第8話:隣の電話
演奏会が終わって、数日が経った。
部活はいつも通りに戻っていたけれど、空気が少しだけ柔らかくなった気がした。
アヤカちゃんや一年生が変わった訳ではない。変わったのは、私の方だった。
前は、アヤカちゃんの言葉に少しだけトゲを感じていた。張り合ってくる姿も、どこか突き放されているように思えた。
でも今は違う。同じ言葉なのに、前より優しく聞こえる。張り合ってくる姿が、前より頼もしく見える。笑っている顔が、前より嬉しく感じる。
ただ、私の受け取り方が変わっただけ。それだけで、見える景色がまるで違っていた。
練習が、また楽しくなった。吹奏楽が、もっと好きになった。そう思えるようになったのが、何より嬉しかった。
……部活でのモヤモヤは晴れたけれど、心の中にはまだ、ひとつだけ気がかりが残っていた。
※※※
「まだLINE送ってないの?もう一週間経つよ?」
ひよりちゃんが、スマホを見つめていた私に向かって言った。
「……うん。何て送ったらいいのかわからなくて」
「えー、何でよ。せっかく交換したのに、意味ないじゃん」
「朝っていつもバタバタしてて、“おはよう”って送るには時間が過ぎちゃってるし…… “元気?”って送って、もし相手が元気じゃなかったらどうしようって考えちゃって…… そうやって悩んでるうちに、気づいたら一週間経ってた」
「めんどくさっ。っていうかさ、マミって私にはいつもどうでもいいことで送ってくるくせに」
「それはひよりちゃんだからだよ。気楽に送れる相手っているじゃん…… でも、ゴエモンには、そうはいかないんだよ」
「そんなの一緒一緒。送るのは“人”でしょ? 好きな相手だって、普通に送れるって」
「好きなって……じゃあ、ひよりちゃんは高橋くんに、なんてLINEするの?」
「……え、いや、それは……」
「ほら、言ってみてよ」
「ちょっと!高橋くんは関係ないでしょ!」
ひよりちゃんの声が、ちょっとだけ跳ねた。顔が赤い。私は、思わず笑ってしまった。
「とにかく思ったこと送ればいいの。男子なんて、女子からLINEきたら何でも嬉しいんだから。嫌いな相手じゃない限りね」
「……そうなのかな」
「そうなの。だから、マミが送ったら絶対喜ぶって。悩むだけ損だよ」
私は、スマホの画面を見つめながら、少しだけうなずいた。
※※※
夜、自室。
ベッドの上でスマホを見つめる。画面には、ゴエモンの名前。でも、通知は何もない。
「男子なんて、女子からLINEきたら何でも嬉しいんだから。嫌いな相手じゃない限りね」
ひよりちゃんのその言葉が、ずっと頭の中で繰り返される。
……じゃあ、もし――嫌いな相手だったら?
ふと、記憶がよみがえる。
LINEを聞いたのは、私からだった。
ゴエモンは少し驚いた顔で「……あ、うん」と言いながらスマホを出すまでに、わずかな間があった。交換の時も、どこかぎこちなくて。
……もしかして、嫌だったのかな。
断れずに応じただけなら、私が勝手に舞い上がってただけかもしれない。
“元気?”って送るだけでも、迷惑に思われるかも。
……だったら、送らない方がいいよね。
そう思って、スマホを伏せた瞬間――
ぐらり。
部屋が、わずかに揺れた。
棚の上のペン立てがカタリと音を立てる。スマホの画面も、微かに震えた。
地震。
その時、壁に飾っていた押し花の額が――
ガタンッ!
鋭い音を立てて、床に落ちた。ガラスにひびが入る。
「……っ!」
思わず立ち上がる。額の中には、ゴエモンからもらったチューリップ。
嬉しくて、押し花にして飾っていた。それが、今――壊れた。
「ゴエモン!?」
叫んでいた。自分でも驚くくらい、大きな声だった。ただただ、心配だった。
さっきまでの“送ったら迷惑かも”も、“嫌われてるかも”も、全部どうでもよくなってた。
気づいたら、スマホを開いていてゴエモンの名前をタップしていた。
呼び出し音が鳴る。胸の奥がざわついていた。でも、それはもう“迷い”じゃなかった。
「……もしもし」
少しだけ震えた声が、スマホの向こうから届いた。
「あ、ゴエモン?地震、大丈夫だった?」
さっきまでの動揺が表に出ない様に、声を落ち着かせながら言った。
「うん、こっちは全然。そっちは?」
「うちも平気。ちょっと揺れたけど、すぐおさまったし」
「そっか……よかった」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がふっと鳴った。
声が聞けて、安心した。それだけで、電話してよかったって思えた。
少しだけ沈黙があって、ゴエモンが聞いてきた。
「……なんで電話くれたの?」
その言葉に、うまく答えられなかった。
「うーん……なんでだろ。地震のあと、……」
“声が聞きたくなって”――そう言いかけて、慌てて言葉を変えた。
「スマホ見たら……なんか、急にゴエモンのことが浮かんじゃって」
自分でも意味深な言い方になった気がして、焦った。
急いで話題を変えようと、とにかくたわいもない話で繋ごうとした。
部活のこと、演奏会のこと。話題を探してるうちに、ふと口にしていた。
「……お姉さん、本当にかっこいいね」
それは、焦って繋いだ言葉だった。でも、だからこそ出てしまった。
口からこぼれたのは――本心だった。
あれが、今の私の目標の音。
言ったあと、少しだけ沈黙があった。でも、スマホ越しの空気がふっと柔らかくなった気がした。
「……ああ、姉ちゃんね。まあ、あれは……かっこいいよな」
ゴエモンの返事は、そっけなかった。でも、声の端に嬉しさが滲んでいた。
――あ、好きなんだ。お姉さんのこと。
そのことが伝わってきた瞬間、なんだか、可愛いと思ってしまった。
その“好き”を隠しきれないゴエモンが、少しだけ愛おしかった。
それだけで、緊張がほどけていくのがわかった。
焦って繋いだ会話が、自然に流れ始める。
まるで、教室の隣の席で話してるみたいに。
※※※
通話が終わっても、スマホを見つめていた。
ふと、LINEの画面に目を戻す。そこに、ゴエモンからの、見覚えのないメッセージがひとつ。
「すき焼きのタレ買っとくね!」
「……え、なにこれ」
思わず笑ってしまった。変な文。しかも急にすき焼き。誤変換かな?
「すき焼きのタレって……」
何気なく口にした瞬間、最初の二文字に心がふっと跳ねた。
え、まさか?
いや、そんなわけないよね。
そう思いながらも、目はそのメッセージを離せなかった。
指が、自然に動いていた。
そのまま、スクショして――保存。
私はそのスクショを、誰にも見られないように、そっと「お気に入り」に入れた。




