第19話:鉄の処女(レジェンド)は風を切り裂いて爆走する
「アリス、私、今猛烈に感動してる。このパイプの断面の薄さ、叩いたときのカンカンっていう高い音……これ、本物のクロモリ(クロムモリブデン鋼)だよ!」
「フフフ、王都の貴族どもをビールとアイス漬けにした甲斐があったわね。さあエレン、前世の私たちの相棒を、この異世界に完全召喚(DIY)するわよ!」
シルバーストーン家の地下工房(元・ただの物置)。
薄暗いランプの光に照らされているのは、王都の大商人ギルバートから「ビールの売上金の代わりに」と、半ば脅し取るようにして調達させた最高級の特殊鋼管の山だ。
前世でロードバイクを狂おしいほど愛していた理科教師の魂が、今、異世界の肉体を通じて歓喜の産声を上げていた。
目指すは、総重量7キロ台。魔導具による不格好なアシストに頼らない、純粋な人力(と、ちょっとの物理法則のバグ)で動く究極のロードバイク。その名も――『シルバーストーン・レジェンド』の製作である。
「アリス、フレームの設計図の脳内レイヤー、同期して!」
「いつでもいけるわ。エレン、いくわよ!」
二人の特殊能力『二心同体』が、工作プロセスの限界を突破する。
アリス(理論・設計担当)の脳が、前世で乗っていたヴィンテージ・クロモリフレームの寸法をベースに、転生後の二人の小柄な体格(10歳児サイズ)に合わせた「黄金のジオメトリ」をミリ単位で再計算。パイプのどの部分に最も大きな負荷(応力)がかかるかを算出し、肉厚を中央部だけ極限まで薄くする「ダブルバテッド加工」のシミュレーションをエレンの視界へAR(拡張現実)として投影する。
(エレン、トップチューブの応力分散グラフを緑色で固定したわ。そこを狙って、魔力溶接!)
(ラジャー! 火力調整、鉄の融点1538度をキープ……ハンダ付け(ラグ溶接)いくよ!)
エレン(実技・工作担当)の指先から、バチバチと青白い魔力の炎が吹き出す。
『二心同体』の恐ろしいところは、エレンが寸分の狂いもない精密さで金属を熱しながら、アリスの脳が「あ、いま局所的に温度が上がりすぎ。結晶構造が粗大化して脆くなるから、一瞬だけ『焼き戻し(テンパリング)』の温度まで下げて!」と、金属工学のリアルタイムフィードバックを送り込める点だ。科学の知識を持ったプログラマー(アリス)が、超高性能な3Dプリンター(エレン)を直接操作しているようなものである。
「真鍮のギヤはもう卒業よ。次は駆動系、高張力鋼を削り出した『リア11速変速ギヤ』の噛み合わせチェック!」
アリスの脳内計算に基づき、フロントのチェーンリングが50-34T、リアのスプロケットが11-28Tという、前世のヒルクライム(坂道)仕様の変速比が、カチカチと狂いのない音を立てて組み上がっていく。
さらに二人のこだわりは「タイヤ」にまで及んだ。
「魔の森」で子供たち(弟子)に採集させてきた高級ゴム樹液を、アリスの化学知識で硫黄と混ぜて熱硬化(架橋反応)させ、前世のレーサー御用達の「チューブラータイヤ」を完全自作。絹の代わりに異世界の頑丈な蜘蛛の糸をケーシング(地組織)に使い、しなやかさと超高圧への耐久性を両立させた。
そして、徹夜の作業が明けた翌朝。
朝日に照らされた庭に、一台の「バケモノ」が静かに佇んでいた。
細身で美しい、ホリゾンタル(水平)なメタリックブルーのクロモリフレーム。
贅沢に肉抜きされた11速のギヤ。
余計な魔導具を一切排除し、機能美の極致を体現したその自転車の総重量は――。
「……7.2キロ。勝ったわ。前世のカーボンロードに匹敵する軽さよ!」
アリスがデジタル体重計(※もちろん電子天秤の原理を応用したDIY製)の目盛りを見て、勝利の雄叫びを上げた。
「アリス、私、もう我慢できない! 試乗いってくる!」
ヘルメット代わりに木彫りのサイクルキャップを被ったエレンが、シルバーストーン・レジェンドに跨る。ペダルに足を乗せ、ビンディング(固定クリップ)をカチンとハメた。
「エレン、まずは領内の直線道路よ! 無理なトルクはかけずに、ケイデンス(足の回転数)を意識して!」
「いっくよおおおおお!」
エレンがペダルを強く踏み込んだ、その瞬間。
――シュバッ!!!
風を切り裂く、衣服の擦れる音だけを残して、エレンの体が弾丸のように前方に射出された。
「なっ……つ、冷たいっ!? 風が……景色が後ろに飛んでいく!!」
エレンは驚愕した。これまで乗っていた真鍮製の重いビジネスチャリとは、次元が違った。ペダルを踏んだ力が、一切のロスなく、100%ダイレクトに推進力へと変換される。
(エレン、ギヤをトップに入れなさい! 下り坂よ、いけるわ!)
(アリス、脳内の速度メーターが……時速40……50……あははは、時速60キロ超えた!!)
農地を並走する馬車を、エレンはカチカチと小気味よく変速しながら、一瞬でぶち抜いた。
御子の御者が「うわあああ!? 銀髪の座敷童子が、生身で馬車を追い抜いていったぞ!?」と腰を抜かして叫んでいる。
「風になるって、こういうことよーーーーーーッ!!!」
エレンはハンドルを低く握り込み(下ハンドル)、前世のロードレース選手さながらのスプリントフォームで、シルバーストーン領の街道を大爆走した。アリスの共有視界には、タイヤのグリップ力、空気抵抗、路面の摩擦係数がリアルタイムでグラフ化されており、コーナーの手前で「右クランクを上にして、傾き32度でターン!」と完璧なナビゲートが入るため、転倒する恐怖すら一切ない。
三十代の自転車オタクの情熱が、十歳の少女の無尽蔵の体力とシンクロし、異世界の平原を時速60キロオーバーで駆け抜ける。それは、どんな超高級な移動魔法よりも、圧倒的に「自由」な快感だった。
キキィィィッ!!!
裏庭に、タイヤの焦げた匂いと綺麗なスキッドマーク(ブレーキ痕)を残して、エレンが戻ってきた。その顔は興奮で真っ赤に染まり、目はキラキラと輝いている。
「アリス! 凄い! 凄すぎるよこれ! 前世の愛車を超えてる! どこまでも走っていけそう!」
「ちょっとエレン、ずるい! 私の計算が正しかったのは嬉しいけど、私だって風になりたいわよ! 次は私に代わりなさい!」
アリスがじだんだを踏んで大はしゃぎする。
「ダメー! このチャリは私の身体サイズ(サドル高)に完全にアジャストしてあるんだから、アリスが乗るならサドルの高さを2ミリ下げなきゃダメ!」
「2ミリくらいすぐ調整できるわよ! クイックリリース(レバー式固定具)をDIYしたの私なんだから!」
庭先で、一台の最高級ロードバイクを取り合ってギャーギャーと喧嘩をする銀髪の双子。
その様子を、屋敷のテラスから見ていた母様は、冷え冷えのアイスクリームをスプーンで上品に口に運びながら、
「あらあら、あの子たち、今度は馬より早く走る鉄の馬を作ってしまったわね。あなた、次の王都の取引には、あの自転車の『特許』とやらを持っていくと良いんじゃないかしら?」
と、すっかり慣れた様子で微笑んでいた。
隣で父様が、「いや、妻よ……あの速度は流石に、我が国の騎士団に目をつけられるレベルだと思うんだが……」と、新しい利権の香りと国家規模のトラブルの予感に、ガタガタと震えているのだった。




