第44話:湖畔を滑る風の翼(と、水上を音速で滑走する超兵器カタマラン)
「エレン、聞こえる? 私の汗腺が、この内陸性避暑地の癖にじっとりとした盆地特有の熱気にブチギレて、今すぐ摂氏18℃の爽やかな湖上の風を秒速15mで全身に浴びせろと大規模なデモを起こしているわ……」
「聞こえるわアリス。というか、共有されている私の大腿四頭筋も、この暑さのせいで乳酸の代謝効率が著しく低下して、ただの干し肉の塊になり下がっているわ! せっかく領地近くの巨大な避暑地『ルナ湖』までバカンスに来たのに、ただぬるい水に浸かるだけなんて、QOL(生活の質)の敗北よ!」
ギラギラと太陽が照りつける、夏の終わりのルナ湖畔。
没落貴族シルバーストーン家のプライベートビーチ(という名の、誰も寄り付かない寂れた入江)で、お揃いのセーラー風水着(母様デザイン・第25話の極薄スライム防水加工製)を着た銀髪の双子は、パラソルの下で怒りのテレパシー(脳内専用回線)を交わしていた。
前世は三十代の理科教師、成瀬健一。
ただの水泳や砂遊びで満足できるほど、俺たちの精神年齢は幼くない。
必要なのは、大自然の風の力を100%味方につけ、水面を文字通り「飛ぶように」滑走する、セーリング界の革命児。
――そう、超軽量ハイドロフォイル(水中翼)付き双胴ヨット『キャタマラン』のDIYである。
「いい、エレン。船が水上を進むとき、最大の敵は水との『摩擦抵抗(造波抵抗)』よ。ならば、船体を完全に水面から『浮かせて』しまえばいいの。流体力学における揚力の公式FLはこうよ」
FL =1/2 ρv²CLS
アリス(理論・設計担当)が脳内の黒板に流体の基礎方程式を書き殴り、共有視界に「ハイドロフォイル(水中翼)の翼断面形状(クラークY型)」と、揚力係数CLのシミュレーションをAR(拡張現実)投影する。
「水は空気の約800倍の密度 ρを持つわ。だから、ほんの小さな『水中翼』を船底に付けるだけで、船体を丸ごと宙に持ち上げる巨大な揚力が発生するのよ!」
「最高ねアリス! 水面を滑るんじゃない、水を蹴って空を飛ぶのね! 材料は、第28話の宇宙決戦チャリで余った『アイアンスパイダーの魔導カーボン』と『チタンボルト』で決まりね!」
エレン(実技・精密工作担当)が、砂浜の上に集めた資材を前にして両手を構えた。
「『超精密魔力クラフト・一体成形モード(120,000 rpm)』!」
キィィィィィィィン……!
エレンの指先から、大気を細かく切り裂く高周波の魔力刃が放たれる。
アリスが投影した青い3Dガイドラインに沿って、エレンが魔導カーボンの極薄シートを何層にも積層し、内部が中空で驚異的な軽さと浮力を誇る「双胴の船体」をわずか20分で削り出し、成形していった。
さらに、アリスは「セイル(帆)」の設計をエレンの脳内へ転送。
「エレン、風の力をただ受けるだけじゃないわ。セイルの表と裏に発生する風速の差から生まれる『ベルヌーイの定理(気圧差)』によって、前向きの揚力を発生させるのよ。風上に向けて45度の角度で爆走できる『異形ウイングセイル』を縫い上げて!」
「任せなさい! 私の右手指先、今、毎分 5,000 針でクモの糸の極薄防風布を均一に縫い合わせる『超神速精密ミシン』と同調したわ!」
エレンの右手が残像となって動き、砂浜の上で巨大なウイングセイル(硬性帆)がみるみるうちに縫い上がっていく。
一人が「揚力ベクトルと風角の流体シミュレーター(ソフト)」、一人が「ナノ精度カーボン成形&超神速ミシン(ハード)」。
二人の神がかり的な調和により、夕暮れ前には、銀色に輝く超軽量チタン製ハイドロフォイルを足元に生やし、黒い魔導カーボンの翼を掲げた、全幅3メートルの双胴ヨット『シルバーストーン・ハイドロ・フォイラー』が爆誕した。
「よし……進水よ、エレン! メインシート(セイルのロープ)を張って、風を掴みなさい!」
「発進!!」
ガチャン、とエレンがチタン製のティラー(舵)を握り、メインシートを驚異的な握力で引き絞る。
次の瞬間、ルナ湖の穏やかな風がウイングセイルに吸い込まれた。
シュルルルルルル……!
最初は静かに水面を滑っていたヨットだが、速度が時速15kmを超えたその瞬間。
フワッ……。
「「――きたわっ!!!」」
水中翼が十分な揚力を発生し、長さ4mの巨大な双胴船体が、水面から完全に50cm 上空へと「浮上」した。
船体と水との摩擦抵抗が一瞬にして「ゼロ」になり、ヨットは爆発的に加速を始めた。
シュババババババババババッ!!!
水面を切り裂くハイドロフォイルとラダー(舵)が、甲高い風切り音を響かせる。
風速わずか5mの微風であるにもかかわらず、ヨットは風速の約3倍、時速60kmオーバーの超高速で、まるで湖の上を滑走する一筋の矢となって爆走し始めた。
「アリス! 凄い! 涼しいなんてレベルじゃない、風が! 風の壁が私の顔を引きちぎりに来てるわ!」
「エレン、頭を下げて空気抵抗を抑えて! 前方の風向1度変化、フォイルの迎え角を1度下げて、キャビテーション(気泡による失速)を防ぐのよ!」
アリスは共有視界で、水中翼の周りを流れる水の圧力分布をリアルタイムで光学スキャン(スキャニング)し、エレンに「今よ、ハイクアウト(体重を外にかけて船体の傾きを抑える)!」と指示を飛ばす。
一人が「3次元流体力学測定器」、一人が「驚異のジャイロ体幹コントロール」。
水上では体感速度が2倍以上に跳ね上がる。双子は、水面を一切揺らさずに宙を飛ぶように爆走するヨットの上で、髪を風になびかせながら「きゃっはー!」と高笑いしていた。
◇
その頃。
ルナ湖畔の涼しい木陰。
前回の「遠隔魂引抜呪殺FAX(※ただのテスト送信落書きです、第41話)」の恐怖から、命からがら生還し、意地と執念だけで双子のバカンスを追跡していた隣領の超一流隠密は、望遠鏡を覗いたまま、凍りついたようにへたり込んでいた。
「お、おい……嘘だろ……。あ、あいつら、ついに……水(ルナ湖)の支配権まで掌握したのか……!?」
隠密の視界には、
水面から完全に船体を浮かせ、魔力による推進用の火花も音もなく、ただ「無音」で、ルナ湖の巨大な水鳥たちを音速で置き去りにして爆走していく黒と銀の異形船の姿。
「あ、あれは……水の上に浮いたまま、風を喰らって爆走している……! ま、間違いない! 世界のいかなる海路・水路・関所も一瞬で蹂躙し、王都の防衛網を紙切れのように突破して水上から王都を砲撃・占領するための、超音速魔導突撃艦『アクア・ハイドロ・フォース』だ……!!!」
スパイの背筋に、氷水を直接叩き込まれたような凄まじい恐怖が走る。
さらに、ヨットが優雅に、そして超高速で「ジャイブ(風下でのターン)」をキメた、その瞬間。
水中翼が水流を激しく弾き、ヨットの後方から、天高く向かって「ザーーーーーッ!!!」と、全高5mを超える凄まじい扇状の白い波しぶき(ウォータースプレー)が、火山噴火のように激しく噴き上がった。
「ひ、ひぃぃぃっっっ!!!???」
隠密は、恐怖で全身の毛穴を開かせ、泥水の上にひれ伏した。
「じ、『局所的津波兵器』だ……!!! あのターンの一撃で、人工的な高波を作り出し、湖畔の村や港を一瞬で水没させて滅ぼす気だ……! あの悪魔の双子、一瞬で世界を水没させる神の権能を手に入れたのだ……!!!」
ただのターン時の綺麗な水飛沫なのだが、隠密にとっては世界を飲み込む「終末の大津波」の予兆にしか見えなかった。
あのヨットが一航行すれば、大陸中の港湾都市がすべて水の底に沈められる。
「に、逃げろ……! ここにいたら、あの突撃艦に轢き殺されるか、あの局所的津波に飲み込まれて魚の餌にされるぞォォォ!!」
隠密は、あまりの「水上兵器」への恐怖と、凄まじい波しぶきのドップラー効果音に脳のキャパシティが完全に崩壊。
望遠鏡を投げ捨て、大雨に打たれた犬のように四つん這いになりながら、泥を這いずり回って森の奥へと必死に這い逃げていくのだった。
◇
その深夜。
湖畔の入江に静かに錨を下ろしたヨットの上。
魔力冷却箱(第7話)から取り出した、キンキンに冷えた特製「レモネード」を片手に、のんきに星空を眺める双子。
「ぷはぁー! やっぱり、水面から浮いて爆走した後の、この涼しい湖上の夜風と冷たいレモネードは、五臓六腑のQOLを限界突破させるわね、アリス」
「ええ、エレン。それに、このハイドロフォイル(水中翼)の流体技術を応用すれば、次は領内の『高速水力コンビナート』の水車効率も3倍に上げられるわ。QOLの進歩は止まらないわね」
「「ふふふふ……」」
窓のないヨットの甲板、満天の星空の下、不気味に静まり返るルナ湖の夜。
領外の広大な世界には、目に見えない「極限の流体力学」と、隣領を世界の終焉レベルの恐怖に陥れる「水上を飛んで津波を起こす超兵器の噂」が、優しく、そしてお気楽に広がり続けるのだった。




