第9話:隣のチケット
「で、あれからLINE続いてるの?」
ひよりちゃんが、クラリネットのリードをくるくる回しながらこっちを見て言った。
部室のざわざわした空気の中で、その声だけが妙に耳に残る。
「うん。たわいもないことばっかだけどね」
「へぇ、いいじゃん」
「……まあね。」
私はゴエモンとのLINEを見返す。
「部活終わった〜」って送って、「お疲れ!」って返ってくる。
たまに「今日も暑かったね」とか、「明日も頑張ろう」くらいの一言がつくこともある。
それだけでも、なんか嬉しい。
画面の向こうが、教室の隣の席みたいに感じる。
……でも、いつも最初に送るのは私で、ゴエモンの返事は毎回なんとなくそっけない気がして。
そっけないのは、嫌われてるわけじゃないよね。
そう思いたくて、でも、ちょっとだけ気になる。
「そう言えば、一回だけ既読つけてから返せなくて。家の用事が立て込んじゃって、30分くらいスマホ触れなかっただけなんだけど……そのとき、ちょっと焦った」
「え、なんで?」
「前にさ、グループLINEで返信遅れたときに、何人かから“無視?”って責められたことあったでしょ? あれ、けっけう怖かったんだよね」
「……あー、あれね。女子は怖いから。追撃、容赦ないし」
「あのとき、ひよりちゃんが“部活だったんだよね?”って送ってくれて、空気がほどけたの覚えてる?」
「そんなことあったっけ。まあ、マミは真面目だからね。責められると固まるタイプ」
「うん……だから今回も、スマホ開くの怖かった。通知鳴ってたら、全部崩れそうで」
「で、鳴ってた?」
「うううん。何も来てなかった。ゴエモン、黙って待っててくれた」
「……それ、けっけう大事じゃん」
ひよりはクラリネットのケースを閉じながら、少しだけ真面目な顔になった。
「普通だったら、“どうしたの?”とか“返事まだ?”とか来るよ。でも、何も言わずに待ってくれるって、けっこう大人じゃない?」
「……大人?」
「うん。マミのこと、ちゃんと信じてるってことじゃん。“待つ”って、簡単そうでけっこう難しいよ。特に、異性相手だと」
私はスマホを見つめた。
“そっけない”と思っていた言葉が、少しだけ違って見えてくる。
“お疲れ”の一言も、もしかしたら、私のために選んでくれてるのかもしれない。
「じゃあ、あまり向こうから送ってこないのも、返事が短いのも…」
「それも、気遣いなんじゃない? あんまりしつこくすると、マミが困るかもって思って、あえて短くしてるのかも」
「……そうなのかな」
「うん。ゴエモンって、意外と大人だよ。ああ見えて、ちゃんと考えてると思う」
私は小さくうなずいた。
胸の奥が、また少しだけほどけた気がした。
「ま、本当にゴエモン自身がそう考えてやってるとは思えないけど」
「え?何か言った?」
「何でもない」
そう言って、ひよりちゃんは窓の方をちらりと見る。
私がそこに視線を向けていないことに気づいたようだった。
「……あれ? 今日は窓の方、見てないんだ。……ゴエモン、いないの?」
それを聞いて、私はゴエモンとのLINEを思い出して口を開いた。
「……そういえば、最近は一年も二年も一緒に体育館で練習してるんだって」
私がぽつりと言うと、ひよりちゃんがすかさず笑った。
「なにそれ、そういう会話もしてんじゃん。仲良しじゃん」
「仲良しかぁ……本当にそう見える?」
「嬉しそうに言っちゃって。それにしても、うちの運動部って、学年ごとに練習分けるのが伝統だったのにね。 どうしたのかな」
ひよりちゃんは少し考えるように言った。
「前にゴエモン、試合出てたじゃん。あれ、関係あるのかな?」
「どうだろう……それは聞いてないけど、“一年生が二年生と一緒に練習できて嬉しそうだった”って、ゴエモンが言ってた」
私がそう言うと、ひよりちゃんは窓の外をちらりと見た。
「ふーん。じゃあ、もうここからは見れなくなっちゃったね」
「……うん。夏休み終わるまで、顔も見れないかも」
言葉にしてみると、思った以上に寂しかった。
隣の席にいたはずの人が、急に遠くなったみたいで。
「だったら、誘ってみたら? “一緒に帰ろう”とかさ」
「え、無理だよそんなの……次いつ部活一緒になるかもわからないし」
「聞けばいいじゃん。何のためにLINEやってるのよ」
「でも……」
「でもじゃない。行動あるのみよ」
ひよりちゃんは笑って言ったけど、その声には少しだけ真剣さが混じっていた。
私はスマホを握りしめたまま、何も言えずにうなずいた。
※※※
「行動あるのみ……か」
ひよりちゃんはそう言うけど、そんな簡単にはいかない。
どんな言葉で誘えばいいのかもわからないし、仮に誘えたとして、2人で一緒に帰るって……何を話せばいいんだろう。
沈黙になったらどうしよう。
変な空気になったらどうしよう。
そんなことばかり考えて、スマホを握ったまま動けなくなる。
テレビでは、前から楽しみにしていたサックス奏者の特集番組が放送されていた。
銀色のベルがライトに反射して、奏者の指が滑るように動いている。
音の粒が空気に溶けていくみたいで、見てるだけで胸がふわっとする。
そのとき、ふと頭に浮かんだ。
——これ、ゴエモンとのLINEの話題になるかも。
お姉さんがサックスやってるし、ゴエモンも少しは興味あるかもしれない。
そう思った瞬間、私はスマホの画面に指を伸ばしていた。
『今テレビでサックス奏者の特集してるんだけど、ゴエモンも見てみてよ』
送信ボタンを押してから、ため息がこぼれた。
こんなことなら、すぐ送れるのにな。
最近、何を見てもまず最初に「ゴエモンとのLINEのネタになるかも」って考えてしまう。
誰かに話したいからじゃなくて、誰かと話したいから、話題を探してる。
そんなこと、今までなかった。
「素直に、“一緒に話したいから”って言えばいいのかな……」
ぽつりとつぶやいて、もう一度スマホに目をやる。
画面には、ゴエモンからの返信が届いていた。
「サックスと言えば、今度の土曜日姉ちゃんの楽団がコンサートやるんだって。 山口、前に姉ちゃんの演奏褒めてたよな。 チケットがあるらしいんだけど、」
え?これ、どういう事?
ゴエモンからのLINEを読んで、私はじっと考え込んだ。
“チケットがあるらしい”って、どういう意味なんだろう。
ただの話題?それとも……
期待してもいいのか、ただの勘違いなのか。
考えれば考えるほどわからなくなって、私はひよりちゃんに電話をかけた。
「ねえ、ちょっと聞いて。ゴエモンからLINE来たんだけど……」
「なになに、ついに告白?」
「違うけど……“チケットあるらしい”って。お姉さんの楽団のコンサートの」
「それ、誘われてるじゃん。良かったね」
「……やっぱりそう思う?」
「それ以外ないでしょ。チケットあるって言ってきてるんだよ?」
「でも、2人でとか無理。ひよりちゃんも来てよ」
「なんで私が? そもそも私のチケットあるの?」
「聞いとくから!絶対来て!」
「わかったけど、もし2枚しかなかったらどうすんの?」
「……ひよりちゃんが行って!」
「何で私がゴエモンと2人で行くのよ!意味わかんないでしょ!」
「わかんないけど……無理なんだってば……」
「マミ、動揺しすぎ。今めちゃくちゃなこと言ってるよ」
「自分でもそう思う……」
「てかさ、そのLINEいつ来たの?そろそろ返信した方がいいんじゃない?」
その言葉で、私はハッとした。
時計を見ると、もう30分以上経ってる。
慌てて電話を切ってスマホの画面に戻る。
ゴエモンのメッセージは、まだそこに静かに残っていた。
追撃も、催促も、何も来ていない。
……待っててくれたんだ。
それだけで、胸の奥がじんわりした。
“返事が遅れても、信じてくれてる”って、そんなふうに思えるのは初めてだった。
私はスマホを握り直して、ゴエモンにメッセージを送った。
『ひよりちゃんも行きたいって言ってるけど、いい?』
少しして、「もちろん、酒井さんもいいよ」と返ってきた。
良かった。ちゃんと受け入れてくれた。
私はすぐにもう一通、指を動かした。
『ありがとう、じゃあ3人で楽しもうね』
送信ボタンを押したあと、胸の奥が少しだけ軽くなった。
次の土曜日が、ほんの少しだけ特別に思えてきた。




