第15話:隣の協力者
「じゃあ、キッチン片付けてくるね〜」
お姉さんが立ち上がったのを見て、私もすっと席を立った。
「手伝います。演奏会の時とか、裏方やってたんで慣れてますから」
――今なら、キャンプの時のお礼、言えるかもしれない。 それに、ゴエモンのことも……少しだけ聞けるかも。
「え〜いいよいいよ、座ってて」
「いえ、やります。お姉さん、買い出ししてくれたし」
「助かる〜」
お姉さんが笑って、私たちは並んで部屋を出た。
キッチンに入って、袋から炭酸を取り出していると、 お姉さんがふと私の方を見て、にやっと笑った。
「……で? 何か私に話があるんじゃない?」
思わず手が止まって、顔を上げる。
「えっ……なんでわかるんですか」
「そりゃあ、顔に書いてあるもん。“今なら話せるかも”って顔」
私は少し笑って、それから深呼吸するように言った。
「……実は、お礼が言いたくて」
「お礼?」
「昔、子供会のキャンプで……犬に吠えられて動けなくなってた時、助けてもらったんです。 その時は誰かもわからなかったけど、最近、高橋くんが昔の話してるの聞いて、もしかしてって思って」
お姉さんは一瞬考えて、それから目を丸くした。
「……え? あの時の子なの?」
私はうなずいた。
「ずっと、ちゃんとお礼言いたくて。今日、会えるって聞いて……」
お姉さんは少し驚いたように笑って、炭酸を冷蔵庫にしまいながら言った。
「そっかぁ……覚えててくれたんだ。嬉しいな」
「ま、あの時も私は犬を追い払っただけで、助けたのは弟だけどね」
「……知ってます。守ってくれたの、石川くんでした」
お姉さんは目を丸くして、それから笑った。
「そっか。ちゃんと覚えてるんだね」
少しだけ迷ってから、私は口を開いた。
「……あの、ゴエ……石川くんって、好きな人いるんですか?」
お姉さんが手を止めて、私の顔を見た。
「さっき、“いないこともない”って話してて……」
「気になるんだ?」
「……はい」
お姉さんは少し笑って、炭酸のラベルを指でなぞるように言った。
「もし、弟があなたとは別の子を好きだって言ったら、どうする?」
「え……?」
思わず聞き返してしまう。 その問いは、思ってもいなかった角度から来た。
「それで、諦めるの?」
少しだけ息を吸って、私は答えた。
「……諦めません」
お姉さんは、ふっと笑った。
「でしょ?だったら、そんなこと聞いても仕方ないじゃない。 大事なのは、自分の気持ち。どうしても知りたいなら――本人から聞きなさい」
その言葉が、静かに胸に落ちた。 強くて、優しくて、まっすぐで。 あの時、犬の前に立ってくれた背中と、同じ空気を感じた。
私はそっとうなずいた。
「……はい」
お姉さんは私の顔を見て、口元をゆるめた。
「ま、あんまり暗くならないで。協力ならしてあげるから」
「え……協力?」
「今日、弟の誕生日なの。知ってた?」
「いえ……初耳です」
「本人、たぶん誰にも言ってないと思う。そういうとこあるからね。 だからさ、ホットケーキでも焼いて持ってったら、きっと喜ぶよ」
「私が……作るんですか?」
「うん。私が焼いたら“いつも通り”でしょ? でも、あなたが作ったら――ちょっと特別じゃない?」
お姉さんはウインクして、ボウルと泡立て器を取り出した。
「ほら、材料はあるから。手伝うよ。 あ、そうだ。マミちゃんの誕生日っていつ?」
「え? 私は……十一月です」
「へぇ、秋生まれなんだ。じゃあ、次は私が作ってあげるね。 その時は、弟にも手伝わせようかな〜」
「それは……ちょっと……」
「ふふ、楽しみにしてなよ」
お姉さんの笑顔につられて、私もつい笑ってしまった。
そのあと、お姉さんと一緒にホットケーキを作った。 ゴエモンの昔話を聞きながら、粉を混ぜて、焼いて、ひっくり返して。 笑いながら手を動かす時間は、思った以上に楽しかった。
ミニバスのことを聞こうかと一瞬迷ったけど、やめた。 「どうしても知りたいなら――本人から聞きなさい」 お姉さんの言葉が、静かに心に残っていた。
聞くなら、ちゃんと自分で。 そう思いながら、私は焼き上がったホットケーキを皿に重ねた。
※※※
出来上がったホットケーキを手に、部屋の前まで来て私は一度立ち止まった。 少しだけ緊張していたけれど、扉の向こうから聞こえてきた笑い声に、肩の力が抜けた。
ゴエモン、高橋くん、ひよりちゃん。 3人が楽しそうに話している。
私は扉を開けて、声をかけた。
「なんの話ー?」
その瞬間、部屋の空気がすっと変わった。 3人の視線がこちらに向く。
ゴエモンは座り直して、座布団の位置を確認している。 高橋くんは「いや、別に……雑談?」と目を泳がせ、 ひよりちゃんは何も言わず、笑っていた。 その笑顔が、なんとなく意味ありげに見えて、少しだけ戸惑った。
私はテーブルのそばまで歩いていって、 手に持っていた皿をそっと置いた。
「ゴエモン、誕生日おめでとう」
ゴエモンは一瞬きょとんとして、私を見た。
「……俺の誕生日、6月なんだけど」
「えっ」
思わず声が漏れた。 手のひらがじんわり熱くなる。
高橋くんが吹き出して、「じゃあ何このホットケーキ」と笑い、 ひよりちゃんも目を丸くしている。
ゴエモンがキッチンの方を振り返って、声を張った。
「姉ちゃん、何山口騙してんだよ!」
お姉さんは買い物袋を片付けながら、悪びれもせず言った。
「ごめんごめん、ちょっとからかったら、あまりに本気で作るもんだから言い出せなくなって」
私はホットケーキを見つめた。 焼き色はきれいにできてる。 でも、なんだか顔が熱い。
お姉さんは続ける。
「せっかくなんだし、いただきなさいよ。 ちなみにマミちゃんの誕生日、11月みたいだから。 ちゃんとお礼しなさいよ」
ゴエモンが私の方を見た。 私は少しだけ笑って、視線を返す。
彼はほんの少しだけ、照れたように言った。
「……ありがとう」
ホットケーキの甘い香りがふわりと広がって、 部屋の空気が、やわらかくなった気がした。
※※※
帰り道。 ひよりちゃんは高橋くんと一緒に帰っていった。 私はゴエモンと並んで歩いている。
ホットケーキを食べたあと、みんなで宿題を広げた。 最初に「見せて」って言われたけど、私は笑って言った。
「ちゃんと考えてみて。わからなかったら教えるから」
そう言って少しだけ待った。 ゴエモンも高橋くんも、ちゃんと手を動かしてくれた。 時間はかかったけど、最後までやりきった。
なんだかんだで、楽しかった。
夜風が静かに吹いている。 私は少し迷っていた。 ミニバスのこと、今なら聞けるかもって思った。
でも――
「わんっ!」
路地の向こうから、犬の鳴き声が響いた。 私は反射的に立ち止まる。 体がすくんで、足が動かなくなる。
その瞬間、ゴエモンがすっと前に出て、私の前に立った。
犬はリードを引かれながらこちらに吠えていたけれど、 すぐに飼い主が駆け寄ってきて、頭を下げた。
「すみません!びっくりさせちゃって……」
そう言って、犬を抱えて去っていく。
私はゴエモンの背中を見つめた。 ――あの時と、同じだった。
怖くて動けなかった私の前に、 ゴエモンが立ってくれた、あの時。
変わってない。 まっすぐで、優しくて、ちゃんと見てくれる人。
でも、私は思った。 守ってもらうだけじゃなくて、 ちゃんと向き合える立場になりたい。
ミニバスのことも、 そのときが来たら、ちゃんと聞こう。 対等な気持ちで、ちゃんと向き合えるようになったら。
私はそっと彼の顔を見た。 ゴエモンは振り返って、少しだけ照れたように笑った。
その笑顔に、胸がじんわりあたたかくなる。
夜風が、静かに吹いていた。 その音が、歩く足をそっと後押ししてくれる気がした。




