第20話:隣の試合
体育の時間。
今日はいつもと違う空気が流れていた。男子のバスケは、今日が最後の授業。
いつもの1対1ではなく、クラス対抗の試合形式で締めくくることになった。
「一組対二組で試合するぞー! 勝敗は気にせず楽しめ!」
体育教師の声に、体育館がざわつく。
「ただし、バスケ部はラスト5分だけの出場な。最初から出てたら試合にならんからな」
「えー! 高橋、後半だけかよ!」
一組の男子が笑いながらブーイングを飛ばす。
その時、二組の誰かが叫んだ。
「渡辺も後半だけにしてくれー!」
「そうだそうだ! 渡辺まで最初から出てたらマジで終わる!」
「チーターはベンチで寝ててくれ!」
笑い混じりの懇願に、周囲がどっと沸いた。
教師は渡辺に目を向ける。
「渡辺、お前もラスト5分からでいいか?」
「俺は別に構いませんよ」
渡辺は短く答えた。その一言には、妙な説得力があった。
「じゃあ、渡辺もラスト5分からな。代表戦ってことで」
試合が始まった。
最初はバスケ部以外のメンバー同士の試合だった。
俺はベンチでじっとコートを見つめていた。
そこではみんなが声を出し、走り、笑っていた。
スーパープレイはない。パスミスもあれば、シュートも外れる。
でも、みんな本当に楽しそうだった。見ているだけで、少し嬉しくなるくらいに。
高橋がぽつりと言った。
「……ミニバス時代、思い出すな」
俺は少しだけ笑ってうなずいた。
「そうだな」
その返事に、高橋が一瞬だけこちらを見る。
ほんの少しだけ、意外そうな顔だった。
「……忘れたんじゃなかったっけ?」
高橋が横目で俺を見てくる。
「……うるせーよ」
高橋はニヤッと笑った。
その顔が、なんだか無性に懐かしかった。
そして、残り時間が5分を切った。
「メンバー、入れ替えー! バスケ部と渡辺、コートに入れ!」
高橋が立ち上がる。渡辺も静かに準備を整える。
俺も、ゆっくりと立ち上がった。
コートの空気が一変し、ざわつきが静かな緊張へと変わっていく。
「高橋と渡辺とか反則だろ!」
「ゴエモン、なんとかしてくれー!」
誰かの声を背に、俺はボールを受け取ってドリブルを始めた。
目の前に立ちはだかったのは――渡辺だった。
「うわ、またこのカードか」
「石川vs渡辺、ラストプレーとか熱すぎだろ」
俺はボールに少しだけ力を込めた。
渡辺は静かに構えている。煽るでもなく、ただ真っ直ぐに俺を見ている。
……何度も負けた相手。負けたくなかった相手。
でも、今はもう違う。
勝ちたいからじゃない。
バスケが好きだから、挑むんだ。
俺はドリブルのリズムをわずかに変えた。
渡辺の重心が揺れる。
一瞬の隙を突き、左に踏み込んだ。渡辺の腕が伸びるが、届かない。
抜いた。
ゴール下。リングが見える。逆転のチャンス。
俺は踏み込んだ。左足で跳び、右手でボールを高く持ち上げる。
指先をリングへ向けて放つ――。
その瞬間。視界の端から、高橋が飛び込んできた。
「っ!」
乾いた音が響き、ボールが叩き落とされる。
同時に、試合終了の笛が鳴った。
俺は着地して、しばらく動けなかった。
目の前に立った高橋は笑っていた。
でも、どこか申し訳なさそうでもあった。
「……お前が止めんのかよ。空気読めよ」
俺が呆れて言うと、高橋は照れくさそうに頭をかいた。
「だってさ。お前、あの顔してたじゃん」
「……どの顔だよ」
「ミニバスの頃さ。ゲームに夢中になってる時のゴエモン。あの顔になると、急に動きが鋭くなって、俺でも止めるの苦労してたんだよ」
俺は少しだけ目をそらした。
「……そんな顔してたか?」
「してたよ。さっきも、ちょっとだけ見えた。だから、つい本気になっちゃった」
高橋はニヤリと笑って、静かに言った。
「……おかえり」
その一言が、静かに胸の奥まで届いた。
※※※
次の日の昼休み。
昨日の試合で全力を出しすぎたせいで、身体中が筋肉痛だ。
机に突っ伏していると、背後から聞き慣れた足音が近づいてきた。
「ゴエモン、何やってんの?」
顔を上げると、山口が立っていた。
いつも通り、柔らかい微笑みを浮かべて。
「……身体中が痛くて」
ぶっきらぼうに返す俺に、彼女は自然な動作で隣の席に腰を下ろした。
「そりゃそうだよ。あれだけ頑張ったら、痛くもなるよ」
「……見てたの?」
「うん。ちゃんと見てたよ」
「まあ……負けたけどね」
山口は少しだけ首をかしげて言った。
「でも、すごくカッコよかったよ」
その言葉が、熱を持って胸に落ちた。
俺はポケットに手を入れた。
指先が、あのキーホルダーの輪郭をなぞる。
一度は渡すのを諦めたもの。
でも、今ならちゃんと渡せる気がした。
「……あのさ」
山口が顔を上げる。
「誕生日、もう終わっちゃっただろうけど…これ、プレゼント」
俺は五右衛門のキーホルダーをそっと机の上に置いた。
山口は驚いた顔をして、すぐに弾けるように笑った。
「ありがとう! かわいい。これ、どうしたの?」
「くじで当てた。……本当はフィギュア狙ってたんだけど、俺には無理だった」
渡辺がC賞を引き当てた場面が、一瞬だけ脳裏をよぎる。
山口の表情がほんのわずかに止まった。
フィギュア――その言葉に、何かを思い出したようだった。
でも彼女はすぐにキーホルダーを手に取ると、スマホを取り出した。
「でも、こっちの方が好きかも。いつも持ち歩けるしね」
その声はどこまでも優しかった。
けれど、キーホルダーを装着する彼女の指先は、どこか大切に、丁寧に見えた。
そのとき、ポケットからもう一つのキーホルダーが転がり落ちた。
山口がそれを拾い上げる。
「これも?」
「うん。2つ当たったから」
山口はキーホルダーを見つめて、ふっと柔らかく笑った。
「じゃあ、お揃いだね」
俺は少しだけ照れながら、小さくうなずいた。
「……うん」
昼休みのざわめきの中、俺たちの席だけが、温かく静かに満ちていた。




