第16話:隣の作業
いろんなことがあった夏休みも終わり、二学期が始まって数日が過ぎた。
教室は少しずつ涼しくなってきていて、授業も部活もいつも通りに進んでいる。
そして隣には――
「おはよう、石川くん」
学級委員の吉岡さんが、きちんとした声で挨拶してくる。
二学期最初の席替えで、山口とは離れ離れになってしまった。でも、LINEは続いているし、教室で顔を合わせれば言葉を交わすこともある。それだけで、なんとなく安心できる。
隣の席の吉岡さんは、学級委員らしくいつも丁寧に接してくれるけれど――今までのように、彼女を好きになることはなかった。
席替えイベントもいくつかこなしたが、特にドキドキしたりもしないまま、普通にクラスメイトとして接している。
高橋が言っていた「本気で好きな子ができたら、他の女子とも普通に話せるようになる」というやつ――あれ、たぶん本当なんだと思う。
今の俺は、どんな女子だろうと普通に話すことができる。席が隣でも、委員でも、先輩でも。緊張せず、自然に言葉を交わせるようになった。
「ゴエモン、おはよー」
教室のざわめきの中から、山口の声が届いた。
俺は反射的に顔を上げて――
「っ、おは……よ」
声が裏返りそうになるのを、なんとか押しとどめた。でも、手は変な角度で止まっているし、視線も定まらない。
山口は気づいていないのか、いつも通りの笑顔で自分の席に向かっていく。
俺はそっと息を吐いた。
……山口だけは、別だ。
声をかけられるだけで心臓が跳ねる。どうしても普通に話すことができない。
それはきっと、山口だけが『特別』だからなのだろう。
そのまま席に座った俺に、酒井さんが声をかけてきた。
「ふふ。わかりやすいなー、ゴエモン」
俺は顔をしかめて言い返す。
「うるさいな……」
酒井さんは笑いながら、少しだけ声を低くして言った。
「それより、文化祭委員って忙しいんでしょ? 準備はどうなってんの?」
「……まあ、ぼちぼちね」
俺はため息をつきながら、机の端に置いたプリントを見た。
文化祭委員になろうと思ったのは、一学期の委員決めのときだった。“行事の時以外は暇だろ”と思って軽い気持ちで手を挙げたのだが、いざその“行事”が来ると――無茶苦茶忙しい。
放課後の準備、掲示物の確認、教室の装飾、進行表の配布。そして何より、クラスメイトへの連絡。
今日の放課後から、空き教室を借りて出し物のモザイクアート制作に取り掛かることも、クラスLINEでしっかり周知済みだ。
さあ、ここからだ。クラスがひとつになって、文化祭を成功させるぞ――!
俺はプリントをまとめて立ち上がった。空気はもう“準備モード”に切り替わっていた。
※※※
……誰も来ない。
そんなことある?
確かに、部活もあるから「手の空いている人だけでいい」とは書いた。それにしても、誰も来ないなんて。
学級委員の吉岡さんすら来ないって、どういうことだ?
俺、なんかやらかしたか? もしかして、クラス中から嫌われてんのか?
プリントを机に広げながら、ため息をつく。
「……まあ、一人でもやるか。どうせ慣れてるし」
そう言って画用紙の束を手に取った瞬間――
「遅くなりましたー」
教室のドアが開いて、山口が顔をのぞかせた。
俺は一瞬、手を止めて固まった。
「あ……」
山口は教室を見回して、少しだけ首をかしげた。
「え、誰もいないの? てっきり何人か来ていると思ってた」
俺は苦笑いしながら答える。
「俺もそう思ってたんだけどな……」
山口はすっと教室に入ってきて、机の上の画用紙を見ながら言った。
「ゴエモン、一人で準備してたの? 大変じゃない?」
その声がなんだか優しくて、俺は少しだけ胸の奥がほどけるのを感じた。
「……まあ、慣れてるから」
そう言いながら、画用紙を持ち直す。
山口は隣に座って、自然な動きで手伝い始めた。
誰も来なくて、正直ちょっと凹んでいた。嫌われているのかもって、勝手に落ち込んでいた。
でも、山口が来てくれた。それだけで、もうどうでもよくなった。
今日の準備は、それで十分だった。
「じゃあとりあえず始めよっか」
机の上に広げた色画用紙は、赤、青、黄、緑、白、黒――全部で十数色。
今日は初日ということで、モザイクアートの下絵にはまだ手をつけず、色画用紙を切り分ける作業だけを進めることにした。
「これ、何センチ角に切るの?」
山口がハサミを手に取りながら聞いてくる。
「……えっと、1.5センチくらい……かな。小さすぎると貼るのが大変だし」
「了解。じゃあ赤と青、私が切るね」
「じゃ……じゃあ俺、黄と緑やるわ」
山口と話すと、どうしても言葉がぎこちなくなる。普通に返したつもりでも、どこか声が揺れる。
それぞれの色画用紙を手に取って、黙々と切り始めるが……すぐに差が出た。
山口の切った紙は、どれもきれいな正方形だ。角もシャキッとしていて、並べると見事に揃っている。
一方、俺のは――微妙に歪んでいるし、角が丸い。サイズもバラバラだ。
「ゴエモン、それちょっと大きいかも。あと、角が甘いね」
「え、マジ? ……いや、これが俺の“味”ってことで」
「味っていうか、雑……?」
「雑って言われると、さすがに傷つくな」
山口は笑いながら、俺の手元に目をやる。
「こうやって切ると、まっすぐになるよ。ほら、定規使って」
そう言って、俺の手元にそっと定規を添える。
距離が近い。
でも山口は気にしていないみたいで、すぐに自分の作業に戻った。
作業にも少しずつ慣れてきて、俺たちは黙々と色画用紙を切り続けていた。
ふと、山口が手を止めて言った。
「……隣に座るの、久しぶりだね」
「……うん、席替えで離れちゃったしね」
山口は笑いながら続けた。
「残念だったね。ひよりちゃんは、座りたい席があったら番号交換してもらうんだって」
「あー、そういう人いるよね」
「ゴエモンはそういうのやらないの?」
俺は少し考えてから、首を振った。
「俺は……やらないかな。偶然隣になる方が、運命っぽくない?」
山口は少し黙って――それから、にやっと笑った。
「じゃあ今は、吉岡さんが運命の人?」
「いやいや、それは……」
慌てて言い返しながら、話題を変えるように言った。
「てかさ、吉岡さんって、こういうの絶対来るタイプだろ? なのに今日いないの、ちょっと意外っていうか」
山口は少し首をかしげて言った。
「そういえば、ゴエモンってクラスのLINEグループ入ってるよね?」
「え? 入ってるけど」
「じゃあ、準備の連絡ってどこに送ったの?」
「昨日のやつ? 『放課後、空き教室で準備しますので手の空いてる人は来てください』って……送ったよ。グループに」
「……グループに?」
山口がスマホを取り出して、画面を見せてくる。
そこには、俺が送ったメッセージが――山口の個人LINEに、ぽつんと表示されていた。
「……あ……」
俺も慌ててスマホを開いて、送信履歴を確認する。
……グループじゃない。山口の個人LINEだ。
「……うわ、マジか」
山口は笑いながら言った。
「じゃあ、今日来たの、私だけっていうか……私にしか送ってないってこと?」
俺は顔を伏せながら、そっと言った。
「……結果的に、そうなった」
山口は笑いながら、画用紙をもう一枚手に取った。
「でも、こういうの二人でやるの、けっこう楽しいね」
俺は手を止めかけて、そっと顔を上げる。
「……まあ、地味だけど、嫌いじゃない」
山口は笑いながら、切った色紙を並べていく。
「なんか、文化祭って感じする。準備してる時間が一番好きかも」
俺はうなずきながら、また画用紙に手を伸ばした。
“楽しい”という言葉が、作業が楽しいということなのか、二人だから楽しいということなのか――その境目は曖昧だ。
でも、俺はその曖昧さが、なんとなく嬉しかった。
---
次の日。
今回はちゃんとグループに送ったから、みんな来てくれた。嫌われていたわけじゃなかったみたいで、ちょっと安心した。
作業は一気に進んで賑やかで、効率もよかった。
でも――山口と二人きりじゃなくなったのは、少しだけ残念かな、なんて思ってしまった。




