」
距離が近い。 でも、私は気づかないふりをして、すぐに自分の作業に戻った。
……気づいてる。 でも、気づいてないふりをする。 それが、今の私にできる精一杯だった。
作業にも少しずつ慣れてきて、静かな空気の中で、紙を切る音だけが響いていた。
ふと、口が勝手に動いた。
「……隣に座るの、久しぶりだね」
ゴエモンが顔を上げて、少し驚いたように言った。
「……うん、席替えで離れちゃったしね」
私は笑いながら返す。
「残念だったね。ひよりちゃんは、座りたい席があったら番号交換してもらうんだって」
その時、ゴエモンは「そういう人いるよね」と言った。 その言い方が、なんとなく――少しだけ否定してるように聞こえた。
私は、ハサミを動かしながら、胸の奥がちくりと痛む。
……私も、そういう人だった。 一学期、ひよりちゃんが席を交換してくれて、私は自分で机を動かして、ゴエモンの隣に座った。
“偶然”じゃなかった。 “運命”だと思いたくて、動いた。
でも、ゴエモンは――そういうの、あまり好きじゃないのかもしれない。
罪悪感を隠すように、私はなるべく自然な声で聞いた。
「ゴエモンは、そういうのやらないの?」
ゴエモンは少し考えてから、首を振った。
「俺は……やらないかな。偶然隣になる方が、運命っぽくない?」
その言葉に、胸が少しだけ沈んだ。
じゃあ私は、運命じゃなかったのかな。 “偶然じゃない”ってことは、“特別じゃない”ってこと?
でも、そんなふうに思いたくない。 私は、隣に座れて嬉しかった。 それだけは、嘘じゃない。
気持ちを切り替えるように、私は少し笑って言った。
「じゃあ今は、吉岡さんが運命の人?」
冗談のつもりだったけど、ゴエモンが慌てて否定するのを見て、少しだけ安心した。
「てかさ、吉岡さんって、こういうの絶対来るタイプじゃん? なのに今日いないの、ちょっと意外っていうか」
ゴエモンの言葉に、胸が少しざわついた。 昼休みにひよりちゃんと話していて、私はすでに気づいていた。 この準備の連絡――グループじゃなくて、私の個人LINEにだけ届いていたこと。
でも、黙っていた。 “気づかないふり”をして、空き教室に来た。 来たかったから。偶然を装いたかったから。
私は少し首をかしげて言った。
「そういえば、ゴエモンってクラスのLINEグループ入ってるよね?」
「え? 入ってるけど」
「じゃあ、準備の連絡って、どこに送ったの?」
「えっと……昨日のやつ? “放課後、空き教室で準備しますので手の空いてる人は来てください”って……送ったよ。グループに」
「……グループに?」
私はスマホを取り出して、画面を見せた。 そこには、ゴエモンからのメッセージが――私の個人LINEに、ぽつんと表示されていた。
「……あ……」
ゴエモンも慌ててスマホを開いて、送信履歴を確認する。
……グループじゃない。私だけだった。
「……うわ、マジか」
私は笑いながら言った。 少しだけ、罪悪感を隠すように。
「じゃあ、今日来たの、私だけっていうか…… 私にしか送ってないってこと?」
ゴエモンは顔を伏せながら、そっと言った。
「……結果的に、そうなった」
私は笑いながら、画用紙をもう一枚手に取った。
「でも、こういうの2人でやるの、けっこう楽しいね」
“2人で”――その言葉に、ほんの少しだけ意味を込めた。 偶然じゃなかったことも、気づいていたことも、言わなかったことも。 全部、言葉にしないまま、そっと込めた。
ゴエモンが手を止めかけて、そっと顔を上げる。
「……まあ、地味だけど、嫌いじゃない」
私は笑いながら、切った色紙を並べていく。
「なんか、文化祭って感じする。準備してる時間が一番好きかも」
ゴエモンがうなずいて、また画用紙に手を伸ばす。
※※※
次の日。
空き教室に入ると、作業中の人が何人もいた。 昨日とは違って、にぎやかな雰囲気。
私は、少しだけ周りを見渡してから、ゴエモンの方に目を向けた。
彼は、誰かに「おつかれ」と言われて、軽く手を挙げていた。 その顔が、昨日よりもほんの少しだけ、柔らかく見えた。
……安心したのかな。 昨日は、誰も来なかったことを気にしてたのかもしれない。 でも今日は、ちゃんとみんな来てくれた。
“嫌われてたわけじゃなかった”って、きっと思えたんだろうな。
私は、そんなゴエモンの横顔を見ながら、昨日の空き教室の静かな空気を思い出していた。
作業は一気に進んで、賑やかで、効率もよかった。 みんなでやるのも、もちろん楽しい。
でも――昨日みたいに、2人きりで色紙を切っていた時間が、少しだけ恋しかった。




