第14話:隣の部屋
「で、酒井さんが山口と、今からこっち来たいって」
「は?」
俺は思わず、素っ頓狂な声を上げた。
「“直接話したい”って。“お姉さんにお礼言いたい”って言ってる。あと、ちょう山口も一緒にいたみたいで、“お姉さんに会いたい”って言ってるみたい」
「いやいや、ちょっと待て。急すぎるだろ。俺、心の準備とか、部屋の準備とか、いろいろあるんだけど」
姉ちゃんがポテチを口に入れながら言った。
「部屋の準備って何? お茶出すだけでしょ?」
「いや、俺の部屋だし!」
「私の家でもあるし!」
高橋がスマホを見ながら言った。
「てか、酒井さんが“宿題終わってるから、見せてあげるよ”って言ってる」
俺は一瞬黙って――そして即答した。
「来てください」
高橋は笑いながらスマホを耳に戻した。
「うん、OKだって。来ていいって」
その声はさっきよりも明るく、仲直りできた嬉しさがにじんでいた。
通話を終えて、高橋はスマホを見ながら言った。
「十分くらいで着くって。町民ホールの前まで来るらしいから、迎えに行ってくるわ」
姉ちゃんがポテチの袋をのぞき込みながら言った。
「じゃあ私、買い出し行ってくる。何もないし」
「何もないって、ポテチあるじゃん」
「ポテチはあるけど、ポテチしかないのよ。あと炭酸も切れてるし」
「それ、買い出しっていうか……おやつの補充じゃん」
姉ちゃんはすでに玄関に向かっていて、靴を履きながら言った。
「おもてなしって、まず胃袋からでしょ。じゃ、行ってくる」
高橋も「じゃあ俺も」と言って玄関を出ていく。
部屋に残された俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
……十分。短い。あまりにも短い。
俺は部屋を見回した。
机の上にはプリントが散乱していて、床には脱ぎっぱなしの靴下。
ベッドの上には、昨日読んだ漫画が積み上がっている。
「……終わった」
俺は静かにそうつぶやいた。そして、急いで動き出した。
まず机のプリントをかき集めて、引き出しに突っ込んだ。
「これは“整理”じゃなくて“隠蔽”だな……」
自分にツッコミを入れながら、次は床の靴下に目を向ける。
「誰だよ、こんなところに靴下置いたの……俺だよ!」
自作自演の怒りを燃やしながら、靴下を洗濯カゴに放り込む。
ベッドの上の漫画は、前に授業でクラスの早川が紹介していた『やっぱりコレだね(パリコレ)』。
山口も「読みたい」と言っていたやつだ。
「ここに置いとけば、山口が『あ、これ読みたかったやつ!』ってなるかも……」
俺は漫画をそっとベッドの端に置いた。
「『貸してー』って言われたら、すぐ渡せるように……よし、ここだ。完璧」
一人でうなずいて、ちょっとだけニヤけた。
壁に目をやると、小学校の修学旅行で買った「友情」という筆文字のタペストリーが堂々と飾られていた。
「……これ、なんでまだ飾ってんだよ。しかも『友情』って。重いわ」
俺はそっと外して、クローゼットの奥に押し込んだ。「友情」は、今はまだしまっておこう。
そのすぐ下には、同じく修学旅行で買った木刀が立てかけてある。
「これも……どうすっかな。いや、山口に『五右衛門っぽい』って言われるかもしれないし……」
俺は木刀の位置を少しだけ整えて、あえて残すことにした。
「よし、これは“演出”。俺のアイデンティティってことで」
雑誌の束を整理していたら、グラビア系の一冊がぴらっと滑り出た。
表紙のアイドルの名前が、山口とちょっとだけ似ている。
「……いや、別に名前が似てるからって買ったわけじゃ……いや、買ったんだけど……」
俺はそっと手に取り、すぐにプリントの下に滑り込ませた。
「これ、見つかったら終わるやつだ……」
残り時間、あと五分。
俺は部屋の真ん中に立って、深呼吸した。
そして最後の仕上げとして、座布団の位置を整える。
座布団を二枚、テーブルの片側に並べてみた。
「山口と並んで座る……いや、これはさすがにおかしいだろ」
一人でツッコミを入れて、今度はテーブルの向かい側に一枚ずつ置いた。
「これで普通。これが正解。誰が来ても自然な距離感」
座布団の位置ひとつで、こんなに悩む日が来るとは思わなかった。
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
俺は深く息を吸って、玄関へ向かった。
座布団の位置も、漫画の配置も、木刀の角度も――全部整えた。
あとは迎えるだけだ。
ドアを開けると、山口が立っていた。
その隣には酒井さん、そして少し後ろに高橋もいた。
「いきなり来ちゃってごめんねー」
山口がそう言う。俺は少しだけ笑って答えた。
「いや、ちょうどよかった。宿題終わらなくて困ってたし」
酒井さんが玄関の奥をのぞき込むようにして言った。
「お姉さんは?」
「買い出しに行っちゃって。ポテチしかなかったから」
高橋が「ポテチはあるんだな」と小声でつぶやき、酒井さんが笑う。
俺は玄関を開けたまま、少しだけ身を引いた。
「とりあえず、部屋で待ってて。すぐ戻ると思う」
山口が「お邪魔します」と言って、酒井さんと並んで家に入ってくる。
高橋は靴を脱ぎながら、ちらっと俺の顔を見て言った。
「……見られたらヤバいやつ、ちゃんと隠した?」
俺は何も言わず、ただ静かに部屋へと案内した。
部屋に入った瞬間、山口が声を上げた。
「わ、けっこう片付いてるねー」
俺は何気なく答えた。
「いつもこんな感じだよ」
後ろから入ってきた高橋が、すかさずツッコんでくる。
「いやいや、さっきまでプリント散乱してたろ。だいぶ頑張ったな、お前」
「うるさい」
山口がベッドの端の漫画に気づき、目を輝かせた。
「あ、『パリコレ』だー。これ読みたかったんだよね」
俺は一瞬、身構えた。
来るぞ――「貸してー」という言葉が。
準備はできていた。渡すタイミングもシミュレーション済みだ。
「あ、それ私、全巻持ってるよ。家にある」
先に声を出したのは酒井さんだった。
山口が振り返って、ぱっと顔を明るくした。
「えっ、本当? 貸してー!」
「いいよ、また今度持ってくるね」
俺はそっと、漫画に伸ばしかけた手を引っ込めた。
何事もなかったかのように漫画の位置を整え、ベッドの端に戻す。
その横で、酒井さんの視線が壁際の木刀に止まった。
「これ……何?」
俺は少し照れながら答えた。
「石川五右衛門といえば、やっぱりこれでしょ」
それを聞いた山口が木刀を手に取り、じっと見つめたあと、真顔で言った。
「五右衛門の斬鉄剣って、木刀じゃないんだよ。特殊な合金でできてて、名前も『斬鉄合金Z』とか言われてるの。で、何でも斬れる設定なんだけど――実は、こんにゃくだけは斬れないの」
俺は「え?」と聞き返す間もなく、山口が熱く語り始めた。
「こんにゃくって、柔らかすぎて刃が通らないんだって。だから、五右衛門が『斬れぬものなど、ほとんどない』って言う時、その“ほとんど”にこんにゃくが入ってるのが、めっちゃ味わい深いの」
部屋が静かになった。
俺も、高橋も、酒井さんも、完全に唖然としていた。
山口はその空気に気づき、木刀をそっと戻しながら、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……まあ、好きなんだよね。五右衛門」
高橋が棚の隅のアルバムを見つけて声を上げた。
「お、アルバムじゃん。見てみよーぜ」
俺が止める間もなく、高橋はパラパラとページをめくる。
山口と酒井さんも覗き込んだ。
「これ、ゴエモンの小学校の時?」
「……でも、なんか所々、写真抜けてない?」
酒井さんが言い、山口も「本当だ。ここ、空いてるね」とつぶやく。
高橋がページをめくる手を緩めた。
何も言わないけれど、空気が少しだけ静かになる。
そのとき、玄関の方から声がした。
「わっ、賑やかだね〜。なんか楽しそうじゃん」
姉ちゃんだった。
買い物袋をぶら下げて、笑いながら入ってくる。
「ポテチと炭酸、ちゃんと補充してきたよ。あと、アイスもあるからね〜」
酒井さんが「えっ、アイス!?」と反応し、空気が一気に切り替わる。
俺はそっとアルバムを閉じ、棚の隅に戻した。
酒井さんが、姉ちゃんに向かって言った。
「今日はありがとうございました。おかげで、ちゃんと話せました」
姉ちゃんは笑いながら首を振った。
「私は『謝りなさい』って言っただけよ。説得したのは、うちの弟だから」
俺は少し照れながら、テーブルの端を整えた。
「まあ……俺も、LINE追撃したくなる気持ちはわかるし」
そう言った瞬間、山口が首をかしげて俺を見た。
「……誰に?」
俺は一瞬固まって、視線をそらした。
「いや、あの……一般論というか……」
酒井さんがふっと笑って、楽しそうに言う。
「ふーん。一般論ね」
高橋が何気なく言った。
「ゴエモンも、仲良くなりたい相手がいんの?」
俺は視線を落とす。
「……いや、まあ……いないこともないけど」
酒井さんが「ふふ」と笑って、空気が少しだけ揺れる。
高橋は気づいていない様子で、ポテチをもう一枚つまんでいた。




