第3話:隣の席
「マミ、明日の席替え、絶対勝負かけるべきだって!」
放課後の音楽室。
隣の席のひよりちゃんが、いつもの調子で声を上げた。
幼稚園からの幼馴染で親友の彼女は、私の心の内をすべて知っている。
「ゴエモンの番号を聞いて、その隣の人と交換すればいいだけ。簡単でしょ?」
私は、窓の外に目をやった。
体育館横のミニコート。今日もゴエモンが、1年生たちと一緒に練習している。
「……それって、ズルじゃん」
私のゴエモンへの気持ちも、事情も。
キャンプでの出会いも、小3での再会も、吹奏楽に入った理由も。
ずっと彼を見てきたことも、ひよりちゃんは全部知っている。
だからこそ、彼女は迷わず言った。
「ズルでもいいの。10年越しの想いを成就させるために、手段なんて選んでられないでしょ?」
ひよりちゃんはフルートのケースを閉じながら笑った。
でも、その目は本気だった。
「……隣になるって、そんなに大事かな? なったからって、何かが変わるとは思えないし」
「変わるよ。男の子って単純なんだから。マミが隣になったら、絶対ゴエモンも意識するって」
「……隣になれたら嬉しいけど。でも、ズルしてまでっていうのは、なんか違う気がして。偶然でよくない?」
「は? 何言ってんの。本当に運命の人なら、偶然でも隣になれるとでも?
運命なんて、自分で変えなさいよ。――いいえ、作りなさいよ」
「ひよりちゃん……」
「マミは知らなかったって顔してればいいの。私は、いつでもマミの味方だから」
そう言われて、私はまた窓の外のゴエモンに目をやる。
すると、ひよりちゃんがため息をつきながら言った。
「それにしても、あの状況で練習って……厳しいね」
「……厳しい?」
「うちの学校の運動部、完全な年功序列でしょ。練習も学年ごとに分かれてるし、試合に出るのも上の学年が優先」
「じゃあ、ゴエモンが1年生と練習してるってことは……」
「1年生扱いってこと。2年生がいなくならない限り、試合には出られない」
「……でも、2年生がいなくなる時って、ゴエモンも引退だよね?」
「そう。だから、あいつが試合に出るチャンスはほとんどないってこと」
私の声が、少しだけ沈んだ。
窓の外では、ゴエモンが必死に声を張っていた。
「……あんなに頑張ってるのに」
ひよりちゃんは、少しだけ優しく笑って言った。
「まあ、文化部はそういう序列ないからね。1年生でも上手ければレギュラーになれるし」
「……そうだね」
「うちの1年にも、結構上手いのがいるよ。マミも、うかうかしてられないかもね」
そのことを考えると、少し頭が痛い。
でも、今の私にとっては、明日の席替えが一番の問題だった。
※※※
翌日のホームルーム。
教室の空気はざわざわと波立っていた。
担任の先生がくじの箱を持って前に立ち、一人ずつ名前を呼んでいる。
みんなが順番にくじを引き、番号を確認して、席表と照らし合わせる。
そのたびに、あちこちで歓声や悲鳴が上がった。
「……本当にやるの?」
「今さら何言ってんの。覚悟決めなさいってば」
ひよりちゃんの声が、耳元で響く。
彼女はもう立ち上がっていて、前の方へ歩き出そうとしていた。
「私に任せて。ゴエモンの番号、聞いてくるから」
「えっ……ちょっと待って……!」
私の制止も聞かず、ひよりちゃんは振り返らずに進んでいく。
くじを引き終えたばかりのゴエモンのところへ、ためらいなく歩み寄った。
私は、その背中を見ながら思った。
――やっぱり、ひよりちゃんはすごい。
行動力って、こういうことなんだ。
「ゴエモン、何番だったー?」
ひよりちゃんの声が、喧騒を抜けて届く。
「9番だよ!」
ゴエモンの声が返ってきた。
私は、聞こえないふりをしながら、耳だけをそちらに研ぎ澄ませた。
名前を呼ばれて、私は立ち上がる。
手のひらが、じんわりと汗ばんでいる。
箱の中に手を入れ、紙を一枚引く。
数字を確認する前に、自分の席へと戻った。
足取りは、鉛のように重かった。
席に着くと、ひよりちゃんもちょうど戻ってきた。
「そんな怒んなくてもいいじゃん」
軽い足取りで、彼女はいたずらっぽく笑う。
「ゴエモン、9番だったって」
私は、息を呑んだ。
9番。
頭の中で瞬時に席表を組み立てる。
班の並び、授業のペア、距離感――。
「ってことは……3番がベストだね。マミは何番だった?」
私は、手の中の紙をそっと開いた。
数字を見た瞬間、心臓が一度、深く沈んだ。
「……18番」
「うわ、遠っ!」
ひよりちゃんが笑った。
私は、笑えなかった。
隣になるには、あまりにも遠すぎる。
「……もういいよ。今回は、諦める」
「は? 何言ってんの。まだ終わってないでしょ」
そう言って、ひよりちゃんは再び立ち上がった。
何気ない顔で、教室の前の方へ歩いていく。
そして、周りに自然に届くくらいのトーンで、軽く呼びかけた。
「3番の人、変わってくれなーい?」
「ちょ、ちょっと……そんなこと聞いたら、ゴエモンにバレるって」
私は小声で呟いた。
でも、彼女はさらっと答える。
「大丈夫だって。あいつ、なんかボーッと考え事してるみたいだったし」
私は、そっとゴエモンの方に目を向けた。
確かに彼は、席表をじっと見つめながら、何かを考えているようだった。
周りの声にも、特に反応していない。
少しして、前の方から男子の声が聞こえた。
「……俺、3番だけど」
その声の主へ、ひよりちゃんはすぐに駆け寄る。
遠くで何かを話し始め、男子は最初こそ驚いた顔をしていたけれど、
すぐにデレデレと笑って頷いた。
――やっぱり、ひよりちゃんはすごい。
彼女はクラスの人気者だ。
明るくて、行動力があって、誰にでも分け隔てなく接する。
だからこそ、こうして“お願い”が通ってしまう。
私は机の端を指でなぞりながら、自分に問いかけた。
いつも“見ているだけ”だった私。
キャンプの時も、小3で再会した時も、同じ中学になった時も。
自分から動こうとはしなかった。
でも、今また動かなかったら。
今度こそ、もう二度と近づけないかもしれない。
「はい、ゲット〜!」
ひよりちゃんが、3番の紙をひらひらと振りながら戻ってきた。
その顔は、勝利を確信したかのように誇らしげだった。
私は、深く息を吸った。
そして、机の端をそっと持ち上げながら、ひよりちゃんに言った。
「……覚悟、決めた」
声は小さかったけれど、震えてはいなかった。
ひよりちゃんはにこっと笑って、紙を差し出してくる。
私は、それを受け取った。
手の中の小さな紙が、少しだけ重く感じた。
「いってらっしゃい、マミ」
その声が、私の背中を力強く押してくれた。
机を運び、ゴエモンの隣へと歩き出す。
たどり着いた時には、周りのざわめきが遠い世界のことのように感じられた。
私は、息を整えてそっと机を置いた。
椅子に座ると、手のひらの汗が冷たく感じたけれど、顔は平静を装った。
「あ、隣ゴエモンじゃん」
自分自身で掴み取った結果を、噛みしめるように言った。
偶然じゃない。
これは、私が踏み出した一歩の結果。
「これからよろしくね」
声は、思ったより静かだった。
でも、彼にはちゃんと届いた気がした。
それだけで、十分だった。
私は、自分の手で運命を作り出したんだ。




