第19話:隣の記憶
小2の頃だった。
高橋と一緒に、町民体育館で行われていたミニバスの練習を偶然見かけた。
体育館の床がキュッと鳴る音。
ボールが弾むリズム。
それがなんだか格好良くて、その日からバスケに夢中になった。
小3になって本格的に始めると、高橋はみるみる上達していった。
ドリブルも速いし、シュートも正確。
コーチにすぐ名前を覚えられ、試合にも出るようになった。
俺はというと――まあ、そこそこ。
パスは通るが、ドリブルは怪しい。
シュートも入る時と入らない時の差が激しかった。
でも、楽しかった。
ボールを持って走るだけで嬉しくて、高橋と一緒に練習しているだけで十分だった。
上級生になる頃には、控え選手として試合の終盤に少しだけ出してもらえるようになった。
それでも、ユニフォームを着てコートに立つ瞬間は、子供ながらに誇らしかった。
あの頃の俺は、勝ち負けよりも――
バスケをしている時間が、ただ純粋に好きだった。
小6の冬。最後の大会が近づいていた。
控えだった俺にもチャンスが回ってきて、
「もしかしたらレギュラーを狙えるかも」
とコーチに言われた。
その言葉が嬉しくて、無理をして練習した。
高橋と1on1を繰り返し、走り込みも増やし、家でも自主練を続けた。
……けれど、ある日、体育館の床で足を滑らせた。
ただの捻挫だと思っていた。
すぐに治ると思っていた。
でも、診断は思ったより重くて――
結局、最後の大会には間に合わなかった。
最後の試合、ベンチでユニフォームを着たまま、俺はずっとコートを眺めていた。
高橋が声をかけてくれたけれど、何も言い返せなかった。
そのあと、少し荒れた。
バスケの動画も見なくなり、ボールにも触らなくなった。
「もういいや」と何度も自分に言い聞かせた。
中学に入り、高橋が「バスケ部に入ろうぜ」と誘ってくれた。
でも、俺は断った。怪我の影響というより、何より――怖かったのだ。
また同じことが起きたら、と思うと踏み出せなかった。
“バスケをやっていたこと”すら、忘れたふりをした。
でも、捨てきれなかった。
中2になってバスケアニメが流行った時、高橋が
「これを見て入部したやつ、絶対いるだろ」
と笑っていた。
俺はその“流行”に乗るふりをして、途中入部した。
久しぶりのバスケは、思っていたよりずっと楽しかった。
ボールを持って走る感覚も、リングにシュートを打つ瞬間も、懐かしくて心が跳ねた。
でも――昔みたいに夢中になっている自分を知られるのが、なんだか照れくさかった。
いつの間にか、本気になることを少し「恥ずかしい」と感じるようになっていた。
だから俺は、「アニメの影響で始めたミーハー部員」という設定にして、適当に笑ってごまかしていた。
「にわかだからさ」と軽く言って。
高橋以外は誰も知らないことをいいことに。
でも、そんな昔の俺を、本気で楽しんでいた頃の俺を――
山口は知っていた。
※※※
「小学生の頃からバスケやってたじゃん」
山口の声は、特別な響きではなかった。
ただ思い出すように、自然にそう言った。
「体育館でよく見かけたよ。高橋くんとずっと練習してて。楽しそうだった」
俺は言葉を失った。
「私、吹奏楽が好きで、小学生の頃によく体育館に見に行ってたんだ。
隣の部屋で大人が練習してて、音が響いてくるのが気持ちよくて」
そういえば、あの頃は隣の武道場や会議室から吹奏楽の音が聞こえていた。
俺が初めてミニバスを見たのも、姉ちゃんの吹奏楽の練習に付いて行った時だった。
「だから、アニメの影響って言ってた時、ちょっと不思議だった」
俺は少しだけ笑った。
「……そうだったんだ」
「うん。別に隠さなくてもいいのにって思ってた」
山口は少し身を乗り出して、静かに言った。
「バスケ、好きなんでしょ? 今も」
俺は、ゆっくりとうなずいた。
「うん。やっぱり、好きなんだと思う。勝てなくても」
「じゃあ、いいじゃん。好きなことって、勝てなくても続けるもんだよ」
その言葉が、静かに胸に染み渡った。
俺は少しだけ顔を上げて、口を開いた。
「……渡辺に勝てる気はしないけど、勝負するのは嫌いじゃない」
山口は、嬉しそうに笑った。
「じゃあ、次の体育も楽しみだね」
「うん。楽しむよ。ちゃんと」
その言葉は、自分でも意外なくらい素直に、口をついて出てきた。




