第6話:隣の体育館
演奏会の日。
本番は夕方からだが、会場準備の手伝いのため、私達は午前中にはすでに町民ホールに入っていた。
譜面台の並びを確認し、椅子の数を数え、ポスターの位置を微調整する。
先生の指示に従ってひよりちゃんと一緒に動く。
作業は滞りなく進んでいた。
けれど、私の気持ちはどこか重いままだった。
代表に選ばれてから、ずっとそうだった。
練習中も、音を出すたびに胸がざわつく。
アヤカちゃんはいつも通り接してくれるけれど、それが逆に辛かった。
一年生の視線も、なんだか痛い。
「なんでこの人が代表なんだろう」と思われている気がして、
吹いている音はちゃんと響いているはずなのに、
自分の音だけが浮いている気がしてならなかった。
そんな日々の中で、少し前にひよりちゃんに言われたことを思い出す。
※※※
「マミ、最近元気ないね。なんかあった?」
放課後の音楽室で、ひよりちゃんが声をかけてきた。
「……練習が、ちょっと気が重くて。代表になったからかな」
「アヤカちゃんのこと?」
「うん。アヤカちゃんはいつも通りだし、周りも何も言わないけど……
それが逆に辛い。“なんでこの人が”って思われてる気がして……」
ひよりちゃんは手を止め、私をまっすぐ見た。
「マミは悪くないんだから。堂々としてなよ。選ばれたのは実力でしょ?」
「……こんなことなら、代表辞退しようかな」
その言葉に、ひよりちゃんの表情が変わった。
いつもの軽さが消え、目が鋭く私を捉えた。
「は? 何言ってんの。そんなの逃げてるだけじゃん。
本気で臨んだアヤカちゃんにも、聴きに来てくれる人にも、失礼すぎるよ」
「……でも、私なんかが代表でいいのかなって」
「いいに決まってる。選ばれたのは、マミの音だよ。
それを否定するってことは、自分の音を裏切るってこと。
逃げたら、それこそ本当の意味で認められなくなっちゃうよ」
その言葉に、私は何も言えなくなった。
でも、胸の奥に小さな、けれど確かな灯りがともった気がした。
※※※
準備が一段落し、午後からの受付案内まで少しだけ空き時間ができた。
ホールの隅に座り、楽器ケースを指でなぞる。
何もしないには少し長い時間。
「マミ、今のうちにちょっと見に行こ。隣の体育館でバスケ部が試合してるって」
戻ってきたひよりちゃんが言った。
「え、今やってるの?」
「うん。午前の部。ゴエモン、出るかもよ」
私は思わず顔をしかめた。
「試合には出られないって、ひよりちゃんが言ってたじゃない」
「まあね。でも、もしかしたらってこともあるし。見に行くだけならタダだしさ」
「……どうせ、高橋くん目当てでしょ」
ひよりちゃんはちょっとだけ笑って肩をすくめた。
「それは否定しない」
高橋くんはゴエモンの友達で、ひよりちゃんや私と1年の時に同じクラスだった人気者だ。
ひよりちゃんは、自分のことになると急に口数が減る。
「……じゃあ、行こっか。ちょっとだけなら」
私はホールの静けさを一度振り返ってから、ひよりちゃんの後に続いた。
体育館までの道のりは数分。
扉を開けると、そこにはホールとは違う「熱」があった。
ボールの弾む音。シューズの擦れる音。
全部が、懐かしかった。
コートの脇に立った瞬間、交代を告げる審判の笛が響いた。
「石川、入れ!」
その声に、私とひよりちゃんは反射的にそちらを見た。
「……えっ、出るんだ」
私とひよりちゃんの声が、ほぼ同時に漏れた。
ベンチの前で、ゴエモンが立ち尽くしていた。
呼ばれたことに気づいているのに、すぐには動けない。
目を丸くしたまま、ジャージの裾を握りしめている。
「石川! 早く!」
顧問の先生の声が飛ぶ。
その瞬間、ゴエモンがはっとして顔を上げた。
慌ててジャージの前を開き、腕を抜く。
中から見えたユニフォームの背番号が、
距離のせいか、少しだけ震えているように見えた。
深呼吸をひとつ。
彼はコートを見つめ、そのまま一歩、踏み出した。
動きはまだぎこちない。
けれど、その足取りは確かに前へ向かっていた。
次の瞬間、コートに立ったゴエモンが、
必死に声を出しながら走り出す。
出番は長くはなかったけれど、ゴエモンは本当によく動いていた。
必死に声を出して、走って、パスを呼ぶ。
そして一度だけ、鮮やかにシュートを決めた。
その瞬間、彼は信じられないくらい嬉しそうで、楽しそうだった。
その姿が、ミニバスをしていた頃の彼と重なった。
誰に見られるでもなく、ただ夢中でボールを追いかけていた、あの小さな背中。
それを見ていたら、胸の奥がふっと鳴った。
あの頃の自分が、少しだけ顔を出した気がした。
吹奏楽の見学を口実にして、隣の体育館に通っていたあの日々。
初めはただの口実だったけれど、音に惹かれ、吹いている人に憧れ、
気づけば自分でも吹いていて……。
全部が、ただ「好き」という気持ちから始まっていた。
今はどうだろう。
代表になって、見られることが怖くて。
けれど、あの全力で楽しそうなゴエモンを見ていたら、少しだけ思い出せた。
「好き」って、こういうことだったんだ。
重かった心が、少しだけ軽くなるのを感じた。




