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第34話:異世界に蘇るペニシリン(と、領民を不老不死にする怪しい青いパン)

「……アリス、聞こえる? 私の大腿四頭筋が、高熱によるマイオカインの分解に脅え、全身の関節という関節が、前世の『葛根湯と解熱剤のコンボ』を求めてストライキを起こしているわ……」

「聞こえるわエレン。というか、共有されている私の大脳新皮質も、あなたの『ダル重い』熱のせいでクロック周波数が低下して、いつものお気楽なギャグのキレが半分以下になっているわ。……冬の流行病め、私たちの筋トレとDIYライフを邪魔するなんて、万死に値するわよ!」


シルバーストーン家の寝室。

いつもはうるさいくらい元気にスクワットをしているエレンが、めずらしくベッドに沈み、額に冷たい濡れタオル(魔法冷却箱製)を乗せて弱々しくテレパシーを送っていた。


前世は三十代の理科教師、成瀬健一。

どれだけエレンが野生生物並みのフィジカルを誇ろうとも、ウイルスや細菌という「物理法則の極小アサシン」には勝てなかったらしい。


「いい、エレン。ただ寝て治るのを待つなんて、効率を愛する理科教師のプライドが許さないわ。幸い、私たちの地下工房にはこれまでのDIYで得た資金と道具、そして魔の森の素材がある。……やるわよ。人類の平均寿命を数十年引き上げた、史上最強の奇跡の特効薬――抗生物質『ペニシリン』の異世界再現(DIY)よ!」

「ペニシリン……! あの、世界一不味いと言われる『青カビ』の奇跡ね! やるわ、アリス! 早く私の大腿四頭筋を復活させて!」


二人の『二心同体デュアル・コア』が、微生物学と有機化学の極致へと同期した。


まずは、カビを育てるための「寒天培地かんてんばいち」のDIYだ。

「アリス、培地のベースなら、魔の森の海岸(?)でハンスたちに拾い集めさせておいた、テングサにそっくりなあの海藻があるわ!」

「ナイスよエレン! その海藻を煮沸して、アガロースを抽出するのよ!」


エレンが熱でふらつきながらも、指先から放つ微小な魔力熱で大鍋を100℃でキープ。海藻を煮詰めて濾過し、第14話で作ったガラスシャーレに流し込んで、ぷるんぷるんの「無菌寒天プレート」を完成させた。アリスが脳内で培地の栄養バランスを計算し、糖(ブドウ糖)とアミノ酸(牛肉スープの濾過液)を黄金比率でブレンドしたため、カビにとっては「五つ星ホテルのビュッフェ」に等しい培地だ。


次は、主役となる「青カビ(Penicillium)」のスクリーニング(選別)である。


「カビならいくらでもあるわ。……そう、この数週間、台所の隅で密かに熟成(放置)させておいた、カビだらけのパンとみかんの皮よ!」

アリスがにやりと悪い顔で笑う。


アリス(理論・分析担当)が、カビだらけのパンの表面を、自作の倍率150倍の天体望遠鏡用レンズ(第33話)を逆向きに応用した「簡易顕微鏡」で凝視。

青緑色の胞子を形成し、顕微鏡下で「ほうき状(Penicilliumの特徴)」の形をした本物の青カビ(Penicillium chrysogenum)の菌糸を、驚異の観察眼で特定する。


(エレン、そこ、右から2ミリの青いスポット! 胞子の直径は約3μm。ピンセットで菌糸を1本だけ傷つけずに優しく採取して、寒天プレートへ移植(画線培養)よ!)

(ラジャー……! 熱で手元がブレそうだけど、私の『超精密・筋肉微細制御』なら、心臓の鼓動の合間にピンセットをミリ以下で動かせるわ!)


一人が「顕微鏡レベルの目」、一人が「ナノ単位で震えを殺す手」。

移植された青カビは、エレンが温めた「魔力サーモスタット(25℃定温維持)」の中で数日間培養され、シャーレ一杯に美しい、しかしお世辞にも美味しそうとは言えない「真っ青なカビのコロニー」を形成した。


「よし、カビの培養は成功よ。……でも、ここからが有機化学の本番、不純物の除去(精製)よ!」

アリスが理科室の実験道具のような真鍮製のカラムを並べる。


カビの代謝産物である液体から、有効成分のペニシリン(有機酸)だけを取り出し、人体に有害な「発熱物質パイロジェン」を取り除くための『カラムクロマトグラフィー』と『溶媒抽出法』の開始だ。


「エレン、真鍮管に細かく砕いた活性炭(炭素粒)をぎっしり詰め込んで。ペニシリンは弱酸性(pKa ≈ 2.7)だから、抽出時のpHを酸性側に傾ければ、有機溶媒エタノールに綺麗に移行するわ!」


化学平衡の式をアリスが脳内で高速演算する。


 R-COOH ⇄ R-CO⁻ + H⁺


「エレン、水溶液のpHを正確に2.5に維持して! 酸が強すぎるとペニシリンの『ベータラクタム環(デリケートな化学構造)』が分解しちゃう!」

「任せなさい! 私の魔力、今、正確な『pHメーター』と同調したわ! 酸の濃度を、イオン1個単位で監視・調整するよ!」


エレンが酸性の抽出液を揺らし、アリスが指示する最適なタイミングでエタノールを投入。

不純物を活性炭に吸着させて濾過し、溶媒を真空低温蒸発(第7話のヒートポンプ応用)させることで、ついに真鍮皿の上に、純白(やや青みがかった)の「天然ペニシリンの結晶粉末」がサラサラと精製された。


「できたわ……! 異世界初の、魔法に頼らない特効薬『シルバーストーン・ペニシリン』よ!」


コップの水に溶かした白い粉を、エレンが一気に飲み干す。

「に、苦い! 悶絶するほど苦いけど……あ、あれ? 数分で、頭のダルさがスッと引いていく気がする!」

「抗生物質があなたの体内の病原菌の細胞壁合成を物理的に阻害(破壊)したのよ。科学の完全勝利ね!」


数時間後には、エレンは「大腿四頭筋が呼んでいる!」と、完全復活してベッドの上で超高速スクワットを始めていた。



その頃。

雪の積もったシルバーストーン家の庭の物陰。

双子の「宇宙破壊兵器(※ただの望遠鏡)」を監視し続けていた隣領の超一流隠密スパイは、凍えながら、双子の不気味な作業を望遠鏡で覗き見していた。


「お、おい……嘘だろ……。あの魔女アリス、何をしておるのだ……」


隠密の視界には、アリスが庭のテーブルの上で、「真っ青にカビた不気味なパン」を、にやにやと邪悪な笑みを浮かべながらピンセットでつついて、怪しげな液体(培地)に混ぜ込んでいる光景が映っていた。

青い胞子が風に舞う様子は、彼にとっては死を司る最悪の呪いそのものにしか見えなかった。


「あ、あの青いカビ……あれは、触れた者を一瞬で腐らせて死に至らしめる、禁忌の暗黒呪呪『黒死の胞子ディザスター・モールド』の培養実験だ……!! あの双子、ついに星を撃ち落とす(第33話)だけでは飽き足らず、大陸中に最悪の疫病をばら撒いて人類を滅ぼす気だぞ……!!」


隠密が恐怖で全身の毛穴を開かせ、報告書に「直ちに我が領の防護結界を最大に!」と書き殴ろうとした、その時。


数日後。

流行病(肺炎)で呼吸困難に陥り、今にも死にそうになって寝台で担ぎ込まれてきた領民(ハンスの親戚の老人)の姿があった。

もう医者も諦め、家族が泣き崩れる中、アリスが涼しい顔で、先ほどの「青カビから作った青い粉末」を水に溶かして、老人の口に流し込んだ。


(ああ、あの老人は死んだ。一瞬で身体が青く腐り果てるぞ……!)

隠密が目を塞いだ、その日の夜。


「……お、おおお!? 息が、息が楽だべ! 体が、まるで若返ったかのように軽いぞ!!」


一晩明けると、死に体だったはずの老人が、布団を跳ね除けてピンピンと元気に跳び起き、庭でアリスとエレンに向かって「神様だ! 双子様は死神から私の魂を奪い返してくださった!」と涙を流してひれ伏していた。


それを見た隠密は、あまりの衝撃に、望遠鏡を雪の中に落とした。


「し、死の淵から……老人の命を、一晩で、強制的に引き戻しただと……!?」


カビだらけのパンから抽出された、白い(青い)粉。

それは、病魔を退治するただの抗生物質なのだが、医学の存在しないこの世界の隠密にとっては、「死のルール(世界の寿命)」をねじ曲げる禁忌の秘薬にしか見えなかった。


「あれは……不老不死の秘薬『エリクサー』だ……!!! シルバーストーン家は、人類の寿命すらも完全に管理下に置き、いつでも生殺与奪を支配できる神の権能を手に入れたのだ……!!! 世界は……世界はあの子たちの庭先で転がされているんだあああ!!!」


隠密は、あまりの「神の領域」への到達と絶望に脳のキャパシティが完全に崩壊し、白目を剥いて泡を吹き、雪原の上へと真っ逆さまに卒倒するのだった。



そんな、人類の寿命を支配する「禁忌の魔女」と恐れられているとは夢にも思わない双子は、のんきに復活の宴を開いていた。


「ぷはぁー! 完全復活の後の、冷たいハーブティーと焼きたてピザは五臓六腑に染み渡るわね、アリス!」

「ええ、エレン。でも、やっぱり青カビからの自然抽出は効率が悪すぎるわ。次は、このペニシリンを大量生産(コンビナート化)するための『タンク深部培養システム』をDIYしましょう」


「「ふふふふ……」」


極寒の冬、シルバーストーン領には、目に見えない「医学の光」と、隣領を絶対的な神罰レベルの恐怖に陥れる「不老不死の怪しい青いパンの噂」が、優しく、そしてお気楽に広がり続けるのだった。

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