第29話:冬でも輝く緑の楽園(と、世界を救う魔導ビニールハウス&化学の魔粉)
「……アリス、聞こえる? 私の大胸筋と大腿四頭筋が、植物性タンパク質の枯渇に悲鳴を上げ、自主的にカタボリック(筋肉分解)の抗議デモを始めようとしているわ」
「聞こえるわエレン。というか、共有されている私の胃袋も、連日の『芋と干し肉』のループに耐えかねて、今すぐもぎたてのフレッシュトマトが乗ったピザと、キンキンに冷えた黒ビールのお供である『茹でたての枝豆(大豆)』を寄越せと脳内暴動を起こしているわ。冬だからってQOLを妥協するなんて、理科教師の魂が許さないわ!」
シルバーストーン領の冬。
外は一面の銀世界、気温は氷点下。没落貴族の冬の食卓は、保存食のオンパレードで極めて殺風景だった。
前世、成瀬健一だった頃は、冬でもコンビニで新鮮なサラダや豆腐、プロテイン飲料が手に入った。だが、この世界には「温室栽培」などという概念はなく、冬の生野菜は金持ちだけの特権。ましてやエレンの筋肉を維持するための「大豆(プロテインの原料)」を冬に手に入れるなど、不可能な話だった。
「いい、エレン。植物の成長に必要なのは『光』『温度』、そして『栄養(肥料)』よ。この三つを科学的にハックすれば、極寒のシルバーストーン領は、一瞬で年中無休のエデンの園に生まれ変わるわ!」
「最高ねアリス! ターゲットは……冬のビール&プロテイン祭りよ!」
二人の『二心同体』が、農業革命の領域で完全同期する。
「まずは、温度と光を確保するための『高分子シート(魔法のビニール)』の延伸成形よ! エレン、第12話で魔の森から採取してきたあの『熱可塑性のある高分子ツタ』を、分子レベルで引き延ばして!」
「任せなさい! 私の指先は今、超精密なローラーマシーンと同調しているわ!」
アリスが脳内でツタの主成分である炭化水素鎖の配向をシミュレートし、共有視界に「引っ張り強度」と「極薄延伸の限界値」をリアルタイムでカラーマッピングする。
エレンはその光のガイドを見ながら、魔力で熱したツタの塊を、指先だけで一定の張力で引き延ばしていった。
一人が「分子配向解析」、一人が「高精度インフレーション成形機」。
エレンの指先でミクロな一軸・二軸延伸を施された樹脂は、驚異的な光透過率と、雪の重みにも耐える引き裂き強度を両立した、厚さわずか0.15mmの「魔法のビニールシート」へと変貌を遂げた。
「アリス、シートはできたわ! 次は骨組みね!」
「トラス構造のドームを設計したわ。エレン、庭のガラクタから中空の鋼鉄パイプを削り出して、この設計図通りに組み上げて!」
アリスが脳内3D-CADで算出した、荷重分散に優れた「ジオデシック・ドーム」の骨組みが、エレンの人間NC旋盤ばりの力業であっという間に庭に組み上がる。
そこに魔法のビニールシートを被せれば、極寒の雪原に、突如として直径20メートルの「巨大透明ドーム(魔導温室)」が爆誕した。
ドームの内部は、太陽光の温室効果と、アリスが構築した「エコ地熱ヒートポンプ(第5・28話の応用)」により、常に摂氏25℃の常夏空間が維持されている。
「素晴らしいわエレン! だけど、これだけじゃただの暖かい部屋よ。砂ばかりの痩せた土地で、大豆やトマトを急速成長させるには……化学の力が必要よ!」
「化学の力……! まさか、アレをやるの!?」
「ええ。理科の教科書に必ず載っている、空気からパン(肥料)を作る悪魔の技術……『ハーバー・ボッシュ法』の異世界再現よ!」
N₂+3H₂ ⇄ 2NH₃
本来なら、鉄系の触媒を用い、数百気圧、数百度の超高圧高温の巨大プラントで行うアンモニア合成。
だが、アリスの超精密な化学平衡計算と、エレンの局所的空間圧縮魔法があれば、バケツ一杯分の空間でそれを行うことは容易かった。
「エレン、反応容器内の圧力を200気圧にキープ! 私が魔力で触媒(鉄粉)の活性点を固定し、水素と窒素の衝突確率を最大化するわ!」
「了解!200気圧……これくらい、大腿四頭筋のプレスに比べれば、片手で卵を握り潰すようなものよ!」
エレンが「局所圧力障壁」を物理的に絞り込み、アリスが分子の挙動を誘導する。
バケツの中で、バチバチと青い魔力の火花が散り、強烈なアンモニアの臭気(をアリスが即座に硫酸で中和したもの)が満ちる。
そうして合成された硫安(硫酸アンモニウム)に、骨粉から抽出したリン酸、灰から精製したカリウムをアリスの黄金比率でブレンドし、究極の「高濃度化学肥料(白い怪しい粉)」が錬成された。
「できたわ! 窒素・リン・カリウムの黄金比15:15:15。これさえあれば、植物は通常の3倍の速度で成長するわ!」
「ヒャッハー! 撒くわよアリス! ビールとプロテインのために!」
二人はキャッキャと笑いながら、雪に囲まれた透明なドームの中で、プランターに「白い怪しい粉」を豪快にバラ撒き始めた。肥料を吸った土壌からは、見る見るうちに青々とした大豆の芽と、真っ赤に実ったトマトのツルが伸びていく。
その頃、ドームの外。雪の積もった木陰。
隣領の伯爵に雇われた新入りの農政官ピエールと、前回のソニックブームからかろうじて生還した超一流の隠密は、極寒の森で震えながら、信じられない光景を目にしていた。
「お、おい……嘘だろ……?」
ピエールは、雪の中に燦然と輝く、青々と野菜が茂る「謎の巨大透明ドーム」を凝視し、ガタガタと震えた。
「シルバーストーン領は、季節の理さえもねじ曲げたのか!? 極寒の雪原にエデンの園を出現させるなど、神の領域に対する冒涜だ! いや、それ以上に……あの双子が撒いている、あの『白い不気味な粉』は何だ!?」
「あ、あれは……!」
隠密が青ざめた顔で報告書を握りしめる。
「以前、あの双子が『筋肉』を強化すると呟いていたのを聞いたことがあります! 間違いない、あれは兵士たちの肉体を限界突破させ、常人の十倍の力で暴れ回らせる『超人兵士育成剤(筋肉の魔法粉)』です!!」
「な、なんだと……!? 季節を支配し、他国の農業を干上がらせる食糧支配兵器と、超人兵士を作る強化剤……! シルバーストーン家は、この雪の中で世界を滅ぼす軍隊を育成しているのか!!」
ピエールは恐怖のあまり泡を吹きそうになりながら、隠密を急かした。
「おい! あの白い粉のサンプルを少しでいいから回収しろ! あれの成分を分析すれば、我が領でも超人兵士が作れるかもしれん!」
「お、任せてください。この私にかかれば……」
隠密はプロの身のこなしで雪の上を滑るように進み、ドームの換気口からこぼれ落ちていた「白い粉(アリス特製の超高濃度化学肥料)」を、小さな薬瓶へ回収することに成功した。
「よし、戻るぞ! ……いや待て、その場で少し、効果を確かめてみるか……?」
ゴクリと唾を飲み込む二人。
超人兵士になれる薬。男なら、一度は憧れる強大な肉体。
隠密は、指先にほんの少しだけ「白い粉」を付着させ、意を決してペロッと舐めた。
「…………ッッッ!!!???」
次の瞬間、隠密の顔が、見たこともないどす黒い紫色に変色した。
「ごふっ!? げ、げぇぇーーーっ!! しょっぱ苦い!? いや、舌が、舌の細胞が、無機塩類の容赦ない塩濃度でダイレクトに脱水縮小(浸透圧崩壊)していくぅぅぅ!!」
「おい! 大丈夫か!? 超人の力が目覚めたのか!?」
「ち、違う! これは……『致死量の毒物』だ! 舐めただけで、舌の感覚が消え失せ、胃が裏返りそうなほどの金属的な不味さが脳を破壊する……! あの双子、超人兵士を作るどころか、一舐めで一個師団を無力化する『経口摂取型・超劇物化学兵器』を撒き散らしているんだあああ!!」
「ひぃぃぃ! 食糧支配と化学兵器のダブルパンチだべぇぇぇ!!」
農政官ピエールと隠密は、あまりの「世界の終焉」を感じさせる味(※ただの超高濃度な無機塩類の肥料の味です)に脳のキャパシティが完全に崩壊し、互いに抱き合いながら、泡を吹いて雪原へと転げ落ちていった。
一方、そんな隣領の自滅(と大誤解)など微塵も知らない双子は、ぬくぬくの温室内で、お楽しみの時間を迎えていた。
「アリス、もぎたてのトマトとバジルを乗せたピザが焼き上がったわよ!」
「最高ねエレン! そして、私の精密魔法抽出機で作った、この特製『シルバーストーン大豆プロテイン・バナナ風フレーバー』のシェイクも完璧な乳化状態よ!」
「「いっただっきまーす!!」」
外は猛吹雪。
しかしドームの中では、新鮮なピザを頬張り、キンキンに冷えた(※外から雪を持ってきて冷やした)ビールと枝豆を貪り、特製プロテインをグビグビと飲み干す、異次元のQOLが確立されていた。
「ぷはぁー! 筋肉に染み渡るわねアリス!」
「ええ、エレン。次は、この高分子シートを使って『温室サウナ』を作りましょう。冬のサウナから、雪の中にダイブするの。これぞ極上のウィンター・ライフよ!」
二人の開拓精神と食への執念は、極寒の冬すらも、ただの快適なレジャーシーズンへと塗り替えていくのだった。




