第21話:隣のアルバム
休日。
机の上でアルバムを広げながら、ページをめくる手がふと止まった。
昨日の山口の声が、頭の中で鮮やかによみがえる。
「カッコよかったよ」
「こっちの方が好きかな」
「じゃあ、お揃いだね」
……これはもう、両思いだろ。
いや、もはや付き合ってるようなもんじゃないか?
次は放課後に一緒に帰って、週末は映画かマック。体育館でシュート練習なんていうのもアリかもしれない。
記念日は――あのキーホルダーを渡した日に決まりか。
思わず口元が緩み、ひとりでニヤけてしまう。
「……なに笑ってんの。気持ち悪っ」
背後から、姉の冷ややかな声が飛んできた。振り返ると、洗濯物を抱えたまま、ジト目でこちらを見ている。
「え、別に。なんでもないって」
「いやいや、アルバム見ながらニヤニヤしてるの、普通にホラーだから。恋?」
「うるさいな……」
俺は視線をそらして、再びページをめくった。指先が、写真よりも先に、昨日もらったあの言葉をなぞっていた。
姉がふとアルバムに目を留めて、驚いたように言った。
「あら、懐かしい。ミニバスの頃の写真なんて見てたの?」
「うん。ちょっと思い出したくなってさ」
「へえ。あんたがそんなこと言う日が来るなんてね。一時期はミニバスの話をするだけで、あんなに荒れてたのに」
「うるさい」
「うるさくないわよ。こっちがどれだけ振り回されたと思ってんの」
「……ごめん」
「謝るなら、父さんと母さんにでしょ。特に母さん、あんたがまたバスケ部に入ったって聞いて泣いてたんだから」
「……マジで?」
「マジ。あんたがまた『バッシュを買ってほしい』って言った日、ずっと目が真っ赤だったんだから」
俺は、ページをめくる手を止めた。
写真の中の自分が、少しだけ遠くに見えた。
「バスケは再開したけど、昔やってたことは隠そうとしてたじゃない」
「……まあね」
「写真を戻してるってことは、もう隠すのはやめたの?」
「うん。別に、隠すことじゃないって……わかったから」
昨日の部活で、そう思える瞬間があった。
※※※
「石川、お前、昔ミニバスやってたんだってな。高橋に聞いたぞ」
顧問の言葉に、俺は短く「……はい」と答えた。
「なんで黙ってたんだ? 隠すようなことでもないだろう」
一年の何人かがざわつきだす。
「え、ゴエモンって経験者だったの?」
「マジかよ……中学から始めたにしては上手いなとは思ったけど」
「そういえば、タクティクスボードの話をしてた時もやけに詳しかったよな」
「町民体育館のおばちゃんともなんか親しそうだったし」
顧問は腕を組み、少し笑いながら言った。
「昨日の授業でも、渡辺に仕掛けたり、高橋に本気を出させたりしていただろう。あれ、なかなかだったぞ」
「……ありがとうございます」
「やっぱりな。こういうのを見ると、1年と2年は分けて練習した方がいいんじゃないかって思うんだよな。レベル差もあるし、効率も違うし」
俺は、少しだけ顔を上げて言った。
「でも、今のままの方が楽しいです。一緒にやった方が刺激になるし、空気もいいですから」
顧問が少し驚いたように眉を上げる。
「……ふうん。珍しいな。普通は『分けてくれ』って言いたがるもんだけど」
顧問は少し笑って、俺を見た。
「まあ、今の形になったのも、お前の意見が元だったな。『1年も一緒に』って言ったのは、石川、お前だっただろ?」
一年の誰かが驚いたように声を上げた。
「え、マジで? 今一緒に練習できてるのって、ゴエモンのおかげなの?」
「なんか意外。ゴエモンってそういうタイプだっけ?」
「今の話を聞いて、ちょっと見方が変わったわ。……ゴエモン、いいやつじゃん」
俺は、少しだけ俯いた。
「……そんなつもりじゃなかったんだけど」
耳のあたりが、じんわりと赤くなっていた。
練習後、体育館の隅で荷物をまとめていると、佐伯を先頭に一年生が数人近づいてきた。その空気が妙に真面目で、俺は思わず眉をひそめる。
佐伯が一歩前に出て、ピシッと頭を下げた。
「石川先輩、今までタメ口で話しててすみませんでした!」
「……は? いきなりどうした。気持ち悪いな」
佐伯は真顔で答える。
「いや、経験者って聞いたんで。ちゃんと先輩として敬語を使うべきかなって」
俺は少し黙ってから、ため息混じりに言った。
「……お前らが本気で俺のことを尊敬してて、敬語を使いたいって言うなら、勝手にすればいいよ。でも、気遣いや遠慮で言ってるんなら、今まで通りタメ口の方がいい。そっちの方が楽だし」
佐伯は一瞬考えると、あっさりと表情を緩めた。
「じゃあ、タメ口でいっか。ゴエモンだしな」
「……少しは尊敬しろよ」
思わずツッコむと、周囲が笑いに包まれた。どこか空気が柔らかく、心地よかった。
佐伯が、少し照れくさそうに言った。
「でもさ、練習の件は本当にありがとう。一緒にやれるの、嬉しいよ」
俺は、肩をすくめて答える。
「……俺がやりやすいからそうしただけ。別に誰かのためじゃない」
佐伯が、少し間を置いてから聞いてきた。
「でも、なんでミニバスのこと黙ってたんだ?」
俺は少しだけ視線をそらした。
「……なんか、本気でやってたって言うのが、恥ずかしくないか? 今さら言うのも照れくさくて」
佐伯は、あっさりと笑った。
「全然恥ずかしくないって。普通にすごいと思ったし、むしろカッコいいよ」
その言葉に、俺は少しだけ目を伏せた。胸の奥にずっと引っかかっていたものが、すっと軽くなるのを感じた。
その後、一年生たちが興味津々で寄ってきた。
「ミニバスってどんな感じだったの?」
「試合ってやっぱり緊張する?」
「高橋先輩とは、その頃から一緒だったの?」
俺は、少しずつ話し始めた。昔のことを、少しずつ、言葉にしていった。
体育館の隅。笑い声とボールの音が遠くに響く中で、俺の声も、少しだけ跳ねていた。
※※※
「……まあ、好きでやってたことなんだから、別に隠さなくてもいいんだよね」
俺の言葉に、洗濯物を畳んでいた姉がすかさず突っ込む。
「何それ。どうせまた誰かの受け売りでしょ」
「違うし。……俺の考えだし」
「ふーん。でも、いつまでもウジウジしてたあんたがこんなにすぐ変われるなんて、どうせマミちゃんでしょ」
「うるさいな……」
言い返しながら、俺は視線を天井に向けた。山口の言葉が、また頭の中で響く。
「カッコよかったよ」
「こっちの方が好きかな」
「じゃあ、お揃いだね」
……もう、これって付き合ってるも同然じゃないか。いや、むしろ――。
また妄想に入りかけたその時、ページの隅に写った一枚の写真に目が留まった。
姉の吹奏楽の練習を見に行ったときのものだ。姉とその仲間たち、小学3年の高橋と俺。そして――俺の隣には、同い年くらいの女の子が写っていた。
姉が、ふとその写真に目を留める。
「あれ? この子……もしかしてマミちゃん?」
「え?」
「そうそう、あの頃よく見学に来てた女の子がいたでしょ。吹奏楽の練習の方に。そうか、マミちゃんだったのね」
俺は、写真を見つめた。
幼い女の子。髪は短くて、表情もまだあどけない。
でも、どこか俺の方を見て笑っているような気がして――胸の奥が、少しだけ揺れた。
姉が、少し笑いながら言った。
「なに? 運命とか感じてんじゃないでしょうね」
その声は聞こえていたけれど、俺の意識は写真の中に釘付けになっていた。
そのとき、スマホが震えた。画面には「高橋」の名前。
俺は写真から目を離し、スマホを手に取った。
「……もしもし?」
『助けてくれゴエモン! ちょっと相談っていうか……今すぐ話を聞いてほしいんだ!』
「え、なに。今から?」
『うん、今からそっち行ってもいいか? 姉ちゃんもいたら助かるかも……』
俺は写真をそっとアルバムに戻しながら、小さくため息をついた。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
隣で洗濯物を畳んでいた姉が、ちらりとこっちを見る。
「何? 誰?」
「高橋。なんか、相談があるらしい」
「へえ。あんたに相談なんて、珍しいじゃない」
俺はスマホを握り直し、「……とりあえず、来るってさ。姉ちゃんも一緒に聞いてやって」と伝えた。
「えー、めんどくさい……。でも、ちょっと気になるかも」
姉がソファに腰を下ろす。
スマホの画面を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。
リビングの空気が、少しだけざわつき始めていた。




