第5話:隣の会話
休み時間。
ゴエモンは、今日も机に突っ伏していた。ピクリとも動かない。たぶん、寝ているんだと思う。
隣の席になってから、ほとんど毎日こんな感じだ。
話しかけようと思っても、タイミングが全然つかめない。寝ている人に声をかけるのは、なんだかすごく勇気がいる。
……もしかして、私に話しかけられたくないのかな。やっぱり嫌われてる……?
そんな不安が頭をよぎっていたら、ひよりちゃんが声をかけてきた。
「マミ、聞いてる?」
「え? ……うん、ごめん。ちょっと考え事してた」
「演奏会のポスターとチラシ、色をどうしようかって聞いてるんだけど」
「夏だし、明るい方がいいんじゃないかな」
「だよね〜。じゃあ、黄色系でまとめてみようかな」
ひよりちゃんが笑う。
その笑い声が届いたのか、ゴエモンの肩がほんの少しだけ動いたような気がして、私はそっと隣を盗み見た。
彼は変わらず突っ伏したままだ。
でも、呼吸のテンポが変わったような……。
……聞こえてたのかな。……もしかして、起きてる?
「それにしてもさ」
ひよりちゃんが、ふとゴエモンの方に目を向けて言った。
「ゴエモンって、いつも寝てるよねー」
その言葉に、心臓が跳ねた。
さっきまで考えていたことが、急に現実に引き寄せられた気がして。
すると、ゴエモンがゆっくり顔を上げた。
口元であくびを噛み殺しながら、片手で髪をかき上げる。もう片方の手で机の端を押して体を起こす。
……なんだか、すごくわざとらしい。
さっきまで熟睡していたにしては、動きが整いすぎている気がする。
「ん? 今、何か言った?」
ゴエモンが言う。
ひよりちゃんがニヤニヤしながら返した。
「わざとらしい。本当は聞いてたんじゃないの?」
「聞いてないよ。今起きたんだって。ちょっと夢見てたし」
肩の力が抜けたような声。
その響きが少しだけ柔らかくて、胸の奥がざわついた。
ひよりちゃんとゴエモンが、自然に言葉を交わしている。
その距離感が、正直、ちょっとだけ羨ましかった。
私の時はもっとそっけなくて、顔も見せてくれなくて、返事も短くて。
……寝たふりをしてたのって、私だから?
そう思った瞬間、胸の奥がじんわりと痛くなった。
「で? なんの話してたの?」
ゴエモンが聞く。
声が少しだけ弾んでいるように聞こえて、私にはそれが遠く感じられた。
「夏休みに吹奏楽部の演奏会があるんだよ」
ひよりちゃんが教える。
私は頷いて、少しだけ間を置いてから言葉を継いだ。
「町民ホールでやるんだ。今、ポスターとか作って宣伝してるんだけど」
声は、自分でも驚くほど静かだった。
「町民ホールって、あそこ? 家から近いな……」
「そりゃそうだよ。あんな町のど真ん中にある建物、うちの中学の生徒なら誰でも『近い』でしょ。近いんなら来れば?」
ひよりちゃんが笑って誘う。
その瞬間、彼女が私をチラッと見た。
『ほら、あんたも言いなよ』
その目は、そう言っていた。
私は、心臓が喉まで競り上がってくるのを感じながら、でも今だけは逃げたくないと思った。
勇気を出して、なるべく自然に、声を出す。
「お客さん多いほうがいいし、来てよー」
声は、少しだけ震えていたかもしれない。
でも、ちゃんと言えた。それだけで今の私には十分だった。
「……行けたら行く」
ゴエモンが、そっけない声でそう言った。
その一言だけで、胸の奥がふわっと温かくなる。
思わず、言葉がこぼれていた。
「ほんとに? 来てくれたら嬉しいな」
言ったあと、急に恥ずかしくなって視線を手元に落とした。
でも、伝えられたことが誇らしかった。
少しの沈黙の後、ゴエモンがもう一度言った。
「……行けたら行く」
さっきより、ほんの少しだけ声が強かった。
その“少し”が、いつまでも耳の奥に残っていた。
※※※
部活に向かう廊下。
ひよりちゃんと並んで歩きながら、私はさっきの会話を反芻していた。
「ほんとに来るかなぁ……」
「来るって。ああ言っとけば絶対来るタイプだよ、ゴエモンは」
「でも、『行けたら行く』って、典型的な社交辞令じゃん」
「いやいや、あの言い方は来るやつ。あれは“照れ隠し”だよ」
……そうだったら、いいな。
「それより、ちゃんと見せなきゃね」
「見せるって……何を?」
「演奏だよ。今回の代表、絶対取らなきゃ」
その言葉に、私は足を止めた。
今日は代表選考の日。
各パートで一番上手い人が選ばれ、曲の一部をソロに近い形で披露する伝統がうちの吹奏楽部にはある。
「アルトサックスは……まあ、順当にいけばマミでしょ」
ひよりちゃんが言った瞬間、私は思わず口をつぐんだ。
「え、そんなことないよ。1年にも上手い子いるし……」
「ああ、白石アヤカちゃんでしょ? ジュニアクラブ出身の」
名前を聞いただけで、胸の奥がざわついた。
仲のいい後輩。でも、今はその名前を聞くだけで心が重くなる。
「……うん。あの子、すごく上手いし、負けん気も強いから……」
私がそう言った、その時だった。
「負けん気が強いって、私のことですか?」
後ろから声がした。
振り返ると、白石アヤカが立っていた。
制服の袖をまくり、楽器ケースを肩にかけた彼女の目は、まっすぐこっちを見ていた。
「マミ先輩が代表になるって話、聞こえちゃいました」
ひよりちゃんが少しだけ笑う。
「いや〜、聞こえてたか。ごめんごめん。でも、順当にいけばって話でね」
「順当かどうかは、今日の演奏で決まりますよね。私、今日のためにめちゃくちゃ練習してきたんで。負けませんから」
彼女は軽く頭を下げて、迷いのない足取りで音楽室へ消えていった。
「相変わらずすごいね、あの子。勢いあるし、礼儀もちゃんとしてるし」
「……うん。すごいと思う」
私は、少しだけ頷いた。
でも、胸の奥はざわざわとしていた。
競争なんて、できれば関わりたくない。
「マミ、今日の演奏、憂鬱?」
ひよりちゃんに見透かされ、私は少しだけ笑って答えた。
「うん。めちゃくちゃ憂鬱」
※※※
結局、代表には私が選ばれた。
名前を呼ばれた瞬間、拍手が起きて、ひよりちゃんが笑ってくれた。
でも、私は笑えなかった。
楽器を片付けて音楽室を出る。
昇降口でひよりちゃんを待っていると、ベンチの方から声が聞こえてきた。
「絶対アヤカの方が上手だったよ。なんで山口先輩なの?」
「2年だからって、贔屓されてるんだって」
胸に棘が刺さる。
けれど、アヤカちゃんの声がそれを遮った。
「……そんなことない。マミ先輩の音、すごく安定してたし、丁寧だった」
「でも、悔しくないの?」
「悔しいよ。めちゃくちゃ悔しい。でも、実力だよ。次は絶対取る」
そのまっすぐな悔しさが、さらに胸に刺さった。
見つからないようにその場を離れようとしたとき、「マミ!」と声をかけられた。
振り返ると、サッカー部のタケルくんが立っていた。
私の従兄弟で、やたらと距離が近い完璧超人。
アヤカちゃんが彼のことを好きだと言っていたのを思い出す。
「代表選ばれたんだって? すごいじゃん。おめでとう!」
ベンチの方を見ると、アヤカちゃんが悔しそうな顔でこっちを見ていた。
目が合った瞬間、彼女は顔を逸らして、走って行ってしまった。
褒められているのに、逃げ出したくなる。
代表になったのに、居場所がなくなる。
タケルくんは何も気づかずに笑っていたけれど、私はただ、居心地が悪くて俯くしかなかった。
「マミ? なんかあった?」
戻ってきたひよりちゃんに、私は少しだけ笑って言った。
「……ううん。なんでもないよ」
でも、胸の奥のざわつきは消えない。
争うのって、本当に、苦手だ。




